第20話 船を出している側につく
りんたちはしばらく生善寺で預かることになった。
寂円と夜隆がりんの家に行って話を聞いたところ、りんの両親は本気でりんを売りに出していた。
りんの家は土地を持たない小作人で地主に畑を借りており、年貢とは別に今年の収穫を収めなければならないという。
しかも、りんは八人兄弟の七番目で、上六人のうち姉たちはすでに娼家に売られており、兄たちは薬を買えずに病死していた。
貧しい暮らしの中、夫婦はりんも口減らしのために売ることを決意した。最後に残った男の子にすべてを賭ける、とのことだ。
村には似たような経緯で売りに出された子供がりん以外にも四人いた。
ついでとばかりにさらわれた子供は家に帰すことができたが、一度売られた子供がふたたび家に帰るのは難しい。
その五人を、寂円は一時的に生善寺に住まわせることにした。最終的には里子に出したいようだったが、行き先が正式に決定するまでは寺で世話をする。
寺も決して裕福ではない。
まして村は売りに出された子供たちを忌まわしく、いとわしく思っている。
街に住む篤志家がまとまった金を出してくれることになったものの、その支援はいつまでも続くわけではなさそうである。
結果として、夜隆が寺から押し出されることになった。
「申し訳ございません。拙僧が不甲斐ないばかりに」
寂円が涙ながらに言った。
「拙僧一人が食を断っても限界があるのです。子供たちはまだ小さい。飢えに苦しむのを見るのは忍びない」
「わかっている。優先すべきなのはより幼い子供だ。俺はもう大人だし、何もしていない居候だった」
「いつかは自分の道を見つけて巣立ってほしいとは思っておりましたが、このような形になってしまうとは」
「そう、遅かれ早かれいつかは来る日だった。俺はそういうさだめだったんだ」
寂円に弟子入りして覚者を目指す道もあると考えていたことは言わなかった。
今になって、それは現状維持を望む逃げから出た発想だと思えてきたからだ。
自分はどこかで、いつまでも寂円に甘えて暮らしたいと考えていた。それは修行の道に必要な覚悟に反する。そのように生半可な気持ちでは、なるべきものもならない。
夜隆には、もっと他にやるべきことがある。
ある日の早朝、夜隆は寺を出ていった。
子供たちは三郎との別れを惜しんで泣いてくれた。たいして世話をしてあげられなかった子供たちだが、それでも泣いてくれるのが嬉しく、ありがたかった。
生きていてもいいのだと、心から思えた。
だからこそ、ここで甘えていてはいけない。
夜隆はその足で近くの街に向かった。
寺から一里ほどの距離にあり、歩いても半刻程度である。夜には盛り場の明かりが見えるほどだ。寺での生活も三ヵ月におよぶと、ここのいかがわしい宿屋の客が昼近くまで寝過ごしていることもわかってきた。
いくら温暖な葦津といえども、この季節の朝はさすがに息が白くなるほど冷える。今が一年で一番寒い。
それでも今、新しいことを始めるべきだと確信していた。
目的の宿屋に入ると、亭主が出てきて、「まだ前のお客様がお休みですよ」と言ってきた。夜隆は「知っている」と答えた。
「ここに鉄波党の連中が寝泊まりしているだろう。あいつらに用事がある」
「お客様の情報を漏らすわけにはいきませんよ」
「このへんの人間はみんなあいつらがここを定宿にしていることを知っている。あいつらが自分から話して歩いているんだからな」
そして、彼らはいつもどこでも言っていた。
「海での暮らしに惹かれたら、いつでも来い、と。いつでも船長の克自がみずから面接してくれると、ほかならぬ克自が言っていた」
亭主はしばらく夜隆を見つめていたが、ややあって、「取り次ぎましょう」と言った。
「覚悟の決まった目をしている。船に乗られるんですね」
「ああ」
微塵も迷うことなく、即答した。
「俺も海で戦ってやる」
亭主がにんまりと笑った。
「いい顔ですな。克自さんも喜ぶでしょう」
そう言うと、彼は階段を上がっていった。
待っていた時間はそう長くはなかった。
痺れを切らす前に亭主に連れられた克自が階段をおりてきた。
ぼさぼさの赤い髪は獅子のようで、筋肉の上にうっすら脂肪をまとった体が鋼の鎧に見えた。楽しそうに目を細めて、夜隆を品定めするように眺めている。
そんな克自の後に続いて、夢之助もおりてきた。
長い黒髪をおろしている様子は妖艶ですらあったが、着物がはだけている胸は平らで、ちらちらと覗く脚は筋肉で引き締まっている。
他にももう二人ほど克自の側近がついてきたが、この二人も常人ならざる気配をまとっていた。
克自と向き合った。夜隆も背が高いほうのはずだが、克自のほうがさらに高く、少々見下ろされた。
「よお、三郎」
肩を抱かれ、「こっちに来なあ」と言われて玄関広間に導かれる。
そこに敷かれた畳の上に腰をおろす。克自はあぐらをかき、夜隆は正座をした。
夢之助もそんな克自に寄り添うように座った。
「いいツラをしてるじゃねえか」
「腹が決まった」
「話を聞こう」
「お前の船に乗せてくれないか」
何の前置きもなく、夜隆は単刀直入に言った。
「夢之助から聞いた。お前らは積極的に外国に出ていこうとする船を襲っているとな。そして葦津から連れ出されそうになった人々を解放している、と」
克自は自分の膝に頬杖をついた。
「俺も葦津の民が奴隷として売られるのに我慢がならない。一緒に戦う」
「ふうん」
宿屋の亭主が煙管を持ってきて、克自に差し出す。克自はそれを受け取って、深く煙を吸った。大きく吐く。
「夢」
それまで人形のように固まっていた夢之助が、克自の顔を見た。
「お前はどう思う?」
「なんでおれに聞くんだよ」
「うちで一番のべっぴんさんが否と言えば否なんだわ。お前のお気に召さない男を船に乗せたらばちが当たる」
「嬉しいことを言ってくれるじゃない」
「というのは冗談で、お前が一番生善寺に入り浸っていたからな。三郎とも多少は会話をしたんだろう?」
「参考になる?」
克自がまた、煙を吸い、吐いた。
「上乗りはすべてを見通す」
夜隆は背中がびりびりと緊張していくのを感じた。
夢之助のぬばたまの瞳と目が合う。何を考えているのかわからない。
彼は、夜隆が狩野夜隆であることを知っている。
そしてその上で嫌悪している。
なぜかはいまだにわからないが、鉄波党は反政府組織だから、当たり前といわれればそんなような気もする。
彼は何度か大君である月隆への不満をこぼしていた。夜隆のことも体制派だと思っているのかもしれない。
だが、夜隆は政府に歯向かってでも、海峡を超える船を止めることに意義を見出していた。
「俺は、政府が船を出さないのなら、船を出している人間の側につく」
断言した夜隆を、克自と夢之助以外の海賊たちが嘲笑った。けれど克自と夢之助の目が笑っていなかったので、夜隆は決意を翻さなかった。
「……お前さ」
夢之助が夜隆に対して口を開く。
「まだなんにもわかってないだろ」
その言葉には、寺にいた時に投げつけられていた敵意と同じ感情がにじんでいる。
しかし、今日の夜隆は言い返した。
「お前も、俺が何も考えていないと思っているだろう」
夢之助が溜息をついた。
「浅いな」
「なんだと」
「まあ一般人が見ているところで喧嘩するな」
克自が右手に煙管を持ったまま左腕で夢之助の肩を抱いた。
「いいだろう。俺たちの上乗り様はご機嫌斜めだが、頭領の俺が気に入ったんで、この話は成立だ」
「なんだよ、おれが気に入らない男は乗せないんじゃなかったの」
「前言撤回。海賊の俺に一貫性を求めるのかい」
克自の瞳も、夜隆を見つめていた。
「物は試しだ。一回乗ってみて合わなかったらおりればいい」
周りの海賊たちも、笑うのをやめて真顔になる。
「俺はどうでもいいんだ。お前がどこの何者だろうが。どういう経緯で奴隷船に乗せられたのか。その手の入れ墨は何なのか。俺が見てるのは現在だけだから、過去のことにはぐだぐだ言わない」
夜隆はいまさらはっとして自分の両手を見た。
入れ墨は当然今もくっきりと刻まれたままだ。
克自はこれに気づいていたようだったが、不問にしてくれるらしい。
「他の船員たちに好かれるようにしなあ。俺がお前の望むのはそれだけさ」
こうして、克自は夜隆を海賊船に乗せた。
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