第10話「ふたりの【冬神の巫女】」
目覚めたのは、翌日の昼過ぎのことだった。
いつかのようにアイスが手を握ってくれていることを期待したが、そんなことはなかった。
「み、巫女様!」
壁際に侍っていたメイドが、大慌てで部屋を出ていった。
嫌な予感を覚えながら、フィフスは身を起こす。
あのメイドは、アイスを呼びに行ってくれたのだろうか。
そもそもアイスは無事なのだろうか。
治癒魔法が発動したところまでは覚えているが……。
(早く、逢いたい……)
いつものように、あの逞しい腕で抱きしめてほしい。
優しい言葉をかけてほしい。
いっぱいいっぱい、甘やかしてほしい。
フィフスはもう、アイス無しでは生きていけない体になってしまった。
アイス無しの人生というのは、ちょっと想像がつかない。
「アイス様……」
フィフスが心細く思いながら待っていると、
――ドシン、ドシン、ドシン
何やら聞き覚えのある、乱暴な足音が聴こえてきた。
続いて、
――バーンッ
と、扉が開け放たれた。
「目覚められましたか、冬神の巫女様!」
入ってきたのは、アイスではなく辺境伯だった。
しかも、先ほどのメイドと同じく、何やら不吉なことを言っている。
辺境伯は、今までの乱暴な態度とは一変して、フィフスの前にうやうやしくひざまずいた。
「みな、御身のお姿が拝見できることを心待ちにしております。
誠に恐れながら、玉体をお運びいただくことは可能でしょうか?」
「ぎょ、玉体!?」
王や、それに類する高貴なお方の身体のことを示す単語だ。
「辺境伯様、いったい何を仰って――きゃっ!?」
ベッドから立ち上がろうとして、よろめいてしまった。
やはり、いくら『最小規模』だったとはいえ、初級・中級・上級・聖級のさらに上、『神級』魔法の行使は、体への負担が大きかったらしい。
「失礼」
転びそうになる前に、辺境伯がふわりと抱きとめてくれた。
「どうか、御身に触れることをお許しください」
優しく抱き上げられる。
辺境伯の立ち居振る舞いは、フィフスを火竜の巣に投げ込んだ男と同一人物とはとても思えないほど紳士的だった。
フィフスは辺境伯の変わり身に、寒々しい思いを抱く。
フィフスを抱えたまま、辺境伯が部屋を出た。
屋敷の中を進んでいくうちに、フィフスの中で、その寒々しい思いがどんどん強くなっていく。
廊下で使用人たちとすれ違った時、彼らがほとんどひざまずくような勢いで、深々と頭を下げるからだ。
昨日まで料理や掃除などを一緒に担当していた仲間たちが、目の前にいるのに、遠くへ行ってしまったという感覚。
その寒々しさは、大広間に入った瞬間に頂点に達した。
「おおっ、ご令嬢」
「麗しき英雄のお目覚めだ!」
「戦女神よ!」
そこは、急ごしらえの『神殿』だった。
昨日、火竜のブレスによってさんざんに燃やされた大広間だったが、大急ぎでカーペットを敷き直し、壁を貼り直したらしく、立派な部屋に戻っている。
部屋の最奥は祭壇のように高くなっており、立派な玉座が設置されていた。
「女神様! もう一度我らに奇跡をお見せください!」
「バンザイ! 女神様バンザイ!」
貴族たちが口々にフィフスを讃える。
「女神様」
とある老いた下級貴族がフィフスにすがりついてきた。
「この老木めの病を、どうか癒やしてはくださりませんか」
その一言が呼び水になって、貴族たちが治癒や利権を求めて殺到する。
「控えろ!」
辺境伯が大音声で一喝した。
「この方こそは神の代行者。冬神の巫女様であらせられるぞ」
とたん、騒いでいた貴族たちがその場にひざまずいた。
「ひっ……」
その異様な光景に、フィフスは怯える。
見れば、父・シーズン公爵と母・シーズン公爵婦人までもが、卑屈な笑みを浮かべながらひざまずいていた。
「ささ、巫女様」
辺境伯がうやうやしく、フィフスに玉座を進める。
「こ、困りますっ。
私、冬神の巫女ではないんです。
巫女は姉フォース・オブ・スノウの方で――」
「ですが」
辺境伯が微笑んでいる。
「昨日の奇跡を見てしまった者にとっては、アナタ様こそが冬神の巫女様――いえ、冬神様そのものなのです。
みな、昨日の大襲撃で不安がっております。
彼らを安心させるためと思って、どうか今だけはお付き合いいただけませんか」
フィフスは大広間を見渡す。
確かにみな、不安そうな顔をしている。
当然のことだろう。
つい昨日、グレイシャ領がここに成って以来誰も見たことのなかったような火竜の大軍に襲われたばかりなのだから。
フィフスがいなければ、ここにいた者たちは全員死んでいたのだ。
「――――……」
フィフスは寒々しい思いとともに、玉座に座った。
万雷の拍手が、フィフスを讃える。
歓喜する貴族たちの中から、アイスが歩み出てきた。
「アイス様! ご無事だったんですね――」
フィフスの喜びは突如、冷水を浴びせかけられたような心地によって消え去った。
アイスが無表情のまま、フィフスの前にひざまずいたからだ。
「これなるは、我が愚息」
辺境伯がアイスを紹介する。
「アナタ様の騎士として、どうか末永くお仕えすることをお許しくだされ」
アイスはただ無言で、頭を垂れる。
(そんなっ。アイス様、アナタまで――……)
こんな関係を望んでいるのではなかった。
こんな再会を望んでいるのではなかった。
フィフスはただ、アイスの笑顔が見たかったのだ。
抱き合って、笑い合って、『生きてて良かったね』と喜び合いたかっただけなのだ。
アイスは何も言ってくれない。
まるで別人になってしまったかのように、よそよそしい。
頭を垂れる前、アイスの瞳には、フィフスに対する『
(……今までの態度を許してほしい、とでも?)
確かにアイスは今まで、フィフスに対して様々な態度を取ってきた。
出会った初日は氷のように冷たい態度だった。
数日経ってからは、フィフスをからかって、それでフィフスが慌てたり怒ったりするのを見て楽しんでいるような態度が多かった。
フィフスが辺境伯に火竜の巣に投げ込まれて以降は、かなり過保護な色が強くなったが、それでも時々、フィフスを茶化すことがあった。
(でも、そんなの、全然気にしていないのに……)
あれは彼なりの、年相応の愛情表現だったのだ。
フィフスはむしろ、アイスのそういう気安い態度が大好きだった。
気を許してもらえているのだ、という安心感があったから。
(どうして、こんなことになってしまったのだろう……)
「いやぁ、良かったな、アイス!」
辺境伯が、上機嫌でアイスの背を叩いた。
「これで、グレイシャ家も安泰だ!」
辺境伯の言葉に、アイスが顔を上げ、愛想笑いを返した。
そして、フィフスとアイスの目が合った。
「っ……」
アイスが慌てて、再び深々と頭を垂れる。
フィフスはすっかり衝撃を受けてしまった。
(あぁ……そう、か。アイス様も結局は、冬神様の力が目当てだったのか)
◆ ◇ ◆ ◇
「フィフスのくせに! 妬ましい妬ましい妬ましい!」
グレイシャ邸を抜け出したフォース・オブ・スノウは、高級宿の酒場で荒れていた。
「あの力も、名声も、アイス様の笑顔も、本来はあたしが手に入れるべきものなのに!
なんでアイツばっかり。アイツはいつも、あたしにないものを持っている」
そんなフォースの前に、全身をローブとフードで隠した怪しげな男が現れた。
「殺したいほど恨めしい相手がいるのですか?」
「……誰よ、アンタ?」
トロンと酩酊した視界でもって、スノウは男を見上げる。
詐欺師か泥棒かゴロツキか、と警戒したが、以外にも男の衣服は上等な絹で出来ていた。
それで、スノウは多少警戒を緩める。
もっとも今のスノウは情緒がぐちゃぐちゃになっているうえに不慣れな酒精をしこたま飲んで、ろくな判断力など持ち合わせていなかったが。
「この魔法の種を使えば」
ことり、とテーブルの上に置かれたのは、ちっぽけな種子だった。
「憎い相手を呪い殺すことができますよ」
「憎い……相手……」
真っ先に頭に浮かんだのは、フィフスの笑顔だ。
アイスにエスコートされ、媚びるように微笑むフィフスの笑顔。
(憎い……あたしは、アイツが憎い……殺してやりたいほど)
あいまいな意識の中で、スノウは種子を手に取った。
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