第24話 教えてくれて、ありがとう

 結局鉄波党の一味は定宿を出禁になってしまった。

 主人夫妻も奉公人もみんな無事で怪我人もなかったが、恐ろしい思いをさせてしまったので仕方がない。

 ならず者でも金を積めば泊めてくれる都合のいい店だったが、店側からしたら当然の対応だろう。


 翌朝、鉄波党は血の海になった玄関のたたきを掃除してから撤退した。


 船の上に戻って、甲板で輪になって話し合いの場を持つ。


「新しい宿を見つけるまでは船からおりずに過ごすか、どうしても陸の上で休みたいんなら野宿さね」


 克自がいつもと変わらぬ能天気な顔で言った。


「木製の船の上じゃあ煮炊きができんからなあ。昔七輪を持ち込んだ奴を半殺しにしたことがあるのに、いまさら許可を出すわけにはいかない。半殺しにされた奴に示しがつかねえ」


 そのへんの基準はよくわからなかったが、理屈はわかる。


 しかし、いくら船にしては大型と言っても五十名からなる鉄波党の人間を全員船室で寝起きさせるわけにはいかない。雑魚寝になるだろうし、甲板に押し出される者もあるかもしれない。


「泊めてくれるところ、見つかりますかねえ」


 克自の側近の一人が言う。


「俺たち、翠湖州の役人に目をつけられてるっていうことでしょう。翠湖州を敵に回してまで海賊を泊めてやってもいいと言う宿があるかどうか」


 本当はそれもおかしな話ではある。

 ここは荒浦州だ。

 八州は基本的に相互に内政干渉をしないという式目があるので、翠湖州で公的な身分のある人間が荒浦州で暴れると翠湖州のほうが罰せられる。


 しかし、そういう政治的な話をすると自分が狩野家の人間として教育を受けたことが露見するのではないかと考え、夜隆は口をつぐんだ。


 夢之助に言ったことははったりではない。ばらしたければばらせ、という気持ちはある。けれど、自分から率先して気まずい空気にしたくもない。死それ自体を恐ろしいとは思わなくなったが、生きなければならないのなら極力快適な人生を送りたい。


 仲間たちから視線を逸らして、もうちょっと考える。


 翠湖州は名乗りを上げて攻め入ってもいいと思えるだけの材料があったのかもしれない。なにせ海賊行為自体がそもそもご法度なので、荒浦州がかくまっていると都合の悪いこともある。


 ただ、なぜ今、と思うといろいろな疑問が出てくる。


 奴隷船が次々と解放されてしまって堪忍袋の緒が切れたのか。


 海賊行為より政府の許可のない密貿易のほうが重い罪のはずなので、すべてが明らかになれば立場が悪いのは天竜鳴秋のほうだ。


 明らかになる前に鉄波党を消すということか。


 船室の戸が開いた。顔を出したのは夢之助だ。一人になりたいと言うので、話し合いの間は船長の部屋で休んでいいことになっていたのである。


 夜隆は知らなかったことだが、夜隆より前に一味に加わった人間は、夢之助の経歴をある程度把握していたようだ。


 あの時、右衛門の配下であると思われる男の発言を聞いて、驚いたのは夜隆の後に一味に加わった一部の人間だけだった。

 みんな無言で夢之助を安全なところに避難させ、彼をゆっくりさせるということで合意を得た。


 みんな知っていたのかと思うと、胸が痛む。


 ――あんなに激しく抱いてやったのにな。


 あの男の下卑た声が脳内によみがえってくる。


 ――右衛門様の寵童から鉄波党の一味に転身するとは、お前の人生、落ちるところまで落ちたな。


 それは十七歳の少年にはあまりにも酷な話だった。


 しかも寂円の言うことを加味すると、彼が生善寺で暮らしていたのは二、三年前らしい。それからずっと鉄波党にいるので、翠湖州で慰み者にされていたのはさらにその前、十四歳の頃という計算になる。


「おれも仲間に入れて! 何の話をしているの」


 夢之助は無邪気を装って寄ってきたが、顔色は悪く、笑顔がどことなく硬い。みんなそれに気づいているからか、彼からそれとなく目を逸らした。空気感を察して、夢之助が笑みを消す。


「おれを仲間はずれにするの」


 克自が口を開いた。


「お前も空気読めや。みんなお前に気い遣ってることぐらいわかるだろ」


 そう言われて、夢之助がうなだれた。可哀想になったが、ここで憐れみの言葉を掛けたらもっとみじめな気持ちになるはずだ。


「でも、いまさら」


 夢之助が声を震わせる。


「過去は消せない」


 それは十代の少年が背負うべきさだめか。


「もう少し休むか」


 夜隆はおそるおそる声を掛けた。


「もう少ししたら昼飯だ。お前、朝を食っていないだろう。腹が減ると頭の中のすべてが負の方向に引きずられる」


 夢之助は夜隆をにらんで「飯を食っただけで収まるかよ」と答えた。確かに食事の一回や二回で気がまぎれる過去ではないが、それでも多少はましになることもある。


「俺は寂円様が飯を出してくれてだいぶ救われたけどな」


 夜隆のその言葉に、夢之助は黙った。


「三郎」


 克自が言う。


「お前、夢之助を寝かしつけてきな。子守唄でも歌ってやれ」


 夢之助は一度「いらねえよ」と反発したが、克自にすごまれて委縮した。


「寝な? 俺の言うことを聞けないなら船からおろすぞ」


 仲間の一人が「そうだそうだ、休め」と言った。夢之助がしぶしぶ船室に戻っていった。夜隆はついていってもいいのか少し悩んだが、夜隆も鉄波党の一員である以上船長の克自が行けと言ったものに逆らうべきではない。静かに夢之助の後ろを追い掛けた。




 船長の部屋は綺麗に片づいていた。

 徳利とっくりやおちょこもなく、着替えは隅に置かれたとうひつに納められているようだ。

 意外なことに文机がある。ひょっとして、克自は読み書きをするのだろうか。

 ともすれば位の高い武士の居室のようだ。


 夢之助は布団の上に三角座りをしていた。この布団もちゃんと洗われているとおぼしき敷布に包まれている。


「お前さあ」


 夜隆の顔を見ることなく、夢之助が口を開いた。


「おれに姉妹がいないか訊いただろ」

「ああ、そんなこともあったな」

「昔、おれ、お前に会ったことある」


 普段は誰よりも元気な夢之助には似合わない、小さなかすれた声だった。


馬込まごめの屋敷で」


 その言葉を聞いた途端、天竜家での記憶がすべて一本につながったような気がした。


 馬込というのは、天竜家の家臣の一人で、確かに当主の名を右衛門という。

 天竜家で宴がある時は供応役を務めることが多く、冬隆は右衛門の人当たりの良さを買って夜隆を連れて何度か馬込の屋敷に足を運んだ。


 右衛門はよく宴に芸妓を呼んだ。


 かかあ天下の正室をもつ冬隆はあまり気乗りがしなかったようだが、髪を結い上げてかんざしを挿し、手まで白粉を塗って目元に赤い化粧を入れた美しい女たちが接待してくれるのを見ているのは、夜隆は嫌いではなかった。

 夜隆はまだ子供だったので、その後芸妓たちとどういう関係を結ぶのが常識なのか、知らなかったのだ。

 ただただ無邪気に、綺麗な人たちだ、としか思っていなかったのである。


 その中に確かに、ぬばたまの髪と瞳が印象的な、幼い少女がいた。彼女は赤い椿の染めが入った着物を着ていた。


「だからたぶん、お前の記憶にいるおれに似た女というのは、おれ本人なんだと思う」


 今思えば、顔がまるで同じではないか。なぜ気づかなかったのか不思議なくらいだ。おそらく十代も半ばを過ぎてあの頃に比べれば男らしくなり、骨格がまったく変わってしまったからだろう。夢之助は今も美しいが、立ち姿は女性のものではない。


「お前は狩野の殿様と天竜の殿様に挟まれてへらへらしてた。宴席に女を呼ぶということがどういう意味なのかも知らない、世間知らずなお坊ちゃまだ、と思って眺めてた」


 胸に刺さる言葉だった。


「狩野の殿様が、まだ子供だから口をつけるふりでいい、と言って、お前のさかずきにほんの少しだけ酒を注がせた。おれに」


 夢之助の黒い瞳が、光を失った状態で床を眺めている。


「おれはそれがうらやましくて。狩野家に生まれていたら、酒を注ぐことも、酒を飲まされることもなく、元服するまで清らかなままでいられるんだ、って。右衛門が飼い慣らした女たちの中から好きなのを選んで筆おろしをさせてもらってもよくて。その中には右衛門の趣味で女装させられた男もいたのに、そんなことは微塵も考えずにお酌をしてもらってる」


 今になって、自分の罪深さを知る。


「でも、おれ、お前になら抱かれてもよかった」


 その言葉が、苦しい。


「そうしたら今日は縛られたり鞭で打たれたりしないかもしれないって期待してた。毎晩毎晩今日は入れられるだけで済みますようにって祈ってた、右衛門以外の人間が買ってくれるのならそのほうがいいと思ってた」


 吐き出す声が、止まった。小休止を挟むつもりなのだろうか、それとも、夜隆の反応を窺っているのだろうか。


「……夢之助」


 夜隆は、ゆっくり、言葉を選んだ。


「教えてくれて、ありがとう」


 途端、彼の大きな黒真珠の瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ出した。手首で必死にぬぐっているが、止まらない。


「何かあったら、また聞かせてくれ」


 それ以外、夜隆は何も言わなかった。言えなかった。微妙な距離を保ったまま、ただ夢之助の肩を見つめていた。




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