第4話「ピクニックと【火竜】狩り」

 香草焼きは、サラダと一緒にパンに挟んで持っていくことにした。


 時刻は昼前。

 場所は火竜の棲まう火山の麓。


 火山といっても、山は木々で覆われている。

 活火山だが、マグマが溢れ出てくることはない。

 火竜たちがマグマを飲むからだ。

 ならば、火竜は守り神なのかというと、そうでもない。

 火竜は人里を襲い、人間を喰うからだ。

 この山は瘴気が強く、火竜以外にも多数の魔物たちが棲んでいる。

 ――以上が、フィフスが使用人たちから教わった情報だ。


 パーティーメンバーは、驚くべきことに、アイスと辺境伯、そしてフィフスのみだった。


「フィフス、俺のそばを離れるなよ」


 鬱蒼とした山を歩きながら、抜剣状態のアイスがそう言った。

 どうやら、守ってくれるつもりらしい。


「ありがとうござ――」


 フィフスが喜びとともに返事をしようとすると、


「いや」


 と、辺境伯が遮った。


「キミは先頭に立ちなさい、フィフスくん。

 ウチはこのとおり魔物退治が生業でね。

 下級魔物相手に手間取るような弱い者を、置いておく余裕なんぞないのだよ」


 アイスが唇を噛んで、歩く速度を落とした。

 自然、フィフスが先頭に立つ形となる。


「そ、そんな……」


 フィフスは、グレイシャ家に来る前に双子の姉・スノウから聞かされた、とあるウワサを思い出していた。


『「氷の貴公子」に嫁ぐことが決まったんですって?

 何でも、人の心がないってくらいに冷酷な人だそうよ。

 魔物退治に無理やり同行させられた令嬢たちが、もう何人も、盾にされて死んだらしいわ』


『アイスが冷酷な人』というのは真っ赤な嘘だった。

 だが、『魔物退治に無理やり同行させられた令嬢たちが、盾にされて死んだ』というのは、もしかすると事実なのかもしれない。

 アイス自身には盾にするつもりはなかったのかもしれない。

 令嬢たちは、今のフィフスと同じように山に連れ出され、魔物と戦わされて大怪我をしたり、命を落としてしまったのだろう。


 ちらり、と振り向いてみれば、アイスが抗議の色の載った目で辺境伯を睨みつけていた。

 が、辺境伯はどこ吹く風。

 アイスは結局、何も言えない様子。

 それは、そうだ。

 家父長権とは、そういうものだ。

 辺境伯に対して意見を通したくば、爵位を簒奪するしかない。


「どうした、フィフスくん。さっさと進みたまえ。

 日が高いうちに火竜の巣にまで到達できなければ、野宿することになるぞ」


「……っ」


 フィフスは恐怖を押し殺し、獣道を登っていく。

 無理やり持たされた短剣が、ずしりと重い。

 心臓がぎゅっと締め付けられるような恐怖とともに、歩くことしばし。


「ギャギャギャッ!」


 草むらを抜けたとたん、身の丈1メートルの人型魔物・ゴブリンと遭遇した!

 ゴブリンは棍棒で武装している。

 フィフスを見てニタリと笑ったゴブリンが、フィフスの腕を叩き折ろうと、棍棒を振り上げた!


「ひっ――」



   ◆   ◇   ◆   ◇



 アイスはハラハラしながら、フィフスの後ろ姿を見守っていた。

 見守りながら、父のことを呪っていた。


(フィフスを――あんなか細い女を魔物の巣窟で先頭に立たせるなんて、どうかしてる)


 もちろんアイスは、いざ魔物と遭遇したそのときは、引きずってでもフィフスを下がらせ、自分が戦うつもりでいた。

 その際に、フィフスが泣き出したり恐怖で気を失ったりしなければ、上出来だ。

 さらに、アイスが弱らせた魔物を相手に、フィフスがトドメを刺すことができれば、父もひとまずは認めてくれるだろう。


 アイスは今やすっかり、フィフスのことを気に入ってしまっていた。

 冬神の巫女でなかったことは残念だが、それを差し置いても、アイスはフィフスに並々ならぬ好意を寄せていた。

 謙虚で可愛らしく、からかってやるとコロコロと表情を変えるフィフスが、たまらなく愛おしくなっていた。

 できればこのまま婚約して、結婚にまで話を進めてしまいたい。


 そう、フィフスは婚約前提でグレイシャ家に来ているものの、実はまだ本婚約は結んでいないのだ。

 父の、この『テスト』を乗り越えた令嬢だけが、婚約できる運びとなっている。

 でなければ、アイスは婚約破棄されて経歴に大きな傷を残す令嬢を量産してしまうことになる。

 他家の令嬢にこれほど怖い思いをさせておいて今さらだが、父にもそのくらいの配慮はあるのだ。


 アイスの婚約者候補としてやってきた令嬢が、もう何人も大怪我を負ったり死亡している――というウワサが流れていることは、アイスも知っている。

 が、それはウワサに尾ひれが付いてのことだった。

 実際には、死亡者は出ていない。

 怪我人は、出た。転んで擦りむいた者とか、失神して崩れ落ちた際に体を打った者とか。

 とはいえ、恐怖のあまり心に傷を負った令嬢は相当数いたようだった。

 いくら居丈高で失礼な態度を取った者たちだったとはいえ、彼女たちには悪いことをしてしまったと思う。


 父を呪いながらも、同時にアイスは、父のやり方に納得してもいた。

 この地での生活は、死と隣り合わせだ。

 たとえ令嬢本人が戦う力を持たなくても、夫や子が怪我を負い、時に亡くなることに対する覚悟を持てる強い女でなければ、グレイシャ家の嫁は務まらない。

 子供が火竜に殺されてしまったので、『仕方ない、さぁ次を作ろう』と思えるくらいの、ちょっと異常なくらい強い精神力を持っているか、異様なほどドライな精神の持ち主でなければやっていけないのだ。


 母は、駄目だった。

 長男・次男・三男を立て続けに失ったところで、すっかり心を壊してしまった。

『あれは優秀な氷魔法使いなのに、もったいない』とは父の談。

 愛する妻をして『もったいない』で片付けるとは、人の心がないのか、と思う。

 と同時に、そのくらい冷徹になりきらなければ、火竜たちを封じ込め続けるのは無理なのだ、という恐怖がアイスを包み込む。


 ……などと、物思いにふけっていたのがマズかったのだろう。

 先頭のフィフスと、数メートルほども離れてしまっていた。


「ひっ――」


 そして、フィフスの悲鳴と、ゴブリンと思われるモノの声。


(しまった!)


 アイスは慌てて走り出す。


「――【アイス】ッ!」


 フィフスが、叫んだ。

 それは、アイスに対して助けを求めたのではなかった。


「……え?」


 アイスは、呆ける。

 ゴブリンの頭部が、氷漬けになっていたからだ。

 ゴブリンの体がぐらりと倒れ、氷漬けの頭部が小岩にぶつかった。

 とたん、ゴブリンの頭部がこなごなに砕けた。


「なっ!?」


 見れば、フィフスの手のひらからは冷気の残滓が出ていた。

 やはり、フィフスが使ったのだ。

【アイス】を。


【アイス】。

 氷系初級魔法。

 初級と銘打っているとおり、その威力はけっして高くはない。

 せいぜいが、相手の体表に霜を降ろさせるか、薄い氷で覆う程度の威力しかない。

 相手の体温と体力を奪うという目的で使われる、その程度の魔法。

 それが、初級魔法【アイス】だ。


 なのに。

 だというのに。


「ほほう」


 呆然と立ち尽くすアイスの隣で、辺境伯が壮絶に微笑んだ。


「なかなかやるではないか」


 辺境伯が、ゴブリンの頭部を踏み砕いだ。

 血も脳漿も、飛び散らなかった。

 フィフスがあの一瞬で、ゴブリンの頭部内の液体すべてに至るまでを凍らせ尽くしてしまったからだ。

 初級魔法で!

 あり得ないほどの威力を持った、初・級・魔・法で、だ!


「は、ははは……」


 引きつり笑いのアイスは、ようやく気付いた。


「そうだ、フィフス! 怪我はないか!?」


「は、はい」


「では、体調は?

 省略詠唱でこれほどの威力。

 いったいどれほどの魔力を消費したと思って――」


 アイスは言葉を失った。

 フィフスは、汗ひとつかいていなかった。

 こんな芸当、並の魔法使いなら、穴という穴から血を吹き出してぶっ倒れてもおかしくない。

 なのに。なのにだ。


「あ、その……」


 フィフスが、居心地悪そうな顔をした。


「氷魔法は、ほんのちょっとだけ、得意なんです。

 といっても、初級魔法しか使えないのですが」


 何やら言い訳めいた、最初から準備しておいたようなセリフだ。


「ま、まぁ、フィフスが無事で何よりだ」


「ぬわーっはっはっはっ!」


「きゃっ!?」


 父が、フィフスの背中をバシンバシンと叩いた。


「気に入ったぞ、フィフスくん! さぁ、ピクニックを再開しようではないか」



   ◆   ◇   ◆   ◇



 山登りには慣れているのか、フィフスは泣き言ひとつ言わず淡々と歩いていった。

 コボルト、ビッグボア、ワーウルフ、ビッグワーム。

 道中、初級・中級の魔物が何度も現れたが、すべてフィフスが【アイス】で片付けてしまった。

 アイスが背後で見守っているのが馬鹿馬鹿しくなるほど、順調な道のりだった。


(初級魔法で中級魔物を瞬殺してしまう女……それも、『出涸らし巫女』の身の上で!)


 アイスは呆れてしまったような、笑い出したくなるような心地になっていた。

 同時に、今やどうしようもないほどに、フィフスのことが好きになっていた。

 いや、『好き』などという生ぬるい言葉では、この気持ちは表現できない。

 道中、アイスは熱心にフィフスの背中を見つめ続けた。

 そう、『夢中』だ。

 アイスはフィフスに夢中になっていた。



 人柄が良くて、


 可愛いくて、


 家事が得意なうえに、


 強いだなんて!



 唯一の懸念は、氷魔法を初級までしか使えないことだ。

 その点について、父が難癖を付けてくる可能性はあった。

 だが、初級魔法【アイス】で中級どころか上級魔法並の威力を持っているのだから、何の問題もないだろう。

 父が何か言ってきても、絶対に説き伏せてみせる。


(何としても、フィフスを娶る! 何としても、だ!)


 昼に香草焼きを挟んだパンを食べ、登山を再開。

 そうして一行は、まだまだ日が高いうちに、火竜の巣の前に到達したのだった。


「ふむ、いるな」


 軍服が汚れるのも構わず腹ばいになった父が、崖の下――窪地のようになっている場所を覗き込んだ。

 父にならって、アイスもこっそり崖の下を覗き込む。

 父の言うとおり、『巣』には1匹の火竜が寝そべっていた。

 ここは、何百とある巣の1つに過ぎない。

 恐らく、最も小さな巣だろう。

 その証拠に、敵は1匹しかいない。


「アレを殺るのですか?」


 アイスは脳内で素早くシミュレーションする。


「それならば、俺が最初に斬り込んで、火竜の注意を引いている間に父上が腹の下に潜り込み、一撃、という流れでしょうか。さすがにフィフスはここで隠れさせておきましょう」


「いいや」


 父が意地悪く微笑んだ。


「フィフスくんひとりにやってもらう」


「はっ――?」


 大きな声を出しそうになり、アイスは慌てて口をふさいだ。

 声には気付かれなかったようで、巣の中の火竜は寝そべったままだ。


「フィフスは冬神の巫女ではないのです。そんなことをしたら、フィフスが死んでしまいます!」


「だが、シーズン家は冬神の巫女の代わりにこの娘を寄越した。ならば、この娘には冬神の巫女と同じ働きをしてもらわねば、割に合わんだろう」


「そんな無茶苦茶なっ。付き合ってられません」


 アイスは静かに立ち上がった。


「フィフス、帰ろう」


「アイス様っ」


 フィフスが必死の形相で、アイスの背後を指差している。


「え?」


 振り向こうとしたアイスの体が、ふわりと浮き上がった。

 右脇腹に、突き刺すような衝撃。

 父に、殴り飛ばされたのだと悟った。

 父は冗談のような膂力の持ち主で、アイス程度の細い相手なら、文字どおり『殴り飛ばす』ことができるのだ。

 さらに本気の戦闘時には、その拳に触れたものすべてを凍てつかせる氷魔法が載る。


「がはっ」


 1メートルほども浮き上がった後、アイスの体は地面に叩きつけられた。


「アイス様――きゃっ!?」


 かすむ視界の中、父がフィフスの胸ぐらをつかんでいるのが見えた。

 父がそのまま、フィフスをひょいっと巣の中に放り込んだ。


「あ……あぁぁあああッ! フィフス――――ッ!」



   ◆   ◇   ◆   ◇



「ぎゃっ」


 フィフスは、『ナニカ』に背中を打ち付けられた。

 そのまま、重力に引かれてゴロゴロと転がり、倒れ伏す。


「うっ……うっ……」


 呼吸が上手くできない。


(私、何された? 辺境伯様に放り投げられて……どこへ?)


 ――グルルルルルルルルルル……


 地鳴りのような、それでいて生物的な、音。

 音のする方へ視線を向けると、『ナニカ』と目が合った。

 真っ赤な鱗に包まれた、全高10メートルの巨体。

 剥き出しにした牙の合間から溢れ出る吐息は、陽炎で揺らめいている。


 火竜。


 上級魔物。

 1匹でも現れれば、村落が崩壊しかねないほどの、怪物。

 その火竜が、咆哮した。


 耳をつんざく轟音に、

 魂を震え上がらせるほどのドラゴン・シャウトに、

 フィフスは1ミリも動けなくなった。


 火竜が、立ち上がった。

 こちらを見下ろしてくる。

 フィフスは、怖い。

 体が震え、考えがちっともまとまらない。


 火竜が、大きく息を吸った。

 骨をも溶かす、【ブレス・オブ・ファイア】の予備動作だ。


「あ……あぁ……嫌だ、死にたくない……」


 一度は死を覚悟したはずだった。

 だが、圧倒的強者を前にして、フィフスの生存本能は『生きたい』と主張した。


「お願いっ! 私を守って、■■様――――ッ!」


 火竜が、ブレスを放った。

 フィフスの視界が、真っ赤に染まった。

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