第7話「夜会と筋肉と【火竜瞬殺令嬢】」

(敵――?)


 物陰から、何者かが飛び出してきた。

 それを知覚した瞬間、アイスの思考は『平時』から『戦時』に切り替わった。

 彼は左手でもってフィフスの体を自身の背後へ隠し、その時点ですでに右手に集め終わっていた魔力でもって、


「【アイス・シールド】」


 分厚い氷の壁を生成した。

 さらに、右手を左腰の剣にやり、抜剣姿勢を取ったところで、事の奇妙さに気が付いた。


「……民間人?」


 透明なガラスのような【アイス・シールド】の向こうで、町娘がひっくり返っていた。

 何がどうなったらそうなるのか、頭から汚泥を被っている。


「あっ」


 町娘を見て、フィフスが叫んだ。


「ま、まさか――お姉様!?」


 姉。フィフスの双子の姉。

 フォース・オブ・スノウ・オブ・シーズン公爵家令嬢。


 アイスは剣の柄から手を離し、その指先で氷の壁に触れた。

【アイス・シールド】を形成していた魔力が霧散し、氷が溶けて水になった。


「な、な、な、なんてことをしてくれたのよ!?」


 町娘が何やらわめいている。

 汚物まみれの町娘が、指輪を外した。

 とたん、髪の色や瞳の色、そして顔の印象が一変した。

 出てきたのは、フィフスにそっくりな顔。

 間違いない。

 フォース・オブ・スノウその人だ。


「アンタ、このあたしが誰だか分かってるの!?

 あたしをこんな目に遭わせて、ただで済むと思ってるの!?」


「いや、お前がその桶をこちらに投げつけようとしているように見受けられたのだが」


 桶の中身が分からなかったから――フィフスを害する薬物や呪物の可能性があったから――【アイス・シールド】で防いだ。

 そうしたら、桶が【アイス・シールド】に当たって跳ね返り、スノウが桶の中身を勝手に被ったのだ。

 完全な自業自得である。


「何でよ! アンタが守るべきはそいつじゃなくて、あたしでしょ!?」


 スノウが、またしても支離滅裂なことを言いはじめた。


「あたしはフォース・オブ・スノウ。貴方が娶りたがっていた相手よ!?

 そのあたしにこんな仕打ちをするなんて。

 シーズン公爵家が黙っちゃいないわよ!?」


(……この女、何も考えずに喋っているな)


 アイスはスノウの、感情の赴くままぎゃーぎゃーとわめきちらす口が疎ましくなった。


 まずもって、『シーズン公爵家が黙っちゃいない』という啖呵の意味が分からない。

 グレイシャ家はシーズン家の寄り子ではない。

 辺境伯家ということで、さすがに公爵家に比べれば家格は落ちるが、それでもグレイシャ家は王国十指に入る名家の中の名家である。

 軍務閥の長であるグレイシャ辺境伯家と内部閥の長であるシーズン公爵家では貴族社会での派閥も異なり、上司部下の関係というわけでもない。


 つまり、グレイシャ家がシーズン家に従わなければならない道理はない。

 不満があるなら、戦争でケリをつけても良いくらいなのだ。

 もっともその場合、勝つのはいくさ慣れしたグレイシャ家だろうが。


 さらに、何より理解できないのが、『貴方が娶りたがっていた相手よ』という言葉。

 グレイシャ家は、不義理な契約書によって、詐欺同然の仕打ちをシーズン家から受けた。

 そのことは――父はともかくアイスとしては――まぁ、良い。

 結果としてフィフスという最良の女性と巡り逢うことができたのだから、いっそ感謝してやっても良いくらいである。


 とはいえ、シーズン家がグレイシャ家を騙したのは事実。

 だが、契約書の『末の娘』という文言に嘘偽りはない。

 だから表面上は、グレイシャ家はシーズン家に抗議することができない。

 シーズン家が意図して五女の存在を隠していたとはいえ、『本当に五女の存在を隠していたのかどうか』は証明不可能だからだ。


 が、当の四女が『私こそが、貴方が娶りたがっていた相手よ』と公言した以上、話は変わってくる。

 その発言はまさに、『シーズン家は五女の存在を隠したうえで、ニセモノの冬巫女を金貨1万枚で売りつけました』と自白しているに等しいのだ。


 アイスは、考え無しなヤツが嫌いだ。

 火竜との戦いで使い物にならないからだ。

 そこから転じて、異性のタイプも、考え無しで感情的な女よりも、思慮深い女のほうが好きだ。


 その点、フィフスは素晴らしい。

 詐欺の片棒を無理やり担がされ、捨てられるような形で死地に嫁がされたにもかかわらず、自暴自棄にならずに考え抜くことができる理性と頭脳を有している。

 生き残るために、自分のできること、すべきことを洗い出し、冷静沈着に遂行していくその様は、歴戦の戦士をすら思わせる。

 そのうえ、必要最低限生きていくために必要な打算的な思考を持ちつつも、基本的には善良でお人好しだというのだから、もうパーフェクトだ。


 今、目の前でみっともなくわめいている女は、フィフスとそっくりな容姿をしている。

 だが、その腐った性根は、フィフスとは似ても似つかない。

 アイスは、自分たちを騙してくれたシーズン公爵に感謝した。

 嫁ぎにきてくれたのがスノウではなくフィフスで、本当に良かった。


(スノウ・オブ・シーズン。愚かな女だ。

 この場で捕縛して、この女の証言を元にシーズン公爵を訴えてやってもいいが……フィフスの実家と争いになるのは、フィフスの望むところではないのだろう)


 何しろ、自分の命の代わりに実家とスノウに対する許しを乞うたくらいなのだから。


「行こう、フィフス」


 アイスは、フィフスの手を引く。

 スノウがなおも口汚く罵っているが、振り向こうとは思わなかった。


(そう、か。あれが、あんなヤツが、俺の初恋の相手だったのか)


 はっきり言って、幻滅した。

 と同時に、淡い初恋を忘れ去り、フィフスとの恋愛に集中できるようになったことを、アイスは幸いに思った。


(さようなら、スノウ姉様)



   ◆   ◇   ◆   ◇



 夕方からは、グレイシャ邸の大広間でパーティーが催される。

 収容人数に限りがあるので、さすがに領民たちを招くわけにもいかない。

 なので自然と、貴族家を中心に招く形になる。


 貴族には、ざっくりと大きな派閥がある。

 グレイシャ家を筆頭とする武闘派集団の『軍務閥』。

 シーズン家を筆頭とする内政が得意な『内務閥』。

 それと、少数ながら他国との外交に長けた『外務閥』だ。


『内務』はさらに政務・財務・内務に分類され、内務はさらに治水・交通・商務・農林・水産・総務に分類されたりする。

『軍務』の方も、内鎮(対魔物)・外征(対他国)に分類され、さらにそれぞれ陸戦・空戦・海戦に分類される。

 なので『軍務閥』と『内務閥』、と一言で言っても、本当に本当に、やんわりとしたまとまりでしかない。


 グレイシャ家は火竜退治が本務の家で、骨の髄まで『対魔物』『陸・空戦』特化の家だ。

 なので自然と、グレイシャ辺境伯家百年祭にやってくる貴族家は、日常的に魔物と戦っているようなゴリゴリの戦闘集団が多くなる。


 そんな戦闘系貴族家の当主は、みな筋肉質で大柄で、声がでかい。

 グレイシャ辺境伯ほどではないにしても、軍服が胸筋の形に盛り上がっているようなオジサマたちが大広間のそこら中にゴロゴロと転がっている光景は、一種異様であり、暑苦しいことこの上なかった。


 そんな筋肉まみれの空間の中で、フィフスはひそかに怯えていた。

 何しろ、筋肉の権化とも言うべき辺境伯に、つい先日殺されかけたばかりだからである。

 その件については、辺境伯から『ぬわーっはっはっはっ! フィフスくん、キミ、強いな! グレイシャ家はキミを歓迎する。許せ』と言われて背中をバシンバシンと叩かれたので、許した。

 とはいえ、筋肉に対して刷り込まれてしまった恐怖心は、一昼夜で消え去るものではない。


 怯えながらも、フィフスはなぜか、そんな筋肉オジサマたちからモテてモテてモテまくっていた。

 オジサマたちはみな、フィフスが火竜を氷漬けにした時の話を聞きたがった。

 どうも、辺境伯がフィフスの戦い振りを吹聴して回っているらしい。

 なるほど、魔物退治を本務とする彼ら筋肉にとって、


『火竜を瞬殺できるほど強い女』


 というのは非常に魅力的な存在なのだろう。

 領軍の戦力としても、跡取りの嫁候補としても。


 筋肉たちはみな、フィフスの体験談にうんうんとうなずき、


『いやぁ強いなご令嬢!』


 と豪快に笑ってフィフスの背中をバシンバシンと叩き、


『ところで我が家には妙齢の男子がいるのだが』


 と言いはじめ、アイスの凍るような視線(事実、身も凍るような上級冷風魔法が抑えきれず、アイスの全身から漏れ出ている)に睨まれて退散していった。


「……ぷっ。ふふふっ」


 筋肉オジサマたちの猛攻には慣れないが、フィフスは何だかおかしかった。


「守ってくださいね、未来の旦那様」


 そう言って、そっとアイスの服の袖をつかむと、アイスがフィフスの手指に自身のそれを絡ませてきた。

 ぎゅっと、手を握られる。


「もちろんだ。未来の我が妻よ」

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