第16話
「上司?あんたまだ俺の上司のつもりなのか?」
俺は日下部をせせらわらった。
日下部の現在の姿はひどく滑稽に見えた。
いまだに会社での上下関係が俺に通用すると思っていたのか、俺の暴言に顔を真っ赤にして怒っている。
今にも殴りかかってきそうな勢いだが、仮にそうなったところで、武装している俺が負けるとは思えなかった。
体格もどちらかというと俺の方が上だし、歳も若い。
何より俺の方は腹が膨れてほとんど万全の状態だが、日下部は細い食事で食い繋いできたのが明らかで、どう見ても体力を消耗していた。
「当たり前だろう…!その口の利き方をやめろ…!お前、この私を舐めているのか!?」
「もちろん舐めてますよ。当たり前でしょ」
「なっ…」
俺がいうと日下部はものも言えずに口をぱくぱくとさせた。
俺はこれまで自分の中に溜まっていた日下部に対する感情を発露させる。
「ひたすら傲慢で、性根が腐っている。禿げてて小さいくせに威張ってるし、正直頭も全然良くない。学歴も大したことないし、口も臭い。日下部さんの顔ってロバに似てますよね。突き出た歯茎とか、太い唇とか特に。裏で自分がなんて呼ばれてたか知ってます?ハゲロバ。みんなそう言ってあなたのこと馬鹿にしてたんですよ?もちろん俺もです」
「このクソガキがぁあああああああ!!!」
日下部がキレて殴りかかってきた。
想定の範囲内だ。
日下部のような普段から偉そうで他人に常に命令口調で接している人間に煽り耐性があるはずもない。
俺は素早く金属バットを持ち替えて、こちらに向かってくる日下部の腹に、バットの柄を思いっきり突き出した。
「うごぉ!?」
日下部の突進はあっさりと止まり、その口からみっともない声が漏れる。
息が詰まり、腹を抑えて悶絶する日下部。
俺はちょうどいい高さまで下がったその顔面を思いっきり右足で蹴り上げた。
「ぐべぇ!?」
日下部が馬鹿みたいな悲鳴をあげて吹っ飛んだ。
地面に尻餅をつき、顔を抑える。
皮膚が切れたのか、血が流れ出していた。
「何を…するんだこの…クソガキがっ…気でも触れたのか…っ…私にこんなことをしてどうなるか…」
「どうもならねぇよ。いつまで上司きどりなんだ?」
俺は日下部の頭をバットでこずく。
「ぐっ…や、やめろっ…このっ…」
「もう会社はないんですよ、日下部さん。いい加減目を覚ましたら?偉そうに命令しても誰も聞いてくれる人はいませんよ?状況わかってます?」
「ぐぅううううっ…ふぐぅうううううううううううう」
日下部は顔を真っ赤にして俺を睨んでいた。
道具としか思っていなかった俺にここまでやり込められて、怒りは限界を突破しているようだった。
しかし、起き上がって俺に反撃する体力もないのか、歯を噛み締め、悔しげな顔で俺を睨んでいるだけだった。
俺は無力な状態で這いつくばっている日下部を眺めていると、なんだか心が晴れ渡るような思いだった。
いつも日下部に対して言ってやりたい、してやりたいと思っていたことを、今、存分にすることが出来る。
俺はニヤニヤしながら、日下部を見下ろし、命令した。
「おい日下部。俺に土下座しろ」
「は?」
「俺に土下座するんだ。土下座して許しを乞え。会社時代に俺にしたことを誤って、助けを求めろ」
「そんなこと、するわけないだろっ…このゴミが……私の道具の分際で調子に乗りやがってぇええええ…」
日下部はまだプライドを保つ余裕を残しているようだった。
土下座を要求した俺に対し、怒りで声を震わせて、血走った目で睨み返してくる。
俺はこの状況を心底楽しみながら、さらに日下部を追い詰める。
「おい、いいのか?日下部。今この状況で俺にそんな口を聞いて。俺はたくさん食料を持ってる。生き延びるために必要な食料。それをあんたに分けてやってもいいって言ってるんだ。俺に媚びないと生き残れないぞ?」
「…っ」
我ながら悪役っぽいセリフだと思った。
多分映画なら、こんなセリフは間違いなく死亡フラグだ。
十中八九、こんな台詞を吐いたキャラは近いうちにゾンビに食べられて死んでしまうに違いない。
だがこれは映画じゃない。
復讐のために小物っぽく振る舞ったところで死ぬわけじゃない。
俺は映画の主人公みたいに優しくない。
俺の同期を死に追いやり、俺をうつ病一歩手前まで追い詰め、琴吹を死姦した日下部を俺は許してやるつもりなどなかった。
「どうする?土下座して謝るか?そうすれば食料を分けてやる。謝れないなら、食料は渡せないな。俺は一人でここを立ち去る」
もちろん土下座しようが何をしようが食料を分けてやるつもりはなかった。
ただ日下部の反応を見たかっただけだ。
プライドを捨てて生きるために俺に媚び諂うのか、それとも、傲慢な態度を保つのか。
どちらに転んでも面白いが、俺は日下部のプライドが折れる瞬間を見たいと思った。
「この…くそ…こんな状況じゃなければ私はお前を…っ」
日下部は明らかに揺れていた。
生き残るためには俺に媚びた方がいいのはわかっているようだが、それはずっと築き上げていたプライドがなかなか許さない。
特に会社時代に道具としてこき使っていた俺に頭を下げるのは日下部にとってこの上ない屈辱だろう。
「早く決めろ。俺は忙しいんだ。お前みたいなクズに構っている時間はない」
「この無能が……私のような人間がお前みたいな社会の底辺のゴミに頭を下げるわけがないだろうがぁああああああ」
日下部が怒りを爆発させて吠えた。
どうやらプライドの方が勝ったらしい。
「あー、そうか。生き残るために頭も下げられないか。そんじゃ、俺はこれで」
日下部が土下座しなかったので、俺はそのまま執務室を立ち去ろうとする。
「ま、まてっ…少し待てぇ…私の話をっ…」
プライドが高すぎて土下座もできない日下部が、それでも生き残りたいのか、みっともなく地面を張って俺に縋ってくる。
俺は足元にまとわりついてくる日下部を振り払って、執務室のドアを開けた。
ヴォォオオオオオオ!!!
「ひぃ!?」
「おっと」
ドアを開けた先にゾンビがいた。
そういえば退路を確保するために、このビルの扉を開けておいたんだった。
きっと生存者の気配を感じ取ってここまで入ってきたのだろう。
ヴォアアアアアアア!!!
ゾンビは日下部の姿を見るなり、狂ったように唸り、襲い掛かろうとする。
「ひぃいいいい!?」
日下部は慌てたように立ち上がり急いで執務室のドアを閉めた。
俺のことなどお構いなしだ。
相変わらず自分のことしか考えないクズ人間のようだ。
まぁいい。
俺はゾンビに襲われないし。
「ははっ、ザマァみろ!!わ、私にあんな態度をとるからだ!お前みたいなのはゾンビの餌になるのが相応しいんだ!」
ドアの向こうから日下部のくぐもった声が聞こえてくる。
日下部は俺がゾンビに喰われているとでも思っているらしい。
「はぁ、やれやれ。見張りは頼んだぞ」
俺は日下部の滑稽さにため息を吐きながら、俺のことを完全にスルーして執務室のドアを必死に引っ掻いているゾンビの肩を叩いた。
生存者の気配を感じてゾンビはますます集まってくるだろう。
これで日下部はこの部屋から出られない。
俺は何やらドアの向こうから俺に対して喚いている日下部を放っておいて、オフィスを後にしたのだった。
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