第29話 音宮城 1

「ひいっ、熱い、熱い、何でも話すからおろしてくれ」


 馬込家の邸宅の裏庭で、かしの木の枝に縄を結んで、馬込右衛門を吊るした。そしてその足元で、右衛門の足に火が触れるか触れないかという大きさの焚き火を燃やした。


 足を焼く拷問である。


 右衛門から情報を引き出すと言い出したのは夜隆だが、こうしてここに吊るしたのは海賊の仲間たちだ。右衛門がいくら暴れても、普段船の帆をまとめて縄を縛っている海賊たちが結んだ縄は、素人が暴れたくらいでは絶対ほどけない。海賊たちの知恵と経験には恐れ入る。


 冷静沈着な海賊たちは夜隆の意図を汲んでいるようでもあったが、彼らも彼らなりに可愛い夢之助が世話になったことについても思うところがあるようだ。


 夜隆の隣にしゃがみ込んでいる夢之助が、炭小屋で入手した鉄の火掻き棒で焚き火をつついて空気を入れた。炎が燃え上がる。右衛門が醜い悲鳴を上げる。


「天竜鳴秋が奴隷貿易に関わっていることを証言するか?」


 夜隆がそう問い掛けると、涙と鼻水と唾液でぐちゃぐちゃの顔をした右衛門は、いとも簡単に「ああ、する、する」と主君たる鳴秋を裏切る発言をした。


「何か証拠にある物的な書状や割符などはあるか?」

「ある、音宮城の執務どころの書棚に鳴秋様がやり取りしている関係各所と交わした文が保管されているはずだ、三階の北側の部屋だ、極力証拠が散らばらないようにするためにそこにすべてを集めていてわしの屋敷にはない」

「音宮城の三階の北側の部屋か。おぼえたぞ」


 夜隆は立ち上がった。


「死なない程度に吊るしておけ」


 周りを囲んでいた海賊たちが「おうよ」と答えた。


 夢之助が火掻き棒を地面に置いて夜隆についてくる。


「音宮城に乗り込むの」

「ああ。今右衛門が言っていた関係各所との文を回収したい。それが強力な証拠になるはずだ」


 今の夜隆が一番欲しいものだ。


「それに、関係各所、という言い方が引っ掛かる。天竜鳴秋以外の人間がこの貿易に関与していたことを匂わせている」

「嫌な予感がするね」


 夢之助が唸った。


「天竜鳴秋だけを潰しても、人身売買は続くかもしれないということだね」

「そういうことだ」


 気が急いた。

 けれどさすがに夜隆も一人で、あるいは夢之助と二人では、ひとつの州でもっとも大きい城に乗り込むのは無謀だ。


 刀一本で正面突破はありえない。

 周りは二重の堀で囲まれていて、どれくらいの深さがあるのかわからない。見つかれば矢も射かけられるだろう。無事に渡れても藻と泥水にまみれた状態でその後にまともな活動はできまい。

 馬と鎧があればあるいは、とは思うが、いまさら都合よく調達できるとは思えなかった。


 いったん引き返すか。


 馬込家の屋敷を離れて、港のほうに戻ろうとする。


 街の通りを歩く。ひとけがない。みんな避難したのか、建物の中で息を潜めて見ているのか。


 何人かの海賊がついてきた。この何人かは一緒に音宮城に乗り込んでくれるつもりなのだろう。心強いが、彼らも条件は夜隆と同じだ。


「どうする?」


 夢之助が歩きながら話し掛けてくる。


「何かいい案ある?」

「今考えているところだ」

「馬込家をこんなに荒らしたんだ、天竜家もすぐ気づくだろ。逃げられたら終わりだぞ」

「わかっている。今ちょっと考えているから、焦るなよ」

「でも、おれ、我慢できないよ。少しでも早く翠湖州をぶっ潰したい」

「それもわかっているけれど――」


 正面から、大きな荷車をひいた馬が八頭こちらに向かってきた。その後ろには大勢の武装した男たちが続いている。


 突然のことだったので、夜隆は驚いて立ち止まった。夜隆だけでなく、ついてきた夢之助や他の海賊たちも足を止めた。


「やあ、やあ」


 八頭の馬にはそれぞれ見知った顔の男たちが乗っている。彼らも海賊である。鉄波党の仲間もいれば、懇意にしているよその船の幹部もいた。上乗りとして他の海賊船とも付き合いを保ってきた夢之助が、彼らの名前を叫ぶような大声で呼んだ。


「味方を連れてきてやったぜ。海の男ばかり六団体分、ざっと千人だ」


 一個の軍隊に匹敵する戦力だ。

 みんな海の上でてんでばらばらに活動していた集団なので、陸の上ではどれほど役に立つのか、そもそも連携して活動できるかはわからない。

 しかし泰平の葦津国では脅威になる。


 海賊軍団も恐るべき団体だが、夜隆が注目したのは、馬がひいている荷車の上のものだった。


 大きな台座に夜隆の身長を超える長さの黒光りする鉄の大筒が乗っている。後方には木箱に詰められた鉄球もある。


 大砲だ。


「こんなもの、どこに隠し持っていたんだ」


 夜隆が問い掛けると、克自の側近の男がにやりと笑った。


「いざという時のために親分が船に積んでおけってさ」


 克自の先見の明に救われた。


「よし。音宮城に行くか」




 海賊たちは音宮城の正面の城門に大砲の玉を叩き込んだ。

 木製の扉が砕け散り、守っていた武士たちが吹っ飛んだ。


 狩野家が葦津八州を統一してから使われたことのない大砲という兵器を見て、警備の人間は恐れおののいて一目散に逃げてゆく。


 夜隆が明らかに戦意を喪失している者は見逃してやるようにと号令したので、海賊たちも深追いすることはなかった。


 戦闘はごく小規模で済んだ。


 真正面から正々堂々音宮城に入場する。


 馬込家を出てからまだ一刻程度、春の空はまだまだ明るい。


 城の周りを警護する武士は誰もいなくなった。


 中に入ると内部を守っている武士に狙われたが、こちら側は海で鍛え上げられた歴戦の猛者たちである。夜隆も夢之助も海賊たちも、あっという間に相手を片づけて階段を上がっていった。


 もちろん、女子供には手を出させない。天竜鳴秋の居場所を聞き出すために声は掛けたが、おびえる女たちは放っておくよう仕向けた。


「天竜鳴秋は天守閣だそうだ」


 それを聞いて、夜隆は「ああ」と頷いた。天守閣はどうやら五階に相当するようである。


「先に鳴秋を捕まえて、城の中の人間を完全に降伏させてから証拠を物色する」

「了解」


 階段を、上がっていく。


 それにあわせて、鼓動が激しくなっていく。


 冷静になれ、と自分に言い聞かせた。


 冷静にならなければ、空気に呑まれる。鳴秋は特に武芸に秀でているという話は聞かないが、落ち着いてかからなければ足元をすくわれる気がした。


「三郎」


 後ろから背中をどんと叩かれた。夢之助の声だ。夢之助に叩かれたらしい。


「天竜鳴秋って、お前の顔と本名は知ってるのか」


 夜隆は「一応な」と答えた。


「馬込右衛門があの調子だったから、気づかないかもしれないが」

「そっか。ややこしいことにならないといいな」


 そう言えば、夢之助はまだ夜隆を三郎と呼んでいるのか。律儀な子だ。彼のように真面目な人間が報われる世の中とはどんな社会なのかを考えざるをえない。


 大丈夫だ。自分はやれる。


 夢之助が、仲間たちが、ついている。


 一人では、ない。


 克自の言葉を思い出した。


 ――人を立てるのは人だ。お前が船頭になるのはお前を船頭に選んだ人々のおかげだ。人間がいてこそ人間はる。


「俺はお前らを迷わせないからな」


 夜隆のその言葉を、仲間たちはどう受け取ったのだろう。海賊のうちの一人が「頼りにしてるぜ、大将」と言ってくれた。



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