織姫と言われても

入江 涼子

第1話

 私はいつものように、七夕の夜を一人で寂しく過ごしていた。


 私には昔から、めちゃくちゃ強い霊力がある。そのためにかなり、苦労をしてきた。確か、ご先祖が凄く優秀な巫女さんやら陰陽師やらを輩出した家の人だったらしい。要は二、三代に一度は先祖返りといえる霊力が高い人物が生まれていたと言える。だからか、私にも両親は厳しかった。学生の頃は某県にある超有名なお寺に近い所に引っ越して、住職さんにビシバシと鍛えてもらったものだ。

 おかげで会社員兼霊能力者として私はやっていた。まあ、高校を卒業してからは山寺に行き、荒行をひたすらにこなしたが。そんな事をつらつらと考えながら、缶チューハイをあおる。深いため息がリビングにて、出たのだった。


 コンコンと窓ガラスを叩く音が部屋に響く。最初は無視を決め込んでいたが。あまりにも、しつこく叩くからしょうがないと立ち上がる。カーテンを開けて、確認した。そこには髪を結い上げ、見慣れない和服を着た一人の男が佇む。私はすかさず、カーテンを閉めた。


(……見なかった事にしよう)


 さっさと元のテーブルの前に座り直す。缶チューハイをまた、飲み出すが。コンコンと男は鳴らし続けた。私は危険人物なら、即警察だなと考えながら。窓ガラスを開けに向かった。


「……すまぬな、こんな夜分に」


「いえ」


 男はそう言って、私が出した湯呑みに入ったお茶を啜る。そして、さらに言う。


「まあ、初めましてとは言っておく。私はこちらでよく知られている牽牛星と呼ばれている」


「……はあ、牽牛星ですか」


「分からぬか、日の本でだと。確か、彦星と言った方が分かりやすいな」


 私はやはり、危険人物だったかと思った。スマホを取りに立ち上がる。


「……ちょっ、待て!話を聞いてはくれんか!!」


「今は夜の八時を過ぎています、大声は近所迷惑になりますよ」


「分かった、仕方ない。手短に済ませるよ」


 彦星と名乗った男は深いため息をついた。


「……まず、私がこちらに来た理由だが。そなたを探しに来た。明確に言うと、伴侶の生まれ変わりを迎えに行くためにな」


「はい?伴侶?」


「ああ、私のだが。伴侶の名は織姫だ」


 私は再度、立ち上がった。スマホを手に取る。すると、またも彦星は慌て出した。


「待て待て、そう警戒するな。そなたはかつての伴侶もとい、妻であった織姫の生まれ変わりだ。私はそなたを間近で見て確信したぞ。だから、帰って来てほしい」


「……どこにですか?」


「私が住む天界にだ」


 私はスマホを持ったままで彦星を胡乱げに見た。やはり、こいつは危険人物だわ。警察に電話しようと画面を操作した。


「な、どこへ知らせる気だ?!」


「どこへって、警察にですよ。まだ、四の五の言うんだったら。あちらからお帰りください」


「私の言う事は信用できぬか?」


「はい!全くです」


「……」


 私が元気よく、答えると。彦星はとうとう項垂れた。しばらく、しょげ返っていたので放っておいた。


 あれから、一時間が過ぎたか。私は缶チューハイを飲みきり、おつまみも全て食べきっていた。さて、シャワーでも浴びに行きますか。そう思い、立ち上がる。


「……織姫、その。気は変わったか?」


「いえ、全く」


「あ、そういえば。まだ、そなたの本名を訊いていなかった。教えてはくれぬか?」


「私の名前ですか」


「……ああ、私は彦星などと呼ばれているが。本名は吾多津彦あたつひこだ」


「吾多津彦さんですね、私は。横野奈那です」


「ナナか、良い名だ。それに覚えやすいな」


 彦星もとい、吾多津彦は優しげに笑う。私は真正面から改めて、彼を眺めた。軽く日に焼けた健康的な肌に、キリッとした目元。鼻筋もスッと通っていて口元もスッキリした感じだ。

 ……うん、イマドキには珍しい正統派の美男子だわ。けど、まだ初対面だしなあ。一緒に天界へは行けそうにない。


「吾多津彦さん、ちょっと私はお風呂に行ってきますので。そろそろ、帰っていただけませんか?」


「仕方ない、今夜は帰るとしよう。だが、来年は覚悟してろよ」


「……はい?」


「来年こそは織姫としての記憶を取り戻してもらうぞ、ではな!」


 吾多津彦はそう高らかに宣言すると、真っ白な光に包まれた。部屋中にそれが満ちる。あまりの眩しさに両目を反射的に閉じた。


 しばらくして、瞼を開けた。もうそこには吾多津彦の姿はない。私は「やっと、帰ったか」とため息をつく。来年こそはとか言っていたが。まあ、来たとしても追い返すだけだ。そう決めて、さっさとシャワーを浴びに向かうのだった。


 こうして、時間が過ぎ去る。気がついたら、翌年の七夕になっていた。夜になり相変わらず、私は缶チューハイを片手に酒盛りをしていた。

 そうしたら、また去年みたいに窓ガラスを叩く音がする。

 ……来やがったか。ため息をつきながら、私は窓を開けに行く。やはり、あの男が佇んでいた。


「……久しぶりだな、奈那」


「全く、久しぶりとかよく言うわよね。私は天界に帰る気はないから」


「な、そんな事を言わないでくれ。一年に一回しか来れないのに!」


 また、相変わらずのやり取りだ。私はしょうがないと苦笑いする。


「吾多津彦さん、私が織姫かはまだ、確信はないけど。そんなに言うなら、思い出させてよ」


「分かった、中に上がらせてくれ。事の次第はそれからだ」


 頷くと、私は吾多津彦を中に上がらせた。キッチンに向かうのだった。


 去年と同じく、緑茶ではなく。麦茶やカップアイスを出した。食べやすいように、スプーンも添えておく。が、吾多津彦はスプーンの使い方が分からないらしい。悪戦苦闘している。私は仕方なく、スプーンの使い方を軽く教えてやった。吾多津彦は「成程!」と言って、喜々としながらアイスを食べだした。


「……奈那、織姫としての記憶についてだが」


「うん、なあに?」


「そなたは天界から、地上へと降ろされた身。その時に、記憶を固く封じ込まれてしまっている。私はそれを解く方法を織姫の父君に聞いて来たんだが」


 吾多津彦はそう言いながら、アイスを口に含んだ。飲み込んでから続ける。


「……そなたが着ていた衣装の一部を貰い受けてきた、確か。領巾ひれと言ったかな。それを奈那に触れさせ、月の光を浴びさせたら良いらしいな」


「そんな事で本当に、思い出せるの?」


「やってみない事には分からんな」


 私は不承不承で頷く。吾多津彦はアイスを食べきるまで無言になった。


 吾多津彦がアイスを完食したのを見計らい、織姫の衣装のヒレを見せてもらう。彼が懐から取り出したのは一枚の細長いショール状の布だった。透けた薄い、綺麗な布地だ。


「これが織姫のヒレ?」


「ああ、今で言うとショールだったか。天女が羽織る布だな」


「へえ、こうやって見たら綺麗ね」


「そうだな、奈那。外へ行くぞ」


 吾多津彦がそう言って、右手を差し出す。仕方なく、私は自身のそれを重ねた。ぐっと力強く、握られる。掃き出し窓を開け、ベランダに向かう。今日は梅雨時にしては珍しく、よく晴れた夜空だ。満月がちょうど出ている。


「うん、奈那が記憶を取り戻すにうってつけの天気だな。さ、月光が当たる所に行くぞ」


「え、吾多津彦さん?!」


「しっかり、掴まっていろ!」


 吾多津彦はいきなり、私をヒョイッと縦抱きにした。そして信じられない事にベランダの塀を飛び越えたのだ。私は声にならない悲鳴をあげる。


「……奈那、怖いなら。目を閉じていろ!」


「……はい!」


 吾多津彦の言葉通り、ギュッと瞼を閉じた。ジェットコースターに乗ったような急降下や浮遊感に目を回しそうになりながら。しばらくは彼にしがみついていた。


「……もういいぞ」


 吾多津彦が優しく、声をかける。私は恐る恐る瞼を開けた。  


「……え、ここって」


「ここは雲のさらに上だ、よく晴れているからな。遮るものはないぞ」


「本当ね、星や地上の明かりが綺麗だわ」


 私は夜空に輝く無数の星々やぽっかりと浮かぶ月、地上に輝く無数の明かりや広がる光景に感嘆する。あまりに美しい風景だが、どこか懐かしくもあった。

 吾多津彦はそんな私をしっかりと抱えたままで、話し掛けてくる。


「奈那、いや。蓮花姫れんかひめ、ちょっとは昔を思い出したか?」


「……ええ、本当にこうやって逢うのは去年を除いたら。約千年ぶりね」


「やっと、逢えた。長い事待ったんだぞ」


「ごめんなさいね、吾多津。あなたを孤独の中で過ごさせて、しまったわ」


「……蓮花、やはり。私はそなたといたい。けど、地上が良いのだろう?」


 吾多津彦はそう言って哀しげに笑う。私はあまりに儚げな笑みに居た堪れない。気がついたら、彼の頭を両腕で抱きしめていた。

 

「……吾多津、そんなに哀しそうにしないで。分かったわ、私も天界に行く。あなたとずっと一緒にいるわ」


「蓮花」


「天界に行きましょう、その代わりに。吾多津、私を離さないでね」


「……そなたの望みのままに、姫」


 吾多津彦はそれは嬉しそうに笑う。あ、この笑顔はかつての蓮花姫が好きな表情だわ。ちょっと、ドキリとした。


「蓮花、いや。奈那」


「どうかした?」


「私は蓮花でなく、つれないけど。面倒見が良い奈那が今は好きだな。よろしく頼むぞ」


 私はいきなりではあったが。不意打ちの口説き文句に、顔が熱くなるのが分かる。照れ隠しにとそっぽを向く。吾多津彦は愉しそうに笑うのだった。


 ――終わり――


 


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