(四) 再び、鳳至ノ孫による物語

 父は、亡くなる前にこのように私に語り、家宝であるというその帯を譲ってくれました。


 父がよると、鳳至の家が繁栄しはじめたのは帯を手に入れてからのことでした。それからは、乾いた夏でもこの辺りだけ雨が降ったり、旅人を一晩泊めたらお礼に銀塊をもらえたり、ついていることばかりで、三年と経たずに、例の廃墟となった旧い家から、新しいこの家へ移り住むことができました。鳳至の家を頼って、方々から百姓が集まってくるようにもなりました。こうしてさらに土地を開いて、今のように豊かになったというのです。

 父は、それらをすべてこの帯の霊験であるとしました。

 他方で、急に豊かになった鳳至の家をよく思わない者も居たそうです。私はやはりぼんやりしていて、これまでろくに関心を持たなかったことではあったのですが、今でさえ鳳至の家を妬んでいる者が少なからずいるというのです。父は、何人かの名前をあげました。その中には、私がよく知る者もいました。彼らは、私たちが何か悪いことをして儲けているのではないかと疑っているらしい。しかも、疑うだけではなくて、中には、私たちをどうにかするために、呪う者までいるというのです。以前に母屋近くから呪物が見つかったことがありましたが、あれはまさにそうした者の仕業というわけです。陰陽師が見つけてくれなければ、酷いことになったのかもしれません。

 ただ、私は父の話を聞いていて、どうしても飲みこめないところが一つありました。

 父は、たぶん、最期が近いことを悟りながら、どうしても私に教えなければならぬと思って、先の物語を教えてくれたはずです。そして、言うまでもないことながら、目の前に据え置かれた箱に入っているこの帯は、物語に出てきた、輝くようなお宝と同じものであるはずです。ところが、私の目にはどうしてもそのような物には見えませんでした。もしかしたら、元はそれなりのものであったのかもしれませんし、私自身、目がよく効くというわけではありませんが、しかし、どう見たところで「輝く」なとどいう形容ができるものではありませんでした。むしろ、古びていて、日焼けして白っぽくなりかけていて、石帯も平凡で、それが通天の犀の角であるなどとは到底思えない、粗末な代物でした。

 父は、それが私の目にも、後光がさすような神秘の品と見えていることに一分の疑いも抱いていないようでした。私としては、なんと言ったものか返す言葉を探していたのですが、その沈黙は、父には私が真剣に耳を傾けている証拠と見えたようです。

 父は、私に約束を求めました。

 この帯の存在を誰にも教えてないこと、それから、ときどきは箱からこの帯を取りだして、閼伽棚にあげて、ねんごろに拝むようにしろとのことでした。

 父の目を見ると、私の存在の奥まで見通すような深い目をしていました。その黒目は、私自身がすっかり忘れてしまった幼いころの私を見ていました。同時に、父が亡くなった後の私、それからこの鳳至の家の行く末を見通そうともしていました。末期のまなざしです。

 私は承知しました。なんといっても一個の人生がここで終わろうとしているわけですから、どうして断れるでしょう。

 とはいえ、このとき思っていたのは、かつて父が浜辺に逃げたとき、そこで目にしたという大波を、伴にいた従者は見ることができなかったということです。きっと帯の輝きも父の目にだけ見えていたのでしょう。土地の者たちの妬み嫉みも、同じかもしれません。

 予期していた通り、この約束が、父との最後の会話となりました。

 父の亡き後、みんなが私のことを「鳳至ノ孫」と呼ぶようになりました。これまでは、父が「鳳至ノ孫」と呼ばれていたのですが、私もそう呼ばれるようになったのです。だからなのか、なにもかもが昔のままであるかのようでした。家の繁栄も、相変わらずです。具に考えてみれば、仕事がすこし増えているはずなのですが、すごく増えたというわけではありませんから、実感はありません。そういうわけで、父との約束もすぐに忘れてしまいました。帯を取りだして拝むなんてことも一度もしませんでした。それで何も変わらないのですから、どうしてそうしようなんて気になれるでしょうか。

 だから、父がそんな帯をありがたく隠し持っていたということも、話のついでについ漏らしてしまったのです。私としては、馬鹿馬鹿しい笑い話のつもりでした。それで悪いことがあるでしょうか? 鳳至の家の繁盛は、ただ父の才能と努力の賜物だったわけですから、父にとっても悪い話であるはずがないのです。相手だって、おかしな話として笑ってくれていたのです。

 ところが、気づけばいつの間にか、そういうことになってしまいました。つまり、鳳至の家は、幸運を呼ぶお宝を隠し持っているからあんなに長者になることができたんだ、父の代で抜け駆けするみたいに物持ちになったのはそのせいなんだ、というわけです。どこか僻みっぽく、なんだか盗人でも見るような評判になりました。 

 中には、その帯を見せてみろという者もいました。私は、一度ならず見せはしましたが、ただ、なにしろ見た目はただの古くなった粗末な帯です。そんなものを見せたところで相手は納得しません。むしろ、家宝の帯はべつに隠されていて、私がそれを人目に見せたくないから、偽物を持ちだして馬鹿にしているのだろうと疑われる始末です。陰陽師に偽物と鑑定させた者まであらわれました。私としてはもう勝手にしてくれというところです。それでいて、金を払うから売ってくれと食い下がったりするのです。もちろん、そんな気味の悪い相手に売るわけがありません。

 その頃になってようやく親の言いつけを守っておけばよかったと思いました。嫉妬されたり、ことさら悪く言われたりすることしかないのですから。こんな帯を持っているなんて、誰にも言わないほうがよかったのです。私が黙っていれば、人びとがあれほど頭がおかしくなることもなかったでしょう。

 こうして、帯の存在は、ついに国守の知るところとなりました。度々私のところに使いをよこしては、帯について話は聞いているようなことを言うのです。強欲で知られた守でしたから、隙あらば我がものにしようと考えているのは、あきらかでした。しかも、それを隠そうともせず、恥じるところもないのです。こちらとしてはそんな話があったことを忘れてもらうほかにないのですが。

 しかし、あるとき、部内巡航でその守と郎党たちが、鳳至の家に寄りつきました。これまでにもあったことですが、そのとき守が連れてきた人数はそれまでなかったほど多いのです。四百人か五百人か……、まあそれは言い過ぎかもしれませんが、とにかく身分の高きも低きも合わせてぞろぞろとやってきて、まるでこれから戦でもはじまるかのようでした。もっとも、私にとって戦であるというのは比喩でもありませんでした。こんな大挙してやって来て、ここに逗留する間、その人数みんなに寝食をまかなえというわけですから。しかも、よく見れば、中には先に鳳至の家を悪く思っているような顔ぶれもいるではありませんか。そういう連中は守の威光を嵩にきて、私たちが出す食事に文句をつけて地べたに投げ捨て、こんな粗末なものを出すなと言ってきたりするのです。お前の家は物持ちなんだからもっといいものが出せるだろうというわけです。

 はじめの内は、私も、頭を下げながらも、そういう奴らへの負けん気でこの家の勢を見せつけてやろうと思いました。ところが、滞在が一週間を過ぎても、まして一ヵ月を過ぎても、いつまでも経っても守はこの家を離れません。何をしているのかさっぱりわかりません。私が訊ねると、適当にごまかされて、逆に訊きかえされる始末です。帯を見せて見ろというのです。ここまでくれば、鈍い私でもさすがに分かります。

 守は、あの帯を、今度こそ無理やりにでも私から取ろうとしている、そうするまでここに居すわるつもりだし、もし帯を見つけられなければ、この家を潰してもいいと思っているし、なんなら連れてきたごろつきどもは、潰したいとさえ思っている。

 この家を潰すか、帯を出すか。

 これが守が私に暗示している二択なのでした。

 けれども、二択でしょうか。これまでと同じように、守に帯を見せたところで偽物と思われるのがおちではないでしょうか。

 私は、ひさしぶりに帯を探しました。いつの間にか、父がそうしたように壺屋の隠しに置くようになったのです。

 箱を開いて驚きました。あの古い帯が、真新しくて、清くて、ぴかぴかと輝いているのです。私はこれならば本物の帯であり、その霊験を誰もが信じるにちがいないと考えました。これを差し出せば、守も納得して去ってくれるでしょう。

 だが、本当にそうでしょうか? 去るかどうか、潰すかどうかなんて、守の心ひとつです。それに私の目に輝いて見えるからといって守の目にもこの帯が輝いて見えるなどという保証にはならないです。

 それに父が天からの授け者と思って大事にしていたものを、こんな盗人同然のやり方で盗りに来ている者に渡すのは、どうにも救いがたい気がしました。けれども、もし渡さないとしたら、私にはどんな選択が遺されているのでしょうか?

 私は、結局、帯一つを首にかけて家から逃げ出しました。

 そのあと鳳至の家がどうなったのかなんて知りません。きっとろくなことにはならなかったのでしょう。ただ、これまで持っていたものを手放したという後悔はありませんでした。じつは最近になるまでろくに思い出しもしなかったのです。私が行く先にはたまたま人を求めている荘園があって、たまたま私はそこで居場所を見つけられたばかりか、一財産を築くことさえできました。これも帯の霊験というやつでしょうか。ただし、そのときはあまりにも早く私が出世してしまったせいで、悪目立ちして、結局またその荘園から出て行くことになったのですが、所を変えても同じように、私を歓迎してくれる人が現われた次第です。それからは、もうすこし上手くやるように、私は気をつけるようになりました。

 そういうわけでは、後悔はしていないのです。

 ただ、そうして十数年の時間が経って、あるときふと思い出しました。私はやけになって逃げだしたわけですが、あのまま鳳至の家にいたらどうだろうか? 帯を渡したら、守はさっさと家に帰ってくれるのではないか? そして、この帯がそんなにも霊験があるのなら、私が持っていれば、ただ私の土地が豊かになるだけだが、守が持っていれば、この国自体が豊かになったかもしれない。そうなれば、今ここでこうしているのに勝るとも劣らない、案がいい暮らしができたのかもしれない。

 こんなのは何の根拠もない空想です。

 それはわかっているのですが。一度そう思ってしまうと、なんとも鳳至の土地が懐かしくなってきました。私は、年を取り、もうこれから土地を変えて住むなんてことを、何度も繰り返すのはごめんです。さみしくなってきました。移ることができてても、次で終わりになるでしょう。そう考えたとき、どうしてもまた戻らなければならないと思ったのです




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