影重なる

「一緒に来てくれないか」

「うん」

二人の間に躊躇いは無かった。返事の前に眼差しがYESと答えて、その覚悟が互いの瞳に映るのを確認していた。

月夜の晩に影のない何かに追い立てられるように、そいつに捕まらないようにあえて走らず大股でこそこそと歩くようなそんな生活をしていた。

近道をしようにも雑草を踏めばがさりと鳴るから、舗装されたアスファルトの片隅を影が重なるようにして進む。繋いだ手の温度が汗に変わるほど、二人は歩みをともにしていた。それが曖昧さを生み、ときにはすれ違うこともあった。だが、二人はその摩擦すら互いが存在しているという証なのだと愛おしく思っていた。


「ほんとうのさいわいってなんなのかな」

月光が差す二人の小さな六畳半で銀河鉄道の夜を読みながら片割れが言うと、

「さいわいを一つ叶えることは、一つの幸せを失くしてしまうことだよ」

片割れが返事をした。

「欲望は果てしないものさ、次はあれがほしい、その次はこれがほしいとなる、だから目の前のさいわいを追い越してしまわないようにすることが、幸せで満たされるということなのだと思う」

部屋の隅に置かれたままの黒いキャリーバッグに背中を預けながら、片割れは呟いた。

「そうなのかい、カムパネルラ」

「そうだとも、ジョバンニ」

部屋の中に二人の笑い声がこだましたあとは、跳ねるように立ち上がった片割れ同士の手が重なる。二人は頭から足まで影が一つになった。

「未完の小説に心が囚われるなんて、まるで未来に悩む若者のようだ」

「まだ私達も若いよ」

「じゃあ存分に捕われよう、人生という名の懲役に服そう」

締め切った部屋で二人は二酸化炭素を出して、残り少ない酸素を共有する。身体はいつ手放しても良い、これは希死念慮ではなく、二人で過ごすための約束であった。

ここから始まるイーハトーブへの道、理想郷への旅、二人で一人、だから荷物も一つで事足りる。


「一緒に来てくれないか」

「うん」

二人が玉手箱のような部屋を出ようとすると、キャリーバッグのタイヤの音だけが名残惜しそうに響いている。この先にあるのは歳を重ねた二人、いや一人。始まるのはさいわいへの旅。月だけがそれを見守っていた。

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