うんこ味のカレーとカレー味のうんこについて真剣に考察する

@potetpo

うんこ味のカレーとカレー味のうんこ

うんこ味のカレーとカレー味のうんこ。日本人なら誰もが考えたことのある問いであろう。今回はその問いについて真剣に考察してみたい。一応断りを入れておくと私は学者や物書きではないため、文章はそこまで上手ではない。分かりやすさを重視して書いていきたいと思う。






個人的な検索によると6:4くらいでうんこ味のカレーが優勢らしい。私の友人も同様にうんこ味のカレーを選択する人が多かった。そのためうんこ味のカレーの方が多数派であると仮定して話を進めたい。






ちなみに私はカレー味のうんこ派である。どちらかというと少数派に属しているわけである。正しい文章の書き方を考えると、できるだけ中立に位置し双方の主張を対立させるべきだとは思うが、そこまで堅苦しい文章を書くつもりはないため、カレー味のうんこ派である私がうんこ味のカレーに対して反論するような形で理論を展開していきたい。うんこ味のカレー派にとっては何言ってんだこいつと思うだろうが温かい目で読んでくれるとありがたい。




想像はつくと思うが結論は出ないため、気楽に読んでほしい。






 まず前提について述べていきたい。カレー味については一般的なものとする。まあ日本人が好きなあのカレーだ。食べたいと思うもの、おいしいものして考えていく。対してうんこは読者の共通認識の通り、排泄物である。食べ物ではないし食べたとしても最低の味であろう。ここでは誰もが嫌いなものとして仮定する。特殊性癖の方々はここでは除外する。




 さて、うんこ味のカレー派の主な意見として挙げられるのが「うんこは食べたくない」であろう。いくら味が良くともうんこは食べたくない、食べ物じゃないから。というのが大多数の意見だと推測する。この意見は容易に納得できるし、カレー味のうんこ派でもこの理由に真っ向から反対することはできない。






 ここでまず一つの質問を投げる。 


 あなたはうんこを食べたくないのか、食べ物でないものを食べたくないのか。




 人間は食事をとることで生命を維持している。食事は人によっては娯楽であったり職業であったりする。いずれにせよ人間は食材を口にすることを当たり前に行っている。


 しかし人間は時に一般に食材とされている物質以外のものを口にする。幼少期に鼻くそを食べたり、その辺に生えてる花の蜜を吸ったり、雪を食べるなどである。少なくとも一度くらいは経験したことがあるのではないだろうか。


 このことを踏まえると、うんこは食べ物ではないから食べないという理由は少し弱くなることが分かる。依然としてうんこは食べたくないということに反論する強烈な理由には至っていないが、




うんこ=食べ物ではない →食べない




これは成立しないことが分かる。






二つ目の質問を投げる


 カレー味の消しゴムと消しゴム味のカレー、あなたはどちらを選びますか。




 


 このれはあなたが思う食べ物ではないものの中で、食べれるものと食べれないものの差はなにかである。つまり、うんこをどれほど食べたくないかの程度である。この質問の場合カレー味の消しゴム派はカレー味のうんこの割合よりも大きくなることが想像できる。理由は単純明快で、食べることへの抵抗感がうんこより消しゴムの方が低いからである。


要するにうんこは食べたくないけど、消しゴムなら百歩譲ってありかもしれないということである。




この質問により食材以外にも相対的に食べれるもの食べれないものが混在していることが分かる。そしてうんこはその中でも(おそらく群を抜いて)食べたくないものの部類に属しているだろう。








さて、以上のふたつの論点から、うんこがいかに嫌われているかが分かったと思う。カレー味という味でごまかせないほどの嫌悪感がうんこには存在する。ここからはうんこを食べることに対する拒絶感についてより深堀していきたい。




 うんこを食べない理由として、食べ物というカテゴリーの外であるということに加え、食べることへのリスクがあるだろう。要するにバイ菌の塊を食べることへのリスクである。




 確かにこの点はカレー味のうんこ派の私とっても大きな懸念点である。うんこを食べることへの健康的なリスクは計り知れない。医学にほとんど精通していない私でもそれくらいは分かる。




 ただ一つ考えてほしい。私たちは食材の安全性をどのような視点で判断しているだろうか。これはHACCP等の安全基準という観点からではなく、より原始的で動物的な視点のことである。においを嗅いだり、色味を見たりという点である。食べれないものに対しては多くの場合どこかしらで拒絶反応が起こる。




 人間は元来、食べられるものについては大体のものをおいしく感じられるように設計されている。カブトムシが食べる木の蜜は人間にとっては食材となりえない一方で、肉食の魚が一般的に忌避するフグは人間にとってはごちそうの部類となる。(フグの場合は味というよりも、毒という別の要素になるのだが。)




 通常のうんこは身体が真っ先に拒絶反応を起こすであろう。木の蜜と同じで食べ物とはなりえない。ただ、それがカレー味であったらどうだろう。食べ物として認知されていないうんこが、体の拒絶機能の上では”もしかしたら食べることができるかもしれないもの”に変わる。




 つまり、うんこは安全ではないという観点からのうんこへの否定は、うんこがカレー味になることによって、体の機能上拒絶されるという訳ではなく、私たちが持つうんこを食べることの危険性への知識もしくは精神的な障害から生じることになる。




 わかりやすく説明し直そう。うんこがカレー味になることで、体はうんこを食べることに抵抗しなくなる。むしろお腹がすいていた場合には、たとえそれがうんこでも、おいしそうと感じるのである。それでもうんこを食べたくないと思うのは、うんこを食べたら病気になるとか、うんこなんて人が食べるものではないといった、知識や先入観などの「理性」や「気持ち」の部分が起因するということである。








さあ、上記によりカレー味のうんこを選択する際に重要となるのは、理性や感情などの個人的な考えになるということになった。


君のような勘の良いガキであればお気づきであろうが、この議論はもとの立ち位置に戻ってしまった。




今までの話をまとめる。うんこ味のカレー派の主な主張として、うんこは食べ物ではないので食べないという主張は、人間は時に食べ物以外のものを食べるという例外が存在するため否定した。そしてその後、食べ物でないものの中でも、うんこは食べたくないものランキングの中で上位に位置するであろうということを述べた。


 なぜうんこが上位に位置するかについて、ここではうんこを食べることにリスクが伴うためと仮定した。人間はそのリスクを視覚や嗅覚などの五感を発動して嗅ぎ分ける。しかしカレー味になったことでその機能は失われ、うんこを食べることへの抵抗感は、理性や精神的なものから来ると結論付けた。




 結論を無理やり上げるのならば、うんこへの抵抗感が薄い人はカレー味のうんこを選ぶであろうし、うんこに対する抵抗感が大きい人はうんこ味のカレーを選ぶということである。

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