第18話
「日下部さん。生きてたんですね」
「つき…しろ…うぅ…ぅぉおおおお…」
日下部が俺の顔を見た瞬間に啜り泣きを始めた。
痩せ細った顔が、泣き顔のそれに歪む。
体の中に水分が残っていないのか涙は流していなかったが、顔を歪めてみっともなく泣き声をあげていた。
「…うっ」
俺は鼻腔から侵入してきた腐臭に顔を顰めた。
執務室の床は、ところどころが茶色の何かで
汚されていた。
おそらくこれは日下部が大便をした後だろう。
扉をゾンビで固められているためにこの部屋から出れず、ここでするしかなかったようだ。
ヴォォオオ…オォオオオオ…
琴吹のゾンビはまだ生きて動いていた。
懲りずにまたレイプしたのか、その下半身は服を脱がされたままだった。
もしかしたら死ぬ前に気持ちいい思いをしたいとそんなことを考えたのかもしれなかった。
「つきしろぉ…私が…私が悪かったぁ……本当にごめんなぁ…」
日下部が足元に縋り付いてきた。
汚れた手で俺のズボンにしがみつき、泣き声をあげながら許しと助けを乞う。
「今までお前にしたことを…謝るからぁ…だから助けてくれ…頼む…こ、この通りだぁ…」
日下部がそういって額を地面に擦り付けた。
もはやかけらほどのプライドも残っていないようだった。
日下部の心は完全に折れて、生き残るために泣き叫び、かつて道具としてこき使っていた俺に許しと助けを乞うている。
日下部が額を地面に擦り付ける姿を見て、ゾクゾクと何かの快感が湧き上がってきた。
俺が見たかったのはこの光景だったのだと今理解した。
「日下部さん。もう十分です、顔をあげてください」
俺は額を地面に擦り付けて土下座する日下部の肩に手をおいた。
「月城…?」
「俺はもうあなたのことを恨んでないですから。あなたの気持ちは十分わかりました。まだ生きていてくれて本当によかったです」
「うぅ…わかって…くれたのかぁ…?」
「ええ。気持ちは十分伝わりましたよ」
「なら…何か食べ物をくれぇ…もう何日も何も食べていないんだぁ…死にそうだぁ…水をくれぇ…食べ物をくれぇ…」
「いいですよ。ここに持ってきてあります」
俺はリュックサックから食料と水を取り出して日下部に差し出した。
「…!」
日下部の目の色が変わった。
ひったくるようにして俺から食料と水を奪い取ると、貪るように食べ始めた。
俺はしばらく日下部の食事が終わるのを観察する。
ガツガツと獣のように食料をがっつき、水を飲み干してあっという間に食事を終えた日下部が、またしても泣き出した。
「うぅう…おいじい…おいじいよぉ…」
「そうですか。それはよかったです」
「月城ぉ…ありがとうなぁ…本当にありがとう…」
「いえいえ、大したことじゃないですよ」
「お前ぇ……一体どうやってこの食料を…?ゾンビはどうしたんだぁ…?お前が倒したのかぁ…?」
「ああ、それですか」
俺は少しの間逡巡したが、正直に全てを話すことにした。
これから殺す人間に何を話したところで構わないと思ったのだ。
いわゆる冥土の土産ってやつだ。
「実はですね…俺、どうやらゾンビに襲われない体質みたいなんです」
「え…」
ぽかんと口を開ける日下部に、俺は自分の体質の説明をした。
ウイルスに感染し、克服したこと。
ゾンビに襲われない体質を獲得し、それを利用して食料を溜め込んでいること。
それらのことを簡潔に日下部に話した。
日下部の表情に希望が点る。
同時に、こいつは利用できるとそんな本音が一瞬その表情の影にのぞいた気がした。
「そ、それはすごいなぁ…!すごいじゃないか月城…!よくやった…!よくやったぞぉ…!」
「ええ、本当にラッキーだと思っています…!」
「これでぇ…!しばらく食料には困らないじゃないか…!生き延びられる!二人で生き延びられるぞぉ…!」
「そうですね。俺の体質があれば生き延びられるかもしれませんね」
「と、とりあえず月城…!私を安全な場所まで誘導してくれ…話はそれからだ…!これからの私とお前は協力関係だ…な?そうだろ…?」
「そう、ですね」
「おい、月城…?」
俺は懐からナイフを取り出した。
日下部の表情が固まる。
その喉がごくりと動いた。
俺はナイフを日下部に向けたままゆっくりと移動した。
ヴォォオオ…ォオオオオオオ…
後手にそれの存在を探り当て、素早くナイフを当てがった。
「おい、月城!?何をしている!?やめないか…やめるんだ…!」
日下部の制止を無視して、俺は切れ味のいいナイフを動かして、琴吹の手足を縛っていた布を切り裂いた。
ヴォォオオオオオ!!!
「ひぃ!?」
解放された琴吹の手が蠢く。
俺はさらに寿の足や体、そして口に噛まされている布を全てナイフで断ち切った。
ヴォォオオオオオ!!!
「ひぃいいいい!?」
完全に拘束から解放された琴吹が、日下部に襲いかかる。
「嫌だぁあああああああああ来るなぁあああああああああ!!!」
日下部が悲鳴をあげ、ガチャガチャと執務室の扉を開けようとする。
だが扉が開く前に、琴吹が日下部の肩に噛みついた。
「うぎゃああああああああああああ」
日下部が絶叫し、地面に転がる。
服と共に肩の肉がごっそりと齧られ、血が流れる。
「嫌だ嫌だ嫌だっ死にたくないぃいいいいいいいい助けてぇえええええええ」
「それじゃあごゆっくり」
ヴォォオオオオオオ…!!!
琴吹が泣き叫ぶ日下部に襲いかかる。
俺は最後まで見届けることなく、そっと扉を閉めて退室した。
俺だけゾンビに襲われない世界で会社時代に虐げてきた上司に思う存分ざまぁする話 taki @taki210
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