シャーリープッタよ~

@kaimon924

第1話 「シャーリープッタよ~」

 ブッダ(聖☆おにいさんのパンチのほう)の弟子にシャーリープッタ(舎利子、舎利弗、ウパティッサ)という「智慧第一」のお弟子さんが居たのであります。

 智慧第一、なのだけれども、その後も延々と生まれ変わっては修行しないと仏さんになれんという、もっぱら説法の相手役・「弟子」デシ、といういささかザンネンな役回りです。

 いちおう大建築工事で他の教団を負かす、という見せ場はあるのですが、在家信者の維摩居士と、文殊との論争では、イスはどこじゃ?と聞いては、座りに来たのか?とやり込められ。

 序盤のクリOンかヤOチャか、中盤のてっりーまんかミOト君かというくらいザンネンなほうの引き立て役になってしまうし、またあるときには、長老格としてごちそうにあずかった一方で、若いお弟子さんが食べられなかったとかで邪な布施を受けたと叱責されたりしたのでした。


 「師匠~、景色が美しいッスよ~」と師匠に告げると、「舎利子よ、景色が美しいと思い感動する、そしてその感動を師匠と共有したいと思うお前の心のはたらきが、美しい」と褒められるのであります。

 思い立ったら元の教団(あらゆるモノを疑ってかかる&ソフィストみたいな感じの教団)のおとうと弟子たちを引き連れて釈迦に弟子入りしちゃう直情径行、まあ、思った事を飾らずに言葉に出す、目から鼻に抜ける才気煥発・天才肌だったのかと。

 (お前さん、もうちょい考えてからモノをいったり動いたりしなよ、アホの子と思われるぞ)と揶揄されてる可能性もアリ。

 一方で、人の美点を率直に褒めることが出来る、それが舎利子の良いところ、と認めている逸話もあります。目連とタッグなので、孔子さんとこの顔淵と子貢的なトコロもありますな。尊い←


 般若心経と法華経などで、釈迦の説法相手として出てくるので、仏陀さんが当方の脳内では燃える闘魂で再生されます。

「いいですかシャーリープッタよー、元気があれば何でも出来る~。Go To, Go to

Paradise~」

 (ちなみに孔子さんは脳内ではジャイアントで16文キックな東洋の巨人で再生されます。)


 そして私事、50歳代になって哲学にハマると、「舎利子論法」なる思考をおもいつくわけです。「お前の心のはたらきが美しい」です。「莫迦ッて云ったら自分が莫迦」です。


 というわけで、ベートーベンの交響楽を聞くと、音楽的なリズムや楽器はさておいて、「ベートーベンの人生は、ロックだぜ」と思うわけです。

 舎利子論法では「ベートーベンの人生がロックだと、思う私がロックなのだぜ」です←それ違う


 そして舎利子論法をさらにワケわからなく破綻させると、

「ベートーベンの三連符いいなあ、と思う私の心が」


・ベートーベンは三連符いれたがる趣味

・ベートーベンの三連符が私のフックに引っかかる

・三連符ならなんでもいいこだわり行動の私

・むしろ私がベートーベンの三連符、もう主体と客体がごちゃまぜ


という論理的に破綻していることが明々白々。


いちおう音楽理論では、「あがったら下がるのがイイネ!」とされていたり。


 三連符は

・推進力を感じるので多くの人がイイネ!ってなる

・それまでのリズムからの不安定感・違和感がフックになる。

・日本語って三音からなる単語が多いので。

(「卒業」「雪國」「時代」「津軽海峡・冬景色」「M」など)

とされていたりするようです。


 ちなみに友人にこの話をしたら

「ベートーベンは無闇矢鱈に壮大と感じる、故に私の心も無駄に壮大w」と

応えてくれたので、舎利子論法にも「白馬非馬論」くらいの

(酒の席の与太話にしかならんが)使い途はありそうです(無い無い


 それにしても、知らなかったら

「ナンデこのタイミングで緊急地震速報?」

というくらい「突拍子もないオカズ」感がハンパナイのです。


 三連符、エモいよねー、でも、なんでかよくワカランねー、というのが今回の結論ナノデー、舎利弗さんマジですまんかった。


 さてシンコペーションについて語ろうとしたが学が足りなかった。楽も足りないと思った。

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