第25話 過去の記憶 (夢之助視点)
* * *
夢之助が生まれたのは
東磐州は翠湖州の北に位置する州で地続きであり、東磐州の農家に生まれた次男三男は翠湖州に出稼ぎに行くのが常であった。
夢之助の父はある村で土地を持っていたが、土壌が豊かではなかったのか、実りはあまり多くなかった。
しかも東磐州の当主は決して年貢の率を下げなかったので、村の人間は自分たちのための作物も売らざるを得ず、息子を賦役に、娘を遊郭に売ることもさほど珍しいことではなかった。
だが夢之助の両親は愛情深く、貧乏子だくさんでも子供を誰一人として売らず、六人の息子を可愛がって育てた。
六人はいずれも見目良く健康だったので、養子に望む声はいくつかあった。
だが、二人は決して手放さず、本人の意思で家を出ることを決められるようになるまで、と言って譲らなかった。
それでも天は無情なものだ。
ある年大規模な冷害が起こり、作物の収穫がいつもより少ない年があった。
追い詰められた夫婦は、子供たちに腹いっぱい食べさせてやりたいという一心で、土地を捨てる夜逃げを決意した。
東磐州の南、翠湖州のある山で、銀が採れるという。その銀の採掘に携われば、身分が低くても御殿が建つ。そういう噂を聞いた夫婦は、六人の子供たちを連れて翠湖州の銀山の近くに引っ越した。
銀山の所有者は天竜家の当主だが、管理者は馬込右衛門という男であった。
彼は表向き気前が良く、子供に優しかった。衣食住、特に一日二食の食事を家族にも分け与えてくれた。
銀山の労働者は誰しもが馬込右衛門に感謝しており、馬込家に恩返しをするためなら多少の労苦は厭わないとまで口にした。
銀山の労働者は年々増え、子供を連れて移住する家族も多く、いつしか居住区は子供でいっぱいになった。
右衛門は、子供を何人か音宮に連れていって奉公しながら学校に通うようにさせたい、と言い出した。
労働者たちは学をつけさせてやれるならと喜んで我が子を差し出しそうとした。
右衛門はその中から条件に合った子供だけを都に連れて帰った。
健康であること、素直に言うことを聞く性格であること、そして容姿端麗であること――この三つの条件を満たす八歳から十一歳の少年少女七人が選ばれた。
音宮で待っている奉公というのがどういう意味なのか、誰も気づいていなかった。
音宮に移住した子供の中で、夢之助は一番年長の十一歳だった。しかも五人の弟の子守に慣れている。どこに行っても重宝され、いい気になっていた。
地獄の入り口に立った時、夢之助が最初に思ったのは、弟たちでなくてよかった、ということだった。
自分より小さな六人の子供たちのことも心配だった。
夢之助は何度も何度も自分が何でもするから他の子供たちには手を出さないでほしいと懇願した。右衛門はそれを夢之助が右衛門を愛していて独占したいからだと解釈し、ますます執着を強めていった。
右衛門は調教して開発し尽くした夢之助を他の人間にあてがって痴態を眺めるのが好きだった。十一歳から十四歳までの三年間で夢之助と関係を持った人間は右衛門を除いたらおそらくのべ五十人以上になるが、夢之助は途中で数えるのをやめた。
天竜家は狩野家に銀を献上している。東磐州から命懸けで来た労働者たちの血と汗と涙の結晶を狩野家に捧げて見返りに絶大な権力を得ている。
それを聞いた時、夢之助は、自分の両親が掘った銀も狩野家に吸い上げられている、と解釈した。
恐ろしい馬込右衛門、その馬込右衛門がさらに恐ろしいと言う天竜家の当主、そのまた上に君臨する狩野家の人間に、怒りを感じていた。
彼らの情けがほんのわずかでもあれば銀山での労働も楽になる。
十一歳の時に生き別れた家族がどうなっているのか知ることはできなかったが、とにかく、狩野の殿様の慈悲があれば自分の暮らしはこうではなかったのではないか、と思うと悔しかった。
狩野夜隆は狩野三兄弟の三男で、跡継ぎの長男雲隆、雲隆に何かあった時の代わりとしての次男月隆とは違い、気楽な身の上のようだった。
冬隆は上二人を警備の厳しい獅子浜にとどめ置いて守ったが、三男の夜隆だけは気軽に連れ出し、あちこち旅行させていた。
翠湖州も、狩野家と天竜家の因縁を思えば軽率に息子を連れてくるべき土地ではないはずだが、将来どうなってもいい夜隆だけは連れてきた。
裏返せば冬隆は夜隆だけを溺愛しているわけだったが、周りはわかっていながらも指摘しないでいたようだ。
それが憎たらしかった。
夢之助はある夜、右衛門の刀を盗み出した。
右衛門は今まで一度も自分に歯向かったことのない寵童が刀を盗むとは思っていなかったようで、いびきをかいて寝ていた。
今思い返すと、あの時本当にやるべきことは、右衛門の喉を掻き切ることだった。
あの頃の夢之助は馬込一族が家族に手を出すのを恐れていたので、右衛門には何もせずに布団を抜け出した。
葦津の冬の空は明るい。
雲のない月夜だったので、移動するのは難しいことではなかった。
警備の人間たちも夢之助の顔と立場を知っていたので、うろついていても咎めることはなかった。
庭から客間に忍び込もうとしたところ、客間の中から障子が開いた。
出てきたのは、狩野夜隆だった。
目が合った。
殺される、と思った。殺そうと思っていたことが知られたら、間違いなく殺される。
刀を抱き締めたままがたがたと震え出した夢之助に、夜隆は言った。
――子供はもう寝ていなければいけない時間だぞ。それとも、迷子か?
嫌味も何もない、素直な言葉であった。
だがややあって、夜隆は、庭にしゃがみ込んだ子供が刀を抱えていることに気づいたようだ。
子供が何をしようとしていたのか、察したらしい。
彼は少しばつが悪そうな顔をしてあたりを見回した。
――そういうことをすると、ご家族が心配するんじゃないのか。
夢之助は走って逃げた。心臓が爆発するかと思った。
夜隆は、夢之助に家族がいると思っている。
世間の子供には普通家族がいると思い込んでいる傲慢さと、ただの肉の穴として扱われている夢之助にも人間として家族というものがあるということを認めてくれた優しさと、そういうものがすべて渦を巻いて、吐いてしまいそうになった。
右衛門の隣に戻ってきて、右衛門の枕元に刀を戻した後、夢之助は一人で歯を食いしばって泣いた。
右衛門が夢之助から興味を失ったのは、夢之助が十三歳になり、声変わりが始まった頃のことだった。
彼は日々男っぽくなっていく夢之助を疎んじ、家臣に下げ渡した。
それからは遊郭の陰間よりもむごく扱われてきた。
そしていつしか発熱し、全身の皮膚に発疹が出て、動けなくなった。
汚らしい病原体と化した夢之助は海に捨てられた。
それを拾ったのが克自だった。
彼は夢之助を荒浦州に連れ帰り、幼馴染の僧侶寂円に預けた。金なら俺が持つから薬を買ってやってくれ、と言い、定期的に様子を見に来た。
寂円は彼こそまさに覚者であると思えるほどの慈悲深さで、夢之助が病から癒えるまで看病した。
村で夢之助が寂円の稚児であるという噂が流れ始めたことを知った時、寂円に迷惑をかけると思った夢之助は、生善寺を去ることを決意した。克自を追い掛け、鉄波党に入ることにした。
――やるんなら本気になれ。生半可な覚悟で事を為せるほど人生は甘くないぞ。
夢之助は頷いた。それから、鉄波党で一番の海賊になると約束した。夢之助十四歳の時のことであった。
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