第十四葉:私を見て!(1)

 小野里さんは、別のグループの人と話すことすら、真理華から妨害されている。とても正常な友人関係とは言えず、真理華にいじめられていると見ていい。……と、わかったことはそれだけ。

 ワタシと鳴子は他に何の成果もないまま、寄宿舎自室のベッドに腰掛け、消灯前の時間を過ごしていた。

「とりあえず今日も入ってみるよね? 鳴子は入れたけど、ワタシはダメだったし」

「うん。そうしよう」

「小野里さんの写真持ってる?」

「それが、一緒に撮れなくて。真理華さんの目が厳しかったから……」

「じゃあ、昨日のコレでいっか。条件同じ方が確実だろうし」

 枕の下に、今朝目覚める原因になったオープンスクール用資料を敷く。部屋の灯を消し、鳴子と向かい合って横になった。

「いじめかぁ……。鳴子は経験ある?」

「わたしは無いよ。櫂凪ちゃんは?」

「……時々?」

「どうして疑問形なの?」

「実感なくてさ。夕霞ここにくる前のは、落書きとか悪口とか子どもじみたのだったし、ここのは腫れ物扱いくらいで酷いやつは収まったから」

 いじめ問題に入れ込む事情が気になっただけで、ワタシが受けたことはどうでも良かったのだけど。

 聞き捨てならなかったらしく、鳴子は体を寄せた。

「あのね、櫂凪ちゃん。実感が無くても──」

「ちょ、ちょっと?!」

 片方の手をワタシの頭の後ろに、もう片方を背中に回し、引き寄せ。ワタシは上半身を丸める格好になって、おでこが埋まった。鳴子の胸に。

「──櫂凪ちゃんの心は、傷ついているかもしれないんだよ。嫌なことがあったりされたりしたの、たとえ頭が忘れても、気にしないようにしても、心に残ってしまうらしいんだ」

 とても柔らかく、温かかった。……感触ではなく。まぁ、今日の白パジャマの生地はサラサラだし、お風呂で見たその下はグレー色のスポーツタイプだったから、柔らかくて温かいのは本当だけど──って、違う。

 鳴子の言葉は、すごく優しかった。上辺じゃないとわかるほどに。鳴子【は】経験がなくとも、知っている。

「遅くなったけど、これはその時の櫂凪ちゃんへの分」

 頭のてっぺん辺りを手でぽんぽんと触れられ、撫でられた。まるで子ども扱い。でも、悪い気はしない。掌や体から伝わる温もりや、落ち着く香り(ボディソープ? 柔軟剤?)で、頭がふわっとする。

「嫌だったこと、嫌って言っていいんだよ?」

 リラックスと誘導と。鳴子に促されたことで、普段は理性で縛っている感情が表に出て、引きずられて記憶が呼び起される。

 子どもみたいに足まで丸めて、お腹のところにできた温かい空間に気持ちをこぼした。

「……小学生の時は、机に彫刻刀で落書きされたり、悪口言われたりして。『貧乏人』とか『ぼっち』とか『ガリ勉』とか。普通にムカついたけど、反応すると面白がられて悪化するから、言い返せなかった。貧乏なのはワタシのせいじゃないし、勉強が好きで何が悪いっての」

 自分でも驚くほど、当時の出来事や気持ちがするすると出てくる。不思議。

「悪いことないよ。ひどいこと言われたの、我慢して飲み込んだんだね。櫂凪ちゃん、小学生の時から冷静ですごいよ」

「そんなことない。毎日どう言い返すか考えてたもん。『備品の机削ってバカじゃないの?』とか『アンタらこそ、ガリづくえじゃん』とか」

「言うと思うだけは全然ちが──ふふ。真面目な話なのに、ごめん。机を削った人をガリ机って言うのが、ツボに入っちゃった」

 話しの途中で、鳴子から笑いがこぼれた。

 胸に埋めていた頭を引いて、顔を見つめる。

「ホント、笑うところじゃないって」

「うぅ……、ごめんね」

 ちょっと落ち込む鳴子を見て、ワタシも笑った。

「あはは。気にしてないよ」

「もう、からかわないでよー」

「ごめんごめん」

「先に笑っちゃったから仕方ないけど……。夕霞に来てからはどうだったの?」

 次は夕霞での話。だけど、夕霞ここに来てからの多くは既に解決している。

「無視とか陰口とか、物をダメにされたことくらい。体育の授業で誰も二人組になってくれなかったり、ヒソヒソ言われたり、教科書水没させられたり、そんなの。でも、一瞬でほとんどなくなったよ」

「一瞬で? どうして??」

 鳴子は不思議そうにしたが、理由を説明したらすぐに納得した。

「メアさんのおかげ」

「! 助けてくれたんだ!!」

「中一の半ばくらい、だったかな。教科書ダメにされた日の翌朝、教室にメアさんが現れて、中一の教科書とか一式くれたんだ。その場で姉妹あねいもとの契りまで交わして、『わたくし自慢の夕霞の学友達なら、つまらないことはしないわよね?』って」

「すっごい!」

 目を輝かせて、喜ぶ鳴子。

 メアさんとは他にも色々なくはないが、長くなるので割愛。

「池に落とされた教科書を拾ってる時、ばったり会ってて。姉妹の契りも、メアさんが契ると他に誰も名乗り出なくなるから待ってたそうだけど、誰も出なかったから痺れを切らしたんだって」

「わたしが編入した時にいらしたのも、そういう意味だったのかな?」

「かもね。皆、庶民相手にあり得ないと思いつつも、万が一、メアさんがワタシ達の話を聞いたらって下手なことできないだろうし」

 そう言うと、今度は鳴子がワタシの薄い胸に顔を埋める。

「ちょ、どうしたの、いきなり」

「櫂凪ちゃんが守ってもらえてたことが、嬉しくて」

「大げさだって」

「大げさじゃないもん。それだけ、大きな心の傷になるかもしれなかったこと、なんだよ。良かった、ほんとうに……」

 話の途中で言葉がふにゃふにゃ。そう時間はかからず、鳴子は静かな寝息をたてた。

 それはワタシも同じで……。


☆☆☆☆☆


 待ち合わせはいつもと同じ。鳴子の夢の一本笹前。今日も鳴子は笹舟の上で待っていた。小走りで寄って、ワタシも乗り込む。

「話の途中で寝ちゃうなんてね」

「う……、ごめん」

「ま、気にしてないけど。ワタシもすぐ寝ちゃったし」

「もー、また! からかったー!」

「ごめんって。揺れるからさ、落ち着いて」

 鳴子の地団駄を踏む動きで舟が左右に揺れて、たまらず平謝り。

 仕方なさそうに鳴子は息を吐いた。

「……ふー。櫂凪ちゃんって意外とお茶目だよね」

「そうかな。自覚ないや。……あ、出てきた」

 自分の知らない一面に気づかされるうちに、舟の前方に黒い渦の壁が現れる。ワタシが棹で舟を離岸させ、鳴子が櫓を漕いで出航。同時に、ワタシの中にあった気の緩みはなくなった。

 渦との距離が縮むにつれて、息がつまる嫌な感覚が伝わってきたからだ。

「……ねぇ鳴子、昨日はこんなだったっけ? 色も黒に変わってるし」

「違ったよ。だけど内容は悪夢だったから。……。この先は、悪夢だと思う」

 鳴子の顔が険しくなる。

 息をのみ込んで、気を引き締めた。

「わかった。行こう」

 舟が渦に吸い込まれ、視界は真っ暗に。

 他人の夢へと落ちる闇の穴で、聞き覚えのある女の子の声がした。

『私を見て……! 私を……』

 苦しく、悲痛で、訴えかける声。こんなに切迫した声を聞いたのは初めて。あまりに重く、ワタシにできることがあるとはとても思えない。

 ……でも。

「実感がなくても心に傷が残るなら、実感できる辛さはどれほどの……」

 寝る前に話したことを思い出した。知った以上は、できることがあるなら動くべきか。


 視界が眩しい光で埋まり、浮遊感が終わる。

 目の前に広がったのは、夢とは思えないほど日常的な景色だった。


~~


「……昼休みだ」

 廊下の窓から差し込む明るい光と、片手に持った総菜パン。目の前の引き戸に手をかけたところだった。状況は、お昼休みが始まって少し経った頃。クラス表札は『3-A』、秋服を着たワタシの体感気温はちょっと暑いくらい。現実とほぼ同じ時期が夢になっている。

 つまり教室前方から入ればそこに、夢の主要登場人物達がいる。

「……」

 戸の前から耳を澄ます、ほどのことをしなくても。廊下に聞こえる音量で話し声が聞こえてきた。真理華と取り巻き二人と、小野里さんの会話。

『~~秋の新作だとこれは保湿成分が強いから、××にはこっちがオススメ。〇〇には色合い的にこっち。~~えー、爪塗ろうよ。足ならバレないって~~』

 たぶんいつも通り、真理華が化粧品を机に並べて好き勝手に話し、取り巻きの二人は調子の良い返事をし、小野里さんは肩をすぼめて頷き続けている。

 ……うん、やっぱりそうだった。教室に入ってすぐ視線を左に。一番近い位置で席を固める真理華達は、イメージそのまま。

 真理華の机には、凝ったデザインの化粧品容器が所狭しと並んでいた。化粧品を持ってきてもお咎めを受けないのは、彼女の家がそれを取り扱う仕事だから、と噂で聞いたことがある。家がそうでも、授業に関係ない物の持ち込みを黙認するのはどうかと思う。一応、使っても午後の授業までには落としているらしいけど。

「……」

「おい、伊欲。ジロジロ見てんじゃねーよ。文句あんのかよ」

 真理華と目が合ってしまい、睨み付けられた。普段はこうなることが面倒で視線を逸らしているのに。夢の状況を調べることに気を取られた。

「何も。目立つことしてるから気になっただけ」

「はぁ?! 文句あんでしょ?! 言いたいことあんなら言えよ!」

「言いたいことなんてない。大きな声出さないで。周りに迷惑だから」

「迷惑?! そっちがふっかけてきたくせに!!」

 席を立って真理華が詰め寄ってくる。因縁をつけられる感じも、ワタシの言葉に怒るところも、すごい再現度。周りの子の、様子見だけで関わろうとしない反応も同じく。

 面と向かって揉めるのは中一以来。当時はこのまま不毛な言い争いが続いたけど、今は違う。中三のこの教室には、様子見で終わらない子がいるからだ。

「待って、真理華さん」

 ワタシの前で壁になるように、鳴子が割って入った。

 遮られた真理華は露骨に苛立ち、声を荒げる。

「関係ないのに邪魔すんな、舟渡ッ!」

「するよ。櫂凪ちゃんが傷ついたら嫌だもん」

「先にナメた態度とったアイツが悪い!」

「違うよ。気を遣えないだけで、気になったって言葉以上の意図、櫂凪ちゃんにない。それに、真理華さんが目立つことをしているのは事実でしょ?」

 鳴子が合わせた視線に、同意を示すため頷く。気を遣えない部分まで同意することになるのは、不名誉だけど。

 真理華は小刻みに足踏み。収まらない怒りを滲ませた。

「アタシが不快だったのに、なんで! 伊欲は絶対にアタシを馬鹿にしてた! みのりもそう思うよね??!!」

 急に話と怒り顔を向けられた小野里さんは、ビクリと肩を震わせる。おどおどと探す返事は、聞こえないくらいの小声で。

「えっと、その……」

「はっきり言ってよ! アタシの仲間でしょ?!」

「う、うん。私は……」

 あまりに困った様子の小野里さんに、鳴子が会話に割り込み助け舟を出した。

「無理に言わなくていいよ。わたしも櫂凪ちゃんも、実ちゃんを困らせたくないから。むしろ、困ったことがあったら頼ってね」

 優しく、温かい言葉。それと微笑み。

「あ、ありがとう。舟渡さん」

 小野里さんは安心したのか、ぎゅっと固まっていた肩から力を抜いた。一度、口を真一文字に結び、決意を固めて開く。

「……ま、真理華ちゃん。二人もああ言ってるし、今回は──」

「──んなよ……!」

 勇気を振り絞った言葉を、真理華は遮る。苦しく訴えかける声。降ろした両の拳をぎゅっと握っていた。

「なんで全部、アタシから奪うの……! お前がいなきゃ、私は……!!」

 真理華の視線がワタシに向く。……私? こんなだったっけ──いや、それよりも。恨まれる心当たりはない。入学してからまともに関わったことがないのに、奪うだなんて。

「奪うってワタシ、何もしてな──」

「──聞きたくない! 顔も見たくない!! 消えて!!!」

 否定。その瞬間。ワタシの意識は真理華からどんどん遠ざかった。

 教室の景色が歪み、白んでいく。

「鳴子っ、なにこれ?!」

「夢から弾かれてる!! わたしも……」

 遠くで聞こえた鳴子の声も、同じ感覚であることを伝えている。

 パッと、視界が眩しくなった。


~~


「……う。ねぇ鳴子、どうして弾かれたの?」

「夢の主が、わたし達を拒絶したんだと思う。でも、実ちゃん、どうして……」

 気づけばワタシも鳴子も、出発地点の真っ白な世界にいた。笹舟に乗っていて、目の前には黒い渦。夢に入る前まで戻されている。

「どうする? もう一回──」

「──行こう。このまま放っておけないよ……!」

 返答は食い気味で、渦を見つめる視線は怖いくらい真剣。慌てて棹を拾った。

「わ、わかった。底に届くから棹で……わッ?!」

 水底を突いて動かした舟の先端が渦に触れる。その瞬間、バチッと黒い稲妻が走った。謎の反発力で舟が弾かれ、わずかに後退。渦に入れない。

「櫂凪ちゃん、大丈夫?!」

「体には当たってないから平気。だけど、見えない壁があるみたいで、舟が押し返された。まだ拒絶されてるってこと?」

 少し間を置いて、鳴子が言う。

「……櫂凪ちゃん、場所を変わってもらえる?」

「う、うん。いいけど……」

 転覆しないように気をつけて、舟の真ん中で交差。ワタシが後方で、鳴子が前方。相手側が拒絶しているなら打つ手がない気がするけど、手段があるのかも?

「わたしがやってみるから、櫂凪ちゃんは舟が下がらないように漕いでて」

「わかっ……、やってみる??」

 答えは言葉ではなく行動で。船首に立った鳴子は渦へ両手を伸ばし、直接触れた。当然さっきと同じで、渦と鳴子の掌の間で黒い稲妻が発生。聞いたこともないくらい、バチバチと恐ろしい音を立てる。

「大丈夫なの??!!」

「だい、じょうぶ……! 実ちゃんの苦しみに、くらべたら……!!」

「大丈夫じゃないってことでしょ、それ!!」

 初めて見る現象。鳴子の身に起こっていることを確かめるため、ワタシのそばまで溢れてくる稲妻に手を伸ば──。

「──ッ??!! 痛っ……!」

 棒でぶたれたような衝撃で手が弾かれ、後にはビリリと痺れる痛み。静電気を何倍にも強くした方向性。夢の世界での痛みはファンタジーな夢でも経験したけど、より強く、リアルに思える。でも痛み以上に、手に残る違和感と不快感が気になった。

 触れた掌に黒い変色。焼けて焦げたのではなく、光も反射しないほど真っ黒に塗り潰されている。感覚が無く、自分の掌なのにそこだけ存在しない気すらした。

「鳴子、止めようっ! 変だよ、これ!!」

「止めない! 実ちゃんを助けなきゃ!!」

 声をかけても、前を向いたまま。稲妻は変わらず暴れ続け、鳴子は腕どころか首の根本まで真っ黒に。

 人助けのためといっても、さすがに入れ込み過ぎている。

「それも大切だけど、ここまでしなきゃいけないこと?!」

「しなきゃ!! 取り返しがつかなくなるかもしれないんだから!!!」

「……そう。だったら、いいよ」

「櫂凪ちゃん??!!」

 舟の前まで行って、鳴子の肩に手を触れる。

 焦った顔がこっちを向いた。やっぱり。

「鳴子がやるなら、ワタシもやる」

 使うのは……、もう変色してる手の方がいいか。

 背中越しに手を伸ばしたら、届かないよう抵抗された。

「だ、ダメだよ! 櫂凪ちゃんに何かあったら──」

「──何かあるようなこと、なんだよね?」

「あっ……」

「だったら止めて。ワタシ、鳴子に何かあって欲しくない」

「……。……わかった」

 説得の甲斐あって、ようやく鳴子は渦から手を離した。脱力してぺたりと座り込んだので、その間に無事な片手で棹を使い、舟を後退させる。

「……櫂凪ちゃん、ごめん」

「いいよ、とは言えない。たぶん危なかったんだろうし」

「……本当にごめん」

「引きずる気はないから許すつもりだけど……、事情があるなら教えてほしい。今すぐじゃなくていいから」

「うん……」

 腕をだらりと下げ、俯く鳴子。

 諦めてくれたのと同じくらいのタイミングで、黒い渦は消えてしまった。


「消えちゃったね。腕は大丈夫?」

「大丈夫。平気──」

「──じゃないでしょ? ちょっと触っただけでワタシ、変な感じになったし」

 ワタシの掌を見上げて、鳴子は大きく目を開いた。わかりやすく驚きが伝わってくる。

「あっ……。櫂凪ちゃんこそ、大丈夫なの……?」

「ここだけ感覚ない」

「わたしのせいで、ごめん」

「自己判断で触れたから気にしないで。鳴子は?」

 答えづらそうに逸らされる視線。

「……腕の感覚が無くなっちゃった。でもこれは、時間が経てば治るから。それより櫂凪ちゃん、気分が悪くなってない?」

「気分?」

 言われてみれば頭が重い。稲妻に触れてから不快感がある。

「頭が重いかも。体調不良って感じじゃなくて、なんだろう」

「それはたぶん、実ちゃんが感じている気持ちなんだ。触れる時間が長かったら、もっと伝わってたと思う」

「そんなこともあるんだ」

「滅多にないよ。わたしも見たのは今回で二回目。……だから、なんとかしたかった」

 鳴子の顔が曇る。ワタシよりずっと長く稲妻に触れていたのだから、精神的に疲弊していてもおかしくない。

 暗い感情が伝播して起こった現象。だったら、ワタシにできることは……。

「なんとかしよう。一緒に」

 向かい合って座り、黒化した鳴子の掌をワタシの掌で包んでみた。じんわりとさっきの不快感が伝ってきて、ワタシの手まで黒化してくる。

「止めて! わたし、こうなる時は一人でやろうと思って──」

「──じゃあワタシは、一人じゃさせないって思うよ」

「う……」

「一人だと大変だけど、二人ならキツい肩凝りくらいじゃない?」

 見栄を張り過ぎた。横になって耐える頭痛くらいはある。

 鳴子はワタシの顔を見て、ちょっとだけ笑った。

「……もう。無理したでしょ。顔に出てるよ」

「鳴子には隠し事できないね」

「だから、しないでね」


 そうして、鳴子からワタシへ。悪夢から受け取った暗い気持ちを分けた。


「ねぇ、櫂凪ちゃん。わたし達にできることはあるのかな……?」

 意気消沈しているのか、鳴子が不安げに聞いてくる。

 ワタシは座ったまま背伸びをして、周囲を見回した。できることを見つけるために。思うに、ワタシ達は大きな勘違いをしている。

 よく目を凝らして、しばらく。白一面の景色の遠くに、揺らぐ輪郭を見つけた。

「あー、えっと……。良し、あった。確証はないけど、ワタシに考えがあるよ」

 鳴子はワタシの顔と視線の先を交互に見て、首を捻る。

「考え?」

「うん。でもその前に、情報収集したい」

「それは大事だけど……。夢からは弾かれちゃったし、現実でも話してくれないよ?」

「大丈夫。本人や直接の関係者に聞くんじゃないから。こういうことは、第三者視点が一番だし」

「第三者?」

「そう。ワタシとずっと同じクラスで、つまり真理華とも同じクラスでもある子にね」

「なる、ほど……?」

 疑問が増えるごと、鳴子の頭の傾きは面白いくらい深くなった。

「明日の朝、早めに行って話してみる。結果は教えるから任せて。……それはそうと、こんなことになるとは思わなかった。ごめん」

「櫂凪ちゃんのせいじゃないよ。でも、動けなくなっちゃったね」

 困った顔で見つめ合う。結んだ手は二人とも肘の高さまで黒くなっていて、結果、二人とも肘から先を動かなくなってしまった。櫂も櫓も動かせないので、身動きが取れない。

「寝ない程度に休んでいい? さすがに体がだるくてさ」

「わたしも同じだから、一緒に揺られてよう」

「いいね。小舟に揺られるイメージするとよく眠れるって言うし。もう寝てるけど」


 そこからは二人、幅の狭い舟で身を寄せて横になり、起床の鐘が鳴るまでゆるいおしゃべりをした。さほど時間がかからず朝になったと思ったのは、悪夢で時間が経っていたのか、それとも。


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