第30話 音宮城 2

 天守閣へ続く階段を上がった。


 戸はすべて開け放たれていた。城の最上階を強風が吹き抜けていく。少し肌寒い。太い柱はすべて黒く塗られ、流水の絵が描かれていた。


 外の欄干にもたれかかるようにして、遠くを見つめている青年がいた。背が高く細身のこの後ろ姿には見覚えがある。


 天竜鳴秋だ。


 近くに、小姓の少年がひざまずいている。彼は軽く目を伏せたまま微動だにせず、夜隆たちのほうを見ようとはしなかった。お付きの者は彼一人だけらしい。


「ごらん」


 夜隆たちに背中を向けたまま、歌うような声で言う。


「この城の天守からは咲耶山が見えるよ。美しいでしょう」


 そこまで言うと、彼はゆっくり振り返った。

 端正な顔立ちで緩やかに微笑んでいた。


 彼はなぜかいつも余裕そうな表情をしている。今日もそれは変わらない。海賊たちに完全に包囲され、ここからはもう逃げ出せないというのに、彼は今日も目を細めて笑っている。


「街も、山も、湖も、海も、すべてが見える。葦津八州のすべてが見えるよ」


 白く細長い指が、遠く北のほうを指す。


「あちらが万松州だよ。冬の空気が冴えている頃なら、獅子浜城が見える。最近は春でかすんでいるからわかりにくい」

「他に何か言うことはないのか」

「そう急がず」


 欄干にもたれかかる。


「いや、つまらない話だったかな。君には前にも案内したことがあったからね。何度も同じ話をしてごめんよ」


 唇の端が、持ち上がった。


「久しぶり、夜隆」


 周りで、海賊たちが、聞いている。


「無事に生きていてくれたようで嬉しいよ。でも、こんなことになる前にひとつ相談してくれればよかったのにな。僕たち、幼馴染じゃないか。父親同士は大親友だった。僕にとっては冬隆様は名付け親だしね」


 その言葉は信用に値しなかった。

 なぜなら、彼が本当に夜隆を心配しているのであれば、この場で夜隆の正体が知れ渡るようなことを言うはずがないからだ。

 賢くて時勢に強い鳴秋が、夜隆が月隆に指名手配されていることを知らないはずがない。夜隆は偽名を使ってここまで生き延びてきた。

 それをわざわざ本名で呼ぶということは、賞金首に目がないならず者の海賊たちに、ここに大金が立っていることを知らしめるようなものだ。


 海賊に合流する前に相談していれば助けてくれたのだろうか、というのも、頭の中をよぎらなかったわけではない。けれど夜隆はすぐに否定の気持ちを抱いた。それでも奴隷貿易をしている男に救われたくない。


 彼とは決定的に相容れない。


 鳴秋は、周囲にいる海賊たちに、三郎は狩野夜隆であることを暴露した。


 さて、どうしたものか。


 振り向き、周りを見た。


 海賊のうちの多くは驚いたのか、目を丸くして、しげしげと夜隆を眺めていた。夜隆と目が合うと、野太い声を震わせて訊ねてきた。


「お前、まさか、狩野夜隆なのか」

「あの、狩野冬隆の三男坊の」

「今の大君の弟のか」

「死んだと聞いてたが……」


 疑問と動揺を次々と口にする。何と言ったらいいのか、夜隆は考え込んでしまった。


「……ああ、そうなんだ」


 逃げられないのは鳴秋だけではない。夜隆も逃げられない。大勢に囲まれてしまっている。


 鳴秋に逆にはめられてしまったようだ。金持ちで地位も権力も持っている鳴秋と先の大君を殺した大罪人である夜隆、どちらに味方をしたほうが得かなど火を見るより明らかだ。


 しかし、夜隆は冷静だった。


 周りを囲んでいるのは、この数ヵ月寝食をともにしてきた仲間たちだ。


「――まあ、そういう人生もあるわな」


 鉄波党のある男が、「やれやれ」と言いながら腕を組んだ。


「どういう事情があるか知らんが、俺たちと一緒に戦ってきた事実は俺たちの胸の中にしっかり刻まれてるからよ」


 彼に続いて、また別の男も「そうだそうだ」とはやし立てるように言った。


「俺たちは海賊だぞ。身分の高い御曹司だろうが身分の低い奴隷だろうが関係ねえ。一緒に戦った、一緒に飯を食った、それ以上に大事なことなんてねえんだ」


 他の仲間たちも口々に「そのとおりだ」「何の問題もねえ」と言ってくれた。


「言っただろ、大将。お前は俺たちの斬り込み隊長の鉄波党の三郎だ。海賊になる前のお前になんか興味ねえ」

「みんな……」


 じんわりと、心の中が温かくなる。


「恩に着る」


 三郎は――夜隆は、一人ではない。


「まあ、おれはこうなるってわかってたけどね」


 調子よく、夢之助がそう言った。夜隆は夢之助の頬をつねって「俺を脅そうとしたくせに」と低い声を出したが、それでも顔では笑ってしまった。


「お前の腹が決まった時点でみんなもう受け入れてたんだよ。それが仲間ってやつさ」


 そして、可愛らしい顔で微笑み返す。


「おれらをなめるんじゃねえぞ、三郎――いや、夜隆。おれたちは、お前を受け入れてる」


 夢之助の言葉を、後ろに控えていた海賊たちが雄叫びをもって肯定した。


 前を向いた。


 鳴秋はおもしろくなさそうな顔をしていた。おおかた夜隆の正体が露見したら瓦解するとふんでいたのだろう。作戦失敗だ。


 ぎしぎしと階段を上がってくる音が聞こえてきた。重そうな足取りの音が複数だ。体重のある男が踏み段を踏み締めている音である。


「よお、盛り上がってるところ悪いね」


 ややあって顔を出したのは、克自とその側近たちだ。


「今どこまで話が進んでる?」


 克自の質問に、近くにいた海賊があっけらかんとした顔と声で「三郎が実は狩野夜隆と同一人物だってところまで」と答えた。夜隆はさすがに軽すぎないかと思ったが、克自はいつもと変わらぬ落ち着いた表情で「ふうん」と鼻を鳴らした。


「なるほど。うすうす気づいてはいたが、今暴露されちゃったのかね」


 今度は夜隆が驚いて克自に「気づいていたのか」と問い掛けた。克自が「まあねえ」と頷く。


「お前、露骨に育ちがいいから悪目立ちしてたぜ。でも俺は海賊になるまでに何をしていたって関係ないと思っているから黙っていた。周りもみんなそうだっただろう? それが鉄波党の掟だ」

「そうか……まあ、そうだな……」

「年は十九、古流剣術に秀でた御曹司、両手に入れ墨がある。とくれば、俺の情報網には簡単に引っ掛かる。わざわざ言いふらすのは趣味じゃないから言わなかったが、気づいていた仲間は他にいるんでないの。俺たちの夢之助ちゃんとか、敏感だからな。あ、この子気づいてる、とは思っていたが」


 夢之助は「ちょっと違うけど、まあ……」と言って頭を掻いた。


「それより、三郎――まあせっかくだから夜隆と呼ぼうかね、お前が喉から手が出るほど欲しがっていた文書、見つけてきたぞ。これはそのうちの一枚で、他にもその場にあった分はひととおり確保したが、似たような内容だったんでとりあえず今はそれだけ読めば十分だろう」


 克自が手に持っていた紙を夜隆に差し出した。夜隆はそれを受け取った。たたんであったものを広げる。


 内容を読んで、夜隆は大きく目を見開いた。


 書状は、鳴秋にあてて書かれた、外から来た文書だった。


 天竜鳴秋殿、から始まる文章には、異国との貿易を許可すること、その際邪魔が入らないように手配すること、売上を何割か上納するように命じることが書かれていた。


 頭から血の気が引いていくのを感じた。手が無意識のうちに大きく震え始めて止まらない。


 最後に、狩野月隆の名と、月隆の花押かおうが書かれていた。


「……兄上が」


 ほかならぬ、大君が、奴隷貿易を許可していた。


 民を守るべき、国を守るべき、平和と安全を守るべき大君が、異国に自国民を売りさばくことを認めていた。


 敵は、最初からずっと、狩野月隆だったのだ。


 鳴秋が舌打ちをした。そしてそばにいた小姓に何か耳打ちした。小姓は冷静な顔で頷いた。


 克自が「夜隆」と怒鳴るように言った。


「止めろ!」


 しかし夜隆はあまりの衝撃の大きさゆえに動けなかった。


 鳴秋のほうを見た。


 鳴秋は着物をはだけて自らの腹部に短刀を突き立てていた。赤い液体が漏れ出てきた。

 鳴秋の小姓が刀を抜いて振り上げる。鳴秋の首に食い込む。鳴秋の首から鮮血が噴き出す。

 体が前に倒れていく。


「鳴秋!」


 鳴秋の体が動きを止めると、小姓は自らの首に刀を添わせた。そして勢いよく引いた。小姓の首からも熱い血潮が噴き出した。板張りの床に倒れる。


 夜隆は鳴秋とその小姓の血を浴びながらしばらく呆然と突っ立ったまま動けなかった。






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