(二) 鳳至ノ孫による物語

 一旦は私がみずから捨てた土地に戻りたいという申し出をするだけでも、恥ずかく、おそれ多いと思っていたのですが、その上わざわざ守が直接話をお伺いされたいということで、私としては、恐縮のあまり面をあげることができません。守のゆるしがありましても、そうそうできることではないのです。

 まずは一度私の身の上について話を聞いていただいて、次いで、そのお返事をいただくために面を上げさせていただこうと思います。と言いますのは、もともとただお許しを頂けるとは思っておりませんでしたので、守にお渡しする品の用意がありまして、私の話は、その由緒を説くものでもあるからです。

 さて、光栄なことに、私が鳳至ノ孫という名で呼ばれていた者であることを、守はすでにご存じとのことです。また、廃墟という形ではあれ、私の家がまだ残っているのを聞くことができて、胸が温まる思いです。私とこの土地との繋がりが、まだ残っているわけですから。

 今となっては自分でも不思議に思うことですが、物心ついて以来、私は鳳至の家が永遠のものと信じていました。なにしろ、私が生まれたころにはいつも家は繁盛していましたし、土地の者たちからも敬意が払われているように見えました。だから、私が生まれるよりも前も、それから後も、ずっとそのままなのだろう、と。私がなにをしてもしなくても、大きな変化はないだろうと信じてしまったのです。もっとも、後で起こったことども考えれば、とんでもない勘違いをしていたという他にないのですがね。

 こうした生い立ちのせいなのか、私はひどくぼんやりした者に育ってしまいました。まったく自覚がなかったわけではありません。

 そんな私の性格に父は気づいていました。ときどき、鳳至の家も祖父の代までは鳳至の家の貧しくて、方々に貸しをつくってはずいぶん苦労したことなどを、父が語りました。私もしっかりしないといけないんだ、というわけです。けれども、それは真に受けるのが難しい話でした。そういう話をするとき、父はいつも農業や文字の知識を語り、経験から学んだことを語ります。いかにも自分自身を私にありがたがってもらいたがっているように見えるのです。それでいて、普段は酒にだらしない飲兵衛でしたから、素面のときに、思い出したみたいに真面目ぶって話をされても、なかなか聞く耳を持つことはできません。

 しかし、やはり父が言っていたことは正しかったのでしょう。世間並なことではありますが、今では私もあのとき親のことをよく聞いておけばよかったと思うようになりました。当時は見すごしていたなかに、私の運命を左右するようなことがいくらでもあったからです。

 たとえば、家を出入りする者のなかに、奇妙な僧侶がおりました。父とはよく知る間柄のようでしたが、いつも話すときは人目を避けるように父と二人きりで、しかも小声でぼそぼそとものを言うものですから、どんな仲なのかは分かりませんでした。後で父に訊いても、今朝の夢見のことなどを話すばかりで、見当がつきません。これほど謎めいたことがあったなら、気にすべきだったと思うべきなのですが、私はやはりぼんやりしていて、気にしていることといえば、仲間との賭けで負け越していたいたくらいで、その正体を追おうともしませんでした。もっとも、後で追わずとも正体は分かりました。一度、その僧侶が紙冠をかぶって大げさに禊祓をしているのに出くわしたからです。どうやら母屋の近くで何者かが埋めた呪物が見つかったそうで、それでその人が陰陽師であることが分かりました。

 私が女とほっつき歩いて、ずいぶん帰りが遅くなってしまったとき、家の裏手で一人きりでいるその陰陽師に会ったことがあります。私は驚きましたが、相手もずいぶん驚いたようです。私は驚きましたが、向こうもずいぶん驚いたようです。そうではあったのですが、私はなるべく愛想をよくしました。お互い何気ない風を装う必要があったのですね。言葉を交わすのははじめてでした。

 「帯を見たことがあるかい?」

 とつぜん、その陰陽師が私に訊きました。

 もちろん帯くらい見たことがあったので、私はそのように答えました。

 すると、相手は、ずいぶん幻滅したような声で、「そうじゃない」と言いました。

 それから、焦るような、苛つくような声で、その帯の特徴についてこまごまと語ってはいたのですが、私にはなにを言っているのかさっぱりわかりませんでした。何の心当たりもない、要領を得ないようなことを細々と話されても、聞くものは困るばかりです。

 陰陽師は、どうやら話す相手を間違えたことを悟ると、急に穏やかになって、挨拶の言葉をのこして去っていきました。私に分かるのは、彼がなにか珍しい帯を探していることだけでしたが、その要求に答えられないだけで、不機嫌になられても、こちらとしては納得できないところです。まあしかし、言い争ったところで仕方ありません。


 あとになって分かったことですが、このときも私はずいぶんぼんやりしていたのです。なぜなら、実は私は陰陽師が探していたその帯を、じつは見たことがあったからです。もし、このとき私が帯のことを覚えていて、陰陽師が探していたのはその帯のことだったと気づくことができたなら、そのあとのこともずいぶん違った話になったろうと思います。


 いつのことだったのか分からないのですが、すくなくとも陰陽師に訊ねられたときよりも、前のことです。あるとき、私は、綺麗な箱に納められた帯を閼伽棚に据え置いて、熱心に拝んでいる父の姿を見つけました。たぶん、父としては、私に見られているといけなかったのでしょう。私に気づくと、父は合わせた手を解いて、はやばやと箱に蓋をして、その箱を布につつみました。そして、いま見たことを口外にしないように私に告げたのです。

 私がもの覚えが悪い軽薄者であることは、このときにはよいことだったのかもしれません。もしこのことをはっきり覚えていたならば、陰陽師に訊かれたとき、思い出すとともに、つい口に出して言ってしまったかもしれません。そうでなくても、心当たりがあるのに、分からないかのようなフリをしなければならなかったでしょう。私は演技なんか得意ではないですから、陰陽師のような者にはすぐにばれてしまったにちがいありません。

 ともかく、忘れてしまったおかげで、私は話すこともなく、嘘を見抜かれることなく、他言を禁じる父の言いつけを守れたわけです。


 私がこの箱のことをあらためて思い出して、この箱が、もしかしたら我が身にとって重要なものになりうると考えるようになったのは、何年も後のことでした。そのときまで、そんな箱だの帯だの、さらには父の訓戒だのに、なにか意味があるなんて、考えもしませんでした。もうすこしはやく気づくべきだったと思います。過去に戻って自分自身になにか言ってやることができならば、と一度ならず考えることはありました。胸が苦しくなることもありました。しかし、今となっては詮ないことですね。


 私がその日のことを思い出したのは、同時に、鳳至の家の繁栄が未来永劫続くだろうという私の思い込みに、ついに陰りがさした時でもありました。なぜなら、父が病に伏せり、なかなか床を離れなくなったからです。父はどうやら覚悟を決めていました。私としては、父がそんな覚悟を決めているのは理不尽に思いました。こんなことで父がむなしくなることなく、永らえて、これまで通り日々が続いていくことが一番でしたから。それで、例の陰陽師を呼ぼうか訊いてみました。が、父は断りました。陰陽師を呼ばないどころか、人を払うと、私と二人きりになったのです。

 父は力を振り絞るようにしてたちあがり、一人で部屋を離れると、どこからともかく、いつぞやの箱を持って戻ってきました。私が、箱を拝んでいる父を思い出したのは、そのときです。

 父は、自分と私との間にその箱を置くと、語りはじめました。

 

 

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