第18話 死ぬまで、死を見つめ続ける

 先日夢之助が持ってきた着物の数々は、大人たちにも好評だったらしい。


 もちろん、売り物として、である。


 荒浦州の質屋はもともと海賊たちの持ち込む品々をさばいているので、何も言わずに引き取って闇市に流していると聞いた。


 褒められたものではないが、みんな、生きるためには仕方がない、と割り切っているのだそうだ。


 夜隆はいろいろ考えてしまうけれど、だからといって何かを言える立場にはない。


 近くの村の子供であるりんという名の少女が、生善寺に飴を持って現れた。親が着物を売って得た金のうちの一部で飴を買ってきたらしい。それを、夜隆にも分けてくれるとのことだ。


 りんと、僧房の縁側に並んで座る。


 りんは、草鞋を履いた小さな足をぶらぶらさせて、飴を舐めている。


 彼女は今五歳らしい。夜隆には世間一般の五歳がどれくらい発達しているものなのかわからないが、りんはとりわけ賢い子であるような気がする。


「ねえ、三郎」


 りんが言う。


「三郎はゆめちゃんとなかがわるいの? けんかしたの?」


 夜隆の腕にしなだれかかり、手首に細い腕を回す。幼児の高い体温がまとわりついてくる。


 子供になつかれるのは、悪い気はしない。自分が善良な人間に見えているような気がしてくるからだ。まだ生きていることを許されている気持ちになる。


「そういうわけじゃない」

「でも、ゆめちゃん、三郎にいじわる言うね? なんでだろ」

「そう言われれば、どうしてだろうな」

「ゆめちゃんはほんとうはとてもやさしいのよ。きらいにならないであげて」


 それはうすうすわかっている。


 夢之助は子供たちに愛されている。彼こそ、生きるに値する人間だ。

 だからこそ海賊などという稼業はやめさせたいが、寂円の話にも聞く耳を持たないのに夜隆との会話を持つはずもない。

 だいたい、夜隆は夢之助の人生に口を出すほど偉くもなんともない。


「三郎とゆめちゃんがなかよくしてくれたら、りんも安心なんだけどなあ。りんはね、ゆめちゃんがたくさんの人にだいじにされてるのを見るととってもうれしいの」

「おりんは優しいんだなあ」

「ちがうのよ、これはね、恋なの。りんはしょうらいゆめちゃんのおよめさんになるから、ゆめちゃんの困りごとはぜーんぶ見てるのよ」


 夜隆はついつい笑ってしまった。


 村の女の子たちはだいたい夢之助が好きだ。顔が良くて自分に優しい男が好きなのである。男の子たちの間でも、上乗りという難しい仕事をこなす夢之助は一目置かれているらしい。夢之助を悪く言う人間は今のところ見たことがない。


「いいなあ、夢之助ばっかり。俺もそんなことを言われてみたいものだな」


 夜隆がそう言うと、りんが「はたらかないやつにおよめさんは来ないよ」と言う。胸に刺さる言葉である。


 そう言えば、寝たきりになった雲隆に、結婚して身を固めろ、と言われたことがあった。

 あのすぐ後に雲隆が殺されてしまったのでとてもそんなことを言っている場合ではなくなったが、もしあのまま獅子浜城で暮らしていたら、そんな未来もあったのだろうか。それとも、月隆はそれもおもしろくないだろうか。


 月隆はどうしているだろう。


 大君になったからにはしかるべきところから正室を迎えるべきなのだろうが、どういう話になっているのか。

 鉄波党の連中は何か聞いていないか。


 衣食住が整ってくると、余計なことを考えるゆとりが出てきてしまう。

 もう獅子浜城には帰る見込みもないのに、月隆のことが気になってしまう。

 今は目の前の生活に専念すべきだ。

 それこそりんの言うとおり、近隣の集落で仕事を得る方法を考えたほうがいい。


 土地を借りて農業をするか、手に職をつけられるように誰かに弟子入りするか。


 幸いなこと体力はだいぶ取り戻してきた。運動能力にだけは自信がある。


 床を踏む足音が聞こえてきた。寂円が帰ってきたようだ。少し遠くの村の法要に行っていたのだが、今日はその一件だけの予定だったので早く戻ってきたのだろう。


「おや、おりん、三郎と親しくなったのですね」


 案の定、寂円がりんの顔を覗き込むような形で身をかがめ、話し掛けてきた。夜隆とりんが声を揃えて「おかえりなさい」と言った。


「ちょっとうわきしてるの。ゆめちゃんがりんのありがたみをわかってないから」

「おやおや、そんなことをしているとばちが当たりますよ。一人の人間に執着してはいけません」


 大人にするように説教をする寂円がおかしくて、夜隆はまたちょっと笑った。


 りんがうつむく。


「ううん、ほんとうはね、家にいてもつまんないの。りん、あめはうれしいけど、あめがなくてもいいから、お父ちゃんとお母ちゃんとおしゃべりしたかったなあ。でも、だめなの」


 五歳のりんはずっとしゃべっているから、とうとう親が音を上げたのかと思った。しかし少し様子を見て黙って聞いていると、どうもそうではないようである。


「ずっと太助ばっかり……。お父ちゃんもお母ちゃんも、女の子のりんより男の子の太助のほうがかわいいの」


 何と言ったらいいのか、わからなかった。


 太助はりんの弟で、まだ一歳にもならない赤子だから、手がかかるに決まっている。ましてりんは自分の意思をはっきり話す性格だ。親からしたら安心して放っておけるのではないだろうか。


 姉として弟に嫉妬する気持ちが、夜隆にはわからなかった。

 なにせ夜隆自身が末っ子だからだ。


 この寺に住み始めて近所の村の子だくさんの家庭に接したことで、ようやく兄や姉の複雑な愛憎に気づいた。


 雲隆はよく表に出さずに可愛がってくれたものだ。やはり人間のできた兄だった。


「では、午後のお勤めをしましょう」


 寂円が言った。


「経典を読み、瞑想をすれば、見えてくるものがあるかもしれません」

「えー、それはいや。つまんない。りん、ねちゃうよ」

「なんとまあ、困ったものです」

「それじゃ、りん、村にかえろうかな。おつとめになんか付き合ってられない」

「仕方がありませんね。気をつけてお帰りなさい」


 りんは「はあい」とまろく明るい声で返事をして、小走りで境内から出ていった。その小さな背中を見送ってから、夜隆も立ち上がった。


「なつかれたようですね」

「何もしてやれていないのに、おかしなものだな」

「子供は見守ってくれる大人がいるというだけで嬉しいものですよ。三郎は何もしませんからね。嫌なことを、何もしてこない。これは大事なことです」


 そして、ふと、息を吐く。


「それに、おりんの言うことはあながち子供が言う主観的で感情的なだけの話ではないのです。拙僧も気を配っているつもりですが、三郎もおりんを見ていてあげてくださいね」

「はあ……、それは、つまり、どういう?」

「おりんの両親の気持ちが太助に向かっていておりんを見ていないという話ですよ」


 寂円が微笑む。


「三郎はこの後どうしますか? 一緒に本堂に来ますか?」


 夜隆は頷いた。


 りんとは違って、夜隆は勤行ごんぎょうの時間が好きだ。感覚が研ぎ澄まされていくのを感じるし、雲隆を弔っている気持ちにもなれる。最近は経典の文言もおぼえ始めてきた。


 ふと、このまま寂円に弟子入りして僧侶になる未来もあるかもしれない、というのが脳裏をよぎっていった。


 それはそれで豊かな人生ではないか。


 寂円とともにこの寺を切り盛りして、ずっと荒浦州のこの地域の人たちを見守る。


 死ぬまで、死を見つめ続ける。


 かえって生きていることを感じるかもしれない。

 何も持たずに、ただ、ここにあることだけを意識して暮らすのだ。


 そうしたら、りんの目が覚めて海賊に夢を見るのをやめて堅実に働く人間に嫁ぐところにも立ち会えるかもしれない、と思うと、幸せな未来だった。




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