第11話「突然の【戦争】」
フォース・オブ・スノウが姿を消した――。
その知らせを聞いてから数日、フィフスは居心地の悪い日々を過ごした。
百年祭は無事、終わった。
後半はフィフスを祀るための儀式、または領民たちにフィフスを披露する凱旋式のようになってしまったが、それでも祭りは成功裏に終えることができた。
招待していた貴族たちは、みな戻っていった。
いや、唯一、両親――シーズン公爵と婦人だけは自領に戻ろうとしなかった。
スノウが失踪してしまったからである。
とはいえ、そのことについてフィフスにできることはなく、捜索はグレイシャ領の従士たちに任せるしかなかった。
グレイシャ邸での居心地は、悪かった。
屋敷では、フィフスは最上級の待遇を受けた。
誰も彼もがフィフスにかしずき、フィフスのために働けることを幸運に思っているようだった。
当然、フィフスはあらゆる労働を取り上げられてしまった。
料理も掃除も洗濯も、フィフスが手を付けようとすると、使用人たちが真っ青な顔をして『下々の仕事は、どうかわたくしどもにお任せください、巫女様』といった調子になるからだ。
だが、フィフスの方はもっと気安い関係を望んでいた。
巫女扱いも、神扱いも、嫌だった。
使用人たちと仲良く会話しながら、一緒に汗を流して働きたかった。
「これは?」
沈鬱な日々を送っていたある日、フィフスの下へ、辺境伯が何やら禍々しい箱を持ってきた。
「ははっ。呪いの魔道具でございます。
これがあの晩、我が家の中庭にいくつも仕掛けられておりました」
「呪い……?」
「これは、竜種にしか聴こえない特殊な音を発するオルゴールでして。
竜種にとっては非常に不快な音を発し、竜種たちに音源を破壊させようとする――つまりは、竜種をおびき寄せる効果のある魔道具なのです。
これはかなり遠方にまで音を届けることができるタイプのようです。
具体的には――――……西の火山にまで」
「火竜!?」
「お気付きのとおりです。
あの火竜の群れは、偶然ではなかったのです」
「どうして、誰がこんな――」
「これは未だ推測の域を出ない話なのですが、パーティーには隣国の貴族も複数家招かれておりましてな。
どの家も、火竜襲来後には姿を消しておりました」
グレイシャ辺境伯領は『辺境』という名が示すとおり、王国の辺境――国境沿いに位置する。
火竜の棲まう火山の、そのさらに西側は、長年に渡って王国と領土問題を抱え続けてきた仮想敵国なのだ。
「もしかして、隣国が攻めてくるんですか!?」
「今はまだ、何とも。
国王陛下に知らせを出し、ご判断を伺っておる状況です。しかしながら」
辺境伯が、期待の眼差しをフィフスに向けてくる。
「万が一の時には、どうかグレイシャ領の守護にお力添えを賜りたく。
無論、我輩や愚息アイスを始めとした領軍が総力をもって御身をお守りいたしますので」
辺境伯が、フィフスの背後に視線をやった。
そこに立っているのは、アイスだ。
帯剣したアイスが、無表情のまま居住まいを正した。
フィフスが『英雄』となったあの日から、フィフスはアイスと会話らしい会話をほとんどできていない。
アイスはフィフスに気安く話しかけたり、ましてやからかったり、フィフスに触れたりすることを『不敬』と感じているのか、ひたすらに黙り込んでいるのだ。
フィフスは、悲しかった。
今、アイスは四六時中一緒にいてくれている。
フィフスの背後に立って、護衛騎士として守ってくれている。
なのに、遠い。
アイスが遠いのだ。
(どうしてこんなことに……)
自分は、アイスのぞんざいな態度の中にも、彼からの確かな愛情を感じていたのに。
今さら態度を変えてほしくはないし、他人行儀にならないでほしい……そう思うが、それを口に出せるほど器用ではないため、フィフスはひとり思い悩むことになった。
そんなふうにして、さらに数日が過ぎた。
そうして、とある日の早朝に、フィフスたちの悪い予感は的中した。
◆ ◇ ◆ ◇
「お休みのところ、申し訳ございませぬ!」
早朝、辺境伯がフィフスの寝室に転がり込んできた。
血相を変えて。
あの、火竜の群れを前にしても不敵に笑ってみせた辺境伯が。
最愛の息子・アイスが大怪我を負って死につつあるところを見た時ですら、かっと目を見開いただけで、数秒後には戦いに戻っていった辺境伯が、だ。
「空一面に、火竜の群れが!」
「なっ……」
フィフスは飛び起き、西側の窓を開く。
薄っすらと白みはじめる早朝の空、その西部一面を、火竜の群れが埋め尽くしていた。
数百匹? いや、千匹以上?
恐らくは、火山に住む火竜のすべてが飛び立ってきたものと思われた。
火竜というのは、強い。
1匹でも現れれば、村落が滅ぶ。
数十匹も現れれば、グレイシャ辺境伯領都どころか王都ですら滅ぶ。
ならば、この数では。
フィフスは努めて冷静に、『心の中の声』を聴いた。
そして結論づける。
「あの数をすべて倒すのは、さすがに無理です。
私が極大の【アイス・シールド】で領都全域を守りますから、みなさんはその間に、火竜たちを操っている『何か』を探し出してください」
これだけの数の火竜が一度に襲いかかってきたことなど、有史以来一度もなかった。
ということは、先日の大軍を呼び寄せた『オルゴール』のような、何か仕掛けがあるはずだ。
「かたじけない。ではアイス――」
辺境伯が、後ろについていたアイスに指示を出そうとした、との時。
「伝令! 伝令!」
従者のひとりが駆け込んできた。
「何だというのだ。今それどころでは――」
「隣国軍が越境してきました! その数、五千!」
◆ ◇ ◆ ◇
手早く着替えたフィフスは、アイスの馬に乗せてもらい、グレイシャ領都西側の城壁に向かった。
フィフスが城壁に登ったとき、火竜の群れは、もはや手の届きそうな距離にまで迫ってきていた。
「【いと美しき冬神様・敬愛する我が
フィフスの祈りによって、膨大な量の魔力が練り上げられる。
「【アルティメット・フルエリア・アイス・シールド】」
フィフスが結びの句を詠唱すると同時、数万人が住まうグレイシャ領都の全域が、超巨大な氷の結界によって包み込まれた。
城壁の、さらに外側から立ち上がった氷の壁が天を衝き、半円球となって空を覆い尽くしたのだ。
「お、おおお……これはっ」
「すごい……」
言葉を失う辺境伯とアイス。
火竜の群れが、何十発もの【ブレス・オブ・ファイア】をいっぺんに放ってきた。
が、骨をも溶かすはずの獄炎は、氷の壁に当たった瞬間、蒸気となって消え果てた。
「これならば、火竜を防ぎ切れます! やはりアナタこそは、真の巫女様」
大興奮の辺境伯に対し、フィフスは首を振る。
「ですが、あくまで時間稼ぎです。
隣国の軍隊には対結界魔法の使い手もいるでしょう。
敵国軍が到達するまでの、時間の勝負となります」
……そう。
強力とは言っても、火竜はあくまで巨大な火トカゲ。
家屋を踏み潰し、集落を燃やし尽くすほどの力を持っているとはいえ、大した知能は有していないし、搦め手も使えない。
一方、人間の軍隊は攻城戦の手段――例えば敵の結界魔法を崩す対結界魔法のような――を多数取り揃えている。
「分かりました。大至急、領都を上げて火竜を呼び寄せている魔道具の捜索に当たらせます。
アイス、お前は一個中隊を率いて、ここで巫女様を護衛しろ」
「ははっ」
辺境伯が去っていく。
アイスが精鋭の中隊を指揮して、フィフスを守護するための陣形を整えはじめる。
フィフスは結界を維持しながら、その様子を見つめる。
何度かアイスと目が合ったが、彼は何も言ってくれなかった。
(アイス様の笑顔が見たい。優しく声を掛けてほしい……)
◆ ◇ ◆ ◇
……半日が過ぎた。
その間、フィフスは結界を張り続け、火竜たちの猛攻を防ぎきったが、ついにタイムリミットがきてしまった。
敵国の軍勢が、グレイシャ領都の西側に現れたのだ。
五千人からなる巨大な軍勢が、隊列を組んで城門に向けて突き進んでくる。
軍勢の先頭は破城槌だ。
破城槌の先端には、結界魔法の効果を打ち破る、対結界魔法の魔法陣が輝いている。
「辺境伯様、まだ魔道具は見つからないんですか!?」
「すまぬ、巫女様」
辺境伯が歯噛みする。
(どうすれば……あの軍勢に結界を破られてしまったら、領都はお仕舞いよ)
軍勢が城門前に集結し、陣形を整え、突撃してくるまで、まだ小一時間はあるだろう。
だが逆に言えば、1時間以内に火竜暴走の原因を突き止め、排除しなければ、グレイシャ領都は終わる。
男は殺されるか奴隷に。
女は犯されて奴隷に。
老人と子供は殺されるだろう。
(どうすれば……!)
その時、フィフスの目の前を飛んでいた火竜が、自身の命を顧みない勢いで結界に突進してきた!
度重なる攻撃で疲弊していた結界に、ついにひびが入り、その火竜がフィフスの元へ飛び込んできた。
フィフスを噛み殺そうと、大きな顎を開く――!
「フィフス――ッ!」
とっさに前に出たアイスが、
「【アイス・ブレード】ッ!」
冷気をまとわせた剣で、火竜の牙を叩き折った。
続いて、
「【グレイシャ・パンチ】ッ!」
辺境伯の拳が、火竜の脳天を突き破った。
「【アイス・シールド】ッ!」
フィフスは素早く、結界の破られた部分を塞ぐ。
「大丈夫か、フィフス!?」
アイスが駆け寄ってきて、怪我を負っていないかフィフスに触れようとして、慌ててその手を止めた。
触れて良いのかどうか、判断しかねているようだ。
フィフスは、笑ってしまった。
「ふふふっ。やっと、名前を呼んでくださいましたね」
「いや、その」
フィフスはアイスの手を取る。
「ほら、触って。その手で、確かめてください」
「あ、ああ」
アイスが恐る恐る、フィフスの頬に触れてくる。
さらに、ぺたぺたと全身に触れてきた。
フィフスは、嬉しい。
実に数日振りのスキンシップだ。
『冬神の巫女』と持ち上げられてから数日、ずっと居場所を失っていたような感覚に陥っていたが、今ようやく『帰ってきた』と感じた。
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