第3話 新人の仕事

 「皆さん、おはようございます」


 六階、広報部。雑然としたオフィスにミーナの声が響くと、必然的にそちらへと注目が集まる。エントランスに常駐している彼女が、こうして他部署を訪れるのは珍しいことだった。


 「あら、ミーナちゃんじゃない。どうしたの……って、訊くまでもないわね」


 背中に黒い翼を生やした女が、ふよふよと浮かびながらやって来る。ミーナがボロボロの知らない男を、引きずりながら連れているのを見て、状況を察した。


 「ラミィさん、新井さんをお連れしました」

 「あ~、なんとなくそうじゃないかって思ったけど、やっぱりそうなのね」

 「瀕死ですが、死んではいないので、このままお引き渡ししようと思って」

 「ヤクザの人質じゃないんだからさ……」


 ミーナは風太の襟首を掴み……母ネコが子ネコを咥えて運ぶように、片手からぶら下げた。女……ラミィが椅子を引いてきたので、そこに座らせてやる。


 「新井さん、広報部に着きましたよ。どうかお目覚めください」


 修道女にも似た慈悲深い声色を使いつつ、平手打ちをかます。有機体から小気味いい音が鳴るのは、生きているときだけなのだ。 平手打ち、平手打ち、平手打ち、たまに往復ビンタ。そして腹パン。


 「ミーナちゃん、一応言っておくけど、人間を殺したら外交問題よ」

 「はて、誰に向かって言っているんでしょう」

 「……『寸止め天使』って呼び名、気に入ってるわけ?」

 「奉仕は天使の至上命題ですもの」

 「まあそれはいいけどさ。人間はそこまで丈夫じゃないわよ、多分」


 ラミィの言う通り、風太は白目を剥いて意識がなく、身体じゅうが擦り傷とアザだらけ。鼻血は出ているし、よだれも垂らしているし、顔色蒼白で虫の息。回復魔法のスペシャリスト、ミーナの目にも、生物的な限界を感じさせるものがあった。


 「残念ですが、ここで打ち止めのようですね」

 「気は済んだか、ミーナ。なら、とっととそいつを口が利けるようにしてやってくれ。せっかくの新米が台無しだ」

 「あら、シダルさん」


 長身で筋骨隆々の獣人、青シャツにネクタイを締めてベストを着たビジネスマン……シダルは、渋い顔をして彼女を窘めた。


 「有望株なんですか?」

 「あァ、もちろん」

 「ウフフ……そうでしたか」


 ミーナとて、人間がこの企業に採用されることの意味が、分からないではない。しかし彼女の興味はそんなことよりも、目の前で尽きかけている生命の灯に、たっぷりと油を注いでやるとどう燃え上がるか、それだけに向いていた。


 「では、息の根が止まってしまわないうちに、参りましょうか」


 周囲が見守る中、ひざまずき傾いで、祈りを捧げる体勢をとる。そしてささやくような声で素早く詠唱を済ませると、彼女の身体に赤い刻印が浮かび上がった。


 「対象の生命反応喪失寸止めを確認。回復魔法、イキます」


 そう宣言して手をかざすと、風太をうっすらと、まばゆい光の膜が包み込み始める。それは太陽のように強い光量を持ちながらも、直視しても目が眩まない、不思議な光だった。


 膜はしなやかに、ミルフィーユのごとく幾層にも折り重なり、次第に厚みを増していくと、こんもりと繭のような様相を呈する。そして彼女の手から伸びた黄金の糸を伝い、赤い光が内部へと注入されていく。


 しばらくその状態が続き……赤で満たされた繭が突如として膨れ上がると、一筋のひときわ強い光が内から漏れ出た。それを合図に繭は破裂し、散り散りになる。霧雨のように散逸した光は、虹色を帯びて、すぐに空気に溶けて消えていった。


 「……ふぁ」


 彼の身体からは、内外かかわらず一切の損傷が消え失せ、断絶した神経系の再結合および活性化、細胞分裂の正常化、老廃物の浄化、エネルギー効率の上昇、さらには精神的不調までも克服されるようになっていた。それは少なからず、見た目にも影響を与えるもので、肌はツヤツヤ、髪はサラサラ、目には意志と輝きが宿り、好青年と呼ぶのに充分な要素を有していた。おまけに汚れていたスーツまで綺麗になっている。ただし、もちろん身長は変わっていない。


 「ふぅ……いっぱい出ましたね」

 「毎度思うけど、なにがいっぱい出たのよ」

 「見たでしょう、虹色の光を。あれが生命活動を脅かしていた、諸々の因子です」


 ミーナは少し疲れた様子で、傍らのデスクに手をついた。魔法によって生命を死の淵から引き上げるというのは、相応の魔力を消費する。決して楽な作業ではないが……この苦しくも心地よい疲労感、そしてボロクズのようだった生物が、見違えるほど活力のあふれた姿になるのを見るのが、『寸止め天使』と呼ばれる彼女にとって、なによりの楽しみだった。


 「ようやく復活したか」

 「……ぁ、あ?」


 風太は未だ夢心地で、ぼんやりとしている。ミーナの回復魔法は、例えるならコンピューターの再起動のようなものだ。彼の身体は、その複雑な諸機能を読み込むのに、多少の時間を要していた。


 「新人クン、聞こえる?」

 「ぁ、ぅ、あ……は、い……」


 耳に入る言葉の意味は理解できる。だが、まるで状況が分からない。自分はいったいどうなった?


 長い眠りから覚めたような心地だったが、残った眠気に覚醒を邪魔されるような不愉快さはない。意識が明瞭になるにつれ、自然と身体も軽くなっていく……それは味わったことのない感覚だった。


 「はふぅ……ここ、どこです?」

 「広報部のオフィスだ、新人」

 「こう、ほうぶ……?」

 「そうよ。キミがこれから働くことになる場所」

 「働く……そっか、ボク……」


 彼は出勤の途上、己が身にどんな災いが降りかかったのかを思い出した。そして自分がこうして五体満足で……苦痛を感じないでいられるのが、不思議で仕方がなかった。


 「新井さん、ご気分はいかがですか」

 「あなたは……ミーナさん、でしたよね」

 「はい、受付のミーナです。もしお体に違和感があれば、遠慮なくおっしゃってください」


 風太はおもむろに立ち、座り、腕を伸ばし、ジャンプして、しゃがんでみた。……痛みや不快感はちっともない。それどころか、いつもより調子が良くさえある。

 

 「なんともないです。むしろ気分が良いというか」

 「それはよかったです」


 ミーナの回復魔法はいつでも完璧だし、周囲もそれを疑わない。それでもこうして対象者の経過に気を遣うのが、彼女の繊細な心配りであり、ゆえに自らの手で、相手を死亡寸前まで痛めつけることが……ある種の習癖として黙認されているのだった。


 「では、私はこれにて失礼します。もし後から異常を感じたら、いつでもお知らせくださいませ。新井さん、頑張ってくださいね」

 「あ、はい……」

 「じゃあね、ミーナちゃん」


 ミーナは佇まいを正すと、広報部の面々に向けて丁寧にお辞儀をし、エントランスへと戻っていった。

 そういえば、自分をここまで連れてきてくれたのは彼女だったような……気がしたが、それを思い出そうとすると、なぜだか悪寒が走る。


 「ミーナさんが、ボクを助けてくれたんですか?」

 「広義ではな」

 「……?」

 「恩を感じる必要はないし、お礼もしなくていいわよ」

 「そ、そういうわけには……」


 彼らのなんともいえない生ぬるい反応に、この奇妙な感覚の答えが隠されているような気がしてならない……それ以上、追及はしなかったが。


 「さて、と。ようやく落ち着いて話ができそうだな」


 話が一段落したところで、シダルはそう切り出した。


 「新人、俺のことは覚えてるか?」


 唐突な質問にキョトンとするものの……彼には心当たりがあった。


 「あ、そういえば面接で……」

 「あァ、そうだ。こうして再開できて嬉しく思う」


 面接は、ここではない別のビルで行われた。異人を前にして緊張する風太を気遣い、かつ面接官たちの中心人物として主導していたのは、他でもない彼だったのを思い出す。


 「あの……ボクを採用してくださって、ありがとうございます」


 風太は深々と頭を下げた。普通はこんなお礼はするものではないが……感謝しているのは本当だった。なにしろ、彼とまともに取り合ってくれたのは、この企業だけだったのだ。もし内定を貰えていなかったら、今頃どうなっていたか分からない。


 「あァ……その言葉は俺じゃなくて、社長に言って差し上げろ。最終的な判断を下されたのは、あの方だ」

 「は、はい」

 「んで、自己紹介だが……俺はシダル。ここ、広報部の部長を務めている。こっちがラミィで……」

 「ちょっと、アタシの紹介はアタシがするから!」


 横から割り込むように、ずいっと身を乗り出してくる……黒い翼が生えた女、ラミィ。耳と尻尾が生え、全身を短毛に覆われた獣人のシダルよりも、彼女の外見は実に特徴的だった。


 ちょこんと生えた角、背中のつやつやとした翼はもちろんそうなのだが、とりわけ目立つのは……服の布面積の狭さだ。どれくらいかというと、マイクロビキニをちょっぴり大きくした程度。しかし不思議なことに、少しもいやらしさを感じない。その理由は恐らく……極限まで余計なものを削ぎ落とした、無駄のない直線的なフォルムのせいだろう。どこがとは言わないが。


 「新人クン……じゃなくて風太クン、だったわね?」

 「あ、はい」

 

 彼女はにんまりと笑うと、身を寄せて腕を絡ませてくる。


 「アタシはラミィ。分からないことがあったら、なんでも訊いてね。部長も顔は怖いけど、面倒見は良いから心配しなくても大丈夫よ」

 「あ、はい」


 なんだろう、この気持ち……誰もいない路地裏で明滅する電灯とタバコの吸い殻、そして冷たく降りしきる雨の日の情景のような、わびしさと寂寥感は。あるべきものが失われ、緩やかな終わりをただ待ち続ける……そんな退廃的な心情。


 ぐいぐいと押しつけられる、彼女の身体。そこにはない、なにもない……だから彼の心にも、なにもない。嗚呼、まことこの世は無情なり。

 願わくは、もっとで~~~っかいのが、ここにあったらなぁ……な~んて。


 「ねえ、なんかすっごく失礼なこと考えてない?」

 「滅相もないっ!」


 常識的に考えて、初対面だというのに馴れ馴れしくもこんなにくっついてくる彼女が悪い。そうに決まっている。

 

 「……まあいいわ。はい、これ」

 

 懐をモゾモゾと漁り、眼前に突き出されたのは……甘い香りのする、ピンク色のなにかだった。


 「なんですか、これ」

 「イチゴ大福(常温)よ。お近づきのしるし」

 「……今、どこから出したんです?」

 「いいからいいから」

 

 半ば押しつけられるようにして、口にねじ込まれるイチゴ大福(常温)。丸腰でほぼ全裸の彼女が、いったいどこにこんな柔らかい生菓子を隠し持っていたのだろうか。一つ言えるのは、想像も詮索もしないほうが良い、ということだ。


 「むぐ、むぐ、むぐ」

 「美味しい?」

 「むぐむぐ」

 「そう、ありがと!」


 このイチゴ大福……不味くはないが、なんというか……コメントに困る味だ。イチゴ大福の体裁を守りつつも、どこか異形の要素も併せ持つような……。なんだか、食べてはいけないものを食べている気がしてならない。


 「よし、では早速だが、これに目を通してくれ」


 自身のデスクから何枚かの書類を取ってきて、風太へと渡す。紙面を飾るのは、案内図、就業規則、理念、沿革、告知……といった言葉たちだ。


 「熟読するようなもんでもないが、大枠は把握してほしい」

 「んぐ……分かりました」

 「はい、ほうじ茶(常温)」

 「あ、ありがと……」

 

 これまた奇妙な風味のほうじ茶を飲みながら、上から下へと目を滑らせていく。


 「ぶ、ぐふっ……げほ、げほっ」

 「だ、大丈夫?」

 「ん、ん……ああ、いや、うん……」


 ラミィが差し出してくれたハンカチ(乾いている)で、口許を覆う。女の子の匂いがする……が、そんなことはどうでも良い。それよりもこの書面……。


 『社長の命令には絶対に従うこと!』

 『労働は死なない程度に頑張ること!』

 『お互いに表面上は仲良くすること!』


 就業規則の欄に、上から順に書いてあることだ。……どう見てもおかしい。


 「あの、これはどういう……」

 「それは就業規則とあるが、壁の内側……コロニー全体に適用されるものだからな。内容は……まァ、参考程度にしてくれ」

 「いやいや、ちゃんと説明してくださいよ! こんなふざけた書き方……本当にこれ、正規の書類ですか!?」


 シダルの歯切れの悪い物言いに、つい大声を上げてしまう。こんな横暴で、茶目っ気たっぷりな条文は見たことがない。


 「それねー、全部社長のセンスだから、真に受けないほうがいいわよ」


 全部……。いつの間にか彼の目は、書面をじっくりと見据えていた。


 『許可なく敷地外へ出ないこと!』

 『部外者の前で魔法を使わないこと!』

 『人間に魔法を教えないこと!』

 『同胞を殺害しないこと!』

 『来る七月、流しそうめん大会を開催します。社員は必ず参加すること。拒否権ナシ!』

 『テロリストによるサイバー攻撃が相次いでいます! セキュリティソフトは随時更新し、見覚えのないメール、および添付されたファイルは開かないでください!』


 風太の手がわなわなと震える。なんなんだ、これは……。書いてある内容は理解できる。だが、このようなことを明記しなければならない会社の実情が理解できない。

 このふざけた文面に加えて……殺害? テロリスト? 流しそうめん? この会社は、いったいどうなっているんだ……。


 「……なァ、新人……風太よ。人間のお前が困惑するのは、よォく分かる。俺でさえ、おかしなことが書いてあると思うさ」

 「うんうん、アタシも思う」


 二人は揃って頷きながら、風太へ語りかける。


 「だがな、一つだけ分かってほしい。ここに書いてあることは、決して俺たちを脅かすためのものじゃないってことを」

 「それは、そうですけど……」


 シダルの言う通り、内容的にはどれもおかしなことを書いているわけではないのだ。


 社長の命令に従うのは、組織の構成員として当たり前だ。労働で死ぬのも、同僚を殺すのもあってはならないことだし、流しそうめんも……飲み会みたいなものだと思えば受け入れられる。


 テロリストの攻撃目標にされているというのは、状況がよく分からないが……注意喚起をしてくれるのにケチを付ける謂れはない。

 そう考えると、これはこれでアリ、なのだろうか……?


 「慣れてくれば、ここがどういうところなのか分かってくるわよ。さっきも言ったけど、疑問はぜーんぶ、アタシたちにぶつけてくれていいから!」


 ラミィがない胸を張ってみせる。気持ちはとてもありがたいし、心強いが……。


 「うーん……」

 「まァ、今は深く考えるな。とりあえず……もう少ししたらオリエンテーションを行うから、それまで流し読みしておいてくれ」


 シダルはそう告げると、そのオリエンテーションの準備のためか、部室を出ていってしまった。


 「じゃあ、アタシもやることあるから……またねっ!」

 「あ、あ……」


 シダルに続いて、ラミィまでどこかへ行ってしまった。それ以外の面々は、せわしなく動いていて話を聞いてくれる雰囲気ではないし……なんだか煙に巻かれたような気がしてしまう。


「はぁ……」


 ぽつんと取り残された風太は、書類をぼんやりと眺めながら、シダルが戻ってくるのを待った。


 そしてしばらくしてから、シダルと共に社内の挨拶回りに出かけることとなった。

この会社には、他に総務部、開発部、経理部の、計四つの部署しかないと聞いて、また驚く。これだけビルが大きいのに、持て余してしまうのではないだろうか……。ますます企業の運営体制に疑念が湧く。


 なんでも開発部は機密保持のために出入り禁止だとかで、残る二つの部署を巡った。どちらもそれなりに好感触な反応を示してはくれたが……あくまで社交辞令の域を出ないものだと感じてしまった。だが他部署の人間なんて普段は関わらないだろうし、それも当然か。


 一通り挨拶を終えると、今度は社内の構造、設備等についての説明を受けた。どの部屋も広くて、綺麗に清掃されている。この点はとても良い。ビルへ続く並木道も整備されていたし、気持ちよく働くための環境は整っているといえる。


 それも終わると、補足的ないくつかの説明を聞いたのち、なぜか荷物運びをやらされた。会議室の前まで持っていってほしい、とのことだが……持たされたのは、段ボールいっぱいに入った、スナック菓子の山だった。会議中にこんなものを食べるのだろうか。


 会議室の前に着くと、使用中の札が下げてあったため、音を立てないようこっそりと置……く必要はなかった。室内から漏れる声が、ひどく騒がしかったからだ。厳粛に議論をしている様子ではない。……このほうがリラックスできて、かえって良い案が出るとか、そういうのかもしれない。聞き耳を立てるのも良くないので、足早にそこを去った。


 「はぁ~~~……」


 風太は大きなため息をついた。終わったらオフィスに戻って待っていろ、と言われたのでそうしているが……誰もいない。全員が出払って部屋を空けるなんてことが、あって良いのだろうか。もしかしたら電話がかかってくるかもしれないのに……。


 時計を見ると、もう少しでお昼になろうというところだ。もしかして昼休憩の時間だから、みんなどこかで食事を摂っているのだろうか。そういえばこの会社には、食堂もあるとか。今日は菓子パンを持参したけれど、次からはそこで食べても良いかもしれない。


 ……ここに入ったの、やっぱり失敗だったかもな。

 当時はなりふり構っていられない状況だったから、ろくに下調べもせずに、流れ作業で片っ端から求人に応募していた。当然、蹴られるのも片っ端からだったが、なぜかこの会社だけトントン拍子で話が進み、まさかの採用に漕ぎつけてしまったのだ。面接で顔合わせをしたときに、初めて異人の会社だということを知って戸惑ったが……せっかくのチャンスだし、ここ以外に選択肢などなかったので、親の反対を押し切って内定受諾したのだ。


 でもやっぱり、異人たちは人間とは違う。常識も、習慣も……言葉は通じるのに、根底で分かり合えない感じだ。

 部長もラミィも、懇切丁寧にしてくれるけれど、それはお客様待遇をしろ、と命令されているからではないかと、勘ぐってしまう。良くない想像だ。自分で自分が嫌になる。


 やはりあの書類が……常識外れなことが書いてあるあれが、ずっと引っかかっているんだ。あのときは無理に自分を納得させようとしたが、社長の命令に服従することを明文化するなんて、どう考えてもまともじゃない。そんなの……社員の全ての権利を奪っているも同然だ。


 ……ブラック企業。そんな流行りの言葉が、脳内でちらついた。逃げるなら、早いに越したことはない。だがそもそも、辞めることを認めてくれるのだろうか。こんなルールを作る異人のことだ、揉めに揉めるに違いない……。


 「風太クン、いる~?」

 「は、はひっ!?」


 唐突に扉が開け放たれる。ラミィは風太を見つけると、彼の元へ一直線に向かっていった。


 「じゃあ、行こっか!」

 「え、行くってどこへ……」

 「いいから!」


 腕を取ると、強引に風太を引き連れていく。廊下に出て、エレベーターに乗って、また廊下を歩いて……この道のりは、もしや。


 「あのっ、もしかして会議室へ向かってます?」

 「そうだよ~」

 「なんでですかっ、あそこはさっき、使用中でしたよっ」

 「そりゃ、使ってるのはアタシたちだからね」

 「それはどういう……」


 さっぱり訳が分からないまま、再び会議室の前へと訪れる。置いた段ボールはなくなっていた。


 「うんしょ……はい、これ被って!」

 「わわ……」

 

 ラミィが懐から取り出した、トンガリ帽子(緑色)を被せられる。そして冷たく、柔らかいものが視界を覆った。どうやら彼女が手で目隠しをしているらしい。


 「では、張り切ってご入場くださ~い!」


 言われるがまま、背中を押されて会議室へと足を踏み入れると……。

 パーン、パーン! 

 破裂音が次々に鳴り響いた。聞き覚えのある音だ。これは……クラッカー?


 「ようこそ、広報部へ!」

 「へ……?」


 視界が開かれた。そこに広がっていたのは……壁一面に取り付けられたカラフルな飾り物と、テーブルいっぱいの料理。そして、まだ全員の顔は覚えきれていないが……恐らく、広報部の同僚たちだった。


 「主賓のお出ましだ! みんな、乾杯しよう!」


 シダルが低く太い声で、号令をかける。ラミィに飲み物が入った紙コップを渡され、そして……。


 「乾杯!」


 その掛け声を合図に、一斉に腕を掲げた。風太もポカーンとしたまま、とりあえず同じ動作をする。


 「朝はゆっくり挨拶できなかったけど、これからよろしくな!」

 「慣れるまで大変だろうが、なんでも訊いてくれ」

 「肩肘張らずに、ぼちぼちやってこうぜ!」


 代わる代わる掛けられる声に、はい、はいと頷くことしかできない。


 「はい、あーん」

 「むぐごっ」


 ラミィがフォークに刺した肉を、口に押し入れてくる。……美味しい。そういえば、お腹が空いていたんだった。


 「もぐもぐ……あの、これはいったいどういう……」

 「どうもこうも、お前の歓迎パーティだ」

 「そうよ~。朝は仕事の合間に準備をしてたから、忙しかったの」


 それを聞いて、ようやく合点がいった。だからあのとき、みんなの様子がおかしかったのか。部長が付きっきりで指導してくれていたのも、他の面々が準備に追われていたからだ。


 「ちなみに、パーティが終わったら今日は仕事じまいだからな」

 「えっ、まだなにもやってませんよ!?」

 「お前の仕事は、この場所に慣れることだ。充分じゃねェか」

 「そんな……そんないい加減な……」


 全く、本当にとんでもないところに入社してしまった。勤務中にこんな派手に飲み食いして……。この飲み物も、バッチリお酒だし……。普通は懲戒モノじゃないか、こんなの……。


 「料理もデザートもお菓子もあるから、どんどん食べてね~……って、もしもーし?」

 「……うっ、うっ……」

 「え、ちょ、なんで泣いてるのよ?」


 どうして彼らは、こうして無条件に自分を受け入れてくれるのだろう。就活では散々、ゴミを見るような目で見られてきたのに……なぜ彼らの視線は……こんなにも温かい?


 「なんでもないです……」

 「そ、そう。とりあえず、ハンカチ(乾いている)使って」

 「毎度毎度、ありがとうございます……」 


 突飛な内容の書類が事実なら、彼らの屈託なさもまた事実だ。どちらか片方だけを信じ込むのは……それこそ、偏見というものだ。そして自分はなにより、その偏見に苦しめられてきたのではないか。


 なら、自分がこれからやるべきことは……異人たちがどのようなコミュニティを築き、日々を生きているかを見極めることだ。身の振り方を考える前に、まず適応する努力をしよう。そうすれば、見えなかったものが見えてくるかもしれない。


 「ボク、頑張ろう。頑張ってみよう。ここでなら……」


 彼の涙ながらの呟きは、歓談のざわめきに溶けて、あっという間に消えていった。

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