甘党の流儀

浅利すぱ

イチゴと練乳

 大学帰りのバス内にて――

 夢乃ゆめのは大学でもらったレジ袋の中身を覗いた。鮮やかな赤色をしたイチゴがプラスチックケースいっぱいに詰められている。家がイチゴ農家をしている友達から分けてもらったものだ。揺すっても溢れないように、そして柔らかいイチゴを潰してしまわないように、ふんわりとラップを被せておいてある。

 自宅に帰ったらまずこれを食べよう。でもこんなにたくさんのイチゴ、おやつに食べるにはあまりにも多い気がする。帰ったら誰か一緒に食べてくれそうな人がいたらいいんだけど。

 車窓から見える空は雲ひとつない青空だった。しかし、今の空は夏の空とは違いわずかにグレーがかった冬の青空だ。

 そんなことを考えているうちに、バスは自宅の最寄り駅に到着するとアナウンスし始めた。夢乃は「とまります」ボタンに手を伸ばした。


 

 バス停から少し歩き、自宅に到着した。父親の趣味で、庭には梅の木が植えられている。白い梅の花達が控えめな花を咲かせて、夢乃を出迎えてくれた。

 夢乃は自宅の扉が少し空いているのを見つけた。ドアぐらいちゃんと閉めてよ。まあ、こういう時はだいたい家にお兄ちゃんしかいない時だけど――扉を開け玄関に入ると、乱雑に脱ぎ捨てられたスニーカーを見つけた。やっぱりお兄ちゃんだ。夢乃より先に帰っていたみたいだ。

「ただいま」

「おかえり」

 奥から背の高い青年が出てきた。夢乃の兄、みのるだ。

「ちょっと、ドア開いてたよ。ドロボーが入ってきたらどうすんの」

 夢乃が注意すると、稔は面倒くさそうに「うっす」とだけ返事をして背中を向けた。夢乃は、こんなことで言い争いたかったのではなく、彼に頼みたいことがあったのを思い出した。

「こら、ちょっと待って」

「何?」

「これ、大学で友達から貰ったんだけどね」

 そう言いながら夢乃は、袋からイチゴの詰まったプラスチックケースを引っ張り出した。

「おやつに食べようと思ってたんだけど、さすがにこの量をあたし一人で食べるのは無理だと思ったの。だからお兄ちゃんにちょっと手伝ってもらおうかと思ったんだけど、どう?」

 稔は怪訝そうな顔で夢乃を睨んだ。

「手伝うって、何をすれば」

「これを一緒に食べてくれればいいの」

「食べる?それだったら別に……いいけど」

「ほんとに?ありがとう」

 夢乃は早速リビングに駆け込んだ。稔もその後にのそのそと続く。



 稔がリビングに到着すると、既にテーブルの上にはお皿に盛られたイチゴが置いてあった。

「へえ、イチゴ食うのは久しぶりだな」

「最近高いもんね」

 稔とそんなことを喋りながら夢乃は2本の爪楊枝をそれぞれイチゴに刺していった。2人はイチゴを挟んで向かい合うように座る。

「さ、食べよ食べよ」

「あ、ちょっと待って」

「何?」

 夢乃の質問にも答えずに稔はおもむろに立ち上がると、キッチンに入り冷蔵庫の中を漁り始めた。

「あった、これこれ」

 しばらくして小さいチューブを持った稔が姿を表した。チューブには茶色い牛の顔が描かれている。

「何それ」

「知らんの?練乳だけど」

 稔はそう答えながら着席した。

「いや、流石に練乳ぐらいは知ってるけど。まさかそれ、イチゴにかけるんじゃないでしょうね」

「いや、そのつもりだけど」

「えっ!?」

 夢乃は思わず大声を出してしまった。

「そんな驚くこともないんじゃないか、イチゴに練乳かけることくらい皆やってるだろ」

「いやいや、勝手にかけないでよ。まずは生で食べさせて」

「じゃあ一粒だけな」

「ありがと」

 夢乃はイチゴを1粒、口の中に放り込んだ。イチゴは1、2回噛めば簡単に崩れるほど柔らかく、甘酸っぱい味が口の中に広がった。

「食べたか?じゃ、かけるぞ」

「どうぞ」

 夢乃はムスッとした顔で稔が練乳をかけるのを見守っている。――鮮やかな赤色のイチゴに、少し暖色が混じった白色の練乳がまるで花嫁にベールを掛けるかのように絡みついていく。 「……へぇぇ……色合いは綺麗だけど」

 夢乃は目をぱちくりさせた。

「赤に白だしな――で、お味は?」

 夢乃は練乳のかかったイチゴを爪楊枝で刺し、恐る恐る口の中へ運んだ。

「!」

 夢乃の口内には、イチゴの爽やかな甘酸っぱさと練乳のもったりとした甘みが同時に広がった。――イチゴ単体で食べるより酸味が和らいでいる気がする。イチゴは先端からヘタに近づくにつれて、甘みよりも酸味が強くなる。しかし、甘い練乳と一緒に食べることで、より長い時間甘味を楽しむことができるのではないだろうか。

「……美味しいじゃん」

「ほらな」

 稔はニヤリと笑った。夢乃は彼が得意げな顔をしているのがなんとなく気に入らなかったが、練乳イチゴが美味しいのは事実だし嫌なことをされたわけでもないので変に言い返すこともできず、彼女は黙ってイチゴを頬張ることしかできなかった。

 稔も目を細めながら、次々とイチゴを口に放り込んでいった。



 2人で食べているうちに、イチゴはあっという間に全て無くなってしまった。

「お兄ちゃんが食べてくれたお陰で食べ切れたよ。ありがとう」

 夢乃は空っぽになったお皿を持ち上げながらこういった。稔はいつの間にか持ってきていたスマホを弄りながら、顔もあげずに「うっす」とだけ言った。彼の目の前に練乳チューブが置いてあったので、夢乃はそれを片付けようと手を伸ばした。一応確認もとっておく。

「これ、もう片付けていい?だいぶ余っちゃってるけど」

 夢乃がチューブを手に取ると、稔がぱっと顔を上げた。

「いや、まだ使うからいい」

「そう、分かった。じゃあお皿洗っとくね」

 練乳を何につかうのかも気になったが、イチゴを食べてくれと頼んだのは自分なので自分が後片付けをやるべきだと考えた夢乃は、練乳チューブをテーブルに置き直し、キビキビと片付けに取り組み始めた。


 

 爪楊枝を処分し、お皿を洗い終わった夢乃は稔の方へ向き直った。練乳チューブを何に使ったのかが気になったからだ。

「練乳チューブ結局どうしたの……えっ!?」

 夢乃が向き直った先で見たのは、なんと稔がスプーンに練乳を絞りそれをちまちまと飲む姿だった。

「ちょ、ちょっと……!」

 稔のとんでもない行動を見かねた夢乃は、慌ててテーブルを挟んだ向かい側に立ちはだかった。それに気づいた稔は上目遣いで夢乃を睨み付けてきた。

「何?」

「いや何って、そんなことしたら糖尿病になるよ」

 そう言って夢乃は稔が持っているスプーンを指さした。そのスプーンにはなみなみと練乳が注がれている。

「あたしは詳しくないんだけどさ、こういうのって大体砂糖がたくさん入ってるじゃん。それをイチゴにかけるだけならまだしも、それを直接飲むだなんてありえないよ」

 夢乃は目くじらを立てながらまくし立てた。そんな彼女の様子を見ても、稔は少しも動じ無かった。

「いや、俺はこれが1番美味いと思うんだけど」

「は?」

「お前今これを砂糖の塊って言っただろ。その砂糖の塊が甘党にとっては1番のご馳走なんだよ」

「はぁ……」

 別に甘党というわけではない夢乃にとっては、真顔でこんなことを言う稔の言い分を理解できなかった。

 病気のリスクを負ってまで奇行に走る兄の姿に、ただひたすら呆れることしかできなかった。

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甘党の流儀 浅利すぱ @asarisupa_144

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