第9話「【覚醒】」
――グォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
逃げる間もなく、火竜が火を吹いた。
視界いっぱいに広がる業火が、大広間の中へと叩き込まれる!
「っ…………?」
だが、フィフスは生きていて、他のパーティー参加者もまた、炭や灰にならずに済んでいた。
アイスや辺境伯を始めとする複数の者たちが、とっさに極大の【アイス・シールド】を張ったからだ。
日頃、辺境伯やアイスとともに火山で戦っている従士たちはもちろん、驚くべきことに、メイド長や他の熟練メイドたちまでもが小規模な結界魔法を使っていた。
だから、死者は出ずに済んだ。
だが、大広間の方はどうにもならなかった。
カーテンに火がつき、辺り一面が炎に包まれはじめる。
「グレイシャ領軍、総員抜剣!」
辺境伯が、火竜のシャウトにも負けないほどの大音声で号令した。
速やかに抜剣し、対火竜の陣形を組みはじめる従士たち。
「ご参列の方々にもご助力願う!」
辺境伯の言葉に、軍務閥の貴族たち――筋肉オジサマたちとその子息たちが、抜剣して陣形に加わるか、あるいは戦いに不慣れな者たちの避難誘導に従事しはじめる。
みな、実に有事慣れした、落ち着いた振る舞いだった。
一方の、いくさ慣れしていない内務閥や外務閥の貴族たちは、慌てふためいている。
特に、フィフスの父・シーズン公爵などはみっともないものだった。
「フィフス!」
アイスが指示を出す。
「フィフスは消火作業に従事してくれ。くれぐれも、前には出過ぎるなよ!?」
「分かりました!」
フィフスは少し怖かったが、『逃げろ』と言われず仕事を命じてもらえたことが嬉しかったし誇らしかった。
客ではなく、グレイシャ家の一員として数えてもらえた、という何よりの証拠だからだ。
フィフスは大広間の壁やカーテンの消火作業に取りかかる。
――グォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
――ギャァアアアアアオオオオオオオオオオオオオオッ!!
――ギャギャギャギャギャギャッ!!
作業の合間に中庭の方を見てみれば、そこには地獄のような光景が広がっていた。
火竜。
火竜。火竜。
火竜。火竜。火竜。
火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜。火竜!!
庭やその向こう、領都の大通りなどに、十を超える火竜たちが降り立っていた。
さらに上空には、数えきれないほどの火竜の群れが飛び回っている。
中庭では、アイスが率いるグレイシャ軍や筋肉オジサマたちが奮戦していた。
中でもとんでもない活躍を見せているのが、
「【アイシクル・アッパー】ッ! 【ブリザード・キック】ッ!
がはははははっ! 【グレイシャ・ラリアット】ォォオオオオッ!」
筋肉・オブ・筋肉ことグレイシャ辺境伯その人だ。
氷柱や極寒を纏わせた肉体で、火竜を殴る、蹴る、殴る、蹴る。
身の丈10メートルの火竜を、素手で殺す。
まさに、生きる伝説とも言うべき大英雄だ。
この領で最も偉い、本来は後方で指揮を取っているべき人間が、最前線も最前線で、文字どおり火竜と『殴り合って』いる。
しかもその人間が、冗談みたいに強い。
これほど、兵士たちを勇気付ける光景も他にはない。
(大丈夫。きっと大丈夫……っ)
だからフィフスは、アイスたちを信じ、自分の仕事に集中することにした。
すなわち、消火だ。
「【ウォーター・スプラッシュ】! 【ウォーター・スプラッシュ】!」
フィフスが初級魔法で奮戦していると、
「おーっほっほっほっ! ここは冬神の巫女であるあたしに任せなさい!」
双子の姉・スノウが出てきた。
「【いと美しき冬の神よ・我が
発動範囲を広げられた氷系中級魔法が、大広間全域に広がる。
【ブリザード】は敵を凍えさせ、あるいは対象の水分を氷結させるほどの、十分に戦闘に耐え得る強力な魔法だ。
スノウの両手から放たれた強烈な冷風が大広間を満たし、床に霜を降りさせ、カーテンや壁に燃え広がった炎を抑え込もうとする。
が、炎の勢いはあまりにも強く、スノウの魔法は焼け石に水。
「くっ。【いと美しき冬の神よ――」
スノウが再び同じ魔法を行使するが、やはり状況は変わらない。
むしろ、グレイシャ邸を包み込む炎は、いよいよ勢いを増しつつある。
このままでは、屋敷全体が焼け落ちるのも時間の問題だ。
「フィフスご令嬢!」
貴族のひとりが叫んだ。
「火竜を氷漬けにしたというそのお力、見せてはもらえませんか!?」
「い、いえっ」
フィフスは必死に首を振る。
「私は初級魔法しか使えなくて……」
フィフスのか細い声は、轟々という炎の音に飲み込まれる。
「そうですっ。今こそ、その力を振るうべきときです!」
また別の、貴族家婦人が叫んだ。
「私たちを助けて、冬神の巫女様!」
年若い令嬢が叫んだ。
「違うんですっ! 巫女は私ではなく姉の方で――」
そのやり取りを聞いて、冬の巫女こと『
が、
「【いと美しき冬の神よ――」
姉は姉で、過度の魔力消費による疲労を押して、さらなる魔法を構築しようとしている。
この状況を、何とかしようとしている。
戦っている。必死に戦っているのだ。
(そうだ、私は五女。出涸らしの五女)
状況は逼迫している。
だが、フィフスには――自分には、守るべき『一線』がある。
かつて重大な『過ち』を犯した自分が、絶対に踏み込んではいけない一線があるのだ。
(私が四女を――お姉様を差し置いて目立つわけには……)
その時。
「ぐぁあああッ!!」
全身を血に染めた男性が――最愛のアイスが、フィフスの目の前まで吹き飛ばされてきた。
「あっ、アイス様!? ――ひゅっ」
慌ててアイスを抱き上げたフィフスは、呼吸を忘れた。
アイスの右肩が、ごっそりと失くなっていたからだ。
右肩の肉と骨が、無い。
ギザギザとした傷口から、後から後から血が溢れ出して、溢れ出して、止まらない。
火竜に、喰い破られたのだ。
「て、手当を――」
言いつつ、フィフスは自分の発言の滑稽さに気付いていた。
どうやって?
何をどうやって、この『傷』を手当てするというのだ?
右肩が、ほぼ失くなっているのだ。
右腕は、辛うじて繋がっているだけだ。
ぷらんぷらん、とぶら下がっているだけだ。
とても、アイスの意思で動かせるものではない。
これはもはや、『傷』ではなく『欠損』。
『部位欠損』を癒すには、初級・中級・上級のさらに上、『聖級治癒魔法』が必要だ。
それほどの実力者など、王国に十指もいない。
つまり全員、ここから遥か遠くの王都の最奥、宮廷魔法使いの席に座っている。
こんな辺境にはいない。
いないのだ。
つまり、アイスを癒せる魔法使いはいない。
アイスを癒せるすべはない。
アイスは、死ぬ。
もうすぐ死ぬ。
死ぬのだ。
(どうすれば)
ぐるぐる、ぐるぐる。
フィフスの思考が空回りする。
いや、焦っている暇すらないのだ。
もうあと数分もすれば、アイスは死ぬ。
どうにかしなければ。他でもない、自分自身が。
その時。
――グォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
大広間に、火竜の1体が入り込んできた。
あるいはその個体こそが、アイスを瀕死に追い込んだ個体だったのかもしれない。
仕留め損なった獲物を今度こそ殺そうと、アイスに向かって大きな口を開く。
その口は、熱を帯びている。
【ブレス・オブ・ファイア】。
骨をも溶かす灼熱の、予備動作。
(どうすればどうすればどうすれば――ッ!)
フィフスは、思考の限界を迎えた。
アイスが、死のうとしている。
それは、嫌だ。
絶対に、嫌だ。
何が何でも阻止せねばならない。
ならば、どうすべきか。
どうするべきだったのか。
答えは簡単だ。
最初から、『全力』を出しておけば良かったのだ。
さっさと消火して、アイスの戦いに加勢していれば、こんなことにはならなかったのだ。
(このままでは、アイス様が死んでしまう。そんなの、駄目だ。絶対に駄目だ――ッ!)
フィフスは、決心した。
全力を出すと決めた。
過去のしがらみとか、十数年前の『過ち』とか、スノウへの遠慮とか、5歳のあの日に結んだ『約束』のこととか。
そんなものはすべて、吹き飛んでしまった。
どれもこれも、フィフスが十数年来悩み続けてきて、結論の出ないことばかりだった。
だが、『愛する男性の命』を天秤にかけた今、十数年来の悩みなど鼻で笑える程度の重みでしかなかった。
だからフィフスはついに、『全力』を発揮した。
「これ以上、アイス様を傷付けるなぁぁあぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
火竜を睨みつけ、フィフスは絶叫した。
奇跡が起きた。
フィフスの叫びが魔力を帯び、極寒の冷気を発し、グレイシャ邸中のあらゆる火事を瞬く間に鎮火させ、今、目の前で業火の息を吐き出しつつあった火竜の熱を覆い、火竜もろとも氷漬けにした。
それどころか、フィフスの放った冷気は屋敷の外――中庭や大通りで暴れまわっていた十数体の火竜や、空を周回していた実に57体もの火竜を、体内の血の一滴に至るまで凍らせ尽くした。
領都、どころか王都、どころか『国』ひとつを壊滅させかねない巨大な脅威が、瞬く間に氷のオブジェと化した。
未来永劫語り継がれるであろう、英雄の誕生の瞬間である。
だが当のフィフスは、そんなことなどまったく興味なかった。
腕の中で必死に息をするアイスのことで、頭がいっぱいだったからだ。
「フィフス……無事、か? 俺は、お前の騎士になれたのか?」
そのアイスが、愛おしげにフィフスの頬を撫でてくる。
「アイス様、死なないでっ。ねぇ、お願いだからッ!」
フィフスは必死に、アイスの傷口――止めどもなく血が溢れかえってくる、その肩口を両手で押さえ込もうとする。
だが、ごっそりとえぐり取られた欠損部位があまりにも大きく、フィフスの両手では覆いきれない。
こぽこぽ、こぽこぽと、絶望的な泡を立てながら、後から後から血が溢れ出てくる。
アイスの命が、こぼれ出てくる。
「誰か、誰か助けて! ねぇ、誰か!」
フィフスは泣き叫ぶ。
先程までフィフスの武勇を褒め称えてくれていた、オジサマのひとりと目が合った。
だがオジサマは、残念そうに目を伏し、首を振るばかり。
辺境伯とも、目が合った。
辺境伯は一度、かっと目を見開いたかと思うと、すぐに視線を目の前――戦場に向け、残敵の捜索に戻っていった。
彼らはみな、分かっているのだ。
アイスの傷が、手の施しようがないものだということを。
アイスはもうじき、死ぬのだということを。
「フィフ…ス……泣かないでくれ」
そのアイスが、渾身の力を込めて微笑んだ。
「どうか……笑って……見送ってくれ」
「いや、いやぁあああッ!」
フィフスは、その笑顔を拒んだ。
アイス自身が受け入れた死を、受け入れたくなかった。
「助けて、助けて誰か――」
最後の『約束』を破ってでも、アイスに生きていてほしいと願った。
だから、十数年来ずっとずっとずうっと人前で口にしなかったその言葉を、ついに叫んだ。
「助けて、冬神様!!」
第二の奇跡が起きた。
フィフスの涙がアイスの傷口に触れたとたん、そのしずくが大きな水の塊に変じ、傷口を優しく包みこんだ。
水球が光り輝く。
「なんと……」
「神の奇跡だ……」
その神々しい輝きに、周囲の貴族たちが息を呑む。
光が消えた時、水球は骨と血と肉に変じていた。
今やアイスの傷はすっかり癒え、つるりとした無傷の肩が出てきた。
アイスが、すぅすぅと穏やかな寝息を立てている。
「あぁ……アイス様、良かった」
それを見届けたフィフスは、アイスに覆いかぶさるようにして気を失った。
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