第8話「【ダンス・ダンス・ダンス】」

(なぜだっ、どうしてこうなった!? ワシは何を間違えた!? どこで間違えたというのだ!?)


 パーティー会場の片隅で、シーズン公爵は唖然となっていた。


 とうの昔に死んでいるはずの五女が未だにピンピンしていて、『火竜瞬殺令嬢』などと謳われて、上流貴族たちの注目の的となっているのだ。

 シーズン公爵は何人もの知り合いたちから五女のことを聞かれ、回答に難儀した。


『あれほどの才女、どうして存在を隠しておられたのですか!?』

(仕えるべき神を持たない、無能な落ちこぼれだったからだ)


『ぜひ、我が息子の妻として迎え入れたいのですが』

(悪い冗談はよしてくれ。アレはもう、金貨1万枚でグレイシャ辺境伯家に売っぱらってしまったのだ)


『もしや、あの方こそが冬神の巫女なのでは!?』

(違う違う違う! そんなハズはない。冬神の巫女は四女のスノウだ)


 シーズン公爵は心の中でそう叫ぶが、どれもこれも口には出せないことばかり。

 適当に言い繕って、のらりくらりと躱す以外に方法がない。


 その、本物の巫女であるはずの四女スノウは、無様にも『壁の花』となって嘲笑を集めている。

 ……当然だろう。

 あの愚かな娘は、変装用の魔道具まで無断で持ち出して、勝手に祭りに参加し、あまつさえフィフスとアイスに会ったのだ。

 シーズン公爵が『やるな』と厳命したことを、全部やった。


 そのうえ、フィフスに八つ当たりしようとして糞尿をぶちまけ、結果、自分が糞尿を頭からかぶるという、とんでもない醜態をさらしてしまった。

 パーティー会場では、スノウのことを『糞尿令嬢』と揶揄する声まで聴こえてくる始末である。

 実際、あの愚かな娘が泣きついてきた時、公爵は鼻が曲がるかと思った。

 妻などは泡を食って失神してしまった。

 だから、大急ぎで宿の風呂に入れ、新しいドレスを見繕ってやったのだ。


 一息ついた後、娘の口から事の次第を聞いて、シーズン公爵は死にたくなった。

 あの愚かな娘は、あろうことか自分が四女だと名乗り、『自分こそがグレイシャ家が所望した冬神の巫女だ』と公言したのだ。

 つまり、『シーズン公爵家はグレイシャ家に詐欺を仕掛けました』と宣言してしまったのだ。


 スノウは、アイスの外見がよほど好みであったらしい。


『どうしてぶ男だなんてウソを吐いたの!? ひどいわ、お父様』


 とシーズン公爵をなじり、


『今からでも、私が婚約者になるべきよ』


 とわめいた。

 シーズン公爵は頭を抱えたくなった。

 そんな発言が万が一にもスノウの婚約者殿の耳に入ったら、婚約者殿も、苦労して婚約を成立させたシーズン公爵自身も、面目が丸つぶれだ。


(本当に、何と愚かなことをしてくれたのだ。末の娘と思ってワガママを許してきたが、今度ばかりは度し難い)


 あの娘は、自分がどれほど愚かなことを言ったのか、気付いてすらいないのだ。

 今は、グレイシャ辺境伯の令息――アイス卿が、スノウの言葉を聞かなかったことにしてくれている。

 だからシーズン家は、首の皮一枚で繋がっている。

 だが、アイスの気がいつ変わるとも知れない。


 もしもアイスが娘の失言を暴露してしまったら、シーズン公爵家は詐欺師の家として全貴族に認定され、針のむしろとなるだろう。

 誰も、シーズン家の言うことを信じてくれなくなる。

 シーズン家は貴族社会から干される。

 シーズン家は、お仕舞いだ。


(本当に、本当に……どうしてこうなった!)



   ◆   ◇   ◆   ◇



 パーティー会場の中心で、フィフスは引き続き、筋肉オジサマたちを相手に微笑み続けている。

 フィフスを息子や親族の妻に、いや、何なら自分の側室に――と画策してくる手合は、アイスが【アイス】の載った極寒の視線で撃退してくれるから安心だ。


 大広間の隅っこでは、スノウが壁の花となっている。

 そのスノウが、刺すような――いや、呪い殺しにかかってきそうなほどの、憎悪に満ちた眼差しをこちらに向けてきているが、フィフスは必死に気付いていない振りをする。

 他にどうしろと言うのだろうか。


 あの後――スノウに汚物をぶっかけられそうになったその後、フィフスはアイスに手を引かれるまま、射的場を去った。

 スノウが何やらわめいていたが、振り向いたり、手を差し伸べるようなことはしなかった。

 以前の自分なら、スノウを助け起こし、自身が糞尿にまみれるのも構わず、スノウを介助したことだろう。

 そうして、愚図だの馬鹿だのとスノウから罵られ、叩かれ、それでも文句を言わずにスノウを助けたことだろう。

 だが今回、フィフスはそうしなかった。


 フィフスは、珍しいことに――本当に本当に珍しいことに、腹を立てていたのだ。


 十数年前からすべてのことに対して諦め、希望を抱くことを止め、怒りも悲しみも努めて感じないように自分を訓練し続けてきたフィフスは無類の忍耐力を身につけており、滅多なことでは怒ったりしない。

 実際、辺境伯に火竜の巣に放り込まれたことについても、別段怒ってはいなかった。

 謝罪してくれたし、そもそも最初に悪いことをした――詐欺を働いた――のはこちらなのだから。

『冬神の巫女と同じ働きをしてもらわなければ困る』という辺境伯の考えもまた、十分に理解できるものだった。


 だが今回、フィフスはスノウに対して腹を立てた。


『アンタが守るべきはそいつじゃなくて、あたしでしょ!?』


 スノウの、まるでアイスのことを自分の所有物のように扱うその言い草が、許せなかった。


『あたしはフォース・オブ・スノウ。貴方が娶りたがっていた相手よ!?』


 アイスをフィフスから奪おうとするそのやり方が、どうしても許せなかったのだ。


(違う。アイス様の婚約者は、私だ!)


 そんなことを考えながら、ちらりとスノウへ視線を送ると、目が合って、スノウが睨んできた。


(本当に、どうして私たちは、こんな関係に……)


「やぁやぁ火竜瞬殺令嬢殿、火竜退治のお話を聞かせてはもらえまいか」


 また、別の男性貴族に話しかけられた。

 隣のアイスをちらりと見上げると、彼はうなずいた。

 友好的かつ無害な相手、というサインだ。

 フィフスは安心して、話に興じる。

 もちろん、辺境伯に無理やり巣へ投げ込まれ、危うく死ぬところだったという一点に関しては、それとなくごまかしたが……。


 パーティーは、続く。

 フィフスはスノウのことで一抹の居心地の悪さを感じつつも、筋肉たちに微笑み返し、料理や音楽やダンスを楽しんだ。

 ダンスなど十数年ぶりだったが、意外と覚えているもので、アイスの足をさんざんに踏みつけてはしまったものの、フィフスは一曲踊りきることができた。

 もっとも、フィフスが辛うじてながらも踊れたのは、アイスのリードが抜群に上手だったからなのだが。


 フィフスとのダンスが終わるや否や、アイスが貴族家令嬢たちの群れに飲み込まれた。

 アイスは従来、『氷の貴公子』と呼ばれて貴族令嬢たちから恐れられていた。

 だが、フィフス相手に見せるふにゃふにゃとした笑顔が、どうやら令嬢たちのハートを直撃したらしい。


 彼女たちはみな、アイスをダンスに誘った。

 本来、女性からダンスに誘うのははしたない行為で、だからこそ『壁の花』という言葉がある。

 だというのに、みな、目の色を変えてアイスのもとに殺到した。

 アイスの貴公子然とした凛々しい立ち居振る舞いと、フィフスにだけ見せる年相応の少年っぽさのギャップに、みな『やられて』しまったのだろう。


「え、えーと」


 アイスが、フィフスの顔色を伺ってきた。

 フィフスはほんの少しだけ胸の内にもやりとしたものを抱えつつも、


「……別に、いいんですよ。踊って差し上げてください」


 と答えることができた。

 だが、どうしても、口調の端々に拗ねるような響きが出てしまった。

 それが、間違いだった。

 みっともない嫉妬心など、隠しきるべきだったのだ。


「いいや!」


 アイスが勢い良く首を振った。


「やはり俺は、お前以外と踊る気はない。俺はもう、お前しか見えないんだ」


「あ、アイス様……っ!」


 真っ赤になってしまうフィフスである。

 残念がる令嬢たちだったが、『そういえばこのふたり、婚約したてでしたわね』ということを思い出してくれたらしく、三々五々と散っていった。

 令嬢たちの多くは、筋肉オジサマたちの娘や親族。

 やはり、筋肉と同じくさっぱりとした気持ちの良い者たちが多いらしい。


 さて問題は、アイスの『お前以外と踊る気はない』発言だ。

 パーティーの主催者の嫡男が、パーティーの中心から早々にフェードアウトしてしまうわけにはいかない。

 つまりアイスには、最後の曲まで踊る義務がある。

 そのことに気付いたフィフスは、先ほどまでの胸の高鳴りなどどこへやら、宣言どおりにすべての曲をアイスと踊らされることになり、この世の地獄を見た。

 5曲を超える頃には足腰がガクガクになり、最後の曲――実に10曲目を数える頃には、立っているのが不思議なほどのありさまだった。


「ぜーっ、はーっ、ぜーっ、はーっ」


 すべてが終わった後。

 全身ぷるぷると震えながら、フィフスはソファに沈んでいた。


(や、やっと終わった……し、死ぬかと思った!)


「ふふっ」


 ずいぶんと楽しそうな声に、顔を上げてみれば、


「ほら、冷たい果実水だ」


 額に薄っすらと汗を浮かべたアイスが、溶けそうなほど甘い笑顔でそこに立っていた。

 氷魔法使いが多いグレイシャ邸では、氷入りの冷たい飲み物が日常的に飲めるのだ。


「いや、それにしても、まさか本当に全曲ついてこれるとはな。フィフスも意外と体力と根性があるな」


「それは、その」


 他の女にパートナーの座を奪われたくなかったから、むきになったのだ。

 だが、それを口にしてしまうのは、さすがにはしたないというか、重すぎるのではないか、と思ってしまうフィフスである。


「ん、どうした?」


「い、いえいえ、何も! ……あれ?」


 フィフスは、大広間の外――中庭が騒がしいことに気付いた。

 アイスも、フィフスより一歩先に気付いたらしく、フィフスを庇いながら身構えている。


 次の瞬間、窓の外が真っ赤に染まり、窓という窓が一斉に割れた。


 ――グォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!


 聞き覚えのある、この絶望的なシャウトは、


「火竜!」


 フィフスが中庭へ視線を向けるのと、中庭に火竜が降り立ったのは、同時だった。

 火竜と、目が合った。

 火竜が、大きく息を吸う。


(いけない! 【ブレス・オブ・ファイア】が――)


 逃げる間もなく、火竜が火を吹いた。

 視界いっぱいに広がる業火が、大広間の中へと叩き込まれる!

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