第33話 夜隆、帰還

 翌朝明るくなってから、夜隆は本格的に獅子浜へ上陸する準備を始めた。


 生まれ育った獅子浜城に砲弾をぶち込むのはあまり気が進まないが、月隆が夜隆を拒むようならこちらも戦わねばならない。


 今までの経緯からして、月隆は拒むと確信していた。

 なにせ彼は夜隆に死んでほしいと思っているのだ。夜隆が見つかれば首を取って獅子浜城に差し出すよう、賞金をかけてまで言っていたのである。


 ここは一戦交えることになるに違いない。


 以前の夜隆だったら、抵抗しなかっただろう。兄に泣いてすがって許しを乞うただろう。


 しかし今は覚悟が決まった。


 何が何でも大君の座から引きずりおろしてやる。




 まず、昏の穴に戦うために必要なもの一式を収納した。


 周りで見ていた夢之助や元海賊の仲間たち、克自までもが、夜隆の使う異能に驚いて感嘆の声を上げながら硬直していた。


 浜辺の漁師小屋の中に隠していた物品を、穴に吸い込んでいく。


 刀を、一本一本、ついてきてくれると言った仲間の数だけしまう。

 弓も同じだけ用意する。

 矢は一人頭十本以上使えるように支度した。

 革の武具も替えを呑み込む。

 草鞋も数十足は必要だ。


 食べ物もしまった。

 日持ちがするようにほしいいと干し肉、瓶詰めの漬物を大量に吞み込んだ。


 着替えも必要になるだろう。清潔な手ぬぐいも百枚単位で入れる。これらはすべて海賊船に積み込んでいたものを譲り受けたものである。


「すげえ……」


 夜隆がどんどん穴に物を格納していく。その妖術を見せつけられた人々が、ようやく狩野夜隆が何者であるかを知る。


 これが、天下を統一した狩野家の人間が受け継ぐわざだ。これができることこそ、狩野家の息子の証拠なのだ。


 誰にも文句を言わせない。


 とうとう、夜隆は大砲を一門と鉄球を数個、中に納めた。


 そして最後に、小早船をまるまる一艘吸い込んだ。


 みんな、静まり返ってしまった。


 こんなに物を納めたのは初めてだ。


 だが特に違和感などはなかった。


 交通の便が悪く今ほど物流の制度が整っていなかった頃には、この能力は敵対勢力にとって大きな脅威だっただろう。今でこそ大君は獅子浜城でふんぞり返って指図をするだけの存在になり果てたが、夜隆は、元海賊たちの様子を見て、たまにはこういう様子を見せる行事もあったほうがいいだろう、と思った。


 今も昔も葦津では狩野家が最強であることを世に見せつけたほうがいい。

 それが天竜鳴秋のような人間に利用されないための近道であるような気がする。

 本当は徳をもって威光とするのが理想なのだろうが、夜隆は自分がそんな立派な人間であるとは思えなかった。




 次に、夜隆は荒浦州で身なりを整えた。


 銭湯に入り、髪を切り、地味でもそれなりに見栄えのする着物を買った。


 人は見た目で判断する生き物だ。海賊特有のかぶいた恰好では、獅子浜の港で追い返されてしまうだろう。下手をすれば奉行所に通報されかねない。それでは舞台に立つこともできない。こちらが理性的な存在であることを主張するには、最低限の清潔感は必要だ。


 それにしても、髪が短い。街をゆく人々は総髪髷を結っているものだが、夜隆はせいぜい蓬髪ほうはつの傷んだところを切り取って油で撫でつけることしかできなかった。

 けれど、これは、自分で選んだことだ。

 髪を切られた屈辱を忘れないために切り続けた。

 この状態でいい。

 いくら見た目で判断されることも受け入れているとはいえ、一から十まで見た目でけちをつけるような人間も未来の葦津政府にはいらない。


 仲間たちにも同じように身支度を整えてもらった。

 着物を着替えてひげを剃るだけでも、みんな一般人に近づいた。

 鋭い眼光や独特の肩を切って歩く動き方は堅気かたぎの人間のものではなかったが、最低限知性があるように見えなくもなく、言葉による交渉も不可能ではないことを表している。


 夢之助にも着替えてもらった。


 彼は常に赤い女物の着物を羽織っていたが、あれは子供の頃馬込右衛門に着せられていたものなのだそうだ。夜隆が髪を切っていたのと同じ理由で、夢之助も過去を、それにまつわる怒りや憎しみを忘れぬようにまとっていたのだそうである。


「もういいんじゃないのか」


 夜隆がそう言うと、夢之助はちょっと考えたようだった。一度袖をはずして、古くなって擦り切れた着物を眺めた。


 そして、夜隆に差し出した。


「これ、お前が持っていてくれ。今は一回脱いでもいい、それがお前と獅子浜に乗り込むために必要だって言うんなら、おれは一回脱皮する。でも、落ち着いたら、返してくれ。おれはこれを永遠に忘れちゃいけない」


 夜隆は頷いた。こういう強情さも夢之助のいいところだ。彼の言うとおり、昏の穴にしまった。これでいつでも取り出せる。


 公衆浴場で丸洗いして髪形と服装を整えると、顔立ちが綺麗で色が白い夢之助はどこぞの御曹司みたいになった。所作もどうやら右衛門にいた時代に叩き込まれているようである。これなら夜隆が小姓として扱っても差し支えないだろう。人生何が吉と出るかわからないものだ。


 克自も大化けした。いかにもならず者の頭領だった彼もひげを剃って髷を整えればいっぱしの男である。さすが武家の出であるだけある。なかなかいい男のようにも見える。


 この世は理不尽なので、見栄えはよければよいほどいい。




 そして、万松州に向かって、帆を上げる。


「面舵いっぱい! 出発進行!」


 克自のその掛け声にしたがって、元海賊船、今は装甲をはずして旅客船になりすました帆船が、海を滑り出した。


 空は青く晴れていた。夏が近づいてきていた。






 荒浦州から万松州までは海路を北東に進んで三日かかる。

 その間も、仲間たちは、夜隆が穴の中に樽で保管している水で体を洗って清潔を保ちつつ、静かに過ごしていた。


 普段なら酒に酔って暴れて喧嘩することもままあったが、誰もそんなことはしなかった。彼らも彼らなりに大君夜隆公の側用人そばようにんを目指して勉強してくれるらしい。心強いことこの上ない。

 本当は生まれが高貴でも豊かでもない彼らには地位を用意できないのだが、それは古い時代の悪習である。自分が大君になったら、彼らが海賊に戻らなくても働ける何かを作りたい、と思った。


 夜隆は、ここ数日、自分が大君になったら何をするかということを考えている。


 まずは月隆を引きずりおろすことが主目的だが、それで終わりではない。

 むしろその後が肝心で、夜隆が無能であれば第二第三の夜隆が現れて引きずりおろされる可能性もある。

 その場合その人間に昏の穴はないが、なくても大君になれる仕組みがなければ、夜隆が未婚で死んだ時にもっと大変なことになる。まず初めにそこに手をつけるべきか。


 国のため、という大きな枠組みのことを考えているわけではなかった。今の夜隆は、目の前の不正を除きたい、そのために月隆を廃したい、そしてそんな月隆の横暴を許している今の葦津政府の形をぶち壊したい、という気持ちばかりが強く、細かいことはまだ詰められていなかった。


 けれどまずはそれでもいいのだと、克自が言う。


「初めから気を張っているといつかぷつんと切れるもんさ」


 克自がそう言って船首に立った。夜隆と夢之助もそのすぐ近くに立つ。


 浜が見えてきた。浜の周りに街がある。山のほうまで建物が続く大都会、万松州の都、獅子浜だ。天下の街、葦津のすべての道の起点、大君の住まう神都しんとである。


 帰ってきた。


「俺が生きて帰ってきたら、獅子浜城に迎え入れるんだよな?」


 山の麓に、白壁に黒い屋根瓦の五重の城、獅子浜城が見えた。


「なあ、月隆兄上。俺は、帰ってきたぞ」


 独り言を言う夜隆の頬を、万松州の風が撫でる。




 元海賊船は、堂々と、獅子浜港に入っていった。


 役人は見知らぬ船に慌てふためいたようだったが、夜隆がはしけをおりると、顔で判別できたらしい。彼らは一様に「夜隆様」と恐れおののいてその場で膝を折った。


「ご無事だったのですね」

「お前らの目で見てそう見えるのならばそうなのだろうな」

「おかえりなさいませ、よくぞお帰りになられました」


 その場にいた全員がひざまずき、ぬかづいた。夜隆が「面を上げよ」と言ってようやく顔を上げる。夢之助が「お前本当に偉かったんだ」と呟く。


「俺はすぐ獅子浜城に帰る。先触れを出せ」

「はっ」


 数人の役人が奉行所に駆けていった。この調子でいけば波乱は最小限で済ませられそうだった。






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