それは、とても有名な話
緋雪
『真夏の夜の夢』
今年の夏も暑く、まだ梅雨も明けてないのに最高気温は30℃を軽く超え、夜になっても温度が下がらない日が続いていた。
家族皆、肌掛け布団やタオルケットを、寝ている間に跳ね飛ばしてしまうので、夏風邪を引かぬようにと、エアコンの設定温度を少し上げて回るのが、私の夜の仕事だった。
もっとも、寝室の温度を上げると、夫は夜中にこっそりリビングに行って、エアコンをつけ、室温を下げてソファーで寝てしまうので、何度も注意していたのだが。
「だって、寝苦しいんだもん。よくあの温度の中眠れるね、お前」
夫は悪びれることなく、そう言う。実は私も寝苦しい。
娘の
「もう、二人とも、風邪引いても知らないからね!」
私は呆れて、寝苦しい、自分の寝室へと戻るのだった。
夏休みまであと2週間という頃、早紀が、小学生作文コンクールの学校代表に選出されたという報告を、早紀本人の口から聞いた。
「タイトルはねえ、『真夏の夜の夢』」
「ええ? そんな難しいので書いたの?」
「えへへ。凄いでしょ〜」
娘は得意気に笑いながら、おやつを食べ終わると、
「真美ちゃんちに行ってくるね〜」
と、出かけていってしまった。
なんだ。感想文コンクールだったんだ。びっくりした。それにしても、『真夏の夜の夢』なんてシェイクスピアだ。よく小学4年生が読めたものだな。
早紀は本の虫だとは言え、そんな難しい本を読んで感想文を書けるようになったのか。しかも、5年生も6年生も抜いて、学校代表だなんて。私は娘の偉業に感心していた。
「あ、でも、それぞれの学年代表ってあるのかもね」
気がついて、
「まあ。それでも凄いわよ」
と、独りごちた。
翌日、早紀の担任の小林先生から呼び出された。
「早紀さんの才能は素晴らしいです、お母さん!」
「はあ」
先生のテンションがやたら高いので、若干引いてしまう。
「あの感想文のことですか?」
私が口を開くと、先生は、私の両腕をつかみ、
「何仰ってるんですか! 作文コンクールですよ!!」
と、声を更に大きくして言った。
「作文……? ですか?」
「作文っていうより、彼女のは、もう小説、いや、脚本のようで……」
「ちょ、ちょっと待って下さい。それってまるでシェイクスピアじゃありませんか。……タイトルが同じってだけなんですよね?」
私の両腕を掴んでいる先生の手を、そっと解きながら言う。
「シェイクスピア?」
小林先生は不思議そうな顔をした。
「『真夏の夜の夢』でしょ? シェイクスピアの作品じゃないですか」
「えっ? 早紀さんの作品が盗作だって仰るんですか?」
先生は、慌てる。何故慌てる必要がある? 多くの人が知っている、有名な作品だろう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
先生は、自分のタブレットを出すと、「シェイクスピア」で検索した。
「お母さん、シェイクスピアなんて作家、いないじゃないですか」
「えっ?」
そんなことってあり得る? 私もスマホで検索をしてみる。
本当だ。「シェイクスピア」なんて一番に出てきそうな名前がない。慌てて『真夏の夜の夢』を検索する。「真夏には寝苦しくてよく夢を見る」なんていうブログが上がっているだけ。作品については何も書かれてないどころか、作品名そのものが見あたらない。
どういうことだろう……。
その日の夜、早紀に、作文を見せてほしいと言ってみた。
「無理だよ。もう先生に提出しちゃったから、学校にあるんじゃない?」
娘はゲームをしながら答えた。
「ねえ、それってどんな話?」
ゲームのコントローラーを取り上げ、私は尋ねる。
「もー、いいとこだったのにー。」
早紀はぷうっとふくれっ面をしながらも話し始めた。
「あのね、ある村には、厳しい『しきたり』があってね、父親が決めた男の人と結婚しないと、娘は殺される運命にあったの。でも、ある娘は、他の男の人が好きだったのよ。婚約者がいたにも関わらずね。それにね、村の別の女の子が、その婚約者のことが好きでね
…………それで、みんな目を覚ましたら、上手くいってね、めでたしめでたし。ってお話」
「シェイクスピア」だ。まるっきり『真夏の夜の夢』の話だったのだ。
「早紀、そのお話って、自分で考えたの? それとも誰かの話を真似したの?」
「自分で考えたんだよ! もういい? ママ、コントローラー返してよ!」
何かがおかしい。
何が起こっているんだろう?
シェイクスピアが存在しない世界で、自分の娘がシェイクスピアの有名な作品を書くだなんて……。
夏休みの間にあった「全校登校日」。この日は一際暑く、登校日なんて止めればいいのにと思いながら、娘を送り出した。
早紀が全国作文コンクール、小学生の部で優勝し、賞状と盾、図書券をもらったと言って、重そうに持ちにくそうに帰ってきた。
嬉しいのだ。娘の作品が、こんなにも世の中に認められて。でも、それ以前に怖い。あれは、全く他人というより、あの、シェイクスピアの作品だ。いつバレるかとヒヤヒヤしていた。
「あの作文さあ、なんか、出版を考えてるって、小林先生が言ってたよ」
早紀が言う。
「え?」
「出版社にもちこむとか? わかんないけど」
「え? まさかでしょ?! 相談もなしに?」
「さあ。私は、別にいいけど。って言ったよ」
頭痛と目眩がして、私は座り込んだ。
「ママ、どうしたの?」
娘が駆け寄ってくる。水を持ってきて貰った。
「あのね、聞いて、早紀。あれは、シェイクスピアっていう有名な人のお話なの。早紀がどこで読んだのかママは知らないけど、あれは、早紀が作ったものじゃないのよ」
「じゃあ、私が、その人のお話を写したっていうの?!」
早紀は怒って、ぷいっと自分の部屋に帰っていってしまった。
夕飯後、私は夫に相談する。
「ふうん、早紀も凄い話を作るなあ」
「感心してる場合? 『真夏の夜の夢』は、シェイクスピアの作品で、早紀の作品じゃないのよ?」
「そうなの? 聞いたことないけどなあ、そんな作家。有名なの?」
「ホントに知らないの? あんなの出版したりしたら……賞だって貰うかも……」
クラッと目眩がした。
「おいおい。最近、よく眠れてないんじゃないか? 早く寝た方がいいぞ」
夫にそう言われ、言われた通りに、いつもより早目に眠った。
「マ……ママ……起きて……ママ……」
早紀の声で目を覚ますと、私の顔を覗き込んでいた早紀の顔が、ぱあっと明るくなった。
「パパ!! パパ!! ママ、目を覚ましたよ!」
早紀はバタバタと走って行ってしまった。
辺りを見渡す。淡いアイボリーの壁。カチャカチャという音。何人かの人の喋る声……。
病院……? なんで? 左腕にチクチクとした痛み。見ると、点滴を射たれていた。えっ?
どういう状態なのかわからずにいると、夫が娘に連れられてやってくる。
「もう……心配させるなよ〜。でもよかったよ、気が付いて」
「私、どうしたの?」
「夜中、トイレから戻る途中、熱中症で倒れてたんだ。覚えてないと思うけど」
「どういうこと?」
「水分も十分摂らないで、あんな暑い部屋で寝てたら、熱中症にもなるだろ。」
「えっ?」
すぐに医師が来て、もう大丈夫でしょう。念のために、もう一本点滴を追加しておきましょうね、と言って去って行った。
じゃあ、俺は会社に行くから、と言う夫を見送って、ふとカレンダーに目をやると、まだ7月のカレンダーがかけてあった。全校登校日はお盆過ぎだから、8月の筈だ。あれ? 今日は8月何日なんだろう……?
「早紀、今日って8月何日?」
娘が変な顔をして私の顔を覗き込んだ。
「今日は7月の10日。夏休みにもなってないよ」
「えっ?」
「ママが倒れたからって、学校は休ませてもらったの」
「……」
頭痛がしてくる。
「どうしたの? 頭痛いの? 看護師さんに言ってこようか?」
そう言う娘を慌てて止めた。
「早紀、作文コンクールは、どうなったの? 学校代表になったって言ってたじゃない?」
「作文コンクール? そんなもの、
早紀は呆れたように言う。
「何について書いたの?」
「何って……夏休みに皆で旅行に行けたらいいなあ、って話だよ」
「『真夏の夜の夢』は?」
「へ?」
「シェイクスピアの」
「ママ、まだ調子悪い? やっぱり看護師さん呼んでくるよ」
「……」
頭痛薬が処方され、もう一度ウトウトと眠って起きても、状況は変わっていなかった。
世の中は、まだ7月の10日で、「危険な暑さ」が続いていた。
そして、そっと検索したスマホの画面には、シェイクスピアが載っていて、彼の代表作の中には、ちゃんと『真夏の夜の夢』があったのだった。
「じゃあ、これくらいでいい?」
設定温度を昼間より少し上げて、それでも十分涼しいねと確認し合って、皆でリビングに布団を敷いて眠ることにした。涼しくした部屋で眠れることに喜んだのは、夫だけでなく、早紀もだった。どちらかと言うと、久しぶりに親子三人で寝られることが嬉しかったようだったが。
こうして、私の、「夏の悪夢」は終わりを告げたのだった。
それは、とても有名な話 緋雪 @hiyuki0714
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