未来バレー

@Chikoro

第1話

 

 中学校に入学して一週間が経ち、明日は待ちに待った入部する部活動を決める日だ。


 自分の部屋の机に向かい、入部届けに坂口蓮と名前を書く。希望する部活動に野球部の三文字を書こうとしていた矢先、部屋の何もなかった空間に突然女の子が現れた。


「バレーボール部に入部しなさい」


「うわぁぁ!」


 風船が破裂したかのような声を出し、女の子から逃げるように椅子から転げ落ちる。生まれて始めて腰を抜かしてしまった。


 部屋に現れた女の子は、まるでゲームのキャラクターが飛び出してきたような。青を基調とした、完成度の高いコスプレのような服装をしていた。

 身長は160cmある俺よりも10cmは大きいくらいか。だが体の線は細く、幼い顔つきからはそれほど歳は離れていないように感じた。


「誰だよ、何なんだよ」


 現状を受け止めるのに精一杯で、彼女の質問には答えられず声を荒げる。


「いきなりでごめんなさい、信じるのも難しいかもしれないけど、私はあなたの孫で未来からきたの」


 言葉とは裏腹に悪びれる様子もなく、彼女は淡々ととんでもないことを俺に告げる。


「孫ってなんだよ、俺まだ中学生だぞ」


「だから未来から来たって言ってるでしょ、部屋に突然現れるなんて芸当、普通の人ができると思う? 」


 彼女の言葉を信用するほど俺も子供ではないが、向けられた眼差しは真剣そのものであった。


「孫なら俺の名前わかるよな?」


「坂口蓮でしょ、ちなみに私の名前は坂口光ひかりよ」


「――同じ苗字なんだな」


 光と名乗る少女は当たり前でしょと言わんばかりの表情で俺を見る。同じ苗字というだけで親近感がわくのは何故なのか。


「わかった、少し話を聞こう」


 そう言って俺はほぼ両腕の力だけで体を起こし、ゆっくりと元いた椅子に座った。


「ありがとう、端的に言うと私のためにバレーボール部に入部してほしいの」


「未来から来たと言う割にえらくどうでも良さそうなことを言うんだな、もっと世界が破滅するとか、俺がもうすぐ死ぬから助けに来たとか言うもんじゃないのか?」


 俺の言葉に光はため息をつき、やれやれといった様子で話を続ける。


「未来を大きく変えることなんて出来るわけないでしょ、出来るのは未来に特段干渉しない些細なことだけよ」


 「そんなこともわからないの?」と言いたげな表情だが、そっちの常識を押し付けないでほしい、SFはあまり得意じゃないんだ。


「ちなみにこの会話も未来から監視されているから、知ってはいけない情報を私がうっかり漏らさないようにね」


「うっかり聞いちゃったらどうなるんだよ」


「私は即時未来に転送されて、あなたは記憶を消すために少しの間薬漬けにするだけよ」


「こえーよ、俺だけリスク高すぎだろ、絶対うっかりすんなよ」


 話半分いや、十分の一程度ではあるが、宝くじの当たり番号とか聞いてみたかったが無理なようだ。


「それで、なんで俺がバレーボール部に入部するとお前のためになるんだよ」


「――私がバレーボールのプロになるためよ」


 何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、光は机の端に置いてあった紙とペンを取り出し、家系図のような物を書き出した。


「体格はもちろんだけど、運動能力や学力、芸術の才能だってほぼ遺伝によるところが大きいと言われているわ。あなたは、将来バレーボール選手と結婚するの」


「まじかよ、ってことはお前のおばあちゃんになる人だよな? どんな人なんだ」


「詳しくは言えないけど、スタイル良くて超絶美人だったらしいわ」


「っしゃおらぁぁぁ!!」


 ここ数年で一番声が出た。友達と、あの子が可愛いだの言い合って悶々としているだけの時間はなんだったんだ。人生とは素晴らしい。


「私のこと信用してないんじゃなかったの?」


「今ので信用するしかなくなったね」


 刺さるような視線を向けられ心が痛むが、思春期の男子にはとても大切なことなのだ。わかってくれ。


「まぁいいわ、それで二人の間に男の子が産まれるの、私のお父さんね」


 光はそう言いながら家系図を完成に近づけていく。


「で、お父さんとお母さんから産まれたのが私。二人もバレーボールの選手だったの」


「めちゃくちゃバレーボール一家じゃん」


「おじいちゃんを除いてね……」


 完成した家系図の俺のところにだけ線を引き、溢れるような声で光はつぶやく。その横顔はなぜか悲しそうに見えた。


「おじいちゃんはなんか照れるな」


「なっ……ちょっと油断しただけよ、あなたはおじいちゃんだけど、おじいちゃんじゃないわ!」


 慌てる孫をにんまり見つめる。孫は可愛くて仕方ないと聞いたことがあるが、どうやら本当のことらしい。


「言いたいことは何となくわかった、俺もバレーボールをして、その遺伝子を受け継いだお前は今よりバレーボールが上手くなると」


「理解が早くて助かるわ」


 スポーツ選手の親も何かの競技のトッププレイヤーだったりするし、運動能力が遺伝することは容易に理解できた。


「だがそれはできない」


 俺は壁にかけられたメジャーリーガーのポスターを指差した。


「俺は日本、いや世界を熱くする野球選手になるために野球部に入るんだよ」


「野球部に入ってもあなたは中学3年間ベンチを温めるだけよ」


「なんだと……」


 両手で頭を抱え前が見れなくなる。


「まぁ、実際に野球はやったことはないし、見るのが専門だったけど、こうも簡単に夢が崩れ落ちるとは。ゲームなら年棒5億もらったことあるんだぞ」


「ゲームの話しは知らないわよ」


 少年の夢を潰したんだぞ、そんな呆れるように言わないでくれ。


「なにもずっとバレーボールをしてくれとは言わないわ、この夏まででお願いしたいの」


 悲しむ俺に情をかけるように光は言った。


「それだけでいいのか?」


「もちろんよ、あなたの人生だもの、無理強いはできないわ」


 サッパリとした態度で光は話すが、その瞳はどこか影が見え隠れしているようだった。

 まるで何かを隠しているのか、あるいは何かを訴えようとしているような印象を受けた。


「わかったよ、今年の夏までだな」


「ほんと!? ほんとにいいの?」


 ほとんど表情を変えなかった光が、パッと花開いたような笑顔を見せる。その姿に一瞬目を奪われた。


「た、ただ、なんと言われてもメジャーリーガーになるのを諦めたわけじゃないからな、少し寄り道するだけさ」


 彼女の笑顔になんだか見栄を張りたくなり調子のいいことを並べる。

 たが初めて芽生えたこの感情は、薄っぺらい見栄を突き破り言葉となってすぐ表に出たのだ。


「なにより孫の頼みだしな」


 彼女に負けじとニコッと笑って見せる。


「っておい大丈夫か?」


 さっきまで笑顔だった光の目から涙が溢れだす。


「……大丈夫よ、――ちょっと嬉しくって」


「そんなにバレーボール上手くなりたいのかよ」


 目尻を拭いながら彼女は屈託なく笑っていた。

 その姿を見て俺は、この子の力になりたいと強く思ったのだった。


「この夏に中学生最後の大会があるの、そこで勝ち上がって強豪校からのスカウトがあれば、プロに大きく近づけるわ」


「なるほどな……って言うかやっぱ年上なのかよ」


 光は胸を張って自慢げに俺を見る。

 俺のことは全て知られているだろうに、こちらはわからない事だらけなのは腑に落ちないものだ。


「当たり前でしょ、もっと敬ってくれてもいいのよ」


「年上の孫ってなんだよ……」


 二人で笑い合いながら他愛もないやり取りをする。初めて話したはずなのに、心が通じ合っている気がして。きっと彼女も同じことを思っているように感じた。


「じゃあ明日学校から帰ったら練習するわよ」


「部活の練習だけじゃだめなのか」


 俺の言葉に、光はため息をつく。

 どうやら練習への意識もかなり高いらしい。これがプロを目指すということなのか。


「初心者なんだし練習あるのみよ」


「ああ、そうだな」


 孫がわざわざ未来から会いに来てくれるのだ。

 俺は決心を固め入部届けにバレーボール部と書いた。


「じゃあまたね、おじいちゃん」


 光は笑顔でそう言うと現れた時と同じように、部屋から消えるようにいなくなった。


 今見ていたのは俺の幻覚かと思えるほど信じがたいことではあったが、書き残された家系図が紛れもない事実であったことを俺に認識させる。


「――でもおじいちゃんはないよな」


 ペンで線を引かれた自分の名前を見つめ、嬉しいような、恥ずかしいような、あやふやな気持ちを胸に抱く。

 きっとこの選択を後悔することはないだろうと、彼女の笑顔を思い出しながら眠りについた。


♢♢


 学校が終わり、帰宅途中にある人気の無い公園に俺は向かっていた。

 そこで自分の事を俺の孫だと言う女の子とバレーボールの練習をすることになっている。


 にわかには信じがたいことが自分の身に起き、今日の約束も半信半疑ではあったが、公園に着くとジャージ姿で片腕にバレーボールを抱えた彼女がいた。


「ちゃんと来たわね」


「今日は変わった服は着てないんだな」


 昨日の服装とのギャップに思った事をそのまま声に出してしまう。


「誰かに見られるかも知れないし、この時代のジャージを着てるのよ、それに……」

「時代によって服装なんて違うんだから、変わってるとか言うものじゃないわ」


 光はあからさまにツンとした態度で公園の中へと歩き出す。


「それもそうか……」

 小さく呟きゆっくりとあとに続く。


 テレビやネットで昔の服が変に見える感覚は相手も同じなのに、デリカシーの無いことを言って後悔する。

 だが、この会話こそが昨日の出来事が本当だったと改めて実感させる強さを持っていた。


「そこで止まって。まずは基礎のトスの練習から始めるわ」


 光はそう言ってバレーボールを俺にふんわりと投げて渡した。


「まずは手本を見せるから、それを私の頭の上にふわっと投げてみて」


 言われるままに両手で抱えたボールを、光の頭めがけて弧を描くように投げる。

 投げられたボールを光は両手で優しく弾くように真上に跳ばせてみせた。


「やっぱ上手だな、ってあれ!?」


 無回転で宙を舞うボールから光に目を戻すと180°体を回転させ背中を俺に向けている。

 そのまま落ちてくるボールを両手で弾き、俺が投げた軌道を逆再生するように、俺の手元にボールは戻ってきた。


 一連の動作に目を丸くする。バックトスというやつか、まるで背中に目がついているみたいだ。


「そんなこともできるのか」


「さっきも言ったけどこれぐらい基礎よ」


 そう言う光の表情はどこか自慢気ではあるが、教えてもらう立場なので深く突っ込まないことにした。


「いきなりここまでやれとは言わないから。まずは自分のおでこの上でボールをキャッチする練習から始めましょう」


「そんなの簡単だろ」


 ボールを渡し、野球の守備をイメージして構えると光は不敵に笑みを浮かべた。


「なっ……」


 光は様々な方向、高さ、速さでボールを下から投げる。俺は足をバタつかせながら前後左右に翻弄され、容易だと高をくくったボールキャッチが半分程度しかできなかった。


「低いボールは腰を落として! もっと早くボールの落下点に入って!」


 光の声に熱が入る。ひたすらボールをキャッチしては返すを繰り返し、足が鉛のように重くなる。


「くそっ!」


 それでも孫に情けないところは見せられないと、必死にボールにくらいつくが、体が気持ちに追いつかず次の一歩が出なくなってしまう。


「まぁこんなところかしら、休憩にしましょう」


 両膝に手をつき肩で息をする俺に対して、呼吸一つ乱さない光。


 「ボールを投げる側は楽でいいな」なんて下を向いて考えていると頬に固く冷たい物が当たる。


「水分補給は大事よ、ちゃんと飲んで」


「あ、ありがとう」


 光からスポーツドリンクを受け取る。

 思わぬ出来事に噛んでしまったことを隠すように、勢いよくスポーツドリンクを飲み干した。今、俺めっちゃ青春してないか、相手は孫だけど。


「ちょっと向こうで座りましょう、立ってたら休憩できないでしょ」


 光に連れられ公園の錆びたベンチに二人で腰掛ける。


「お前ほんとにバレーボール上手いんだな。今日、部活の見学してたけどバックトスなんてできる先輩いなかったぞ」


「――それは、そのバレー部に問題があるかもしれないわね」


 気まずそうに話す光を見て、やっぱり基礎なのかと認識する。俺、当分できる気がしないんだけど。


「実際にバレー部はどうだったの?」


「先輩が四人しかいなくて、新入部員が俺を入れて二人だから小ぢんまりした感じだったな」


「やっぱり問題あるじゃない!」


 光の大きな声に驚き、整いかけていた呼吸が乱れる。


「何が問題なのかさっぱりなんだが」


 戸惑う俺の顔を見て、光はおばけでも見たような表情だ。


「あなた、バレーボールは何人でやるのか知ってる?」


「そんなの……」


 野球しか興味はないが、スポーツ全般のルールとかは抑えてるつもりだ。思考をめぐらせ答えを導き出す。


「五人くらい……かな?」


「くらいってなによ、最低六人必要よ」


 外したようだ、そんな恐い顔で見ないでほしい。可愛い顔が台無しだぞ。


「そうなのか、まだ教わってないから許してくれ」


「そういう問題じゃないから」


 光はへそを曲げたようで俺から目をそらす。日本人でバレーボールは六人でやる競技と知っている人はどれだけいるのか。

 俺は少数派に属しているつもりはないのだが。


「今年から六人になったからいいんじゃないか、何が問題なんだ?」


「今年から六人なら最近は公式戦に出てないってことでしょ、それにできる練習も限られるし、初心者二人ならローテーションを踏まえたポジションは……」


 うちのバレー部に対する不満がとまらない。ところどころ、何を言ってるかわからない箇所もあったが、あなたが入れって言ったんですからね。


「一番は後輩に入部する人がいなかったら、人数不足であなたがずっと試合にでれなくなるじゃない」


「ちょっとまて、今年の夏までバレー部だから来年以降は関係ないんじゃないか」


「そんなこと言ったかしら」


「おい」


 光は悪びれる様子もなく白を切る。昨日の記憶は未来に戻ったら抜け落ちるのか。どれだけ俺にバレーボールしてほしいんだよ。


「それに先輩方をあんまり悪く言うなよ、野球好きでいい人ばっかりなんだぞ」


「あなたは何をしに見学に行ったの?」


 光は額に手をつきさげすむような目で俺をみる。


「こっちはあなたみたいにバレーボールのガチ勢じゃないんです、それに交流を深めるのに共通の趣味を語るのは大事なことだぞ」


 俺の言葉に耳を傾けず光はため息をつき、ちょうど夜になりかけた遠くの空を見つめる。


「――上手くなるのに必要なこととは思わないわ……」


 二人の間に数秒の沈黙が流れ、光は悲しそうな表情を浮かべている。

 ストイックとは別のあまりにも棘のある言葉に、光の抱える心の闇が垣間見えた気がした。


「それって……」


「さぁ、もう少し練習するわよ、まだまだ先は長いんだから」


 俺の言葉を遮り、止まった時計の針を無理やり動かすように、光は立ち上がって公園の中を駆けていく。 

 その背中は何から逃げるようにも、助けを求めるようにも見えた。


「――休憩短くないか」


 俺は少し見えかけた光の抱えているものから目をそらし、何もなかったかのように練習に戻ったのだった。


♢♢


 

 部活動の後に日課となった孫との特別レッスンのおかげで、日々バレーボールの腕前が上達していくのを肌に感じていた。


 明日はそんなバレーボールと学業の毎日で疲弊した体を癒す日。

 部活動に入ってからの初めてのOFF、休息日、休暇、ヴァケイションなのだ。


 つまり今日は花金、なんと素晴らしい響きなのか。

 早めのお風呂に入り、火照った体を炭酸で潤す。ゴクゴクと音を立てるたびに、乾いた体の細胞一つ一つに水分が染み渡る。


 砂糖とミルクたっぷりのコーヒーと鶏のから揚げを手に自室に向かう。今日はじっくりとプロ野球を観戦するのだ。


 最高。この感情以外に表現する方法があるだろうか。いや、この感覚を表す言葉など存在しないのかもしれない。


「まだシーズン序盤ですが、今日は大事な一戦です」


「ふっ、少し大人になったな」


 中学校入学時に親から貰った32型テレビを眺め、余韻に浸りながらコーヒーを飲む。唐揚げも熱々だ。


「その組み合わせはどうかと思うわ」


「うわぁぁ」


 声のする方から逃げるように椅子から転げ落ちる。耐性がついたのか腰を抜かすことはなかったが、手に持っていたコーヒーが胸元にかかった。


「あっつ!……」


「もう、なにやってるの」


 目の前には手を差し伸べる光がいた。前にも似たようなことが起こったが、ダメージは今回の方が大きい。


「急に現れるのはやめてくれ」


「急にしか出てこれないんだから仕方ないじゃない」


 光に起こされ椅子に座り直す。そのまま光はショルダーバッグからハンカチを取り出し、コーヒーのかかった服を拭うと、あっという間に汚れが無くなった。


「すげぇ……それにひんやりする」


 感心する間もなく、軽い火傷でじんじんしていた胸に冷気が染み渡り痛みが軽くなる。


「未来の道具ってやつよ」


 加害者なのになぜか光は自慢げだ。


「こんなことして大丈夫なのかよ」


 出会った時に話をした、「未来の情報を深く知りすぎてはいけない」と言う言葉が脳裏をよぎる。


「私が現れなかったらコーヒーがかかることはなかったんだし、大丈夫でしょ」


 光は軽く受け流すが、これがアウトだったら、記憶を消すために俺は薬漬けになるんじゃないのか、ほんと頼むぞ。


「で、何のようなんだよ、俺は忙しいんだぞ」


「そんなふうには見えないけど」


 唐揚げと少し残ったコーヒーに手を伸ばす俺をみて、光は不快を前面に出した表情だ。

 この組み合わせの良さがわからないとは、人生損してるぞ。


「明日は予定ないでしょ、バレーボールの試合を見に行くわよ。上手くなるには必要なことなんだから」


「悪いけど明日はOFFなんだ、休息する日なんだよ」


「やっぱり予定ないじゃない」


「休息する予定があるんだよ、必要なことだ」


 俺の言葉が理解できないのか、光はため息をつきテレビの方を向く。俺はこの信念を曲げる気は毛頭ない。


「この試合の結果を教えてあげましょうか?」


「お願いだからやめてください」


 テレビを指差し光は引きつった笑顔を見せる。


 こいつ、とんでもないことを言いやがる。

 スポーツ中継のネタバレなんて興ざめなことはないだろう。未来から来てまで人の娯楽を奪うんじゃない。


「じゃあ明日は予定空いてるよね」


「たった今空きました……」


「よろしい、じゃあ明日よろしくね」


 光は満面の笑みでうなずきながら、俺の大事な休息日を奪いとって未来に帰っていった。


 少し冷めた唐揚げを摘み、同時に今日が花金ではなくなったことを思い知る。


「くそっ……」


「休み返上した分上手くなってやるからな!」


 失った休みは返ってこない。無駄にするくらいなら見たもの全部吸収してやる。


 俺は決意を新たにし野球中継の続きを見始めた。

 

♢♢

 


 バレーボールの試合を観にいくため光とは地元から数駅離れた駅前で待ち合わせすることになった。


 休みなのに朝の八時三十分集合には堪えたが、行かないと未来からどんな妨害がくるかわかったものではないので、渋々向かうこととした。


 目的地の改札をくぐり、開けたロータリーに出る。土曜日だからか駅を利用している人は少ないようで、世間は休みの真っ只中なのだと感じる。


 ロータリーの中央には近未来をモチーフにしたような設備時計があり、その下に光はいた。


 白のシンプルなTシャツの上に、青を基調とし肩から腕に赤色のラインが入った大きめのパーカーを羽織っている。

 パーカーでハーフパンツはうっすら隠れ、靴は白のスニーカーと、スポーツ少女通りといった服装だ。


 控えめに言ってめっちゃ可愛い。だが孫だ、孫なのだ。いや、孫だから可愛いのか。俺は今、一生考えても答えが出なそうな難題に直面している。


「時間通りね」


 手を振って俺を呼ぶ光に駆け寄ると「よしよし」といった様子で満足そうな表情をうかべている。


「ここからバスに乗るから」


「はいよ」


 言われるがままにバスに乗り、目的地へと向かう。


「試合を見に行くなんて久しぶりだから、けっこう楽しみにしてたのよ」


 二人並んで後ろの席に座り、光は外の景色を眺めながら嬉しそうに話す。


「これが野球の観戦なら最高なんだけどな」


「まぁ、あなたも楽しみにしてなさい」


 俺の皮肉にも笑顔で返す光のことを、心の底からバレーボールが好きなんだと感じた。


 この間の練習で覗かせた光の心の闇はなんだったのか――楽しそうに話す光を見ていると、そんなものは無かったんじゃないかと思ってしまう。


 ふと問いかけようと頭によぎることはあったが、心の闇を知ることの恐怖と、悲しむ光を見たくない気持ちが足枷となっていた。






「着いたわ、降りるわよ」


「ここって……」


 バスから降りると、そこには立派な校舎がそびえ立っていた。白とレンガのような暗い赤色で組み合わされた外観は、中世ヨーロッパの街並みを連想させる。

 自分の通っている学校と比べると、私立の学校だと一目でわかるものだった。


「来光中学校、バレーボールの強豪校よ」


「――試合を見るって中学生のかよ」


 せめてプロの試合が見れるかと期待していたが肩透かしをくらったようだ。


「残念そうな顔しないの、学ぶべきところはたくさんあるわ」


 二人で正門をくぐると同時に、敷地内からわっと声援が響いてきた。


「やば、もう始まってる」


「おい、ちょっと待って」


 光は俺の手を引き、二人で声援のする方へと走る。


 制服を着た生徒達の横を風のようにすり抜け、校舎の色と同じ赤色のタイルが並べられた中庭を抜けると体育館が見えてきた。


 プレーを区切る笛の音、バレーボールを床に突く音が体育館の壁でこもった音となって外に響く。


 音の鳴る方へ突き進む光の目は輝きに満ちていた。






「うわぁ、地区予選なのにすごい人」


 体育館の中は、人という人でごった返していた。


 ユニフォームを着た選手、付き添う顧問。子供の晴れ舞台を見に来た親族、友達を応援しに来た制服の生徒と祭りのような雰囲気だ。


 二階に上がり試合を見下ろせる位置を探す。


「ちょっといいか」


 体育館に入ってからずっと気になっていたことがある。


「なによ、早く試合が見やすい場所を探さないと」


「なんで女子の試合なんだよ」


「あれ、言ってなかったっけ?」


 光はとぼけた様子で話した後、すぐに観戦する場所を探しにもどった。


 女子中学生の試合とだけあって、周りは女の子だらけだ。男性といえば顧問や選手の親族だけで、俺と同年代なんてどこにもいなかった。


 ただひたすらに気まずい。思春期の男子に耐えられたものじゃないぞ。光のやつ、俺が断わると思って隠してたな。


「こっちによさそうなとこある! 早く行こうよ」


「――俺の話を無かったことにするな」


 光は適当に謝りながら俺を楯にして人混みをかき分けていく。

 自分達が出場している選手と、最も関わりがないことを申し訳なく思いながら最前列へと進む。


「一本取るよー!」 


「声出していこー!」


 周りの声援をかき消すように選手の声が響く。


 ボールを取り、トスを上げ、アタックを打つ。ボールを弾けば、仲間が飛び込んでボールを繋ぎ、意地でも相手にボールを返す。明らかに届かないボールでも全身全霊で必死に食らいついていく。


 中学生とはいえ強豪校の試合、ボールは全く落ちない。この春にやっと六人揃った俺のチームじゃ想像もつかなかった光景が広がっている。


 ひたすらに繋ぐ、繋ぐ、繋ぐ。


 プロとはまた違った一試合に全てを込めた戦いに、自分の体が熱波で貫かれたような感覚を受けた。


 いけ、繋げ、決めろ。初めて見る同年代の女の子が躍動する姿に胸が熱くなる。手に汗握るとはこういうことを言うのだろう。


 長いラリーが続く中、一人の女の子のアタックが相手のコートに突き刺さり均衡を破った。


 大量の水で堪えきれなくなったダムが決壊するように一気に会場が沸く。


「やっぱり凄い、あの子だけ別格よね」


「ほんと凄すぎて自信なくすわ」


 会場全員が彼女に視線を向ける。


 他のメンバーと比べて頭一つ、いや二つ抜けた身長と体格。周囲の熱に当てられても落ち着いた表情を見せている。


 バレーボール初心者の俺でさえ、彼女に任せればなんとかしてくれると思えるほどの、実力とカリスマ性を備えた逸材だと感じた。


「きゃー! 生の高橋桜よ! 本当に見れるなんて、神様ありがとう」


 隣で泣きながら、ただ一人黄色い声援を送ってるやつがいる。光さん、キャラ変わってませんか。


「なんで知ってるんだ?」


「知ってるに決まってるでしょ、高橋桜よ! あと十年も経たないうちに日本代表のエースになる凄い人よ」


 光の目には高橋桜しか入っていないようで、話しかける俺の方を見ようとはしなかった。


「昔の映像だけでも凄い人だと思ったけど、中学生の時でもここまで凄いなんて、ほんと凄いわ」


「感動しすぎて凄いしか言ってないぞ、まぁ初心者の俺でも凄いのはわかるけど」


 二人して語彙力を失うほど高橋桜のプレーには惹かれるものがある。これが後の日本代表を背負う選手。光が必死に追いかけている背中なんだと感じた。


「お前、上手くなるために今日誘ったって言ってたけど、ほんとは高橋桜を見るためだろ」


「なっ……なによいいでしょ、ずっとファンだったし、せっかくなんだから」


 光は照れながらも嬉しそうな表情でコートを見つめている。


 またアタックが決まり笛の音と歓声が同時に体育館を埋め尽くす。


 さっきまでこっちを見向きもしなかった光が、俺の目を真っ直ぐ見つめる。その瞳には吸い込まれそうになるほどの力を感じた。


「――でも、見に来てよかったでしょ?」


「――そうだな」


「でしょ」


 俺の言葉に嬉しそうに笑う光。


 もしかしたらお世辞に聞こえていたもしれないが、本心からの言葉だった。


 仲間がミスしてもボールを繋ぎ、託されたボールを、思いを相手に打ち込む。


 プレーの一つ一つに観客は息を呑み、熱い声援を送る。


 まだまだ実力が足りていないと現実を突き付けられた面もあるが、何よりも自分がコートに立って同じようにプレーしたいと思える熱を、この試合からもらったのだった。






 試合がある程度落ち着き、お昼休憩の時間となった。


 熱気で包まれていた体育館は閑散とし、異様な静けさに包まれている。熱戦が繰り広げられたコートには無造作にボールが一つ転がったままだ。


「私達もご飯食べに行きましょうか」


 光に言われ体育館の二階から移動しようとすると、コートから幼い声とバレーボールを突く音が聞こえてきた。


「少しだけならいいでしょお姉ちゃん」


「何言ってるの、今日は遊べる日じゃないんだから。お母さんもちゃんと言ってよ」


 十歳くらいの女の子と高橋桜が言い合いを始め出した。

 駄々をこねる女の子はバレーボールを抱いてコートを駆け回り、高橋桜が追いかけている。

 クールな顔してるのに、可愛らしい妹がいるんだな。


「わかった、じゃあ一回だけね」


「やったー! みんなでやろー!」


 姉妹が追いかけ合っているのを微笑ましく眺めていた母親が解決案を出すと、妹は大喜びで母親の下へと向かう。


「私とお母さんチームで、お姉ちゃんは一人ね」


「またこれやるの……」


 コートを挟み、後の日本代表とその家族が対峙する。

 高橋桜はうんざりとした顔を浮かべ、低く構えを取った。


 静かな体育館でボールを弾く音と、笑い声が響く。


一人対二人という構図だが、相手が取りやすい位置にボールを送る、遊びのようなラリーを繰り返している。


「お姉ちゃんやっぱり上手だね」


「咲も上手くなったね」


「ほんと!? やったー!」


 ボールと言葉のラリーが続き、さっきまで繰り広げられていた熱戦とは違った優しい時間が流れていた。


「ああいうのも楽しそうでいいよな……」


 ふと光に視線を向けると、彼女は瞳の奥まで凍てついた目で家族を見つめていた。


 さっきまで輝きに満ちていた表情とは全くの別物で。寒気すら感じる横顔に俺は次の言葉が出なかった。


「――ああ、そうね」


 少し間が空き、光は力のない返事をする。


 大好きなバレーボールを見ているはずなのに、なぜそんな顔をするのか。


 初めて公園で練習した後にみせた姿と今の表情が重なる。信じたくはないが、光の凍ったような眼差しはきっと嘘ではないとわかっていた。


 ただ俺はその姿を見るのがたまらなく辛く、悲しかった。


「無理に取り繕うのはやめろよ」


 全くと言っていいほど心のこもってない光の言葉を受け取らず、俺は光に問いかける。


 抱えているものの正体を確かめるために。


「――何の話よ、早くご飯食べに行くわよ」


「そのまんまの意味だよ」


 とぼけようとする光に真剣な眼差しを向ける。今回は逃げる気など欠片もない。


 光は少し口を開き何か喋ろうとしたが、俺と目が合うと口を閉ざし表情を固くした。


「思ってることを教えてくれよ、大好きなバレーボールだろ」


「――なんでそんな悲しそうな顔するんだ」


 俺のエゴと言われればそうかもしれない。でも、なんとかしてやりたい気持ちは本当だ。


 光を想う気持ちが、熱いものが胸の中にある。


 光は視線を戻し、笑顔でバレーボールをする家族を見つめる。


「あんなお遊びなんてしてるからよ……」


「じゃあなんで涙が出るんだよ」


「えっ……」


 光の目から一筋の涙が流れる。それを隠すように拭った後、転落防止の柵に覆いかぶさるように顔を伏せた。


「その涙が本当の気持ちなんじゃないのか」


「教えてほしいんだ」


 自分のやっていることが正しいのかはわからない。女の子には、孫にはもっと別にかけるべき言葉があるんじゃないのか。


 だけど、今の俺には光に真意を問う以外の選択肢は思いつかなかった。


「わっ……私はっ……」


 少し顔を起こし涙混じりの声で光は想いを口に出そうとする。

 いつも大きく頼もしくも見えた背中はとても小さく、この子はまだ同じ中学生の女の子のなんだと改めて思った。


「ゆっくりでいいから」


 光の背中にそっと手を当て、小さい子供を慰めるように声をかける。自分が親にしてもらった時と同じように。


「――もう一度、家族みんなでバレーボールがしたかった」


 大粒の涙とともに出た言葉に息を呑み、胸が痛いほど締め付けられる。


 光の抱える心の闇の原因に未来の俺もいるのではないか。


 力になりたいと思って一緒にやってきたことが、足元から脆く崩れ落ちたような気がして。


 光のためにと踏み込んだくせに、どうしていいのか分からなくなった。


「ごめんなさい……こんなこと言われても困るわよね」


「なんでお前が謝るんだよ……」


 光は固まって動けなくなった俺を見かねてか、謝罪の言葉を投げかける。その目にはまだ薄っすら光るものがあって。


 優しい言葉をかけてほしいのは光のはずなのに、何も言えない俺は無力なんだと痛感していた。


「少し話を聞いてくれる?」


 無理に作ったような笑顔で話す光に、俺は頷くことしかできなかった。


「私がまだ小さかった時に、親子で参加するバレーボールの大会があったの。暑い夏の日だった……」


「みんな嫌がってたけど、駄々をこねる私に根負けして家族で出場することになったわ」


 すこし嬉しそうに話す光を見て頬が緩む。今も昔も変わらない光の性格になんだかほっとする自分がいた。


「あなたも一緒に出たのよ」


「俺も……」


 未来の自分もきっと、今日みたいに無理やり連れ出されたんだろう。

 その光景を想像するだけでくすりと笑えるものがあり、嬉しくも思えた。


「あ、あなたの前で言うのもアレなんだけど……私はずっとおじいちゃん子で、おじいちゃんともバレーボールがしたくって」


 頬を赤くしながら光は話しを続ける。


「おじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さんと私で出場したの。お遊びみたいな大会だったから人数は六人じゃなくてもよくて、五人で優勝したのよ」


「元プロが三人もいたらそうなるわな」


 だんだんと光の表情が明るくなる。楽しそうにバレーボールの話をする光を見て、俺の心も落ち着いてくるのがわかった。


「でもギリギリだったのよ、相手が素人のおじいちゃんばっかり狙うから、こっちはみんな走り回ってボールを繋いだんだからね」


「そりゃ、すまんな。でもそうなるのわかってて誘ったんだろ」


「そうなんだけどね」


 二人で笑い合う、俺にとっては未来のことを、光にとっては過去のことを。

 そこには切っても切れない繋がりのようなものを感じて。


「みんなでまたバレーボールしたかったな……」


 光は遠くを見つめ、また悲しそうな表情をみせる。


「――もうできないのか?」


 一切の事情を知らない俺は、すがるような思いで光を見つめた。


「もう無理よ……家族みんな嫌がるだろうし、それに――」


「上手くなるのに必要ないでしょ」



♢♢




「ごめんなさい、急用ができたからもう解散にしましょう」


「――わかった」


 光に言われるがまま連れられ校門の外に出る。


 拒絶されたような一言を浴び、体育館を出てからは会話一つなく、俺は家族とはなんなのかをずっと考えていた。


 助け合い協力するもの、支え合うもの、そんな似たような言葉ばかり浮かぶが、光の家族はまた違うもので繋がっている気がした。


 スポーツのプロに囲まれた家族。頼ることは許されず、自分を磨き上げ、同じ高みを目指す。そんな繋がりを。


 今の自分にとっての家族は、助けてほしいことは多いが少し距離を取りたいような。感謝してるが、それを伝えるのはなんだか恥ずかしくて気が進まない人達。


 中学生になり、できることは増えたのに家族には迷惑かけっぱなしで。体だけでかくなっても、きっと中身はよちよち歩きの赤ちゃんとさほど変わらなくて。


 考えるたびに自分は、家族の中でわがままを言うだけの子供なんだと改めて認識した。


 だが助けてくれるからわがままが言える、自分勝手に振る舞おうと思う。

 これが正しい行動とは思わないが、支えてくれる人が隣にいれば甘えることができる。


それが家族なんだと。


「光」


 甘えているだけの自分から支える自分になりたい。


「俺はいつでもお前の味方だから」


 光を支える家族になりたい。


「ありがとう……」


 光はそれ以上語らず俺に背を向け来た道とは別の方へと進んでいく。


 想いは届いたのだろうか。だが今の俺にはこれしかできない。


「明日、いつもの公園で待ってるからな」


 小さくなる背に向かって発した声は、閑静な住宅街に吸い込まれていくだけで、光は歩調を変えず街の中へ消えていった。

 



♢♢




 日曜日。学校での練習が終わりいつもの公園へと向かう。初めは部活が終ってからまた練習するなんて、考えたくもなかったが今は違った。


 光とバレーボールがしたい。会って話しがしたい。


 本当に会えるのか不安はあったが、それだけを考え公園までの道を走る。


 少しでも長く一緒にいれる時間を作るためにも。


「はぁ……はぁ……」


 息を切らし、肺は裂けるような痛さで、足は鉛のように重い。部活で酷使した体がさらに悲鳴をあげる。

 それでも前に進むのに苦痛はなくて。むしろどこまでも走っていけるような不思議な気持ちだった。


 人通りの少ない路地を曲がると、公園の前に見慣れた人影が薄っすら見えた。自然と体は軽くなり、勢いを落とさず彼女の前まで駆けつける。


「そんなに走ったら練習できないでしょ」


「できるにっ……決まってるだろっ……」


 膝に手をつき呼吸を荒くしながら強がりを言った。

 両足は震え、喉から血の味がする。でもそんなことはどうでもよかった。


 呆れた様子で俺をみるいつもの光がいる。


 それが嬉しかった。


「じゃあ早速始めようかしら」


「はぁ……やっぱり……ちょっと……まって……」


 倒れそうなほどフラフラな俺をみて、光は悪戯に笑っている。やっぱり救急車呼んでほしいかも。





 光の慈悲で呼吸を整える時間をもらった後、いつものように練習を始める。


「上手くなったわね」


「当たり前だろ」


 お互いの頭上をボールがふわっと行き来し合う。 


 光と初めて練習した時に全くできなかったトスが、一週間の努力で徐々に形になってきた。


 相手の呼吸に合わせてボールを送る。取りやすい位置に、相手のことを想って。


 この瞬間は気持ちが通じ合えているような気がしたが、俺の粗削りのトスだけはまだ正確に光を捉えることはできなかった。


 それは今の自分を表しているかのようで。


「少し休憩にしましょうか」


 一通り光の指導を受けた後、二人で錆びたベンチに腰掛ける。昨日のことはまだお互いに触れておらず、気まずい空気が流れていた。


「昨日はごめんなさい」


 沈黙を破ったのは光だった。


「何も気にしてねぇよ」


 謝る必要などないと分かっているのに、理由なく見栄を張ってしまう。


 今みたいにきっかけを与えてくれるのはいつも光で。その行動力には尊敬と感謝しかなかった。


「もっと試合見たかったんじゃないの? 」


「そこまで言われるとそうでもないような……」


「――もう」


 光は俺の肩を軽く小突き、くしゃっと笑顔を見せる。その所作につられるように俺の口元も緩むのがわかった。


 ずっとこんな時間が続けばいいと思った。このまま笑って夏まで過ごし、何事もなかったかのように関係が終わればいい。


 昨日言った「味方」という言葉は実にあやふやで。寄り添うだけで、光の抱えているものを解決する必要はないのではとも考えた。


 光の心の闇は家族との問題で、未来の話なのだから。


 なにより、無理に話をして悲しむ顔を見たくなかった。


「昨日言ってくれた言葉……味方だからって」


「――おう」


 光の目は黒く澄んで、俺の心を見透かしているようだった。


「信じていいの?」


 心に強く風が吹き、胸の中にかかっていた靄がかき消されたような気がした。


 その言葉は誰よりも強く、ストイックな光から発せられた恐らく初めてのSOSで。

 

まだ同じ中学生なのに、素直に「助けて」と言えない彼女を見て俺の決心は固まった。


「当たり前だろ」


「――うん」


 光は安心したような笑顔を浮かべている。


 この後自分がしなければならないことを考えると少し胸が痛いが、もう迷いはなかった。 


 未来ではなく、きっと今の俺にしかできないことだから。


「――聞きたかったことがある」


心に抱えた闇をすくい上げるように。


「どうしてバレーボールのプロになりたいんだ?」


「――それは、――自分の……」


 言葉の途中で光は胸に手を当て、深呼吸をした後、俺の目を真っ直ぐ見つめる。

 その瞳の中に映るものは、心の皮を破った本当の姿だと直感した。


「家族のためよ……」


「家族の夢を私が叶えるの」


 胸を張って誇るべきことなのかもしれないが、光は今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。


「聞かせてくれないか、家族のことを」


 そこにはきっと未来からきた本当の理由が隠されているのだと俺は感じていた。






 日は完全に沈み、錆びたベンチに腰掛ける俺たちを街灯が照らす。春になってもまだ肌寒い夜風が、練習で上がった体温を奪っていく。


「未来のことだから話せることは限られてるけど……」


「話せることだけでいいよ」


 俺の知らない家族のこと、まだ出会っていないだろうが一生を共にする人達のこと。

 興味がないといえば嘘になるが、知ることへの恐怖も同時に感じていた。


「前にも話したけど、おばあちゃん、お父さんとお母さんはバレーボールの選手だった」


「三人ともプロのチームに所属していたけど、結果は残せなかったみたいで、早いうちに退団することになったの」


「――みんな悔しかったってよく話してくれたわ」


 光は膝の上においた手をぐっと握りこむ。


 どのスポーツでもプロになれれば称賛を得られるが、その世界で生き抜くのは厳しいのだろう。

 プロになる夢を叶えた人でも、まだ険しい道のりの途中なのだ。


「そんな家族の影響で私は小学校に入る前からバレーボールを始めたの」


 少しずつ溜まった膿を取り除くように光は話しを続ける。


「最初は楽しかったわ、周りの子よりもすぐに上手くなって、『やっぱりプロの子は違う、天才だ』ってチヤホヤされた。私だけじゃなくて私の家族も褒められてる気がして嬉しかった」


 血筋という分かり易いものに人は魅了される。プレッシャーに感じる人も多いと聞くが、光はそれを受け入れ輝きを増していったのだろう。


 もちろん絶え間ない努力が伴っていることは、光のバレーボールに対する熱意から痛いほど感じた。


「でも、家族だけはいつも厳しくて。私がミスしても子供だからって容赦なく、きつく指導してくれた。その度に言われていたことがあるの……」

 

「ーーあなたはバレーボールのプロになるために産まれてきたんだよって」


 光の目からぽろぽろと涙がこぼれる。


 ぐっと握りしめた両手は震え、冷たい風が公園の木の葉を揺らす。


 子供に対して希望を与えるかもしれないが、同時に洗脳しているともいえる両刃の言葉。


 光は小さい頃から家族の業を背負わされていたのだ。


「きつい練習は頑張れたけど……私が耐えられなかったのは……」


「――家族が私の目を見てるとき、私を見てくれていない気がして」


 光の表情は俺たちを包む夜より暗く、底無し沼に埋まっていくような感覚を覚えた。


 光が抱えているものは、俺なんかが経験してきたことよりもずっと重いもので、ずっと禍々しいもので。


「――私を鏡にして、過去の自分達に声をかけているだけなのよ」


「――なんなんだよそれ……」


 体の真ん中から煮えたぎるように怒りがこみ上げてくる。

 中学生の俺にだってわかる、子供は親の夢を叶える道具じゃない。


 だがすぐこの感情は光の家族に向けられたものではないと気づいた。


「俺は何をしてたんだ」


「――えっ?」


 光は涙を流しながら俺の顔をみて声を詰まらせる。


「あなた……おじいちゃんは……何も言えなかった」


「……っ!」


 光の言葉に目の奥が燃えるように熱くなり、血が逆流するのを感じる。


 出会って数日の俺でさえ力になりたいと思った女の子なのに、孫として成長を見守ってきたはずの未来の自分が何もしてないなど信じられなかった。


「なんで、――俺は!」


 歯を食いしばり自分の手をじっと見つめる。


 こんなに自分の事を腹ただしく、情けないと思ったのは初めてだった。


「自分の事を悪く言わないで、おじいちゃんは私の唯一の味方なのよ」


 そっと俺の手の上に自分の手を重ね、光は笑顔で俺のことを諭す。まだ目尻には薄く涙が残っていた。


「――それは、どういう……」


 光の言葉にはっと我に返る。まだ何十年も先の未来のことなのに、救われた気分になった。

 

 本当に救われたいと思っている女の子は目の前のにいるのに。


「おじいちゃんだけはずっと私に寄り添って、私のことを見てくれていた」


「未来も今も一緒よ」

 

 励まされてばっかりで申し訳なく思う。でも光も俺の事を同じくらい想ってくれているなら。


 通じ合えているといいなと思った。


「未来の俺が何も言えなかったのは、俺だけがバレーボールをやってないからだよな」


「きっとそうだと思う……」


 光はまた下を向いてしまう。


 素人が口を出せないのは当たり前だ、ましてや家族にはプロが三人もいる。どれだけ光のことを想っていても俺がそこに割って入る余地はないだろう。


「でもプロになりたいのは嘘じゃないの、バレーボールは大好きだから」


「それに、家族のことも本当に嫌いになったわけじゃないの……」


 振り絞るような声で気持ちを伝えてくれたその表情はとても弱々しく。


 どうにもできない現状を受け止める強さはまだ備わってはいないのだと感じた。


 かといって今の現状を打破できる強さもなく、助けてくれる人もいなかったのだろう。


 だけど、今は違う。

 

 過去の俺ならなんとかできる――かもしれない。


 未来から光が会いに来てくれた理由がきっとここにある。


 自分を奮い立たせ前を向く。望んだ未来へ進む。


「だったらこれしかないよな」


 今も未来も同じ想いで自分が繋がっているのなら、光を救う手段は――


「バレーボール、続けるよ」


「どうして……」


「それでプロになる」


「俺がプロになったら本当のバレーボール一家だ。冗談なんかじゃない、俺の目標だ」


 自信たっぷりの笑顔を見せると、光は目を赤くし嬉しそうに笑う。


「家族の誰にも光に文句は言わせない」


「光にバレーボールで悲しい顔はさせない」


 堂々と宣言し自分に誓いを立てる。


「それに」


「メジャーリーガーは捨てがたいけど、バレーボールで世界を熱くさせるのも悪くないよな」


「ほんと、そういうところバカなんだから」


 笑い合いながらベンチから立ち上がる。


 俺の決心が正しいのかはわからない。なんの解決にもならないのかもしれない。

 でもこうしなければならないと思った自分がいて、俺の言葉を聞いて笑ってくれる光がいる。


 それだけで意味がある行動だったと胸を張っていいんじゃないか。


「さぁ続きやるか」


「さすがにもう暗くてボール見えないわよ」


「今一番やる気あるのに……」


「そのやる気で走って帰ったら? 体力も大事よ」


「おっしゃああ!」


 思うがまま走り出し、高ぶった気持ちが静まり返った街に響き渡る。

 周りからみたら完全に不審者だろうが、そんなこと気にしてられるか。俺はバレーボールのプロになるんだ。


「明日も待ってるからね!」


「おう!」


 振り向くと暗闇をかき消すほど笑顔の光がいた。


 その顔を見るだけでどこまででも飛んでいけそうな気分だった。




♢♢




 窓から蝉の声がけたたましく鳴り響き、不快な思いを抱きながら目を覚ます。カーテンを開けると目が焼けるようなほど強い日差しが差し込み、夏が来たんだと実感する。


 今日は未来で光の全国大会出場をかけたバレーボール大会が行われる。


 未来のことだから今日とか関係ないような気はするが、日にちの進み方は同じらしいので、昨日はしっかりと鼓舞しておいた。

 「どの口が言ってるの」と呆れられたが、内心喜んでいたように思う。


 俺もバレーボールは上手くなってきた実感はあるが、公式戦では一度も勝てていない。

 光と同じプロを目指そうと志したものの、道のりはかなり険しいようだ。鍛錬あるのみ。


 今日、光のことを応援しに行きたい気持ちは山々だったが、そんなことは世界中の誰にも不可能なので、諦めて午後からの練習の準備を整え家を出る。


 結果を聞く時に、今日は練習してないとか言ったら怒られるからな。

 



♢♢




 学校での練習が終わり、いつもの公園へと向かう。

 この時間になってもまだ辺りは明るく、じとっと生暖かい風が体を包みこんでくる。


 いつもと同じように人通りの少ない路地を進むと、見慣れた女の子のが嬉しそうに手を振っているのが見えた。


 もしもの時はなんて声をかけようかと悩んでいたが、その心配はどうやら必要ないらしい。


「やったんだな」


 光の前に拳を突き出し、勝利を分かち合おうと応答を待つ。


「試合の話? あぁ負けちゃったよ」


「――なんだって!」


 唖然として拳を下ろそうとしたが、ちょうど光の拳と交わった。


「でも私にとって、もっと良いことあるから」


 光は意味ありげな表情で俺を見下ろす。


「――でもこの日のために頑張ってきたんじゃないのか?」


「もちろん悔しいよ、負けた時は涙とまらなかったなー」


 言葉とは裏腹に光の瞳は真っ直ぐ先を見ているように感じた。自分の進むべき道を。


「けど、プロになれなくなったわけじゃない」


 その声は力強く芯のあるもので。

 だが同時に、崩れ去ったものがある。


「俺がバレーボールを始めて、光が遺伝的に上達するってのは叶わなかったのか……」


「――せっかく未来から来たのに」


 体の中にすっぽり穴が空いたような感覚だった。

 期待薄の理論ではあったが、光の努力を知っている以上、自分にも責任があったように感じる。


 もっと真剣に練習していればと今更ながら考えてしまう。


「なんであなたが落ち込むのよ。負けたのは私のせい」


 俺の肩に手を乗せ光は微笑む。


「それに遺伝なんてそんなに気にしてなかったわ。この負けを糧にして次は勝てばいいんだから」


「負けたことのない選手なんていないのよ」


「――そうか」


 光の輝きに満ちた目につられ、思わず頬が緩む。

 試合に負けて一番辛いはずなのに、また励まされて自分のことを情けなく思う。


「それより良いこと二つあるんだけど、どっちから聞きたい?」


「それは良いことと、悪いことがある時の聞き方だろ?」


「両方とも良いことの方がいいでしょ」


「それはそうだけど……」


 光の明るさには本当に救われる。さっきまでの喪失感はどこかへ消えていったようだ。


「じゃあ小さい良いことから教えてくれ」


「いいわよ」


 そう言って自慢気に光は胸を張る。


「なんと! 強豪校からのスカウトが正式に決まりました!」


「ほんとうか!」


 胸が高鳴り、心が躍る。人のことでこんなに嬉しいと思ったことはない。努力が報われて本当に良かった。


「やったな、おめでとう」


「ありがとう」


「でもそんなにすぐ決まるものなんだな」


「実はね…… 二人で中学生の試合を観に行った日、私が急用で帰ったでしょ」


「――それがスカウトの話しだったの」


「そんなに前からか、てか言えよ」


 光は照れながらも嬉しそうに続ける。


「まだ確定じゃなかったし、そんなこと言ったらあなた、真剣に練習しなくなると思って」


「そ、そんなことないって」


 確かに遺伝とか関係なく目標を達成出来たら、俺の練習する意味がなくなる気がしないでもない。


「それよりも、その日にもっと良いことがあって」


 光の目が今日一番輝いている。強豪校へのスカウトより良いことがあるのかと不思議に思っていたが、その考えは一瞬で吹き飛ぶことになる。


「おじいちゃんが、また家族でバレーボールの大会に出ようって言ってくれたの!」


「そうか……」


 体の芯からこみ上げてくるものがある。それは抑えきれず涙となって溢れ出した。


 俺は約束を果たせたんだと。光を救うことができたんだと。

 情けなく思っていた未来の自分が誇らしく思える。よくやったと言ってやりたい。

 光は今、こんなにも輝いて笑っていると伝えてやりたい。


 同時に迷うことなくこの道を進まなくてはならないと決意を新たにする。

 未来で光のこの笑顔を見るために。


「おじいちゃんと私以外は最初は嫌そうにしていたの。でも、大会に向けて家族みんなと話すことも増えて、なんだかんだみんな楽しそうにしていて」


「それに、みんなちゃんと私の目を見て話しをしてくれるようになったの――」


 自分の宝物を紹介するように、光は家族のことを話してくれた。

 まだ完全とはいかないかもしれないが、家族としての第一歩を踏み出せたのだろう。


「なら俺はバレーボールのプロになれたのか?」


「それはさすがに教えられないわ」


「未来に影響する内容ってことか……」


 光は得意げに立てた人差し指を自分の口に当てる。

 どうやら結末は自分の目で確かめるしかないらしい。


「でも、バレーボールの大会に家族で出場したのは、未来に影響を与えたんじゃないか?」


 野暮かもしれないがどうしても気になる。この結果を変えてほしくはない。


「一家族が、お遊びのバレーボール大会に出ることになったって、世界からみたら些細なことでしょ」


 光は俺の不安を吹き飛ばすように話しを続ける。

 その表情は心に闇など抱えている様子はなく、どこまでも真っ直ぐで。


「でもね……」


「世界にとっては些細なことかもしれないけど、私にとっては大きなこと」


 そう言って光は俺の手を取った。お互いにバレーボールで鍛えた手が重なり熱が伝わる。

 この熱は夏の暑さではなく、家族のぬくもりがここにあるように感じた。


「おじいちゃん」 


「私を助けてくれてありがとう!」


「当たり前だろ」


 笑い合う二人の目には光るものがあった。

 バレーボールを通して教わったことだ。助け合うことの大切さを。誰かが辛い思いをすれば、他の誰かが助ける。


 光が導いて家族を繋いでくれたのだ。


「そうそう、明日が試合だからしっかり練習しておいてね」


「おじいちゃん」


「だから、年下におじいちゃんはないだろ」

 

 幸せな空間がここにはある。

 この関係をいつまでも繋いでいけますように。


 

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未来バレー @Chikoro

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