第17話
それから数日間の間、俺は日下部のことをすっかり忘れていた。
日下部は会社のオフィスの執務室に閉じ込められたまま、出ることは出来ないはずだ。
ゾンビは中に生存者の気配を嗅ぎつけ、決してドアの前から離れようとはしないだろう。
日下部には中でそのまま餓死するか、それとも外に出てゾンビに喰われるか、どちらかの選択肢しか残されていない。
どのみち日下部が死ぬことには変わりないのだし、俺は放っておけばいいと思ってすっかりそのことを忘れていたのだった。
それから五日後。
俺はふとした瞬間に日下部のことを思い出した。
日下部は今頃どうしているだろうか。
俺が見つけた時点でほとんど食料も尽きかけていたようだし、水も残り数日ぶんしかないと言っていた。
あのままゾンビに怯えて執務室に閉じこもっていたとしたら、今頃は極限状態の飢餓に襲われて死ぬ寸前まで衰弱していることだろう。
日下部は一体どちらを選んだのだろうか。
部屋の中に立てこもって餓死するのを待つか、あるいは外に出てゾンビの仲間入りをするのか。
いずれにせよ、あの暗くて狭い部屋にいる間、途方もない死への恐怖が日下部を苛んだことは間違いない。
食料もなく、助けも来ない状態で、ドア一枚を隔てた距離に殺到しているゾンビに怯えながら、暗い部屋で一人死を待つ時間は、きっと発狂したくなるほど苦しいものだっただろう。
そうなるように仕向けたのは俺みたいなもんだし、そのことに関して罪悪感を覚えることは全くなかった。
日下部はそうなるような生き方をこれまでし
てきたわけだし、自業自得としか思わない。
「見に行ってみるか…」
日下部の最期がどのようなものだったのか、気になった俺はオフィスに様子を見に行ってみることにした。
念の為しっかりと武装した上で、アパートを出る。
徒歩20分程度の会社までの道のりを、軽やかな足取りで進んでいく。
果たして会社の入っている雑居ビルの中へ足を踏み入れてみると、そこはすでにゾンビたちのテリトリーとなっているようだった。
たくさんのゾンビが建物の中に侵入し、廊下を彷徨いたり、階段を登ったり降りたりしている。
俺がここを出る時に入り口を開けっぱなしにしておいたおかげで、すっかりゾンビたちに占拠されてしまったようだ。
これでは日下部が逃げ出すのはほとんど不可能に近い。
俺はすれ違うゾンビたちの中に日下部が混じっていないか注意深く観察しながら、四階までの階段を登った。
そしてオフィスに踏み入り、設置されているデスクを通り過ぎて、一番奥にある執務室へと近づいた。
ヴォォオオ…
グォオオオオオ……
ォオオオオオオ…
執務室の扉は閉まっており、数体のゾンビが執務室の前に群がっていた。
どうやら日下部は中で餓死することを選んだらしかった。
「まだ生きてるのか?」
ゾンビたちが執務室に執着を見せているということは、まだ生存者の気配があるということだ。
俺は日下部がまだ生きているかもしれないと思って扉に顔を近づけて耳を澄ませた。
シーン…
中からは何も聞こえてこない。
もうすでに日下部は餓死してしまったのだろうか。
「おーい、日下部さん?」
確かめたくて俺は扉の向こうに呼びかける。
返事はない。
「日下部?死んだのか?おい、どうなんだ?」
扉をたたき再度呼びかけるが、中から何も反応はなかった。
すでに日下部は餓死してしまったようだ。
「ま、死んだならいいか」
興味を失ってしまった俺は、その場をさろうとする。
「月城か…?」
「お…?」
扉から離れようとした瞬間、中からか細い声が聞こえてきた。
掠れていて今にも消えそうな声だった。
「日下部?」
「つ、月城…たす…けてくれ…」
それは間違いなく日下部の声だった。
どうやらしぶとくまだ生きていたようだ。
衰弱しする寸前といったところか。
消えそうな声で俺に助けを求めている。
「まだ生きてんのか」
「頼む…月城…たす…けてくれ…なんでもする…お前の…いう通りにするから…」
「…」
日下部のそんな声が聞こえてきた。
どうやらこの部屋の中で死の恐怖に苛まれるうちに、プライドは跡形もなく崩れてしまったらしい。
俺に接する時の傲慢な態度はすっかりなりを顰め、極限まで衰弱したと思わせるようなか細い声で俺に助けを求めている。
「わかりました。今助けます」
俺はそういって金属バットを振り上げ、ゾンビたちに打ち付けた。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
十分後、扉に群がる全てのゾンビを動かなくなるまで打ち据えた俺は、荒くなった域を整える。
ゾンビの死体を除いて、ドアを叩いた。
「開けてください、日下部さん」
「つき…しろ…?」
「ゾンビは全部倒しましたから。もう周りにゾンビはいません。俺一人です。だから開けてください」
「うぅ…うぅうう…」
啜り泣くような呻き声と共にドアが開いた。
中へ入る。
やつれて今にも死にそうな日下部がそこに立っていた。
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