第22話 鉄波党の頭領、克自

 街の盛り場のとある酒亭しゅていで、鉄波党の面々は今日もどんちゃん騒ぎをしている。

 今日の戦利品は葦津国産の酒なので、酒亭で気前よくばらまいて、なおかつ自分たちも飲んでいるのだ。


 今回密売されていた酒は一流の高級品で、口当たりがよく、少し甘みを感じるのが特徴的だった。そういえば、寂円が去年の米は質が良かったと言っていた。


 夜隆は、酔っ払って楽しそうにしている仲間たちとは少し距離を置いていた。


 昼間戦っている間はすっかり鉄波党の一味になったつもりでいるし、なんなら夜隆の後にも次々と新しい乗組員たちが増えていって夜隆もすでに新入りではなくなっている。

 けれど、陸に上がって飲み食いしている時には、ここにいるのは狩野夜隆ではなく三郎という夜隆にとってはぽっと出の謎の男だ、という噛み合わなさを感じていた。


 楽しい宴会には両親や家臣たちの記憶が刷り込まれているからかもしれない。


 仲間たちが、薄皮一枚を隔てたところで飲んでいる。


 ある者は琵琶を掻き鳴らし、ある者は歌を歌っている。ある者は夢中で料理を食い散らかし、ある者は踊り狂っている。


 一番の上座では克自が青磁器のさかずきで酒を飲んでいる。

 そのさかずきに酒を注いでお酌をしているのは夢之助だ。

 夢之助と克自の距離が近い。夢之助も楽しそうに、無邪気に笑っている。


 夢之助は克自の愛人なのだ、という噂が流れている。


 三十五歳の克自が十七歳の夢之助を組み敷いているところを想像すると、ほのかな嫌悪感が込み上げてくる。


 それで同時に荒浦州のみならず各州に現地妻がいるという話だ。


 それ以外では完璧な船長で、夜隆は彼の航海術と人心掌握術に一目置いていたが、下半身だけはどうしても理解しがたい。

 なんとなく彼に信頼を寄せ切れないのはそういうところに原因がある。


 宴会場を抜け出して、厠に向かう。ついでに夜風に当たって、酒で火照った体を冷ましたかった。


 春の夜空では月がかすんでいる。寒暖差で霧が発生するせいでもあるし、春雨が近づいているせいでもある。


 そういう知識を夜隆に教えてくれたのは克自だった。彼は船を出すために必要なことは何でも知っている。


 欄干に肘をついてぼんやりとした月を眺めていると、近づいてくる足音が聞こえてきた。


 音の主を確認するために顔を向けたところ、夢之助だった。


「お前はもう飲み食いしなくていいのか?」


 夜隆は身を起こしながら「ああ」と答えた。


「お前こそ」

「ガキは飲むなって克自に言われてる」


 そういう話を聞くと、克自も一流の大人の男性であるように思えて、複雑な心境になる。それでいて愛人は愛人で囲うとは、変な趣味だ。


 爽やかな風が抜けた。夢之助の長い黒髪と羽織っている赤い小袖の袖が揺れた。


 それを見ていて突然、夜隆は脳内で何かをつかんだ。


 夢之助の小袖に、椿の染めがある。


 もう何ヵ月も夢之助と一緒にいるのに、朧月夜の下でいきなりそれが頭の中に入ってきた。


 自分はこれをどこかで見たことがある気がする。


 春の夜、遠くの宴会、赤い小袖、長い黒髪――自分はどこかでこれと同じ状況を経験している。


 どこかで、これを着た少女に会ったことがあるような気がする。


「お前」


 夜隆は夢之助にまっすぐ向き合った。


「女きょうだいがいないか? 年の近い……、姉とか?」


 夢之助はきょとんとした顔で「なんで?」と問い返した。


「おれ、男ばっかり六人兄弟で一番上の長男だけど」

「えっ、長男?」

「え、なに? なんか変? おれほどしっかり者で責任感があって一家の跡取りにふさわしいいかにも長男という性格の持ち主いなくない?」

「ええ? え……まあ、そういう家もあるよな」

「どういう意味だよ」


 それにしても、夢之助には五人もの弟がいるのか。


 そう言えば、夢之助の家族の話を聞いたのはこれが初めてだ。


 聞いておいてなんだが、まさか素直に答えるとは、後からじわじわ不思議な感じが込み上げてきた。


 もう少し深く知りたい気もした。

 浮世離れした夢之助の人間的な側面に触れられるのが嬉しい。

 夜隆にとって夢之助は妖怪のように不気味な存在だったのだ。


 どういう言葉で踏み込もうか悩んで一拍間を置いた夜隆を、夢之助が「ははあ」と笑った。


「お前も男ばっかりの三兄弟だったな。自分の兄貴とおれを比べたの?」


 その言葉を聞いて、胸の奥がひんやりとした。


 こいつは夜隆がどこの誰か知っている。


 夢之助は、狩野兄弟が雲隆、月隆、夜隆の三人であることを知っていて、その末っ子の夜隆が今目の前にいる三郎と名乗った男と同一人物であることを把握している。


 どうやら無意識のうちに顔をしかめてしまっていたようだ。

 夢之助が一歩詰めながら「なんだよ、その顔」と言ってきた。おもしろくなさそうな声音だ。


「自分の身分を忘れたわけじゃないよな?」


 夢之助の声が、視線が、全身にまとわりつく。


「おれは忘れさせないぞ、狩野夜隆。お前がやるべきことをやらずにここで自分の人生を消費しているところ、おれは見てるからな」


 夜隆は指先がわずかに震えたのを感じた。

 けれど、相手は十七歳の少年だ。五人の弟がいて、海賊船の頭領の愛人をしている。そういう情報が集まってくると、得体が知れなかった夢之助の輪郭が人間の形を取り始める。


 負けない。


「お前が言うところの俺がやるべきことというのは何だ?」


 夜隆も、一歩分夢之助に詰め寄った。二人の距離が縮まる。


「ひょっとして、お前、狩野夜隆に何か期待していることがあるのか?」


 そう投げかけた途端、夢之助の表情が変わった。目を大きく見開いて、唇をうっすら開けた。


「お前、狩野夜隆に何をさせたいんだ。言ってみろ。聞いてやるぞ」


 その表情が十七歳の少年のものに見えてきて、自分のほうが年上の男だと認識して、強く出られた。それはそれで男はちっぽけな存在だと思うが、今は虚勢を張ったほうが勝ちだ。


「お前の理想を押しつけるな。俺は俺なりに考えてやっている。お前の思いどおりになると思うな」

「……てめえ……」

「俺も腹が決まった。いいぞ、言いたければ、言いふらして。それが俺の弱点で脅しの材料に使えると思っているなら、ここで終わりだ」


 夢之助が夜隆の胸倉をつかんだ。

 強い力で壁に押しつけられる。

 けれど夜隆は恐れなかった。

 夜隆は夜隆で海賊生活でさらに鍛え上げられている。年下で背が低い夢之助に腕力で負けるはずがない。

 まして夢之助は夜隆に怒りを感じているようだった。感情的になって周りが見えていない。感情的になることは必ずしも悪いことではないが、夜隆は今、冷静である自分のほうが上だということを確信していた。


「やりたかったらやれ。だが、やったらお前の負けだぞ、夢之助」


 夢之助が拳を振り上げた。


 その手首を、後ろからつかんだ者があった。


「どれ、どれ」


 克自だった。


 彼はいつもと変わらぬひょうひょうとした顔で二人を眺めていた。


 夢之助は克自の手から逃れようとしたが、克自の圧倒的な力の前ではどうにもならない。


「仲間割れはよくねえな。ましてや、夢、お前がそんなに取り乱すなんて、俺、妬けちゃうね。よっぽど三郎がお好きと見たぜえ」


 夢之助と夜隆の「はあ?」という声が重なった。克自はにやにやと笑っている。


「おじさんが話を聞こうか。信頼関係がないといざという時に鮫に食わされるからな」


 克自は力ずくで夢之助を夜隆から引き剥がした。

 夜隆は自分の襟元を直した。

 夢之助はぶすっとした顔をしている。


 大きく息を吸い、吐いた。


「冗談でもそういうことは言うな。夢之助はお前のものなんだろうが」


 すっとんきょうな声で夢之助が「何それ」と言う。


「べつに隠さなくてもいい。みんな知っているんだろう?」

「何を?」

「その……、お前と克自がそういう関係であることを」


 夢之助が硬直した。克自が声を上げて笑った。


「なるほど、三郎もそれを信じてるからそういうことに」

「つまり……、なに? おれと克自がデキてるという設定になってるということ?」

「え、違うのか?」


 次の瞬間だった。


 すさまじい勢いで夢之助の拳が夜隆の腹に叩き込まれた。


 あまりの速さに対応できなかった。しかも想像以上に強い。その場でうずくまってしまった。


「克自はそんなやつじゃない!」


 夢之助が怒鳴る。


「克自をそこらの汚い大人と一緒にするな! 克自はおれの命の恩人でそういうことを求めてきたあのクソどもとはぜんぜん違う人間なんだから!」


 そして、「頭に来た」と言って自分の目元を押さえた。

 夜隆はびっくりした。

 夢之助が泣くほど激昂するところを見るのは初めてだ。そこまで不快なことだとは思っていなかった。


 夢之助が走り去った。克自と夜隆が残された。


「……何か、俺、思い違いをしていた?」

「まあ、そうだな。そういうこと、夢の前であんまり言わないでおいてやってくれや。あいつも自分が誤解されるような言動や身なりをしてるってわかってて変えられないんだからよ。可哀想じゃないの」


 克自が夜隆のそばにしゃがみ込む。


「残念ながら肉体関係はない。俺はおっぱいがばいんばいんのお姉ちゃんが好きだから、いくら美少年と言っても男に手をつける気にはならんよ。可愛いとは思っているが、好いた惚れたじゃないね。父親と息子みたいな関係なんじゃないの」


 それを聞いて安心している自分がいる。


「船にいると暴走しちまうやつがいるからね。ケツを狙われないようにするためには船の中で一番強い俺という長い物に巻かれていたほうがあいつにとっては都合がいいんだね。だから俺も気づいていてあえて訂正しない時はあるね、それはそれで可哀想だったかね」

「そうだったのか……」


 これで克自に心置きなく全幅の信頼を寄せられる。よかった。


「顔が可愛いからなあ。女の代わりにしようと思うやつはいっぱいいるのよ。あいつはあいつなりにもがき苦しんでる」


 そして、「まあみんないろいろあるのよ」と言って立ち上がった。


「お前もな、三郎。俺はべつにお前がどこの何者なのか知ろうとは思わんが、うまく折り合いつけてやってくれや。過去は過去、今は今、未来は未来。なんなら前世は前世だし来世は来世で現世に持ち込む必要はねえから、一瞬一瞬を大切に生きな」


 のしのしと重そうな足取りで、夢之助が去っていったほうに歩いていく。


「それでも一歩先くらいは見ておいたほうがいいかもしれねえな。そう、一寸くらい先だ。そこは闇かもしれないし光かもしれない。いずれにせよ転ばないように杖はついておいたほうがいい。おぼえとけ」


 夜隆も立ち上がって、はあ、と息を吐いた。



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