第6章 鉄波党

第21話 神経が研ぎ澄まされていく

「出たぞ、テッパだ!」


 夢之助が我先にと斬り込んでいくのを追い掛ける。


 ここらでは夢之助の赤い小袖と長い黒髪は有名で、彼が登場するだけで上乗りがいない船の乗組員たちは甲板を逃げ惑った。


 こんなふうに命を危険にさらすくらいなら、どこかの海賊船に通行料を払えばいい。

 荒浦州の海賊の中で一番の有名どころといえば鉄波党だが、海賊船は他にも存在する。

 他の船の上乗りが乗っていたら、鉄波党の面々はその船を攻撃しない。


 しかし、鉄波党はもちろん他の海賊たちも奴隷貿易は嫌っているので、奴隷船だけは上乗りなしをとがめられて死ぬか荷を改められて死ぬかの二択だった。


 夢之助に手柄をすべて奪われたらたまらない。


 夜隆も奴隷船に飛び乗り、近くにいた船乗りに刃を向けた。

 船乗りたちも応戦を試みるが、夜隆ほどの剣豪にはなかなかお目に掛かれない。一足飛びで喉を突いて終わりだ。


 逃げ出す船乗りの背中を袈裟懸けに斬る。甲板が血に濡れる。踏み締め、駆け出す。


 海賊仲間が船室に入っていった。


 すぐに「いたぞ、奴隷だ」と叫ぶ。


 積み荷が人間であることを知られた船乗りたちは、いちかばちかの賭けに出て海に飛び込んでいった。

 だがそこは潮の流れが速い。外海なので、助けてくれる船もない。


 夜隆は船縁に足を掛けて様子を見たが、ややあって、仲間たちが積み荷にされた人間を連れ出すのを手伝うために船室へ向かっていった。



 夜隆が鉄波党の一味に入ってから、はや三ヵ月が過ぎた。


 日が伸び、気温が上がった。世界は春になり、夜隆も二十歳になろうとしていた。


 冬の海は極寒だったが、夜隆は耐え抜いた。

 海水も風も冷たい中で活動するのは心底大変だった。

 けれど、ここで踏ん張る意義はあると信じて戦い続けた。


 日が経つにつれて神経が研ぎ澄まされ、精神が練り上げられていくのを感じた。


 いつしか風の動きで天候の変化がわかるようになっていた。

 自分は海の男になったのだと思うと、多少の喜びを感じた。

 けれど、当初の目的を忘れることはない。

 どんな喜びも自分が奴隷にされた時の苦しみや誰かが奴隷になった時の怒りの前では長続きしなかった。


 寝て起きれば、すべてが一から始まる。

 風を読み、波に乗り、船籍が不確かな船に近づき、上乗りの有無を確かめる。


 最近では、夜隆は鉄波党の先頭に立つようになっていた。


 怪しい船に近づく時、夜隆は率先して突入するようにしていた。


 夢之助がいれば彼がその務めを買って出るが、彼は上乗り筆頭なので、当然本来の仕事である上乗りとして別の船に乗り、不在にすることが多い。

 そういう時、夢之助の上乗り以外の仕事が夜隆に回ってくるのがお決まりになってきた。


 自分の居場所は、ここにある。


 だが、忘れてはいけない。


 ここは安息の地ではない。誇り高き鉄波党の一員として、命が果てるその瞬間まで戦い続けなければならない。


 船室から連れ出された女性を、小舟に乗り換えさせる。この小舟は、小早船こばやぶねと言うらしい。そういう用語のひとつひとつを、夜隆は学習していった。


「三郎!」


 海賊仲間が呼ぶので、そちらを向いた。直後、鞘に納まった刀が投げつけられた。両手で受け止める。


「この船の頭目とうもくが持っていたやつだ! どうだ、使えるか?」


 鉄波党の仲間たちは、夜隆は葦津刀が好きなのだと思っている。

 当たらずとも遠からずだ。長年武士の子として沓間親子に鍛えられてきた夜隆にとっては、刀より手になじむ武器はない。

 そんな夜隆がより質のいい刀を手に入れようと戦利品を漁っているのを見た仲間たちは、良さそうな刀を見つけるたびに夜隆に融通してくれるようになった。


 刀を抜いてみる。

 白銀の刃が鈍く輝いている。


 だいたいどこの刀鍛冶が打ったものなのか、目の肥えた夜隆にはわかる。

 この刃文はもんは万松州の城下町にいる名匠のもので、獅子浜城に詰める上級武士たちが持っていたのと同じものだ。

 とうとうここまで良質な刀に出会えたか、と思って嘆息する。


 ふと、裂闇丸が恋しくなった。


 どんな名匠が打った刀でも、あの愛刀をしのぐ刀はない。

 一度神に捧げられた経歴を持つ御神刀ごしんとうであり、父の形見でもある。夜隆のために作られた、夜隆の刀だ。


 しかし、手に呪印を彫られた時から一度も握れていない。あの刀は穴とともに消えてしまった。


 忘れなければならない。

 狩野夜隆は死んだ。

 狩野夜隆と直接結びつく裂闇丸という刀はこの世から失われた。


 もともと持っていた刀は手入れをして売ると決めた。

 これも襲った船から奪ったものなので、そこまでの執着はない。

 今貰った刀を腰に差し、これでよしとした。


 自分は変わった。


 風が吹いた。

 夜隆の蓬髪が風になびいた。


 夜隆は髪を伸ばさなかった。

 これは自分への戒めだ。

 自分はもう人の道からはずれた存在なのだと自分に言い聞かせるために、定期的に切っていた。


「撤収だ、撤収」


 克自の声が聞こえてきた。海賊たちが「おう」「了解」などと口々に言いながら奴隷船からおりていった。


 船の帆を見上げる。


 普通の船は家紋や国章を染め抜いた帆を掲げる。あるいはそのような旗を遠目からでも見やすいところに差すものである。

 どこの船かわかれば港に入る時にすんなり通してもらえるし、場合によっては海賊も上乗りがいなくても身元が明らかであれば見逃すことがあった。

 たとえば大君の御紋が入っているような船には、どこの海賊も近づかないものだ。


 しかし、奴隷船は総じて船籍を明らかにしない。

 おそらく、船が捕らえられた時に船元を明らかにされないようにするためだろう。いやらしい連中だ。


 夜隆が考え込んでいるうちに、鉄波党の船は動き出していた。


 目指すは荒浦州の内側だ。いつもの浜に向かっている。


 そろそろ日も暮れ始めた。奴隷にされかけた人々を浜におろして、いつもの店でいつもの酒盛りだ。夜は商船が航行しないので、海賊稼業もお休みである。


「今日は何を食べようかな」


 夢之助の明るい声が聞こえる。


 本船に乗っている時だけは、彼も普通の少年のような言動をする。少々お調子者のがあり、年上には比較的甘えたがる傾向があった。


 生善寺にいた時は生意気な子供だと思っていたが、こうして見ていると彼の態度は同じ年齢だった頃の夜隆自身と重なった。


 あの頃は何も考えずに兄たちや両親や家臣たちに甘えていたものだ。


 なんと愚かだったのだろう。


 夢之助のようになんらかの仕事をしていればそこまで自己嫌悪もなかったのだろうが、今の夜隆は過去の自分を憎悪するほどいとっている。命懸けで働く夢之助は偉い。


 だが、時々ふと、夢之助は夜隆のことをどう思っているのだろう、ということを考えてしまい、足元が凍りつくような不安に襲われることもある。


 鉄波党に参加して以来死への恐怖は薄れていったが、それでも、夢之助はなぜか夜隆が狩野夜隆であることを知っていて、これもまたどうしてか鉄波党の仲間たちに明かしていない、というのが不気味なのだ。


 夢之助は何を考えているのだろう。


 夜隆に何かを求めているのだろうか。


 そのうちなんらかの駆け引きが始まるかもしれないと身構えていたのに、今のところは何もない。

 ただともに戦う日々を過ごしているのが、夜隆にとってはなんとなく気持ちが悪いのである。


 夢之助の綺麗な横顔を見るたびに、いつか決着をつけなければならないと思う。


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