第十一羽 天使の行く末
誰かの声がする。
「あいつら、投稿した動画が大炎上して、今警察沙汰になっててさ、全員漏れなく退学だってよ。ざまぁねえな」
まるで、夢と現実の狭間にいるような不思議な感覚で、相川らしき者の独り言ばかりが鮮明に鼓膜に届き、それ以外は何一つ感じなかった。
直ぐにでも目を開きたいのに、何故だが瞼がとても重く、透けて見えるはずの光が見えない。
「――――ずっと、言おうか悩んでいたけど、言うよ。あいつは、あいつの死因は事故だった。不注意運転の衝突事故でな。俺のその場にいたから、よく覚えてる。そこには俺と、あいつと一人の小学生低学年くらいの子供がいたんだ…… 。中々に融通の効かない信号でさ、ずっとたわいもない話して待ってたら、右の方からやけに速い一台の自動車来てさ。あいつ、お前の言葉を思い出したみたいに、慌てて俺とその子を突き飛ばしたんだ。そのおかげで、俺もその子も軽い傷で助かったんだ。でも、あいつは派手に当たって、数メートルと吹っ飛んでいったんだ。あいつの親はお前のせいでって、言ってたけど、違う。あいつは死に際にもぶつぶつと呟いてたよ。お前のおかげで親友も子供も助かったって。だから、次会うときには、必ずありがとうって……」
涙ぐんでいる所為か、言葉までもがよく聞こえなくなっていく。
でも、彼が、あいつが掌で顔を覆い隠して啜り泣くその様が、ありありと目に浮かぶ。
「勝手に死ぬんじゃねえよ。あいつが、今も元気にお前を待ってる。だから……」
俺も泣きそうだ。でも、涙なんて出はしない。それに何だがここは居心地が良かった。
寝不足を抱えて次の日を迎え、陽の当たる畳にごろっと寝転んだかのような気持ちよさに誘われ、深くて暗い底に沈んでいく。
やがては音さえも……。
そして、川のせせらぎが耳を包み込む。
緩やかに目を開けば、燦々とした陽光が目を突き刺して、自然と眼前に手の甲を翳してしまった。
目の前には清澄なる浅瀬の激流が流れ続けて、その先には煌々たる人影が佇んでいた。
母さん?
真っ白な衣服を身に纏い、静かに微笑んでいた。
「か、母さん?」
「えぇ、かもしれない」
暖かな毛布のようでいて、川のせせらぎのようなスッと心が清らかになっていく声色の母であった。
その一言に眩い光とともに決して離せない筈の手の甲に大半が閉ざされた視界を、緩慢に下ろした。
其処には、今まで朦朧としていた母の姿が鮮明に映っていた。
「か、母さん。俺、俺ずっと……」
「いいの、いいえ、むしろごめんなさい。貴方に呪いを掛けるような遣り方で死んでしまって……」
「ずっと謝りたくって、あの時からさ、父さんや姉ちゃんの行動なんかを馬鹿みたいに観察してさ、何とか今まで、みんな生きてきたんだ。もっと早く」
「匡使」
言い訳を並べんとする俺を鋭い一言で突き刺し、自然と足元掬われる浅瀬に一歩を踏み出していた。
「貴方には待っている人が沢山いるでしょう? 縛り付けてしまった事を悔いてしまっていたけれど、こんな形で貴方が誰かのために命を賭して、どうしようもなく怖くて、少しだけ嬉しかったの……自分の子がこんなに良い子なんだって、自慢しちゃいたいくらいね」
「お、俺は」
更に一歩と踏み出した瞬間、まるで泥濘に嵌るかのように、誰かに地面に引き摺り込まれるように、水に両膝を突いて、躓く。
澄んだ水面には、色濃い天の輪を載せ、苦痛に顔を顰める俺の姿があった。
「俺は、謝りたくって、もう顔も声も覚えてなくて、なのに今更、偉そうなことばっか宣ってさ……結局あの子だって救えやしなかった」
「本当にそう? まだ運命は何も決まっていないと思うよ、お母さんは。貴方はまだこっちに来るのは、せめてもう一度だけ、目を覚ましてからでもいいと思う、きっともう二度と此処に戻ってきたいなんて思わなくなるから。だから、行ってあげなさい」
「母さん!」
再び、視界は暗闇に閉ざされた。
「自分を蔑ろにして手に入れた命ってのは、息苦しいもんなんだ。お前が死ねば、あいつはどんな気持ちで生きていくんだ!」
起きる理由なんて見つからない。
もう、あんな灰色の空を見ることも、馬鹿げた輪っかを見つめることもしなくていい。
痛いのも辛いのも苦しいのも、もう嫌だ。
「匡使。自分のために生きていけないなら……」
「あいつのために生きろ!」
けれど、俺が死んでしまったら、彼女はどんな気持ちで生きていくのだろうか。
姉との一生の約束も違えたまま……。
もう、あの悲しい顔を見ないために、俺はあの子を抱きしめたはずなのに。
「お願い」
いいのか。
「……起きて」
その一言に突然、視界が開けた。
そこにあったのは、見知らぬ天井だった。
けれど、知っている。
真っ白で途方もなく遠い空。
手を伸ばしても届かない場所に、憧れと恐怖と妬みを含んだ感情をぶつけていた。
徐に起き上がれば、横目に映る燦々とした眩しさが目を突き刺し、自然と掌を眼前に翳し、右眼を眇めていた。
ふと扉に目を向ける。
傍らに居竦まっていたのは、彼女だった。
清澄たる涙が頬を伝う。
それはとめどなく流れ続けた。
涙が綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして、零れ落ちていく雫を手の甲で必死に拭っていた。
「本当に……」
馬鹿げた事を口走ろうとするふざけた口を徐に掌で押さえて、俺は静かに微笑んだ。
「ずっと傍にいたのに、助けてやれなくてごめん。もう目は背けないから、笑ってほしい。ずっとは無理だろうけどね、はは」
その一言に、彼女は静かに微笑んだ。
鈍器に殴られたような痛みが絶え間なく全身を襲い、腕には一切の感覚がなかった。
でも、少し、ほんの少しだけど、胸を覆い尽くしていた黒い靄のようなものが、スッと晴れた気がした。
「名前は?」
「……え?」
「名前だよ。名前。色々あってちゃんとした自己紹介してなかったろ、俺ら」
「そう、だったね。水瀬、私は水瀬あかり」
「俺は…天羽。天羽
飛び立つことはできないから、 緑川 つきあかり @midoRekAwa
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