もう、すでに、ない

物をなくすことはよくあることで、適当に買った安物を並べては、粗末に扱い壊して買い替えをする。

何かを失っても別にいいやと思うことで、全てがどうでも良くなる。そうやって諦念とともに過ごしてきた、そういえば少しは格好良く聞こえるだろうか。

いや、物を失ったときの小さなもやもやとか、ごみ箱に壊れたものを放り投げるときの躊躇とか、そういうもの全てにも名前がついていたのかもしれない。

薔薇の棘のように痛みや出血を伴わず、違和感すら与えずに心に侵入してきた異物が、心を少しずつ覆って、絡みついて、感度を鈍くしていたのだと思う。

それらがある日突然の引き潮に絡め取られて消えてしまった。

無防備な赤子のように泣きじゃくる本心が私を突き動かした結果、気づいたら季節外れの海にたどり着いていた。辛うじて残った理性で靴と靴下を脱ぎ捨て、ズボンの裾を膝まで捲くり、波打ち際から水平線へと向かう。夕日の暖色は瞳から入って内臓まで届くような温かさがあった。波の凹凸が奏でる音と足の冷たさ、髪が潮で重くなる感触だけがある世界。

そういったものたちを求めていたのだと、泣き止んだ本心が告げていた。


波と砂が混じり合って、ふくらはぎを通り抜けてゆく。物質と液体は混じり合うことがない、そういう当り前なことすら、気づかないふりをしていたと思うと、なんだか馬鹿らしくなって、浅瀬に座り込み大声で泣いた。

今までの自暴自棄の積み重ねが、この結果を招いたとしたら、僕は初めて後悔をしたと言えるだろう。

重くなった衣類、軽くなった心、すっかり暗くなった空には月が出ていた。

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あの日のすいばり あめのちあめ @ame_mtr

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