第十六葉:渡りに舟


☆☆☆☆☆


「櫂凪ちゃーん、おーい!」

 白色ばかりの夢の中。笹色の舟の後ろに立って、いつものように鳴子が手を振っている。

「相変わらず寝るまで早いね」

 舟の前に乗り、棹で押して離岸させた。やや離れた前方に、黒い渦の壁が見える。

 櫓を漕ぐ鳴子は、困った顔をした。

「えっと、わたしはどうしたら……」

「そのまま漕いでいて。こっちで調整するから」

「調整?」

「うん」

 いつもよりだいぶゆっくり進む舟。

 ちょうど良いので念のため確認しておく。

「ねぇ鳴子。夢の主が夢を夢だと認識しても、いきなり起きることはないよね?」

 ワタシは目覚めなかったけど、人によっては違うかもしれない。違ったら……、ちょっと困る。

「いきなりは、そうだね。明晰夢って知られてるくらい、夢を認識すること自体は普通にあるし、それだけじゃ目覚めない場合がほとんどかな。でも、明晰夢なら起きようって人もいるし、夢だと知ること自体がショックで起きちゃう人もいるよ」

「……なるほど。難しい舵取りになりそうだね」

「??」

 鳴子は頭上にクエスチョンマークが見えそうなリアクション。なんで?

 黒い渦の前に到達したので、櫂を使って進路を逸らした。

「入らないの?」

「うん。今入ろうとしても、昨日と同じで弾かれると思うから。それよりほら、あっち」

「あっち?」

 渦を通り過ぎて少し。前方を指差して教える。だけど鳴子は、ワタシが示す先をなかなか見つけられなかった。視力は鳴子の方がずっと良いのに。

「……あっ」

 しばらく時間がかかって上がる、驚きの声。

「渦がある! 白いの!!」

「見えたね。良かった」

「すっっっごく見えづらい! 櫂凪ちゃん、なんでわかったの??」

「ワタシには結構ハッキリ見えてるから。見え方が違うのかもね」

 白い世界に白い渦の壁。だから見えなかった、という単純な話じゃないのかもしれない。

 手で合図して、渦の直前で舟を止めてもらう。

「鳴子、この先に嫌な感覚はある?」

「ちょっと待ってね……。ううん、ないよ。悪夢っぽくない」

「よし。行こう」

「えっと、この先は……?」

 不思議そうにされる。理由がわからない。

 ……あれ?

「言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ! 真理華さんの悪夢(?)を解決するってことしか! 小野里さんの悪夢は通り過ぎたし、この先は悪夢じゃないしで疑問だらけ!」

 ふわふわの髪を跳ねさせて、一生懸命に鳴子は主張した。迷惑をかけている手前よくないけど、感情豊かでちょっと可愛い。

「ごめんごめん。ちゃんと説明するね。恐らく、黒い渦は真理華の夢で、白い渦が小野里さんの夢だよ」

「……へ?」

「で、問題があるのは……、悪夢を見ているのは真理華の方。ワタシ達は思い違いしてたんだ。ここまでいい?」

「……」

 ポカン、と口を半開きにして数秒後。鳴子は大きな声を出した。

「ちょ、ちょっと待って! いじめてる真理華さんが悪夢を見ていて、いじめられてる実ちゃんは悪夢を見てないってこと?!」

「そういうことになるね」

「どうして???」

「それは、ワタシにもわからない。沙耶の話から予想できたのは、小野里さんがいじめに困ってない可能性までだから。それも確かめて、小野里さんに真理華の悪夢解決に協力してもらおうと思ってる。

「そんなことが……。それに、協力なんてどうやって?」

「真理華の夢に、小野里さんを連れて行って説得してもらう」

「連れて?! でも、真理華さんの夢に入れるかはわからないよね?」

「うん。だけど、拒絶される前は嫌われてる(?)ワタシですら入れたんだから、仲間の小野里さんならよっぽど入れる可能性はあるでしょ?」

「でもでも……。ううん、わかった。行ってみよう。動かないことには始まらないもんね!」

 困惑していただろうに、鳴子は顔を振って疑問を振り払う。力強く漕がれた舟はぐいと進み、一息に白い渦へと飛び込んだ。


~~


 窓からお昼間の明るい光が差し込む廊下。教室の扉に手をかけているワタシ。場所もシチュエーションも、黒い渦から入った夢と全く同じに見える。

 聞き耳を立てるまでもなく、教室から真理華の声が聞こえた。

『~~秋の新作だと××にはこっちがオススメ。〇〇にはこっちが~~』

 ……やっぱり、ここは真理華の夢じゃない。

 扉を開けて教室の中へ。入ってすぐ左に、真理華達が机を固めている。煌びやかな化粧品を並べて話す真理華、調子の良い返事をする取り巻き二人、そして、顔色を伺って頷くだけの小野里さん。

 ワタシに気づいた鳴子が、そばに来て小声で耳打ちした。

「本当にここ、実ちゃんの夢なの? 前回と一緒だよ??」

 耳がこそばゆい。鳴子に合わせてワタシも耳打ちする。

「うん。ディテールが違ってるから」

「どこも一緒にしか見えないけど……。わたしはどうしたらいいかな?」

「前に来た時はどうだった?」

「真理華さんが実ちゃんをいじめたから止めようとしたんだけど、相手にされなくて……」

「相手に……。同じ状況になったら、同じにしてみてくれない?」

「わ、わかった!」

 作戦会議を終えたくらいでちょうど、真理華が小野里さんに視線を向けた。机から身を乗りだし、斜め対角に座る小野里さんを見下す。

みのりさ、アタシ達とつるみたいなら、いい加減メイクくらい覚えなって。パソコンいじりで作ったクマ丸出しのヤツとなんて、恥ずかしくて話してらんないわ」

 小野里さんは俯いて、消え入りそうな小声で返した。

「ご、ごめんね……」

「あぁ? 聞こえないんだけど?!」

 返事の小ささを不快に思ったのか、真理華が声を荒げる。

 見ていた鳴子が、たまらず割って入った。

「怒鳴っちゃダメだよ、真理華さん!」

「話しかけてくんな!」

「実ちゃんも、嫌なことは嫌って言っていいんだよ?」

「……」

 真理華には注意を、小野里さんには助け舟を。

 だけど、真理華達の反応はおかしい。

「実っ、五限の課題は?」

「真理華ちゃんの分もできてるよ」

「できてるのは当たり前だろ。言われる前に出せよ。相変わらずどんくさいな」

 鳴子の話など無かったかのように話す、真理華と小野里さん。

 再び、鳴子が会話に割り込んだ。

「宿題は自分でやらなきゃ意味ないよ!」

 真理華が返す言葉は一言だけ。

「話しかけてくんな!」

 さっきと同じ内容、同じトーン。録音再生のごときワンパターン。

 そしてまた、真理華と小野里さんは二人だけの会話に戻る。

「進級決まってんだから、もう学校来なくていいと思わない? 一ヶ月くらい休んで、みんなで卒業旅行しようよ。実もそう思うよね?」

「うん。旅行楽しそう。私も行きたい」

 取り付く島もない、二人の世界が出来上がっていた。


 成す術がなくなり、鳴子が力なく項垂れる。

「ごめん櫂凪ちゃん。こんな感じで……」

「謝ることないよ。見せてくれてありがとう。おかげで色々わかったから」

「わかったって?」

 小声でもなく、真理華の横に立ったまま説明。その方がわかりやすい。

「まず、ここは間違いなく小野里さんの夢だってこと。真理華の夢だとしたら、この距離この行動でワタシに無反応なのはおかしいでしょ?」

「確かに……」

 頷いて、鳴子は真理華を見た。

「そして、小野里さんにとって真理華以外は重要じゃないんだ」

「重要じゃない……。どうでもいい存在ってこと?」

「そういうこと。だから、現実の真理華準拠ならワタシに反応する方が自然なのに、そうじゃない。小野里さんが意識しない限り、ここにいるワタシは伊欲櫂凪ですらないのかもね」

「なるほど……。じゃあまずは意識してもらわないとだね。どうしよう?」

「意識せざるを得ない思い切った行動でいいでしょ」

「思い切った行動……。もしかして、喧嘩──」

「──違うからね。ちょっと見てて」

 とんでもない勘違いをする鳴子を置いて、真理華に話しかける。

「ねぇ、真理華。聞きたいことがあるんだけど」

「あぁ?! 話しかけてくんな!!」

 一瞥もせず、真理華は一言だけ反応。

 そのまま話しを続ける。

「ワタシに似合うメイクを教えて」

「……は? おま……、伊欲が、メイク??」

 怒りや苛立ちではなく、驚きの声。ワタシの顔を見て、真理華が瞬きする。小野里さんも同様に。

「興味湧いて。真理華お化粧詳しいでしょ? 教えてよ。この中だとどれがワタシに合う?」

「どれが合うって、そんなの──」

 真理華は机上の化粧品に目をやった。小野里さんは目を大きく開け、ワタシの顔をジロジロ見ている。

「──引きこもって勉強ばっかしてるんだから、コレでいいだろ」

「ありがとう。ちょっと見てみるね」

 半ば強引に、真理華の手から円形のファンデーション容器を取って、蓋を開ける。

 ……よし。軽く揺さぶってみよう。

「コレ、色が合ってないよね? ワタシ、夏休み中は農作業とかしてたから地味に日焼けしてて。顔はあんまりだけど、ほら、首のとこ残っちゃってる」

 容器を傾け、中の色と首の色を比べてみせた。紹介されたファンデーションの色は、夏の間に日焼けした肌には白すぎる。

「……」

 真理華が黙った。小野里さんは、わかりやすくオロオロ。

 もう一押ししてみる。

「鳴子。真理華のこと羽交い絞めにして」

「えぇ?!」

「お願いね」

「いいのかな……。ごめんね、真理華さん!」

 鳴子はためらいながらもしっかりガッシリ、背中側から真理華を拘束。椅子に抑えつけた。そんなことされたら普通は抵抗するが、真理華の反応はほとんどない。

 今のうちにと、真理華の片足の上靴と靴下を脱がせる。

「……分かりやすくて助かる」

 期待通り。視線を小野里さんへ向ける。ワタシをじっと見つめる視線や、ぎゅっと結んだ口は、怒っているような、悲しんでいるような。

 それでも。

「小野里さん。本物の真理華なら化粧品のアドバイスは間違えないし、足の爪にペディキュアくらい塗ってる。だからここは、夢の中だね」

「……なにが」

 スカートの前を握って、小野里さんは聞いたことのない大声を張り上げた。

「そのなにが悪いの?! 夢だとしても、私は真理華ちゃんと一緒にいたい! 私を見てほしい! それだけ!! どんな夢を見ようと、あなたに邪魔される筋合いはないでしょ??!!」


 風が吹き抜ける感覚がして、ワタシと鳴子以外の教室の全てが霧散した。机も椅子もクラスメイトも、真理華さえも。


 がらんどうになった教室は、ここが小野里さんの夢であることを如実に示している。

「え……? 舟渡さんも……? なんで……?? 良い人だと思ったのに……」

 ワタシ達を見て、小野里さんが泣きそうな顔をする。顔を見合わせる鳴子も辛そうだった。胸が痛い。

 それでも、踏み込む。

「嫌なことをして、ごめんなさい。だけど、どうしても聞いてほしいことがあって。悪夢で苦しんでいる子を助けたいから、小野里さんに協力してほしいんだ」

 小野里さんはそっぽを向いた。

「知らない! 私には関係ないもん!! それに、夢がどうとかそんな変な話……」

 周りの景色が白んできた。

 焦った声で鳴子が言う。

「まずいよ櫂凪ちゃん! 実ちゃんがこの夢を怪しんでる! 目が覚めちゃうかも!」

 自分の夢で他人が勝手したらそうもなるか。

 猶予がなくても、元より単刀直入でいくつもりだったので問題ない。

「苦しんでるのが真理華でも、いいの?」

「えっ……」

 真理華の名を出した途端、白いモヤが消える。

 あとは小野里さん次第。

「真理華は悪い夢に苦しんでる。ワタシ達はそれを何とかしたくて、小野里さんに協力を頼みにきたの。言いたいことは、それだけ」

「伊欲さん達が真理華ちゃんのために……? そんな話、信じられない! 他人の夢に入るなんて!!」

 ごもっともだ。夢の中で意識を保ち更には他人の夢に入るなど、荒唐無稽で信じ難い話。……困った。どうやって信じてもらえば──。

「──実ちゃん見て! わたし達を!」

 鳴子がそう言って、ワタシの足元にヘアピンを投げた。ヘアピンが舟になるのと同時に、ワタシと鳴子の頭に円錐の竹笠が被さる。気づけば、藍色の法被まで羽織っていた。

 鳴子は後方で櫓を、ワタシは前方で櫂を。櫓に手をかけ、鳴子は堂々と竹笠を親指で上げる。

「わたし達、舟で夢を訪ねて回ってるの! 夢見の悪い人の苦しみを和らげるために!」

 暗示にしてもただのコスプレだし、無理がある気がしなくもない。

 だけど小野里さんは怒っていたのも忘れて、目をパチパチさせた。

「え? え??」

「舟に乗って、わたし達と一緒に真理華さんの夢に行こう!」

 片手をさしだし誘う鳴子。

 しかし。

「で、でも……、なんだか怪しいし……」

 煮え切らない態度で、小野里さんは目を泳がせた。

 ……押してダメなら。鳴子に代わり、引いてみる。

「疑う気持ちはわかるよ。ついてこないならそれでもいいけど、ワタシ達に真理華の苦しみは和らげられなかったから、もうお手上げになるね」

「お手上げ?」

「夢からは弾かれたし、現実じゃ関われないから打つ手なし。真理華に関わるのは止めるってこと」

「そんな……」

 小野里さんがスカートを握る。

「決めて。ワタシ達と真理華の悪夢に飛び込むか、見送って自分の幸せな夢に残るのか」

「う……う……」

 声にならない声を出して悩み、小野里さんが俯く。

 ……引いてもダメ。勝手にやってるし理解が得られないこともわかる。こんなの気持ちの押し付けだとも。だけど抑えきれなくて、堪忍袋の緒が切れた。

「決められないんだ。じゃあこうしよう。ついてきてくれたら、ワタシは小野里さんを許すよ」

「許す?」

 視線がワタシを向いた。イメージで作った体操服入れの袋を片手に掲げて見せつける。びしゃびしゃに濡れたものを。

「これ、ワタシの。覚えてない?」

「……あっ」

「トイレの汚れたバケツに沈めてくれたよね。鳴子が小野里さんの夢に入って、調べてくれたよ。あの時のこと、ワタシ忘れてないから」

「ひっ……」

 怯えて後退りする小野里さん。

「逃げる前に、言うことあるでしょ。ごめんとか」

「ご、ごめ──」

「──言われても許さないけど。ワタシに少しでも詫びる気持ちがあるなら、ついてきて」

「あ、えっと……」

「ついてきなさい!」

「は、はい……」


 そうして。完璧なネゴシエーションで、ワタシは小野里さんを舟に乗せることに成功。経由地である鳴子の夢に連れ出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢見の舟を漕ぐキミと 小鷹 纏 @kotaka_matoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ