第12話 鉄波党一の上乗り、夢之助


 * * *


 奴隷船は七頭海峡を越えた。


 ここから先は外海だ。葦津政府の目が届かない無法地帯である。


 この先、西の方角に針路を取ると、荒浦州の南側、複雑に入り組んだ入江を進むことになる。


 この入江は難所であると同時に船の隠れ家にもなるので、大小さまざまな海賊船が潜んでいる。


 船乗りたちは、海賊にも海底にも気を配り、慎重に操舵しながら先に進んでいった。


 ここからあと十里ほど行くと遠浅の沖に出る。そこまで行けば、よほどの嵐が来ない限り異国にたどりつける。

 その距離を、船乗りたちは息を詰めて、祈るような気持ちで進んでいた。


「今度こそは無事に沖に出られますように」


 ある船乗りが言い終わるかどうかのところで、針路のほうを見ていた船乗りが「おい」と叫んだ。


「船が近づいてくる!」


 船の上がざわつき始めた。


「来た! 見つかっちまった」


 奴隷船に負けず劣らずの大きさの船だった。箱状の矢倉やぐらは赤く塗られていて、赤い旗を掲げている。旗に描かれているのは、黒い波を切り裂く刀の絵だ。


「出た」


 男たちが震え上がった。


鉄波党てっぱとうだ!」


 近づいてきた船が、横腹から小舟をおろした。そして、その小舟に乗り移った数名が、さらにこちらに迫ってきた。


 奴隷船の船乗りたちが右往左往しているうちにも、彼らは奴隷船に鉤爪を引っ掻け、縄を伝って甲板に上がった。


「よお」


 最初に甲板に立って声を掛けてきたのは、白い男物の長着の上に赤い女物の小袖を羽織った人間であった。


 雪のように白い肌、猫のような目に大きな黒曜石の瞳、まっすぐの小さな鼻、薄紅色の珊瑚めいた唇は女性的な美貌を形作っていたが、すらりと高い背とやや低い声は少年のものである。


 腰の刀の柄頭に手を置きながら、彼はその涼しげな目でうろたえる船乗りたちを見た。


「ご挨拶に来たぜ。おれは鉄波党が一の上乗うわのりだ。上乗りは上乗り同士話をつけようじゃねえか。お前らのところの上乗りを出しな」


 上乗りとは、海賊に通行料を払った後に海賊側から派遣される案内役のことである。


 合法非合法問わず、七頭諸島を行く船はだいたい金を積んで上乗りを乗せていた。


 他の海賊たちへの牽制になるからだ。


 普通の海賊はよその海賊船の上乗りを乗せている船を攻撃しない。上乗り次第では、航行の難所も教えてもらえる。


 当然葦津政府からはよく思われていないが、船乗りたちはみんな海の治安を守る不文律にしぶしぶ従っている。


 上乗りを乗せていないのは、金を惜しんだ船か、海賊からも嫌われるような外道に手を染めた船だ。


 奴隷船の船乗りたちが、蒼い顔でひるんだ。


「いねえのかよ、上乗り」


 すごむ少年に、男たちは何も答えられなかった。


「首尾はどうだい」


 鉄波党の他の男たちが少年に声を掛けた。少年が目を細めた。


「上乗りなしだ。やっちまいな」


 彼のその一言を聞いて、乗り込んできた海賊たちが、一斉に刀を抜いた。


 奴隷船の船乗りたちが逃げ惑う。海賊たちが笑いながら船乗りたちを斬りつける。あちこちから悲鳴が上がった。甲板が血で染まった。


 少年は我関せずと言った顔で船室に入った。船室の床に船体の中に続く階段があるのを見つけると、ためらいなくおりていった。


 第一の船室には箱や樽が並んでいた。彼は箱を開けたり動かしたりして中身を確認すると、「いただき」と言って箱を軽く叩いた。


 そのうち、さらに船底に続く階段を発見した。


 戸板を開ける。


 真っ暗闇から猛烈な臭気が襲ってくる。


 少年は一度階段から離れると、近くにあった油灯にふところから取り出した火打石から火をつけ、慎重に中を覗き込んだ。


 それまで冷静そのものだった彼だったが、中の状態を知って顔をしかめた。


 船底には、無数の人間が鎖で手首を拘束されたまま裸で横たわっていた。


夢之助ゆめのすけ


 振り返ると、鼻をつまんだ海賊の仲間たちが血みどろの恰好で近づいてきていた。


「どうした」

「見なよ、これ」


 海賊たちも、顔をしかめる。


「奴隷船だったのか。道理で船籍を明らかにしねえわけだよ。こんなのおかみに見つかったら全員磔獄門はりつけごくもんだ」

「どうしようか」

「どうしたい?」


 夢之助と呼ばれた少年の黒い瞳が、男たちを見る。


「船の外に出してやりたい。葦津湾の内側に帰してやろう」

「よし来た。克自かつじに掛け合ってやる」


 男たちは血に濡れた手のまま夢之助の頭を撫でた。


 彼らが去ると、夢之助は階段をおりていった。壁に掛けられた鎖をはずし、人々をつないでいた拘束を取り去る。


「ほら、起きな」


 けれど、奴隷に落ちた人々は、何が起こっているのかわかっていないらしい。うつろな目で夢之助を見ているだけで、口も利かなかった。それを、夢之助はしばらく無言で見下ろしていた。


 そのうち海賊たちが戻ってきた。彼らは横たわっていた人々を「くせえ」「きたねえ」と言いながらも一人一人抱えて船上に運んでいった。


 夢之助はその様子を黙って眺めていたが、ややあって、一人の人物に目が留まった。


 黒い髪はざんばらに切られ、裸の体は痣だらけの傷だらけで、顔はやつれて汚れていたが、夢之介はその人物を見て目を真ん丸にした。


 慌てた様子で駆け寄る。鎖で皮膚が傷ついた手首を取り、手の平を見る。両方の手の平に、文字のような入れ墨が彫られている。


「……なんでこんなことに」


 夢之助の謎の行動を見た海賊たちが、動きを止めた。


「なんだ、どうした、夢」

「知り合いか?」

「そんな気がする。ちょっと二人にしてくれない?」


 抱えていた青年を床におろす。そして、その場を去って次の奴隷を甲板に運び始める。


 夢之助は青年の肩をつかんで揺すぶった。


「ちょっと、しっかりしてくださいよ、どうしてこんなところにいるんですか」


 声にわずかに焦燥と不安が滲む。


「目を開けてください。陸に戻りましょう。それで早く万松州に帰って、あの月隆とかいうやつをなんとかして――」


 青年がうっすら目を開けた。


 夢之助と彼の目があった。


 胸を撫でおろしたらしく、夢之助はほんのりと笑みを浮かべた。


 しかし、青年はまた、目を閉ざした。


「殺してくれ」


 その一言を聞いて、夢之助はまた笑みを消した。


「もう死にたい……」


 青年から、手を離す。


「……なんだよ」


 夢之助が、肩を落とした。


「狩野夜隆はたったこれだけのことでこんなになっちゃうのかよ……」




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