第5話「坊っちゃんの【病】」
「ふ、ふふふ……あはっ、あーっはっはっはっ!」
父が、空に向けて叫ぶように笑っている。
「何だ、何なんだこの娘は!?
シーズン公爵よ、卿はこのことを知っていたのか?
それとも、知らなかったのか!?」
「あぁ、あぁぁ……フィフス!」
父の手によって、火竜の巣に投げ込まれてしまったフィフス。
先ほど、強烈な熱気が巣の中から立ち上がった。
火竜の【ブレス・オブ・ファイア】だろう。
フィフスは、もう……。
アイスは震える脚で立ち上がり、巣の中を覗き込んだ。
そして。
「…………え?」
呆然と、なった。
火竜の巣が、一面、氷で埋め尽くされていたからだ。
巣の中央にあるのは、巨大な氷のオブジェだ。
火竜の死体、だった。
そして、そのかたわらに倒れているのは――
「フィフス!?」
◆ ◇ ◆ ◇
目覚めると、グレイシャ邸の自室だった。
「フィフス!」
泣きはらした様子のアイスが、ぎゅっと手を握っている。
「アイス様……?」
フィフスは、その手を握り返す。
記憶が曖昧だ。
だが、自分が生きているらしいのは、確かだった。
◆ ◇ ◆ ◇
『坊っちゃんの病』――。
この数日、グレイシャ邸はそのウワサでもちきりだった。
若手メイドからベテラン庭師に至るまで、使用人の全員が、顔を合わせればそのウワサについて議論した。
アイス坊っちゃんの病。
それは、恋の病だ。
あの、社交界で『氷の貴公子』と呼ばれ、冷淡なことで定評のあるアイス坊っちゃんが、恋に落ちた。
相手は、13人目の婚約者候補フィフス・オブ・シーズン。
シーズン公爵家が詐欺同然の行いとともにつかませてきた『出涸らし巫女』。
一時は追い返されるのでは、とすら言われていたその娘が、氷の貴公子のハートを射止めた。
辺境伯の方も乗り気なようで、本婚約が決まった。
そう、13人目にして、ついに、ようやく、婚約者が決まったのだ!
グレイシャ家の将来を心配していた使用人たちにとって、これほどめでたいニュースもなかった。
だが、問題もあった。
坊っちゃんの『病』のことだ。
ほら、今も――。
「フィフス! お前は働きすぎだ。
朝から、もう3時間も働き詰めじゃないか。
少しは休憩を取るべきだ。
その荷物は俺が代わりに持とう」
「アイス様、お昼になったらちゃんと休憩をいただきますから。
あっ、洗濯物を奪わないでくださいっ」
アイス坊っちゃんが、朝からずーーーーっと婚約者・フィフス令嬢につきまとっているのだ。
まるで、親鳥の後ろを歩くひな鳥のように。
フィフスがあっちへ歩けば、アイスもあっちへ。
フィフスがこっちへ歩けば、アイスもこっちへ。
「ひとりで持てますから。
アイス様こそお忙しいのでしょう?
私のことなど放っておいて、早くご公務に――きゃっ!?」
歩きにくそうにしているフィフスが、石畳の割れ目に足を取られて転びそうになった。
「フィフス!」
すかさずアイスが、フィフスを抱きとめた。
放り上げられた洗濯物が、はらはらと舞い降りてきた。
美男美女が庭の真ん中で抱き合う姿はまるで歌劇のひと幕のようで、妙にユーモラスだ。
「おーおー、今日もお熱いですなぁ」
と茶化すベテラン庭師。
「あらあらあらあらまぁまぁまぁまぁ!」
「きゃーっ、素敵!」
「尊い」
きゃいきゃいと姦しい『アイス様・フィフス様、絶対くっつけ隊』の女たち。
「怪我はないか、フィフス!?」
「だ、大丈夫ですからっ。
そんなに力いっぱい抱きしめないでください。
苦しいですから」
「なんて危険な割れ目なんだ! 即刻塞いでしまうべきだ。
執事っ、執事ーっ」
「はい、坊っちゃん」
「石工を呼べ! 大至急だ」
「御意に」
火竜相手にも眉ひとつ動かさない歴戦の騎士アイスが、フィフスのこととなると石畳の割れ目ひとつで大騒ぎである。
「もう十分働いただろう、フィフス。もう休め。
なぁ、おい、キミ、もういいだろう?」
「ひゃっ、ひゃい!
も、ももももちろんでございますっ」
アイスに声を掛けられた若手メイドが、飛び上がるようにして同意した。
「ちょっとアイス様――」
抗議するフィフスをよそに、アイスが懐から小瓶を取り出す。
「ほらまた、こんなにも手をガサガサにさせて。座れ」
アイスが指したのは、庭にぽつりと1脚だけ置かれている椅子。
「む、むむむ無理ですっ。
未来の旦那様を差し置いて、私だけ座るだなんてっ」
「じゃあ、これなら文句ないだろう」
アイスが椅子に座り、小柄なフィフスの両腰に手を回したかと思うと、ひょいっと持ち上げ、自身の膝の上にフィフスを乗せた。
「ぶふぅっ。大胆ですなぁ」
楽しそうな庭師。
「「「きゃ~~~~~~~~っ」」」
興奮が最高潮に達した『くっつけ隊』。
他にも、メイドたちが顔を赤くしながら、アイスとフィフスの白昼堂々とした逢瀬を見守っている。
当のフィフスはと言えば――
「!? !? !?」
卒倒寸前であった。
「ほら、猫の手だぞ、フィフス」
「ねっ、猫っ、猫ぉっ。にゃっ、にゃーーーーん!」
「「「にゃーーーーん!」」」
フィフスに続いて、『くっつけ隊』が鳴いた。
「いやー、あの坊っちゃんがねぇ」
アイスを幼児の頃から知っている庭師が、感慨深そうにアイスたちを眺めている。
「わたくしはっ、嬉しくてっ。
坊っちゃんにもようやく春がっ」
元・乳母だったメイド長などは、泣き崩れるありさまである。
◆ ◇ ◆ ◇
「それで」
父――辺境伯が、どっかりと椅子に座りながら口を開いた。
父の重量に耐えかねて、椅子が悲鳴を上げる。
「フィフスくんの調子はどうだ?」
「だいぶ良くなりましたよ」
アイスは吐き捨てるように言う。
「誰かさんの
あの、恐怖の火竜討伐劇から数日。
フィフスは魔力がすっかり戻り、ひとりで歩き回れるようになった。
「そういう話ではない。
あの、火竜を一撃で屠った極大氷魔法は使いこなせそうか、と聞いておるのだ」
「なっ……無詠唱で、あんな極大魔法。
日常的に発動なんて、できるわけがないでしょう!
それこそ、死に瀕したときでもなければ」
「ふむ。つまり死にそうな目に遭えば、またあの美しい大氷河が見られるというわけかな?
あれこそは、我がグレイシャ家の開祖が得意としていた聖級氷魔法【グランド・グレイシャ】。
何としてでも、フィフスくんにはあの力を使いこなせるようになってもらいたい。
いっそもう1度、火竜の巣に放り込んでみようか」
「父上ッ!」
本気の殺気が載った魔力が、父の部屋を凍てつかせた。
「ふっ」
一瞬で氷のオブジェと化してしまった花瓶の花を、父が握りつぶす。
「ふふふっ、ぬわーっはっはっはっ!
冗談だよ。お前がそこまで女に固執するとは珍しいな。
そう怒るな。婚約は認めてやっただろうが」
父が、引き出しから羊皮紙を取り出した。
そこに記されているのは、『招待客』のリストだ。
「来月には、当家の百年祭が開かれる。
お前はそこで、婚約者殿を思う存分披露するが良いさ。
ただし、結婚までは認めない」
「……どういうことですか?」
「あれは、『五女』なのだろう?
仕えるべき季節神を持たない、『出涸らし』なのだろう?
その出涸らしで、あれほどの強さなのだ。
本物の『冬神の巫女』の力を、見てみたいとは思わないか?」
「っ。興味ありませんね」
と言いながらも、アイスは内心、揺れていた。
フィフスのことは好きだ。
大好きだ。
今すぐにでも結婚したいくらいに。
だが、それはそれ、これはこれだ。
自分はグレイシャ家の跡継ぎ。
これから死ぬまで続くのであろう火竜との戦いのために、領民の安全のために、強い氷魔法使いを求めるのは当然のことだ。
それに、だ。
(スノウ姉様……)
アイスには、実は想い人がいた。
それは、かれこれ十数年前の話。
火竜たちが活発化していたある年、アイスはひと夏の間だけ、隣の領――シーズン公爵家に預けられていた時があるのだ。
そこで出逢った、元気いっぱい、ワガママいっぱいの少女――『
◆ ◇ ◆ ◇
『アンタ、名前は!?』
紹介されて、開口一番それだった。
1つ年上の冬巫女――当時4歳か5歳のスノウは、仁王立ちして、自信満々に胸を張って、アイスを見下ろしながらそう言った。
『……あ、アイス』
気が弱かった当時のアイスは、怯えながら答えたものだった。
『ふうん? アイス、アンタ、今日から私の部下ね』
『え……』
それから毎日、アイスはスノウに連れ回された。
スノウは驚くべきお転婆娘で、毎日のように山を駆け回ったり、魔物を狩ったりした。
4、5歳児が魔物狩り――。
それを成せるだけの力が、スノウにはあった。
冬神に愛された彼女の、強力無比な氷魔法の数々である。
『アイス、アンタって名前は強そうなのに、てんで弱いのね。
私が稽古を付けてあげる』
スノウの意味不明なシゴキによって、アイスは魔力枯渇で何度も生死の境をさまよい、その果てに、齢4つにして上級氷魔法が使えるようになった。
現在のアイスは、初級・中級・上級のさらに上、王国に十指といない『聖級氷魔法使い』である。
彼が若くして聖級の境地に到達できたのは、その基礎にスノウの教えがあったからに他ならない。
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