(三) 帯の由来


 お前は想像もできないだろうが、まだ俺が若かったころ、鳳至の家は貧しかった。俺が育った家を、お前にも一度だけ見せたことがあっただろうが、あのぼろぼろの廃墟がそうなんだ。なに、覚えていない? まったく、お前がこれから家を継いでいくと思うと不安でしょうがない。だが、天はきっとお前を助けて下さるだろう。

 だから、これから話すことだけは、忘れずにきちんと覚えていなさい。これは我が家の成功の秘訣なのだから。

 さて、俺がそのぼろ屋に住んでいた当時、ただ生きながらえること以外、これといって望むべきこともないような気がしていた。生きていけるだけで上等だったと言ってもいい。ところが、俺の家は貧しい上に、あるときから奇妙なことが起こるようになった。家のそばを赤い衣がひらひらと飛びまわったり、油壷が勝手に動きだしたり、そういうことだ。人ならざる「なにか」がこの家にはいるようだった。

 きっと、これが噂に聞く鬼神のさとしなんだと思ったよ。

 俺は、貧しい時代を過ごしていたと言った。そうであれば、なにか世の常ならざることが起こったとしても、これ以上悪くなることはないにちがいないと思った。というか、俺はそう望んだ。だからこそ、わざわざ陰陽師を呼んで、占わせてみたんだ。お前も見たことがあるあの坊主さ。不思議なことに、あいつは俺が若かった頃から、まるで老けていない。いや、もっと昔からなんだ。あいつらの使う術がどんなものなのか俺も詳しくないが、これだけでただ者じゃないことが分かるだろう。だから、俺もあいつの言う言葉には、信用を置いていたわけさ。

 俺がただならぬことを期待していたといっても、べつに天から宝が降ってくるようなとんでもない奇跡が起こると言ってほしかったわけじゃない。それでも貧しい現状をなんとかしてくれるようななにかであってほしかった。

 しかし、あいつは言った。

 「これは凶兆ですな。物忌みなさい。どこか所を変えて、引きこもったほうがよい。そうしないならば、きっと悪いことが起こります。まあ、最悪、死にますな」

 俺は困った。この家に方違えで籠ることができるような場所なんて見あたらない。仕方がないから、所は変えず、籠ることだけはしてみようと思ったよ。外に出たら何があるかわからない。でも、家の中にいれば、今あるだけのものしかないだろ。もしかしたら鬼がやって来るかも知れないが、入れなきゃいいんだ。もっとも、これは俺が鬼を止めることができるかって話だが……。ともかく、悪いことがやって来るとしても、どこからやってくるのかは見当がつく。外に出たら検討さえつかないじゃないか。その分だけましってわけだ。

 だが、ひたすら時が過ぎるのを待っていると、また不安になってきた。屋内に籠っていたって、その屋が崩れてくることがあるんじゃないか? そうしたら、下敷きだ。一度そう考えてしまうと、もう家にいても安心はできない。ここが世界でいちばん危険な場所に思えてきたほどだ。一刻もはやくここから離れなきゃいけないんだ。

 だが、どこへ行けばいいだろう? なにか隠れ家となるような場所を探してみてたが、よくよく考えれば、隠れられるような場所といえば、祠だったり森だったりするが、どこもかしこも崩れてきて潰されるかもしれないって点じゃあ、ここと変わりゃしない。そこで俺が思いついたのは海だ。鳳至の浜辺は、ただ砂浜と水平線がなだらかに続くばかりで、見晴らしがいい。もし俺になにかが近づいて来たとしたら、すぐに見つけられるはずだ。退屈といえば退屈な風景だが、いまのおれにはおあつらえむき、一度思いついてみれば浜辺以上の所はないと思った。

 だから、朝になったら、従者を起こして、そいつと一緒に浜辺に思ったんだ。若くて、身体が大きいやつだった。もし浜辺に鬼にでも現われたら、そいつをぶつけて時間を稼ぐ。そのすぎに逃げようと思った。

 しばらく浜辺を行ったり来たりしながら時間を潰した。陽がだんだんと高くなっていく。従者は要領を得ない顔で俺のことを見ていたよ。物忌みで籠ってるはずのやつがこんなところを歩き回っているのが信じられないってところだ。

 だんだん俺も歩き疲れて、いったん浜辺に寝そべった。眠くなってきたんだ。そういや前夜は不安であまり眠れなかった。春の日差しが暖かい。なにか悪いこと起こるなんて言われなけりゃあ、そのまま寝てしまいたかったし、そうするところだった。

 が、ふと再び海を見た。おかげで目が覚めてしまった。

 とんでもない大波が沖の方で立ちあがってるんだ。ほとんど水の壁さ。都にだってあんな高い建物はない。百丈はあるだろう。

 なにかの間違いだと思ったよ。

 が、いくら目をこらしても、こすっても、瞼を閉じて開いても俺の前からその幻は消えてなくならない。もし幻でなけりゃ、この辺り一帯をすべて呑みこんでしまうような、とんでもない大波だ。

 俺は飛び起きて従者に呼びかけた。

 「おい、あの大波を見ろ! ここから逃げるぞ!」

  ところが俺が海を指さしてなにを言っても向こうは要領を得ない顔をするんだ。

 「ご主人はなにを言ってるのか? 海は火熨斗の底みたいに真っ平らですよ。それにしても物忌みの日にこんな浜辺にやって来るなんて、まったく……」

 俺は、こいつをよほど鈍いやつと思いたいところだったが、向こうも同じ気持ちだったろう。どうやらあの波は俺にしか見えてない。なるほど、やっぱり幻というわけだ。ただ、問題なのはここには俺たち二人しかいないせいで、化かされているのは俺かそいつかどちらなのか分からないってことだった。

 どっちにしろ、逃げるにこしたことはない。

 いくら幻だったところで、あんな大波に撃たれて無事で済むものかもわからないからな。

 俺は説得をあきらめて、さっさと逃げてしまおう思った。逃げるなら一人できる。

 ところが、逃げだそうとする俺を、従者のやつが捕まえて、すっかり組み伏せちまったんだ。いくらもがいても離してくれない。

 「なにをする! 離せ!」

 「ご主人こそいったい、突然、何をしてるんですか!」 

 従者はいっそう強く俺を抑えこんだ。

 「こんなところまでやって来たと思ったら、凪いだ海を指して津波が来たと言ってみたり、突然叫んで走りはじめたり、こりゃあ、きっとなにか悪いものがお憑きに違いありませんよ! まったく恐ろしいことで……!」

 俺はこんなでかくて腕っぷしの強いやつを連れてきたことを後悔していた。

 もはや相手が言うとおり俺が幻を見ているというのであってほしかった。

 再び海を見た。俺たちがじたばたともがいている間にもしっかり時は流れていて、その分波も海岸に近づいていた。ただ、俺がはじめ百丈と見たときほどには大きくなかった。五十丈か、三十丈か……、とどのつまりどれほど差があるだろうか、俺たちを海の藻屑にするのに十分すぎる程大きいんだから、慰めにはならない。波が近づいてはっきり見えるようになったところで、どうやらその上にただならぬ事態なのが分かってきた。その波は、たける水の壁の内側に、なにやらゆらゆらと輝く炎をやどしているかのようなのだ。水のなかで燃える火なんて、聞いたこともない。恐るべき光景だった。

 その波がいよいよ浜辺まであとわずかに迫ってきたとき、それを見て、俺は観念した。

 俺はあの怪の告げた不幸からついに逃れられなかったのだ。あれはここで死ぬという運命を告げたものだったのにちがいない。俺はここで死ぬ運命にある。どうせ死ぬのならば、と後生を思って、仏に祈った。うろ覚えの経文を口ずさもうと思ったよ。ところが、ろくに思い出せないし、いざ死ぬとなると貧乏暮らしの日々もあんだかありがたいことのように思えてきて泣けてくる。これは後で聞いた話だが、涙しながらわけのわかならないことをつぶやいている俺を見て、従者もいよいよ何かとんでもないことが起こるんじゃないかと恐かったそうだ。

 波が、いまにも浜辺を飲みこもうとしていた。俺たちは揃って目をつむり、闇のなかで恐怖のあまり泣きながら、その身を砕く水の衝撃を待っていた。ところが、予期していたような恐ろしい波の一


撃がいつまでやってこない。身体に水がかかった感触さえない。あるのは、たださらさらという波が浜辺によせる清らかな音だけだった。

 俺たちはおそるおそる目を開いた。

 見えているのは、なにごともない、やってきた時と変わらない真っ平らな鳳至の風景だった。しかし、呆然とあたりを眺めてみると、なにか黒いものがあった。近づいてみれば、螺鈿で飾られた、漆塗りの小桶だ。こんなものはさっきまでなかった。今さっき流れ着いたばかりのものにちがいない。なかを開けて見ると、輝くような美しい帯が入っていた。袍を束ねる石帯が、通天の犀の角でできてるという一品だ。こんなところにあるのがふさわしからざるお宝さ。

 俺は思った。

 これこそ、天が俺にお与えてくださったものだ。あの波も、家での怪も、そのお告げだったというわけだ。

 俺たちは帯を持って帰った。そして、俺はやっぱり正しかった。この輝く帯のおかげで、鳳至の家が繁盛するようになったんだ。なにもかもこの帯のおかげなんだ。

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