トンビが育てた鷹の巣作り 後編
俺と別れて一人暮らしを始めてから、玲香は更なる躍進を遂げた。
出張という枷から解き放たれたおかげで、彼女はますます女優としての活躍の場を増やしていったし。
映画やドラマといった演技の舞台だけではなく、テレビ番組への出演や個人チャンネルでの動画投稿も始めるようになった。
そんな新しい活動はどれも順調で、彼女の知名度は伸び続けている。
そうして、別れてから三年が経った頃には、玲香はハリウッド映画に出演を果たすほどになっていた。
いつの間にか英語もペラペラになっていたし、本当に意味が分からない。
相変わらず夜になると電話をねだってくる可愛い愛娘が、世界的スターというのはどうにも現実味がなかった。
「ねぇお兄さん。来週は私の誕生日だって、覚えてるよね?」
「もちろんな。今年は何かしたいことでもあるのか?」
「うん。招待したい場所があるから、誕生日の日はそこに来て。事前に調べたりしちゃダメだからね」
とある日の夜のこと。
玲香は電話でそう言うと、彼女にしては珍しくさっさと通話を切ってしまった。
そして誕生日当日、言われた通り下調べも何もせずに伝えられた住所まで来てみると、そこには新築の一軒家があった。
場所は都心の一等地で、表札にはなぜか俺の苗字が刻まれている。
インターホンを押してみると、案の定玲香が玄関から姿を現した。
「玲香?」
「早く中に入って、お兄さん。外は暑いでしょ?」
「ああ……そうだな」
数か月ぶり会った玲香は、より一層美しく成長していた。
青みがかった黒髪を腰まで伸ばし、左右対称の大きな瞳にアイラインを引いた彼女には、どこか現実離れした色香と美しさがある。
そんな玲香に手を引かれて入った家の中身は広大で、一等地に建てられたとは思えないほどの面積だ。
今の彼女がどれだけ稼いでいるのかがよく分かる。
「それで、この家は何なんだ? 玲香」
「お兄さんと私の家。もちろん、お兄さんが受け入れてくれればだけど」
聞けば、玲香からある意味予想通りの返答が返ってくる。
それから、彼女は窓の傍まで歩いていくと、窓から差し込んでくる太陽の光を背にして、女神のような存在感を放ちながら喋り始めた。
「私ね、全部覚えてるよ。誰も引き取りたがらなかった私のことを、お兄さんが引き取ってくれたこと。お兄さんの持ち得る愛を、全て私に注ぎ込んでくれたこと。私のためなら、労力もお金も出し惜しみしなかったこと。全部、全部覚えてる。お兄さんは当たり前のことだと思ってたかもしれないけど、普通の親でもここまでする人なんて中々いないよ?」
「……それがなんだ。恩返しのつもりなら、俺は別に――」
「違うよ。私が恩返しなんかのつもりじゃないってこと、お兄さんはよく分かってるでしょ? 私の育ての親なんだから」
俺の言葉は、いつになく強引に遮られてかき消えた。
確かに、今の玲香の目的が恩返しではないことはなんとなく分かる。
今の彼女の雰囲気はなぜだか、まだ"他人"だった五歳の彼女に似ていた。
「単刀直入に言うとね、私はお兄さんのことを愛してるの。だから、これは告白兼同棲のお誘いってところかな」
「……は?」
「結局、お兄さんが追及してくれることはなかったけど、私がお兄さんのことを"お父さん"って呼ばなかったのはそれが理由。あれだけの愛を
そう話すの玲香の表情は、逆光に照らされてはっきりとは見えなかった。
ただ、かろうじて見えた口元は、妖艶な笑みを浮かべていた。
「だからね、三年前にお兄さんが私の足手まといになるからって、別居を提案されたときはショックだったな。好きな人から離れ離れになろうなんて言われたんだもん。だけど、今はもうそんなこと言えないでしょ? お兄さんが何をやったって、今の私の足手まといになんてなり得ない……!」
玲香の言う通りだ。
今の彼女は世界的スターで、芸能界にこだわらなくてもやっていけるだけの知名度と実力を獲得していた。
俺如きは、もはや足手まといにならないだろう。
「それでお兄さん、告白の返事は?」
「……俺にとって、お前は娘だ。十六年前にお前を引き取った時、父親になると固く決意したあの日からずっとな。それが変わることはない」
「ふふ、やっぱりお兄さんならそう答えるよね。でも、それじゃあ困るの。だから、今度は二択にしましょう? 私がお兄さんの"他人"の演技を始めるのか、お兄さんが父親役を辞めるのか、お兄さんはどっちがいい?」
「本気で言ってるのか?」
「今日の私はずっと本気だよ?」
そう話す玲香の声色は、一切笑っていなかった。
"他人"の演技を始めるなんて馬鹿げた話だが、今の玲香ならきっとできてしまうのだろう。
玲香の決意の重さに、俺は冷や汗を流す。
しかしながら、選ばなければいけないのなら二択の答えははっきりしていた。
俺は、玲香の負担になるようなことはしないと決めているのだ。
「……最悪、告白は受け入れてもいい。だけど分かってるのか? 俺の本心は変わらないぞ」
「今はきっとそうだね。でも、私と一緒に暮らしてくれるのならすぐに変わるよ」
そう話しながら、玲香はにじり寄って距離を詰め、正面から俺に抱き着いた。
それから、彼女は俺の耳元に頭を寄せ、ゆっくりと囁き始める。
「私ね、全部知ってるよ。お兄さんが特別な存在になりたがってたこと。非凡な才能を求めていたこと。途中で夢を捨てたこと。全部、全部知ってる」
……馬鹿な。
俺は、俺の奥底にあったあの仄暗い感情を、一度たりとも明かしたことはない。
娘同然の玲香であっても、こればかりは知りえないはずだ。
「どうしてそんなことが分かる?」
「どうしてって、好きな人のことはなんでも知りたいものでしょ? そして、好きな人の希望は叶えてあげたくなるのも人情でしょう? だからね、私がお兄さんを特別な存在にして、非凡な能力を与えて、捨てられた夢を拾ってきてあげる」
「それで俺の心が動かせると?」
「ううん、さっきまで話してたのはただの下準備だよ。下準備が終わったら、何もかもを叶えて父親から男に戻ってもらったお兄さんに、私の才能と、お金と、身体を全部ぶち込んで好きになってもらうの」
「そう……か。お前がそこまで望むなら、父親役を降りるのも悪くないか」
玲香の言葉を聞いて、観念した俺が身体の力を抜くと、その分玲香が俺を抱きしめる力が強くなる。
彼女はもう、誕生日プレゼントを離すつもりがないようだった。
誕生日プレゼントの品目は、言うまでもないが俺自身だ。
「ふふ……嬉しい。どうしようもないぐらい、ずっと好きだったの。私に演技の才能がなかったら、とっくの昔に襲ってた。どんなに重くても、私の愛を飲みこめるまでゆっくり咀嚼させてあげるから」
胃もたれするほど重い言葉を吐いて、玲香は口角を釣り上げた。
彼女が俺を抱きしめる力が緩むことはなく、まだ空っぽの俺にはひどく重かった。
ヤンデレ曇らせ短編集 カルディ @karudexi
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