第28話 ”可愛がってやった”
夢之助の記憶と食い詰めた音宮の平民たちの証言を照らし合わせたところ、話は見事に一致した。
夢之助の読みどおり、馬込右衛門の屋敷は音宮城の近くに移転していた。
音宮城は平地にたたずむ優美な城で、二重の堀に三橘湖から引いた水を
その周囲に城下町が形成されていて、北側がすべて武家屋敷街だった。
その一等地に馬込家の本邸がある。
屋敷の母屋は東西に広い建物のようで、門が東と西にひとつずつ設置されていた。東の門が正門で、西の門が裏門らしい。正門を夜隆が、裏門を夢之助が指揮して、それぞれ二十数名の海賊を引き連れて移動した。
夢之助は鉄波党の構成員の中では最年少だ。いくら勇敢で有能だといっても、海賊たちは年長者として年少の彼を可愛がっている。したがって夢之助が無茶をしそうになったらすぐ止めに入るはずだ。だから心配ない。
夜隆は自分にそう言い聞かせたが、それでも早く合流しなければという気持ちは消えなかった。
くれぐれも殺すな、天竜鳴秋を捕まえるまでは真実を知る人間を減らすな、と説いておいたが、夢之助より先に馬込右衛門を発見したい。
他の海賊たちも同じ思いらしい。近くにいた仲間が、夜隆に「早く見つけないとな」と話し掛けてきた。夜隆は「ああ」と頷いた。
夜は明けたはずだった。けれど今日は特別冷える。空は曇っていて暗い。今年最後の雪が降るかもしれなかった。
夜隆は、静かに刀を抜いた。
そして、振り上げた。
振り下ろす。
「突撃!」
夜隆の号令に呼応して、海賊の仲間たちが雄叫びをあげながら突っ込んでいった。門番と斬り合いになる。しかし音宮の街の状況を知っている門番の士気は低いようで、彼らは海賊との戦闘を避けてすぐに逃げ出した。馬込家への忠誠心というものはないらしい。
「ここまで落ちたか!」
夜隆は怒鳴りながら逃げゆく門番の一人を斬った。だが致命傷にはしない。それでも夜隆は心の奥底に必要以上の殺しはしたくないという気持ちがあった。向かってくるようであれば確実に息の根を止めるつもりはあるが、彼らはすでに戦意を失っている。
「逃げたい奴は逃がしてやれ! 相手にするな!」
そう叫ぶと、海賊たちは「応」と答えて、逃げ惑う人々を無視して先に進んだ。
土足のまま廊下を走る。ふすまを開け、部屋の中を覗き込む。騒ぎを聞きつけた家中の者たちが身を寄せ合って震えている。
夜隆は彼ら彼女らにできるだけ穏やかな様子を装った声で話し掛けた。
「質問に答えてくれれば何もしない」
「は、はい」
「右衛門はどこにいる?」
「右衛門様はいつものご寝所にいらっしゃいます……北西のお部屋です……」
「そうか、助かる。ありがとう」
打ち明けた若い女中に微笑みかけて、夜隆はその場を去った。
「くれぐれも余計なことをするなよ」
仲間に話し掛けると、「当然だ」と返ってくる。親分の克自が厳しいのだ。彼の目が全員に行き届いている。頼もしい。
ちなみに克自はまだ港のほうで平民たちの逃亡を手伝っており、ここにはいない。彼は夜隆に部下のほとんどを任せてくれた。その期待にも応えたい。
北西のほうに向かって走っていく。
目的地についたら、夢之助が連れていたはずの仲間たちがすでにそこにいた。彼らのほうが西から入ったのだから当然といえば当然だ。
「右衛門は見つけたか」
「まだだ」
血に濡れた仲間の一人が言う。
「寝間にはいない。逃げやがった。今探してる」
「そうか」
「みんなばらばらにあちこちを見て回ってるんだ。夢之助とは会ったか?」
「いや、見ていない」
「昔の知り合いと会ったとかでかなり興奮してる。三郎の指示どおり殺さないように見張ってるけど……実際殺さずに何人か逃がしたけど、あんな調子じゃすぐに限界が来そうだ」
「わかった、俺たちも注意する」
興奮すると一瞬で最大の力を発揮することもあるが、その火事場の馬鹿力は長続きしない。夢之助のことを案じながら、廊下に戻った。
仲間たちが便所のふたまで開けて捜索に当たっている。
夜隆も押し入れのひとつひとつを開けて回った。
見つかるのはおびえた家族や使用人たちばかりだ。
魂は女子供に手を出すほど落ちぶれてはいないので、見なかったことにして通り過ぎた。
夢之助と合流できたのは、それから間もなくのことだった。彼はどこかの部屋の壁に掛けられていたのを奪ってきたとおぼしき槍を握っていた。
彼は凍てついた黒い瞳と色を失った唇で言った。
「おれは台所に行く」
「何か目算はあるのか」
「ない。おれがすべての部屋を見て回りたいだけだ。もしかしたらもう誰か調べ終えてるかもしれない。けど、おれがこの目で、すべての場所を見て回りたいんだ」
「そうか」
思いのほか明瞭な発言だったので、夜隆は安心して、緩く微笑んで言った。
「俺もついていく」
「邪魔すんなよ」
「誰に向かって言っているんだよ」
二人で廊下を急いだ。
家長の部屋を北西に置くような家は風水を気にしているだろう。台所も鬼門や裏鬼門を避けているはずだ。であれば、北西の方角、つまりこの近くにあるに違いない。
北のほうに向かっていく。
ややあって、左手に土間が現れた。かまどに水場がある。
台所だ。
そこにも勝手口があるから、そこから出ていった可能性もなきにしもあらずといったところか。正門も裏門も海賊の仲間が見張っているので、建物からは出られても敷地からは出られるとは思えない。まだどこか近くにいるだろう。
夢之助がかまどのふたをひとつひとつ開けて中を確認している。
「外に出るぞ」
声を掛けると、彼は頷いてついてきた。
勝手口から外に出たところ、すぐ正面に井戸があった。人間の姿はない。夜隆は井戸の中を覗いてみたが、水面に桶が浮かんでいるだけだった。
ふと、視線を感じた。誰かがこちらを見ている気がする。
「夢之助」
「なに」
視線を感じた方角を見た。
そこに、小屋があった。
壁が
何かを察した夢之助が、槍を構えて静かに近づいていった。
槍を、壁に突き立てた。
槍が壁を貫通した。
「ぎゃあっ」
小屋の中から悲鳴が聞こえた。男の、老人の声だった。
夢之助が一瞬動きを止めた。
その隙に、夜隆は炭小屋の扉を蹴破り、中に頭を突っ込んだ。
寝間着姿の老人が脇腹から血を流してうずくまっている。
「見つけたぞ、馬込右衛門」
夜隆がそう言うと、老人が「ひいっ」と喉を詰まらせたような声を出した。
「こ、殺さないでくれ。わしの持っているものなら何でもやる。刀でも槍でも、銭でも屋敷でも」
頭を抱えてがたがたと震える様子は情けない。翠湖州はこんな男の政治的手腕で回っていたのか、と思うと、心から失望してしまう。幼少期に会った時にはもっと威厳があって堂々とした政治家のように思えていたが、二十歳になった今に見てみると自分よりひと回り小さな男だった。
右衛門は下を向いていて夜隆の顔を見ていない。
顔を見たら夜隆が狩野夜隆であることを察しそうなものだが、と思ったが、案外わからないものかもしれない、とも思う。髪を切り、日焼けをし、風雨にさらされた今の夜隆は、もう獅子浜城でぬくぬくと生活していた狩野夜隆とは違っていた。
強い殺気を感じて振り向いた。
そこに夢之助が立っていた。
夢之助は蒼ざめた顔に血走った目をしていた。肩で息をしていて、槍を握る手がぶるぶると震えている。その姿はまるで怒りを擬人化したようだった。彼の全身から、怒りがほとばしっている。
「三年ぶりですね」
その声は意外にも小さかった。それでもなお感情を押し殺そうとしているのが伝わってくる。理性で自分を押さえつけようとしている。その痛ましさに夜隆まで手が震えそうになる。
「またお会いできるとは思っていませんでした」
夢之助のその言葉に反応して、右衛門が顔を上げた。彼はまじまじと夢之助の顔を見つめた。そして、驚愕に両目を見開いた。
「まさか、お前、夢之助か」
「ええ、そのまさかです」
「生きていたのか……、お前、まだ生きていたのか」
「おかげさまで。あの時あなたが手離してくださったおかげで、まだ、生きています」
右衛門が夢之助の足元にすがりついた。夢之助にしがみついて涙を流す様子はみっともなく、これが老いさらばえるということか、と思うと悲しかった。
「助けてくれ、夢之助。お前、わかっているだろう。あんなに可愛がってやったのに、恩を仇で返すような真似はするまいな」
「可愛がってやった、か」
「愛している。なあ、夢之助。わしは今も昔もお前が一番可愛い。また一緒に暮らそう。何でもやるから。着物でも部屋でも、そうだ屋敷をやろう、お前のために普請を――」
夢之助が、槍を振り上げた。小屋の格子状の窓から差し入るわずかな光が、刃を鈍くきらめかせた。老人が小便を漏らした。
「さようなら」
夜隆は手を伸ばした。
そして、夢之助の槍を持つ手首をつかんだ。
夢之助が槍を振り下ろそうとする。けれど夜隆は決して手を離さなかった。刀を握ることで鍛えられた夜隆の握力は、まだ少年の夢之助の腕力に勝った。夢之助が「離せよ」と怒鳴る。
「殺させてくれよ!」
「だめだ」
その男は大事な情報を握っている。音宮を陥落させるための大事な切り札だ。天竜鳴秋を失脚させることができるだろう。獅子浜に連れていって、大君やその家臣たちの前で語らせるべきだ。
そういう冷静で理性的なことを言ったら、夢之助を傷つける。今の彼が望んでいるのは、そんな計算高くて先を見据えた言葉ではない。
「こいつは畜生以下のクズなんだよ! 今ここでおれが殺さなかったらまた次のおれが生まれるんだよ!」
「だからこそ」
夜隆は、深呼吸した。
「お前が手を下すほどの価値はない。今ここで楽に死なせてやるな」
夢之助が、こちらを向いた。
その美しい顔が、泣きそうにゆがんだ。
「もっと残酷な殺し方をしよう。大勢の人に死ぬことを知らしめてから、今までの人生を全部後悔するような死に方をさせてやろう。お前がやったらだめだ。お前が戻ってこられなくなる」
「けどやりたいんだよ……こいつが死なないとおれの人生は終わらないんだよ」
「拷問と刑罰が許されるのは大君の裁きの後だけだ」
「狩野月隆はそんなこと許可しない」
それを言った直後、夢之助の瞳から涙がこぼれた。
「狩野夜隆なら許可してくれるの」
その言葉を聞いた瞬間、何かが全身を突き抜けていった。
考えたこともない話だった。
月隆ならしないことを、夜隆ならする。
夜隆が大君だったら、こういう時どうする。
月隆を除いて、夜隆が大君になるということか。
それはつまり、大君の位の簒奪ではないか。
だが、振り返ってみれば、どうだ。
月隆はこの荒れ果てた葦津八州を建て直すどころか、ますます民を締めつけて、収奪している。
夜隆は、民が苦しんでいるのを知った。奴隷として売られようとしている貧しい平民たちの姿を見てきた。彼らを救うために戦ってきたのは、夜隆なのだ。
目の前に、傷ついた少年がいる。
彼を救うためにすることは、老人一人を殺すことではない。
「夢之助」
夜隆は、夢之助の手首を離した。夢之助の手から、槍が落ちた。からんからん、という音を立てて槍が転がった。
夢之助を、強く抱き締めた。
「俺、お前のために、大君になる」
この国の民を守るためにするべきこととは、何だ。
「お前のために、この国を潰して、生まれ変わらせる」
夢之助が、夜隆を抱き締め返した。
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