第14話 引導をくれてやるよ

 海賊船はしばらく航海を続けていたが、夜隆たち一度奴隷になった人々はその間ずっと船室にいた。


 とはいえ、特に見張り等はない。船の上、海の上であることに変わりはないので、逃げられないと思われているのだろう。ましてや相手は武装した海賊である。


 夜隆にはもう何も考えられなかった。

 けれど中には自我を取り戻した人もいて、仲間と密かに会話をするようになっていた。


 彼らはどこかの浜辺におろしてくれると言っていたが、本当なのか。彼らも自分たちを騙していて、転売する気なのではないか。本当なら、どこの浜辺に行こうとしているのか。


 そういう話がちらほらと出ているが、夜隆の頭からは通り抜けていくようだった。何の感情ももたらさない。


 ややあって、船室の窓から外を見ていた者が、「岸だ」と言った。


「浜が見えてきた。陸だ」


 それを聞いた人々が立ち上がって、彼の近くに歩み寄り、同じように窓から外を見た。


「海岸が見える」

「陸にたどりついたぞ」


 中には喜ぶ人もいた。海の上では逃げ場がない、陸の上なら逃げ場がある、と本気でそう信じているようだった。

 しかし船室にいる人々の半分くらいは喜ばなかった。何を思っているのかはわからない。彼らは何も語らなかったし、夜隆も興味が湧かなかったので聞かなかった。


 やがて船はどこかで止まった。がたん、ごとん、と重いものが動く大きな音がしたので、碇をおろしたのかもしれない。本当に岸辺を目指して船を止めたのかもしれなかった。


 そのうち、戸が開いた。


 海賊たちが船室に入ってくる。


「おら、ついたぞ。お前ら、おりろ」


 そう聞いた途端悲鳴に似た嬌声を上げて船室を出ていく女があった。海賊たちはそれを止めるそぶりを見せなかった。冷静な顔で見送った。


 その様子を見ていた人々が立ち上がった。そして我先にと船室を出ていった。

 海賊たちはある程度は制御しようとは思っているのか一応「落ち着け」「順番にな」と言っているが、混乱状態の人々が聞かずに飛び出していくのを止めようとはしない。


 残った人々はうつろな目で海賊たちを見ていた。そんな彼らを見て、海賊たちは「むりやりおろすぞ」と言って腕や足を抱え込んだ。


 一人ずつ船室から運び出していく。


 そのうち夜隆の番が回ってきて、同じように外へ連れ出された。


 空はまた夕暮れを迎えていた。これが何度目の夕暮れだろう。夜隆にはもう日付の感覚がなかった。


 外に出ると、甲板にいる海賊たちが小舟をおろしていた。


 海の上にはすでに脱出した人たちがいて、小舟で移動している。


 海賊たちは予告どおり奴隷船にいた人々を陸で解放する気らしい。


 やがて岸についた人間が一人、また一人と遠くに見える明かりを目指して歩き去っていった。どうやら少し離れたところに集落があるようだ。


 視線を上に動かす。


 雄大な山脈が夕日を背負って輝いている。


 西側に大きな山の連なりがある、ということは、ここは葦津湾の中、葦津本州の西側のどこかだ。


 眼球だけを動かして背後を見ると、遠くに七頭諸島が見えた。


「荒浦州だ」


 不意に声を掛けられた。やはり目玉を動かして声の主を探す。克自と呼ばれた大男が、にやにやと人の悪そうな顔をして笑っている。


「幸運を祈る」


 海賊たちが、夜隆を浜辺におろした。


 どうやら夜隆が最後の一人だったようだ。彼らは夜隆を地面におろすとそれぞれに先ほど見えた集落を目指し始めた。集落で夜を明かすつもりなのだろう。しかし興味は湧かないので、それ以上のことは考えられなかった。


 夜隆は、砂の上に後頭部を置き、瞬き始めた星を見上げた。綺麗な夕焼けだった。大自然は夜隆がどんなになっても一定の動きを保っている。つまり、潮も満ちてくる。


 砂浜に寝転がったままでいたところ、波打ち際がせり上がってきて、足を濡らし始めた。


 このままだと溺れるかもしれない、という予感はあった。けれど、それはそれでいいような気がする。自分にはお似合いの幕切れだ。


 何も残さない人生になった。


 ついこの間まで、両親に大事にされ、兄たちに可愛がられ、従者たちにも恵まれて、何不自由ない生活を送っていたと思っていたが、それらはすべて虚構だった。


 それこそ、今いる砂浜の上に描かれた絵のように、波にさらわれて消えてしまった。


 もう家族の顔を思い出せない。


 ゆっくり、ゆっくり、まぶたをおろしていく。


 砂を踏む足音が聞こえてきた。


 閉じかけたまぶたを持ち上げて、足音のほうを見た。


 近づいてきたのは、夢之助と呼ばれていたあの少年だった。華奢な体と白い肌に赤い小袖がよく似合っている。


 彼がこうして浜辺を歩いているのを見ていると、万松州に伝わる羽衣伝説を思い出す。愚かな人間の男に天に帰る時まとっていなければならない衣を奪われて帰れなくなってしまう天女の話だ。


 彼の大きな黒い瞳と、目が合った。


 すぐそこで立ち止まる。彼の長着の裾に砕けた波が散る。


「行かないの?」


 訊ねられたので、夜隆はかれそうな声で答えた。


「帰れるところがない」

「みんなそうだろ。三ノ島に戻ったところで、本州に出稼ぎに行く予定だった奴らに帰る場所なんてない。だからわざわざ本州まで連れてきてやったんだ。予定どおりどこかに働きに出ればいい」


 秀麗な顔に似合わず、言葉遣いはあまり良くない。それもそのはず、彼も海賊である。


「そうじゃなくて、行きたいところはないのか、って聞いてるんだよ」


 夜隆は夢之助から目を逸らした。


「ない」


 波が、夜隆の体の輪郭をなぞる。


「帰れないなら、どこにいても一緒だ」


 また、砂を踏む音が聞こえてきた。それが途中から波を蹴って進む音に変わった。


 白い手が伸びてきた。黒い髪が降ってきた。


「引導をくれてやるよ」


 思いのほか長い指のついた男っぽい手が、夜隆の首をつかむ。


「死にたいんだろ。おれが殺してやるよ」


 首の皮に、指が、食い込む。圧迫されて、苦しい。腹の上に座り込んだ夢之助の体重も見た目以上に重い。


「もう死ねよ」


 指が、首を、締め上げる。


「これ以上がっかりさせるなよ」


 息が、止まる。胸が、苦しい。


 だが、死を望んだのは夜隆自身だ。これは夢之助から与えられる慈悲なのだ。


 目の前が明滅する。


 もう呼吸が絶える。


 最期に見たのは、般若の表情で、それでも黒い瞳に涙を湛えた、美しい少年の顔――


 と、思っていた。


「こら! 夢之助!」


 突然第三者の声が割り込んできた。それに反応して、夢之助がぱっと手を離した。


 急に呼吸を取り戻した。胸の中で空気が荒れ狂って、あまりの苦しさについ上半身を起こして、砂の上に両手をついて咳き込んだ。


 顔にばしゃばしゃと水しぶきがかかる。


 胸や喉が落ち着かない。


 頭が、体はこんなに空気を欲していたのか、などと考えてじわじわと悲しくなった。なんだかんだ言って、この体は生きたいのかもしれない。


 水を蹴って近づいてくる足音が聞こえる。


 音のほうに目をやると、夜隆の上からどいて波打ち際に立っている夢之助のほうへと、一人の僧侶が駆け寄ってきていた。丸めた頭に法衣ほうえ姿の男だ。坊主頭だと年齢がわかりにくいが、肌や体格の様子からして、そんなに年寄りではない。三十代くらいだろう。


「お前は何をしているのですか!」


 僧侶が夢之助の腕をつかんで引っ張った。夢之助はおもしろくなさそうな顔をしていたが、僧侶に従ってしぶしぶ乾いた浜の上に移動した。


「殺生はいけません」

寂円じゃくえん様さ、ひまなの?」

「言うに事を欠いてそのようなことを。拙僧は三ノ島から逃げてきたという人たちに鉄波党が近くにいると聞いて様子を見に来たのですよ」


 夢之助が浜に上がると、寂円と呼ばれた僧侶は夜隆の肩をつかんだ。脇に腕を差し入れられ、強い力で引き上げられ、抱え込まれる。


「どのような事情があるのかは存じませんが、これも何かのご縁です。拙僧の寺に来なさい」


 寂円は有無を言わせなかった。夜隆は弱った体を寂円にされるがまま動かすことになった。まず、むりやり立ち上がらせられる。そして、ずるずると引きずられるようにして歩き出す。


「ほら、夢之助も来なさい」

「なんでよ」

「ひまなのはお前のほうでしょう、放っておくとこういう悪さをするのですから」


 夢之助がうつむく。


「お前もうちに泊まりなさい、夕飯を出しますよ。ひもじいと思い詰めるのです」

「ええー?」

「文句があるのですか」

「そういうわけじゃ……」

「では来なさい」

「はあい……」


 歩き出した寂円と夜隆の後ろを、夢之助がとぼとぼついてきた。


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