第1話 光の先

 あぁ、ふわふわと漂っているみたいだ。白くてあったかい光に包まれてて、心地いい。

「ぃ……り」

 なんだろう? 声が聞こえる気がする。私を呼んでる……のかな。

 ずっと、ここにいたいなぁ。

「……ぃまり、ヒマリ! おい、起きろ!」

 この声は……アヤセ!

 ヒマリが覚醒すると同時に、瞼が勢いよく開かれた。

 くっきりした目鼻立ちに、つり気味の目。目まで掛かりそうなジグザグの前髪。これは……

「アヤセ!」

「ヒマリ? よかった、無事だったんだな」

「顔近いって!」

 思わずアヤセの顎を押し上げて、起き上がった。

 辺りが明るい。

 だけど、地面についた手の感触が、おかしかった。

 ここは、路地じゃ……ない?

「草? 路地にいたんじゃ……」

 視線を上にあげたヒマリは、言葉が出なくなった。

 桜の花弁が辺りに舞い散り、木々は薄桃色の花々を咲かせている。青、ピンク、黄色、赤。無数の花たちが草原を彩る。さらさらと流れる風は、暑くも寒くもなく、かぐわしい香りを運んでくる。優しく降り注ぐ日の光は、木の葉の隙間から微かに漏れていて、空の青さをより際立たせている。

 風に吹かれてゆらゆらと揺れる青い木々の枝葉と草原を見ていると、ここは夢にまで見た『楽園』なのではないか、とまで思ってしまう。

 夜のような寒さは、もう無く、代わりにヒマリを包み込んで心まで満たしてくれるような、あたたかい光が降り注いでいた。

「あれ? 服、乾いてる」

「え? 本当だ!」

 そんなことにも気づいていなかったのか。私より早く起きていたんだろう? 

 アヤセの言葉を聞いた途端、あの夜を思い出した。

 腕にギュッと力が入り、今まで封印されていた感情が解放される。

 もう友達でも何でもないのに。どうせアヤセだって、私を必要となんてしてない。

 ヒマリは立ち上がって、手を握りしめ、アヤセのほうを向いた。

「ねぇ、アヤセ」

「ぇ、何」

 立ち上がって服を確認していたアヤセは、気の抜けた声で振り返った。

 その態度と、自分の部屋に勝手に押し入られたような感覚に、ヒマリは怒りを覚えた。

「なんで、あの路地にいたの」

 急に、強い風が吹いて、花弁が、一瞬アヤセと私を遮った。


 なぜ、そんなことを聞くのだろう。アヤセは少し戸惑った。

 ヒマリとは小学校のころから一緒だった。中学になってから、クラスが違って全く話してなかったけど、高校では割といい関係を築けていると思っていた。

 だけど、違ったのだろうか?

 アヤセは顔を歪めた。舌を噛んで、痛かった。

 俺たちは、どこですれ違ったんだよ。悔しかった。ヒマリのこと、俺、何にも分かってない。俺はただ、お前を心配して……

「お前を図書館で見かけて、傘持って無かったみたいだから、一緒に帰ればいいと思ったんだよ」

 必死に、笑顔を取り繕った。俺の心配が、俺の本心が、漏れないように。全身が震えそうだった。

「ッ! 私に、構わないでよ」

 あぁ、なんて顔をするんだよ。俺は、あの時追いかけないほうがよかったのか?

「もう、友達じゃないんだから」

 その言葉に、固まった。

 ドク、ドク、ドク、ドク。心臓が痛い。

 はやい、はやい脈がアヤセを揺らす。

 崩れ落ちて、目から涙があふれるのを、堪えるのに精一杯だった。

 「孤独」っていう顔をしないでくれよ。頼むから。孤独になんて、させたくなかったのに。

 華やかな周りの景色さえ、ヒマリ、お前の孤独を引き立てるように色褪せて見える。

 ここは、見えるものとは反対に、何か寂しいものを感じないで居られない。

 アヤセは、ぐっと拳を握りしめ、バレないように爪を立てた。

「そっか。まぁ、そんなこと、今どうでもいいだろ。それよりここ、どこなんだよ」

 嘘だ。あふれてくる涙が抑えられなくて、明後日の方向を向いて誤魔化してるだけ。

 必要以上に溢れる吐息がアヤセの体を火照らせようとする。

 今はただ、この冷たい風が、丁度いい。


 なんで、そう簡単に居られるの? 人と関係を築くって、維持するって、難しいのに。どうしてそんな楽観的で居られるのかなぁ。

 怒りよりも、呆れと、疲労感が勝って、かえって頭が冷静になった。

「はぁ、じゃあ、どうすればいいんだろ」

 その時、サッサッサと、草をかき分けて進む音が聞こえ始めた。草陰に隠れて、何がいるのか、見えない。

「ヒマリ、草陰に隠れてろ」

「私に指示しないでよ」

 言われるまでもなく、私は

 友達でもないのに、友達面されるのは何となく癪だ。ただ、何か未知のものが近づいてくると考えただけで、鳥肌が立った。

 今この時だけは、あいつを頼りに思えた。

 草の香りが、緊張を、恐怖を増幅させる。

 やがて、風が草を靡かせると人影があらわになった。

「わぁ、外の人だ! 久しぶりだねぇ。そこの人も、隠れてないで出てきていいよ?」

 それは、少女だった。長い髪が風にたなびいて、その純真な笑みを際立たせている。真っ白なワンピースは、まるで天使だと、ヒマリは感じた。

「ヒマリ」

 警戒がだんだんと解かれていく。

 ヒマリはついに立ち上がった。

「……誰なの、あなた」

 少女はにっこり微笑んだ。そして一回転して、ワンピースのすそを持ち上げてお辞儀をした。

「初めまして。私に名前はないけど、そうだね、ゆきとでも呼んでくれたらいいよ。私は、此処の庭の住人」

「庭ってなんだよ。いったいここはなんなんだ? 外って、どういう意味だよ!」

 アヤセは決壊したように、叫んだ。

 ヒマリでさえ、こんな姿は見たことがなかった。

 不安と、悲しみと、怒りと、迷いが重なって、不安定にする。

「ここは『夢幻の庭』。ここでは現世の苦しみから解放され、永久に生きていくことができる。君たちは現世からの『迷い人』なんだよ。ヒマリ、アヤセ」

 アヤセだけでない。ヒマリも目を見開いた。なぜ、少女は、ゆきは、自分たちの名前を知っているのだろう。

 じわり。アヤセは、握りしめた手の内側に汗をかいていた。言い得ようのない恐怖が、心のなかで巻き起こった。

「帰りたいの? もし本当に望むなら、私が責任もって帰してあげるよ。でも、帰りたいかな? 二人とも」

 ゆきの笑みは相変わらず変わらない。なのに、震える。

「私は……」

「ヒマリ、あなた、帰ってもまたいつも通り、孤独で退屈な毎日が続くんだよ。家族には相手にされないし、辛いね。

「アヤセも。お父さん、ほとんど帰ってこないんでしょ。他に誰もいないし、寂しいね。」

 二人の全身を、衝撃が駆け巡った。

 ヒマリは唇を嚙み締めた。鉄の匂いが、口いっぱいに広がった。

 そして、ゆきはさらに笑みを深める。

「でも大丈夫! 『夢幻の庭』は誰も否定せず、誰にも否定されない。一人にもならない。好きなことをやっていいし、不老不死だって得られる! もう、苦しまなくていいんだよ」

 否定、できない。

 家族に邪魔をされない。欠点があったって気にすることもない。好きなことができる。何より、私は、孤独じゃなくなる。

 頭の中で、ぐるぐるぐるぐると、思考が渦巻く。

 だんだんと、苦しみという邪気が抜けて行って、体の力が抜けていく。

 ここは、もしかしたら、本当に、理想郷なのかもしれない。

 少し、少しではあるが、希望なんてものを持ってもいいのだろうか。この退屈な毎日に、終わりを告げてもいいのだろうか。

 ヒマリは、スゥっと、息を吸った。

「ほんとうなの? もう、終わりにしていいの? 自由に、なっていいの?」

 春の風は、私を照らしてくれた。

「いいよ。もう、解放されていいんだよ」

 サッサッサ、トン

 花の香りが通り抜けて、あたたかいものが私を包む。

 足りない腕でギュッと。


 「有り得ない。」

 そうは思いつつも、完全にゆきの言ったことを否定できない自分がいた。

 俺は、元の世界に戻りたかった。

 だけど、俺は戻ったところで……、どうなるっていうんだ。

 体の奥底に、静かに、静かに「孤独」という部屋で閉じこもって、息を堪える自分がいた。

 ヒマリは、ここに残るんだろう? なら、俺は戻るべきじゃないんじゃないか。

 冷たい汗が、アヤセの頬を伝った。

「不老不死なんて、有り得るのか?」

 少女は抱きつく手を、ゆっくりと離した。

「疑うなら、少しの間だけでも、ここで暮らしてみない? アヤセ」

 恐怖が、絡まった糸がするりと解けるように、ほぐれていった。

 いつの間にか、動悸は無くなっていて、

「……はい。少しだけ、休ませてください」

 頷いていた。

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