第7章 天竜家
第26話 どかんと一発かますぜ!
翠湖州にはその名のとおり
葦津最大のこの湖は
淡水魚が美味であることで有名だが、海水も流入していて、葦津湾から船で出入りすることが可能だ。
とはいえ、それはあくまで地理的な話である。翠湖州の役所は当然ここを厳重に警備しているので、長い時間をかけてあらためられた船しか通行できない。
鉄波党の船が三橘湖から出た船を襲うのは、葦津湾を離れて外海へ出た瞬間である。
外海に出ることは本来はご法度だから、普通の船ならそもそも外海に出ることはないので、襲われても救援は来ない。
外海には鉄波党に限らず取り締まられない海賊がうようよしていた。
しかしそれもつい先日までの話だ。
万松州政府は正式に海賊行為を禁じるお触れを出した。
「まあ、遅かれ早かれこういう日は来たでしょうよ」
外海の岩礁の間に器用に係留した船の上、船縁に肘をつきながら、克自が言う。
「大君が狩野冬隆だった時代はよかったね。あの
克自の隣で望遠鏡を覗き込んでいた彼の側近が、「そうさねえ」とのんびりした合いの手を打つ。
そんな克自の言葉をそばで聞いていた夜隆は、嘆息した。いまさらになって自分の家族がそういう政治をしていたことを知った。この状況をあと一年早く知っていたらと思わざるを得ない。
正直なところ海賊行為自体は褒められたことはないので、取り締まられても仕方がない。
けれど、その分海上防衛の金をどこから出すのかというと、民から搾り取った血税か。
また、海賊のかわりに外海を警備するのはいったいどこのどんな船だろう。
そういうところを不透明にしたままただ鉄波党の動きを封じただけでは、翠湖州の不穏な密貿易は続いてしまうのではないか。
今日も鉄波党は三橘湖から出てきた船を一隻叩いた。
出てきたのは奴隷ではなかったので最悪の事態ではなかったと言いたいところだったが、葦津刀が山ほど出てきたので、これはこれで気分のいいことではない。この本数の刀をどこから掻き集めてきたのかわからないのが不気味だ。不当な労働に従事させられている刀鍛冶がいるのか、刀を奪われた、あるいは盗まれた人々がいるのか。そう思うと、やはり許せることではなかった。
外海に出てくる船は船籍を明らかにしない不審船で、翠湖州が直接関わっていると断定することはできない。しかし三橘湖から出てきた時点で、なんらかの力は働いている。翠湖州の上層部が絶対に一枚噛んでいる。
「証拠が欲しい」
ぽつりと呟いた夜隆に、視線が集中した。けれど夜隆は克自とともに岸のほうを見ていたので、それに気づかなかった。
「怪しい船が翠湖州の船だと断定できる証拠があれば、天竜鳴秋を断罪することができるのに」
克自が体をこちらに向けた。相変わらず微妙な笑みを浮かべたままで、悠然としている。
「天竜鳴秋は曲者だぞ。そう簡単に尻尾を出すとは思えんね」
「船は明らかに三橘湖を経由しているのに」
しかも、夜隆たちは捕らえた船乗りたちから彼らが天竜家の手の者であるという自白も得ている。だが、口先だけなら何とでも言えるのだ。天竜家を陥れるための罠であると言われたら、反論できなかった。
わかりやすい物的証拠が欲しい。それを万松州に差し出して月隆のお裁きを待てば、もう二度と奴隷船が三橘湖から出てくることがなくなるのではないか。
あの潔癖な月隆が、政府の許可のない密貿易を許すはずがない。
「……あるいは」
夜隆は、拳を握り締めた。
「三橘湖に乗り込んで、天竜家が絡んでいるという証拠を奪ってくるか」
月隆が光の道を行くなら、夜隆は闇の道を行く。
鉄波党の面々が、笑った。
「ほう、おもしろそうじゃねえか」
「それはやりがいがあるな」
我に返って周囲を見回すと、仲間たちは自信ありげな笑みを浮かべて夜隆を見ていた。
「いいじゃねえか、やってやろうじゃねえか」
「ここまで来たら一蓮托生」
「どかんと一発かますぜ」
「みんな……」
克自が「ふふん」と鼻を鳴らして笑う。
「鉄波党の最後の大仕事ってとこだな」
「最後の……」
「それを最後に鉄波党は解散する。あとはみんな好きに生きな。名前の売れてる俺とは違ってみんなは適当に生き延びられるかもしれん。ま、俺も首ちょんぱはされたくないから、みんながおりたあとのこの船で新世界を目指そうと思うが」
夜隆は「何を言っているんだか」と苦笑したが、周りは口々に「連れていってくれや」「俺たちどこまでも親分についていくぜ」と言って陽気に振る舞っている。
「見な、三郎」
克自が胸を張って言った。
「人を立てるのは人だ。お前を船頭になるのはお前を船頭に選んだ人々のおかげだ。人間がいてこそ人間は
その言葉を噛み締めながら、夜隆は「わかっている」と頷いた。
「俺の無謀な計画にみんなを巻き込もうとしているということだな」
海賊たちが「そんなことねえさ」と言った。
「船頭を選ぶ船乗りたちにも責任はあるさ。お前は独りじゃない」
そのうち一人が「よっしゃあ」と言って自分の腕を叩いた。
「男に二言はない! 俺はやるぞ」
「俺もだ!」
「ぶちかますぜ三郎! お前こそついてこいよ!」
次々と背中を押されて、一歩前に出た。夜隆はそんな調子の仲間たちが嬉しくてちょっとだけ笑った。
自分はもう七ノ島で膝を抱えて助けを待っていた時の自分とは違う。ずっと戦ってきた。しかしそれは夜隆一人の功績ではない。ともに戦ってきた仲間たちがいる。
また、背中を叩かれた。今までで一番強い力で叩かれたので、からかいや応援ではなく本気でやられたような気がして、夜隆はついつい振り返ってしまった。
そこに立っていたのは、夢之助だった。
「ださいことはするんじゃねえぞ」
口調は冷静そうだったが、黒真珠の瞳は煮えたぎっているのがわかる。
「お前がださいことをするようなら、おれがお前を斬るからな」
夜隆は頷いた。そしてはっきりした声でこう答えた。
「ああ、頼む」
「……言ったな」
「俺はもう恥ずかしいことはしない。何だって堂々とやってやる。だから、お前は俺のそばで見ていろ」
夢之助が珊瑚色の唇の端を片方だけ少し持ち上げた。
「見ていろだって?」
一瞬何か否定的なことを言われるのかと思ってしまったが、違った。
「おれは最前線に立つぞ。鉄波党の上乗りだからな。お前の背中を見守るような可愛いやつじゃないぜ」
彼の気高さには恐れ入る。夜隆は「すまなかった」と笑った。
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