第十五葉:私を見て!(2)

「貴女が他人ひとのこと聞いてくるなんて。お勉強にしか興味がなかったのに、鳴子あのこが来てからずいぶんな変わりようね」

 朝。前の席で背を向けたまま、沙耶が言う。朝礼より一時間以上早く、まだ誰も登校してきていない静かな教室。他の子に知られず聞き込みするためとはいえ、朝食抜きになったのはやや辛い。

「事情があんの。で、何か知ってることない? 真理華が小野里さんにキツく当たることについて」

「……。ほんっと、自覚ないのねー」

「は?」

 沙耶は一つ結び髪を揺らして振り返り、呆れ顔を見せた。

「まぁいいわ。放課後、鳴子も連れて武道場にいらっしゃい。自主練の後でなら教えたげる。今日はどの部活も休みで、人目につくことないから」

「面倒な……」

「あのねぇ。はぐれ狼の貴女と違って、ウチには人付き合いってものがある。貴女と話すところも話すことも知られたくないの。わかる?」

「なっ……。……。……わかった」

 言い方に腹が立ったが、飲み込む。

 沙耶はお腹を抱えて面白がった。

「アハハ。本当に変わったわね、櫂凪。やっと社会性が身についてきたじゃない。鳴子に感謝した方がいいわよ!」

「馬鹿にして──」

「──さ、用は済んだでしょ? あの子連れてさっさと寄宿舎に戻りなさい」

「は?」

 指差す廊下側の窓に、落ち着きなく動く人影が一つ。

 あの子、寄宿舎。……もしかして、鳴子?

「あの影って……、鳴子?」

「貴女を気にする子が他にいる? 交友関係狭いんだから。もういいでしょ。ウチの清らかな朝を邪魔しないで。走って戻って、勉強でも朝食でも好きにしたらいいわ」

 時計を見ると、午前七時をわずかに過ぎた頃。急げば寄宿舎の朝食時間までに戻れそう。鳴子に気づくのもそうだし、沙耶は周りをよく見ている。上から目線は鼻につくけど、案外良いところもあるかもしれない。

「……気を遣ってくれて、ありが──」

「──いつまでぐずぐずしてるの? その貧相な体をもっと薄くしたいのなら、お喋りの相手、してあげてもいいけどね」

「あっそ。じゃあ、放課後に」

 前言撤回。教科書類だけ机に入れて、教室を出た。廊下には鳴子が居て、ワタシに気づいて苦笑い。沙耶との話を簡単に伝えて、二人で一度、寄宿舎に戻る。

 戻る途中、鳴子のお腹が空腹を伝えて大きく鳴った。


~~


 放課後。沙耶に言われた通り、学校敷地内の武道場に行くことに。鳴子も一緒。

「沙耶ちゃんって優しいよね」

「どこが。いつも嫌味ばっかりだよ」

「そうかな? 照れ隠ししたり、気を遣ってくれなかったりはあるけど、思ったこと素直に言ってくれてる感じがして、わたしは好き」

 鳴子は、沙耶のことを好意的に捉えているらしい。理解し兼ねる。

「ふーん。鳴子はああいうのがいいんだ」

「うん。……と言うか、櫂凪ちゃんと沙耶ちゃんって、話し方の雰囲気似てるよ」

「それはない! 絶対!!」

「そうかなー」

 談笑してるうちに、白い壁と黒い屋根の平べったい建物に到着。いつもだったら外にいても威勢の良い掛け声が聞こえるのに、今日は物音せず静か。

 やや重い黒の引き戸を開けて、武道場に入った。

「失礼します」

「失礼しまーす!」

 遮蔽物なく床の半分が板だからか、声がよく響く。沙耶は板の間で正座していて、白の衣に黒のなぎなた袴姿。髪型は普段通りの一つ結びだけど、横顔は普段にない引き締まった表情。

「よく来たわね、二人とも。そこに座ってなさい」

 こちらを見ることなく沙耶は言う。言われるがまま、下足を脱いで靴下で板の間に正座。すると沙耶は、右手元に置いていた木製の薙刀を正対して取り、立ち上がった。

 場に一礼し、左足が前、右足が後ろの半身に。地面と平行より少し高く刃先を上げる。

「面っ、胴っ、脛っ! ~~」

 緊張感のある掛け声で、攻撃の型が繰り出された。続けて、相手の攻撃を柄で受け止める防御の型も。計十数分ほど、薙刀が振るわれた。


 物珍しさもあって退屈はしなかったが、それはさておき、板の間と体に挟まれる足が辛い。鳴子も同じらしく、ぷるぷると体を震わせ、太ももの上で拳を握って耐えている。

 沙耶の視線がチラリと、ワタシ達に向いた。

「そろそろかしらね」

 再び、場に一礼。

 薙刀を武道場の端に寄せ置き、近寄ってくる。

「足、崩していいわよ。痺れたでしょう?」

 ニヤリと笑う沙耶。

 もたつきながら、痺れた足を安座に崩す。苦情を添えて。

「痺れさせたくせによく言うわ」

「十分そこらで限界とは思わなかったから」

 あっさり言って、沙耶は板の間に正座。軽く首を傾けた。

「……で。真理華がグレた理由を知りたいんだっけ?」

「まぁ、そんなとこ。……グレた?」

「はぁ……、まさに『眼中に無し』ね。真理華もこじらせるワケだわ」

 疑問に溜息が返ってくる。

 話がピンときていないワタシに変わって、鳴子が尋ねた。

「真理華さんって、昔はあんな感じじゃなかったの?」

「そ。親分気質で櫂凪とのかみ合いは悪かったけど、化粧品を学校に持ってきたり、みのりに圧かけたりするほどスレてなかったわ。『学校で一番になる』って、一生懸命勉強もしてて。実際、模試の成績も一年の半ばまで中等部でトップだったし」

「半ばまでトップ……」

 鳴子がワタシに視線を向けた。

 沙耶も見てくる。……なぜ?

「鳴子はわかったようね。櫂凪はダメそうだけど。いいこと、櫂凪。よく思い出しなさい。一年生の夏頃、講堂で貴女と一緒に表彰を受けた子がいたでしょ?」

 覚えていない。表彰に興味はなかったし、あの頃は周りを見る気も余裕もなかった。

「え? ……。あー……、あったっけ」

 曖昧に返したが、沙耶は予想通りだったのか呆れもしない。

「あったの。その一緒だった子が真理華。でもこの時はまだ、はた目からはライバル関係に見えたわ。関係がこじれたり、真理華の様子がおかしくなったりしたのは、もう少し後。二学期になって、だいぶ涼しくなった時期だったかしらね~~」


 そうして沙耶は、二年前に起こった真理華の変化を語った。決定的な理由は不明ながら、ある時を境に真理華は、表情暗く不安定な精神状態になったという。


「~~模試で櫂凪に負けたのがショックだったんだと思う。だけど最初は折れてなくて、リベンジのため努力してた。それが突然、この世の終わりみたいな顔をするようになって、派手にお化粧するようにもなって。そうかと思っていたら、実に攻撃し始めたの」

 黙って聞いていた鳴子が、実の名前に反応する。

「どうして実ちゃんを?」

「さぁね。勝手に想像するなら、友達の中で実だけが真理華から離れなかったからとか? 荒れてる時に近くにいたら、当たられてもおかしくないし」

「そんな……。実ちゃんはどうして離れないの?」

「真理華のことを慕っているから。詳しくは知らないけど、実、初等部の時に真理華にだいぶ世話になったらしくて。あんな扱いされて、趣味も合わないのに毎日一緒にいるほどだから、よっぽどなんでしょう」

「そうなんだ……」

 考え込む鳴子。

 ワタシは攻撃に至るまでの経緯が気になった。

「小野里さんを攻撃するまでに、兆候は本当に無し?」

「兆候ねぇ……、どうだったかしら……」

 沙耶は眉間に皺を寄せ、人差し指を頬に当てる。しばらく悩んで、はっきりしない口調で言った。

「……落ち込んでからお化粧し始めるまではすぐだったけど、実を攻撃するまでには、そこそこ間があったような。うーん……。……。……あ」

 思い出した顔で言葉が続く。

「そのぐらいの時、理事長に呼び出されていたっけ。化粧品持ち込んで派手なお化粧していたし、生活指導だと思っていたけど……。考えてみたらおかしいわよね。それって今も同じで、黙認されてるから」

「確かに。もしかして、理事長が原因……?」

 疑うワタシに、沙耶は両掌を上に肩を上げるゼスチャー。

「どうでしょうね。理事長の悪い噂は聞かないわよ。学校経営もそうだけど、他の事業も順風満帆。寄付や社会貢献活動もしていて、人格が疑われるところもなし。ウチは理事長関係なく、下に見てた櫂凪に成績で敵わなくて折れたんだと思うけど」

「……。他に知ってることはある?」

「ないわ。今ので全部。これ以上は本人達に聞くでもしないと難しいんじゃない?」

 沙耶はさっぱり言って、話は終わりと立ち上がる。

 その時、鳴子が沙耶に詰め寄った。

「そこまで見ていて、沙耶ちゃんは平気なの?」

 憤りが滲む、微妙に強い語気。聞く側によっては、責められていると感じそうなもの。

 だけど沙耶はほとんど気にせず、態度を変えなかった。

「どちらかと言えば平気。荒れてるのは不快だけど、首を突っ込む関係じゃないもの」

「でもっ、あんな扱いされて実ちゃん可哀想だよ!」

「そうね。ウチがあんなことされたら嫌だし、抵抗するわ」

「だったらどうして!」

 鳴子の気持ちはわかる。同じ疑問を持ったことがあるし、なんなら昔、尋ねたこともある。そして答えを聞いた上で、ワタシは沙耶を嫌いに思っていない。

 熱くなっている鳴子に、沙耶は淡々と返答した。

「そこまでする必要性を感じないから。対等なクラスメイトとして、求められてもいないのに助けて『あげる』のはおかしいわ。嫌がらせに加担せず、当たり前のコミュニケーションをする。ウチが取るべき態度は、そういうものだと考えてる」

「で、でも、『助けて』って言えないだけかもしれないよ?!」

「可能性はあるわね。だけど友達でもない浅い関係なのに、その気持ちを汲んであげて、行動してあげて、解決してあげるほどの施しをしようとウチは思えない。クラスの秩序や生徒の精神状態を監督する立場ではないし、庇護する親でもないもの」

「う……」

 返す言葉が無いのか、鳴子が口を閉じてしまう。

「ウチの考えは、そんなところ。狭量でごめんなさい。お金持ちやってると、『あげる』ことにどうしても限界を感じてしまうの。施しに終わりは無く、身を削り過ぎると共倒れになるだけだって」

「……ごめんね。わたし、考えが浅──」

「──けどね」

 俯く鳴子の肩に、沙耶は手を触れた。珍しく微笑みを浮かべて。

「今の話は、あくまでもウチの持論。鳴子の考えや行動を否定するものではないわ。ウチは自分を守って動かないけど、貴女は損得を度外視してあの子達の手を取ろうとしている。どうしようもなく淀んだ状況を変えるには、その力強さが必要なのかもね」

「沙耶ちゃん……」

「貴女は貴女の思うように行動なさい。助けが必要だったら、できる限りのことをするから。……ま、残念ながら今協力できることは、さっきの話で全部なのだけど」

「ありがとう、沙耶ちゃん!」


 鳴子の気持ちが落ち着き、情報収集は終了。

 もうしばらく自主練習するらしい沙耶を残して、ワタシ達は武道場を出ることにした。


「また明日ねー、沙耶ちゃーん」

「はいはい、健闘を祈ってるわ」

 大きく手を振って鳴子が言い、片手を軽く上げて沙耶が応える。そしてワタシは視線だけ送る──はずが、鳴子に片手を取られて振らされた。沙耶は何も言わなかったが、手で隠した口は、面白がって笑っていた気がする。


~~


 寄宿舎への帰り道。鳴子は嬉しそうに沙耶のことを話した。

「やっぱり、沙耶ちゃん優しいね。理不尽に当たっちゃったわたしに、自分の考えをきっぱり教えてくれて」

「まぁ、そうかも。冷たいようだけど、沙耶の立場からすれば妥当な判断だし。変に隠さないのは優しさかもね。前にワタシも同じこと言われたっけ」

「櫂凪ちゃんも?」

「うん。いつかに沙耶が、ワタシが嫌がらせされてるの知ってた風なことを言って。『わかってほっといたの?』って聞いたら、『助けを求められなかったから』って、何食わぬ顔」

「沙耶ちゃんって昔からそうなんだ。変わってて面白いね。あはは……。……」

 そこまで話して、鳴子の表情が曇る。

 不安な口ぶりで尋ねられた。

「……これで解決できるのかな? 実ちゃんに原因がなさそうなのはいいけど、そんなこと本人だってわかってるだろうし……」

 沙耶の話で得られた情報は、真理華の性格が荒れていった経緯と、その原因が小野里さんではないこと(ワタシが関係しているらしいこと)。どれも、小野里さん側で悪夢を解決する助けにはならない。

「ワタシ達で解決するのは難しいと思うよ」

「そんな!」

「だけど、できることはある」

「どういうこと?」

 ショックを受けたり、疑問符を浮かべたり。鳴子の表情が忙しい。ワタシのせいだけど。

「沙耶の話を聞いて、真理華と小野里さんのどちらに問題があると思った?」

「それは……、真理華さん。実ちゃんはそばにいるだけで何もしてないんだもん」

「そうだね。真理華に問題があって、小野里さんは寄り添ってる」

「うん……? それがどうしたの??」

「落ち着いて考えてみて。解決する必要があるのは、問題があるからだよ」

「……あっ」

 ちょっとの間で、鳴子はハッとした。

 ワタシも確証はない。けれど、状況的にこう考えるのが自然だと思う。

「思い違いをしていたんだ、ワタシ達は。解決すべきは真理華の方なんだよ」


──


 櫂凪と鳴子が武道場を去った後。一人残った沙耶は、薙刀の自主練習を続けていた。熱心に取り組んでいるが、主目的は技能の向上ではなく、健康的な心身を養うこと。

 薙刀を振るうことで沙耶は、体と心を鍛え、考えや気持ちの整理をしている。

「……友達の影響とはいえ、あの櫂凪が他人のために行動するとはね」

 櫂凪達の前では出さない、ちょっと弾んだ声色で沙耶は言う。中学一年生の頃から見てきた堅物の精神的な成長が嬉しかった。

「真理華が変わった原因、か。恵まれた環境なのに櫂凪に負けたことがショックで……、としか考えられないけど……」

 薙刀を振るう手が止まった。

「……本当にそう? それだけで真理華が折れる? やっぱり、あの時期に何かあったんじゃ──」

 考えをそこまでにして、沙耶は再び薙刀を振るった。断ち切るために。

「──いいえ、藤松沙耶。これ以上は当事者になる。忘れなさい。切り捨てなさい。自分が背負う人々のために」


 藤松沙耶という少女は、自身と藤松家に関わることにはあらゆる手を尽くすが、それ以外には一歩引いた行動しか起こさない。中学生の身でありながら、藤松家と家業に関わる人々を最優先に考え、厳格に時間や思考をコントロールしている。


 その結果、沙耶は真理華について考えるのを止めた。


「ウチもまだまだね」

 そう呟いて、薙刀を振るう。弱きを助けたい正義感や友に協力したい優しさを、心から断ち切るために。そして、一度断ち切ったことは引きずらない。

 沙耶は、真理華の苦しみについて二度とは考えなかった。


 そこは原因へと到達する道筋の、ゴールの一歩手前だった。


──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る