第23話 あんなに激しく抱いてやったのにな
神経がどんどん鋭敏になっていく。ほんのわずかな異変も嗅ぎ取って目が覚めるようになっていく。
どんちゃん騒ぎのあと、鉄波党の海賊たちは荒浦州の都にある常宿に移動した。何事もなく、夜更けに就寝した。
ところがその明け方に、異変が起こった。
どこからか殺気が漂い始めた。誰かが誰かの命を狙って何かをしようとしている。
それまで床について静かに眠っていた夜隆だったが、不意に届いた虫の知らせのような何かに起こされた。
ゆっくり上半身を起こして、枕元の刀に手を伸ばした。
寝間姿のまま立ち上がり、身を這わせるようにしてふすまの向こう、廊下に耳をそばだてる。
宿屋の一階、玄関のあたりから、怒鳴り声が聞こえてきた。
「ここに鉄波党の一味がいるだろう! 出せ!」
夜隆は勢いよくふすまを開けた。
階段を駆けおりる。
刀を抜く。
揃いの着物を着た男たちが玄関を占拠していた。みんな人相は悪いが、身なりは総じて悪くないので、おそらくどこかに勤めている者たちなのだろう。刀も立派なものを握っている。今夜隆が使っている万松州の刀に比べればそれほど高級なものではなさそうだが、一目見て誰か位の高い人間が支給しているものだとわかった。
「海賊どもめ、成敗してくれる!」
男たちは左手で
丸腰の人間を斬らせるわけにはいかない。
夜隆は一足飛びで亭主と女将のそばに踏み込むと、刀をかざしていた男を一刀両断にした。
血を浴びた夫婦の悲鳴が上がった。
海賊たちが階段を駆けおりてきた。みんな服装こそ寝間着姿ではあったが、手には得物を携えた臨戦態勢だ。
誰よりも身の軽い夢之助が跳び込んできて、主人夫婦をこの場から連れ出そうとする。そんな三人を守るようにして、海賊たちが陣形を組んだ。
「夜はねんねしな。朝起きれなくなるぜ」
克自がいつもと変わらぬ調子で言う。
「まあ、とわに目覚めぬ眠りにつくっていうんなら止めはしないが」
男たちの間から、上等な羽織を身につけた男が出てきた。彼だけが
「貴様が鉄波党の首領の克自なる男か」
「そうだけど。なに、俺ってばそんなに有名人なの、もててもてて疲れちゃうね」
「貴様を音宮の城に連れてくるようにというお
海賊たちが、一瞬、ぴりりとした。
「音宮ねえ」
克自はまったく動揺する様子もなく自分の顎を撫でた。
「つまりお前たちの殿様は天竜鳴秋ってことか」
夜隆の頭の中に、天竜鳴秋の姿が浮かんだ。
翠湖州で一番の美男の誉れ高い男で、名は体を表すを体現している、風流を好む伊達男だ。
年は夜隆より七つ上のはずだから、今年で二十七歳だろう。
夜隆の父と鳴秋の父が親しかったので、夜隆は翠湖州に遊びに行くたびに鳴秋に会って遊んでもらった。
鳴秋が好むのはもっぱら歌や楽器で、やんちゃで落ち着きのない悪がきだった夜隆は少し退屈だったが、漠然と、大人の男というものはこういうものをたしなむべきなのだ、と思っていた記憶がある。
天竜鳴秋が海賊討伐に乗り出したのか。
そんなに熱心に政治をする印象のない男ではあったが、彼も家督を継いで何か思うところがあるのかもしれない。
天竜家の船は上乗りを乗せていることが多いので積極的に襲うことはないものの、そもそも勝手に通行料を取ること自体がご法度である。悪いのは金をせびっているこちらだ。
そう思っていた。
「積み荷を取られて怒り心頭というところかね」
「当たり前だろう、貴様らのために払った損害はどれくらいだと思っている」
次に克自が口にした言葉を聞いて、夜隆は血の気が引いた。
「払ってはいないだろう、沿岸で適当にさらってきた人間を売りさばいてるんだからよ」
遠い、遠い記憶が、よみがえってきた。
最初に奴隷船に乗せられた時、あの場にいた船乗りは、あの船を天竜家の船だと言っていなかったか。
その事実を認めたくなくて、夜隆はついつい克自に問い掛けてしまった。
「天竜鳴秋が奴隷を売りさばいている?」
声が震える。
「そんなわけがない、あの人は大君の盟友の息子だぞ。鳴秋の秋の字だってあの代の名づけが春夏秋冬を題材にしていたことからつけられたんだ。政府が奴隷売買を禁じていることぐらいわかっているはずだ。政府のご禁制に背くことをするわけがない」
とっさにそう言ってしまった夜隆に、敵も味方も、全員が注目した。まずい、狩野家の人間しか知らないことを口走ったかもしれない。けれど自分の記憶に間違いはないはずだ。
そう信じたい。
「あのな、三郎」
克自が穏やかな声で言う。
「お前は知らなかったかもしれないけど、人間、裏切る時は裏切るの」
天竜家の船が、人間を奴隷として輸出しようとしていた。
夜隆も、同じように船の底に閉じ込められた。
それが、今夜隆が受け入れるべき事実なのか。
夜隆が一瞬ためらった隙に、天竜家の男たちが襲いかかってきた。
海賊たちは次々と返り討ちにしていった。
夜隆もぼんやりしているわけにはいかない。
無我夢中で刀を振り回した。普段の自分が見たら、なっていないと思っただろう。脇も胴もがら空きだ。よくこれで斬られないものだ。男たちの練度が低いのか、夜隆の腕が上がっているのか。何度か危ういところを仲間にかばってもらった。
「どうした三郎」
時折会話をする比較的親しい海賊仲間が言う。
「お前らしくない! 斬って斬って斬りまくれよ!」
自分らしくない、とはどういうことだろう。
三郎らしさとは敵を斬って斬って斬りまくることにあるのか。
では、狩野夜隆は、どうだろう。天竜鳴秋と一緒に茶の湯を体験していた頃の自分だったら、今頃どうなっていただろう。
宿屋の奉公人たちをみんな安全なところに避難させることに成功したらしい。夢之助が戻ってきて刀を抜いたのが見えた。残っているのはもう三人だけだったが、油断はしない。いつでも全力、これが鉄波党の掟だ。
ところが、そこで予想外のことが起きた。
「夢之助……!」
先ほどの、上等な羽織を着た男が、下卑た笑みを浮かべた。
「なんだ、お前、本当に生きていたとは」
夢之助がぴたりと動きを止める。
「あれ……、おれ、あんたと知り合いかな?」
「忘れたのか」
たたきに落ちて燃える提灯だったものの炎で、目がぎらぎらと輝く。
「あんなに激しく抱いてやったのにな」
夢之助の手から刀が落ちて、床に突き刺さった。
「
普段はあんなに勇敢な夢之助が、強張った顔で一歩、また、一歩と下がっていった。手が震えている。呼吸が浅い。あのままでは過呼吸を起こす。
厄介なことになった。
とにかく、この男を黙らさねばならない。
夜隆は羽織の男を後ろから羽交い絞めにした。腕を首に回す。首を絞められた男がもがき苦しむが、そう簡単には離してやらない。足をばたつかせ、口から泡を吹き、やがて失禁しながら意識を落とすまで、きっちり締め上げてやった。
他の人間もすでに片づいていた。ある者は大量出血で失神し、ある者は絶命して、たたきや床に転がっていた。
静かになっていた。
夜のとばりの中、犬の鳴き声だけが響いた。
刀を鞘に納めた。
「……夢之助」
名を呼ぶと、肩が跳ねるように震えた。大きく開いた目からは眼球がこぼれ落ちそうだ。
羽織の男を地面に放り投げ、ゆっくり、ゆっくり歩み寄った。夢之助はその場に座り込んで、尻でじりじり後退していた。その状況で、二本の足で歩いている夜隆から逃げられるはずもない。
「よくわからないけど」
近くにしゃがみ、苦笑した。
「お前もお前なりに、つらいことがあったんだな。お前にはお前の、地獄があったんだな」
夢之助がその場に突っ伏した。
周りの人間は誰も何も言わず、夢之助がふたたび動き出すまで、つまり朝まで静かに静かに待っていた。
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