これからもいるよ

熊蔵梅

これからもいるよ

 7月7日。

 誕生日の夜は毎年そうめんを食べる。大葉やみょうがなどの薬味はもちろん、錦糸卵やトマトにきゅうり、かまぼこやら海老やら具だくさんにして。

 そして毎年くり返し聞かされる夜でもある。

「小さいころ、川でおぼれたけど奇跡的に助かったのは川の神様のおかげだ」と。

 あたしのその日の記憶はおぼろげだ。


「――天気良好!よしよし、今年も外で流しそうめんができるな、夕希。誕生日おめでとう」

 一番張り切るのはお父さん。器用で、毎年流しそうめん機を作ることを楽しみにしている。今年は特に凝ったらしく、得意気にギミックを説明してくれたけど、実はちょっと聞き流してしまった、ごめん。

 お母さんはお父さんに対して、「そこまでしなくても」と思っているけど、うるさくは言わない。


 あたしはオクラをぼりぼり食べながらそうめんを待ち構えた。

 しかし弟がものすごい勢いでさらっていく。去年と全然スピードというか体のキレが違う。小六の一年てすごいなー。

 それにしても、自分の誕生日で弟の成長を実感するとは。

 あたしだって。

 ――ああ、いや、もう部活引退したんだ。

 そう思うと、何かが胸の中で、喉の奥までじわじわと広がって、息がつまっていくような。そんなことを考えているあたしの目の前を、ただ水だけが流れていく。


 ん?


 でっかいナスがぶら下がってない?いやいや、あれ、鳥かな、モルモットかな。

 竹の縁にしがみついている。

 あたしはとりあえず落っこちないように、それを両手で抱えてそっと地面に置いた。なんだろ。

「ありがとう、助かった」

 うわなんかしゃべった!と気を取られていたら、そうめんが流れてしまった。

 気を取り直して、ようやく次でそうめんをとらえることができた。つるつるすすりながらまじまじと見ると、人の形をしていて青黒っぽい着物を着ていた。30センチ位の女の子。透き通った羽が背中についていた。

 いわゆる妖精、に見える。これは。受験勉強全然はかどってない現実逃避、かな。

「私はチカ。お礼をさせて」

 小さな手があたしの指にさわった。お礼ってほどのことではないよね、地面に置いただけだし。それに、そうめんの後はケーキが待っているのよ。

「遠慮しないで」

 そう言うや否や、あたしの体は流しそうめん機の下をくぐっていた。

「え」

 次の瞬間、お箸とお椀を持ったまま、河原にいた。

 あの、あたし、まだそうめんを一口しか食べていない。


 辺りを見渡すと、河原にはチカと同じ姿をした妖精がたくさんいた。星の光を受けて、羽が青く輝いている。

 ほのかに光って、青くて、それでいて透き通って、なんてきれいなんだろう。この世のものとは思えない。

 あ、なんか今不吉なことを考えてしまった。

「私たちはこの川の右岸から左岸へ、橋を渡すことが仕事なの」

 すぐに仲間たちが集まってきた。チカは言った。

「夕希の願いは何?お礼に一つかなえるよ」

 そう言われても、あれだけのことでほいほい受けとる理由がない。

 チカはあたしの肩にとまった。目の前には大きな川と妖精たち、そして夜空にはちりばめられた星。


「……本当はね。昔、私がまだ見習いで、橋渡しがうまくできなくて。いじけていた時、一緒に遊んでくれた女の子がいたの。楽しかった」

 チカはゆっくりと話し出した。

「だけど私、流されちゃって。そしたら女の子が必死で助けてくれた。それはもう必死で」

 あたしがそのまま首を横に回すと、チカはふわっと背中の方へ回った。

「でも女の子も転んで流されて。そのあとみんなが来てくれて二人とも助かった」

 チカの声が少しふるえて夜に消える。


「っていうことがあってね、へへ」

 あたしは十年前のおぼろげな記憶をたぐり寄せようとした。

「この子少しぼんやりしているけど、あれからだいぶしっかりしてきたのよ」

「また会いたかったのよねえ」

「それでがんばったのよねえ」

 妖精たちは口々に語り合う。


 あたしはくるっと回ってチカをつかまえた。

「チカ、お願い聞いてくれる?」

 あたしの手の中で、チカは大きく頷く。

「あの時の続き!」

 妖精たちは顔を見合わせた。

「お花や葉っぱでおみせやさんごっこしたよね。あれ、そういえば途中だった」

 チカは目をぱちくりさせてから笑った。かわいいな。

 そうだ。確かにこの表情には、覚えがあった。


「夕希、先にこれを。どこでもいいから体に巻いて」

 チカは周りを少し気にして、声を潜めた。青黒い着物を受け取りふと上流に目をやると、妖精たちがふわりふわりと飛んでいる。

「急いで、左岸に気づかれる」

 仲間じゃないのかな?そう思った瞬間、ずいぶん上流にいたはずの妖精たちはもう目の前にいた。

「ちょっとお、空も飛べない人間連れて来て何やってるのよ」

 おお、絵に描いたような「インネン」のつけ方だ。

「別にいいでしょ、ラシャ。着物を身に着けていれば、ここにいても問題ないんだから」

 チカはあたしをかばうように少し前に出た。あたしは居心地の悪さを感じながらも成り行きを見守る。

 ああ、羽が……。この妖精たちは、羽がクリーム色に輝くのか。こちらもきれいだなあ。きらきら、きらきら。

 しかし、見とれている場合ではなかった。

「ふーん」

 ラシャと呼ばれたその妖精は、あたしが持っていた着物をうばい取った。そのまま川の上をひらひらと飛ぶ。

「やめてそれ失くしたら」

 チカも他の右岸の妖精たちもすばしっこいラシャを捕まえられない。

 あたしは数歩後ずさりした。そこからフッと息をはいて、走る、そしてラシャに向かって思いっ切り跳べ!

 不意を突かれたラシャは驚いて着物を落とす。あたしは流れていきそうになる着物をすぐさまつかんだ。

 ふう。見たか、あたしの運動神経を。

 しかし、しかし……。川は思いのほか深く流れが速い。わ、わわ。


 妖精たちはチカもラシャも右岸も左岸も一緒になって、あたしを川から引き上げてくれた。

「わ、私たちの仕事は橋を渡すことであって、こんな、引き上げるのは違ううう」

 ラシャはゼイゼイと肩で息をしながらその場にへたり込んだ。

「あの、ありがとう」

 あたしは結局迷惑かけちゃったなと思いながらも、みんなにお礼を言う。

 でも妖精たちは別に気にするでもなく、そろって羽をパタパタさせてぬれた髪や着物を乾かす。あたしのことも乾かしてくれる。「さっきはみんなの息ぴったりだったよね」とか、「ラシャに追いつく夕希すごいね」とか、わいわいと。やだ、何この幸せな空間。天国か。

「夕希ありがとう。この着物失くしたら、また見習いからやり直しになるとこだったの。良かったあ」

 チカの言葉にあたしは胸をなでおろしたが、ラシャは言った。

「良かったじゃないでしょチカ、今ので羽傷つけたの?」

 確かに羽の動かし方が少しおかしい気がする。

「大丈夫よこれくらい」

「大丈夫じゃないわよ。この人を帰す時みんなで橋を渡すでしょうが。おとなしく見学しなさいよ」

「いやよ。絶対失敗しないでやってみせるから、私も渡す」

 強い口調でチカが言い返せば、ラシャは呆れたとアピールするかのように、わざとらしく息を吐いた。

「勝手にすれば。失敗して見習いに戻されても知らないわよ」

 絵に描いたような「捨て台詞」を残して、ラシャと左岸の妖精たちは、川の反対側に消えた。


 その後、あたしは着物を腕に巻いて、右岸の妖精たちと遊んだ。

 子どもみたいな、でも懐かしい遊び。頑張った話、楽しかった話、取り留めのない話。ついちらちらとチカの羽を横目で見たりもして。

 そして時間が過ぎて、あたしは帰ることになった。


「夕希、ありがとう。今日は会えてうれしかった」

「チカあの……」

 腕に巻いていた着物を解きながら、なんて言ったらいいか迷っていたあたしの言葉を、チカはさえぎった。

「羽は大丈夫、絶対に大丈夫だから」

 見たことのない表情で。


 チカと右岸の妖精たちは飛び立って左岸へと見事なアーチの橋を渡した。あたしはその青く美しい橋に包まれるように進んでいく。

 ちょうど真ん中辺りに差しかかると、チカがいた。早く、早く渡らなくちゃ。

 そう思った時だった。

 クリーム色の光がやってきた。左岸の妖精たちだ。もちろんラシャもいる。

「飛べないのに跳んだ人間へ特別にサービスしてあげるね」

 左岸の妖精たちは右岸の妖精を支えるかのように、すぐ下にアーチの橋を渡した。 青とクリーム色の光が重なり合って、あたしを照らす。

 そしてチカの顔がよく見えた。確かに多少苦しそうではあるけど、昔のとも、さっきまで一緒に遊んでいた時とも違う、りりしさがあった。

「チカ。かっこいいね。ほんとすごくかっこいい」

「夕希のおかげだよ。ずっと、私の心にいたよ」

 いやあ、そんなことないけどな。そうなのかな。改めて言われると、ここ最近の自分にはもったいなくて。

「……あ、ねえ、あのラシャって子、チカのこと心配してるんだと思う」

 あたしの照れ隠しの話題変更に、チカは目を丸くする。ラシャの抗議の声は意外に近くで聞こえた。うん、やっぱりそう思う。まあへたくそ、ではある。

「みんな、本当にありがとう」

 そうして、いつまでも包まれていたい光を抜けて、あたしは川を渡った。



        

 すごく不思議なことに、そうめんの残りの量が全然変わっていない。どうやら時間がたっていないみたいだ。

 とりあえず小茄子の漬物をひと口。すると、お母さんが目ざとく気づいた。

「夕希、お箸とお椀どこにやったの?」

 あ、置いて来ちゃった。

「えっと……川の神様のところかな?」

 あたしがそう言うと、お父さんもお母さんも「そう」と答えただけだった。弟はちらっとこっちを見て、また食べ始め。ん。と小さい声がしたかと思うと、星の形のハムをあたしに差し出した。最後の一つをゆずってくれたらしい。

 ありがたくパクつくと、おなかの中がぽわっと光る気がした。


 部活引退して、さみしく感じてたよ。でもさ、まだちょっとしか経ってないのに、なんなのさっきのへぼなジャンプは。ダメ過ぎでしょ。もうね、トレーニング続けるから。まあ仕方ない、勉強もするけど。

 あたしは新しいお箸とお椀を構えて、弟と張り合う。負けてたまるか。


 夜風がかすかに、髪をゆらした。

 くるっと回ってもチカはいない。

 それでもあたしは満天の星に手を伸ばす。いつかまた、あの小さな手にふれることが、あるかもしれないから。


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