第2話「フィフスの【生存戦略】」
翌早朝、フィフスは小鳥たちのさえずりで目を覚ました。
「寝過ごした!」
飛び起き、桶の水で顔を洗い、クローゼットの中から一番安上がりで動きやすそうな服を選んで、着替えた。
部屋には大きな姿見がある。
フィフスは何年か振りに自身の姿を見た。
身長は160センチに少し足りないくらい。
全体的にやせ細っていて、指は骨ばっていて、手指には血管が浮いている。
頬もこけ、眼窩はくぼんでいる。
ろくな食事が与えられていなかった証拠だ。
美しき姉・フィーアと同じ銀髪は、姉とは違い、肩口でざっくりと切られている。
手入れする余裕がないからだ。
瞳は蒼色。
これもフィーアと同じ色で、フィーアは『冬神様に愛されている証拠だ』と持ち上げられているが、フィフスの方はといえば、くすんでいて輝きがない。
目の下には、隠しようがないほど深く深く刻まれた隈がある。
選んだのは、パニエを入れない、最も簡素なえんじ色のドレスだ。
本当はドレスではなく、もっと動きやすい服が良かったのだが、残念ながらドレスしかなかった。
そんな地味なドレスですら、フィフスには『着せられている』感が強く現れている。
猫背なのと、自信の無さが表情に滲み出ているからだ。
(ああ、我ながら情けない風貌)
いや、今はそんなことを嘆いている場合ではない。
フィフスは足早にキッチンへ向かった。
幸い、先客はいなかった。
一番乗りだ。
(この家に見捨てられてしまったら、行く当てなんてどこにもない。
それどころか、私は父に殺されてしまうだろう。
石にかじりついてでも、この家で頑張らなければ。
捨てられたくなければ、役に立つと認めていただくしかない。
アイス様に、辺境伯様に、奥様に、この屋敷のすべての方々に)
そのためならば、フィフスは炊事、洗濯、掃除に買い出しと、何でもやるつもりだった。
仕えるべき神を持たない自分には、そのくらいしかできることがないのだから。
幸いにして、フィフスは実家で最下級メイドの扱いを受けていたため、家事全般の経験が豊富だった。
パンの残りがないことを確認し、パンをこねる。
かまどの火を起こし、焼きはじめた。
続いて何品か作ろうかと考え、勝手をしてはかえって料理人たちの迷惑になるだろうか、と悩み、いやいやそれを言い出したら、勝手にパンを焼いてしまったことからして早まった行動だったのでは、と気が付いて、オロオロしはじめるフィフスである。
台所を掃除しながら悩んでいると、
――ドタバタドタバタッ
と賑やかな音とともに昨晩の女性――メイド長がやってきた。
「お、おおおおおおお嬢様!?」
「ご、ごめんなさい!」
大慌てのメイド長に、フィフスは頭を下げる。
やはり、早まった行動だった。
手伝うにしても、メイド長に相談したうえで行うべきだった。
「勝手に薪と食材を使ってしまい、大変申し訳ございませんでした」
「そうではありませんっ。そうではなくてですねっ!?」
メイド長が頭を抱えている。
「アナタ様は、未来の若奥様。
そのようなお方に、下働きをさせるわけにはまいりません。
このような仕事は、どうか我々にお任せください」
「で、ですが」
フィフスは食い下がる。
「冬神の巫女ではない私は、このくらいでしかご恩に報いることができません」
「どうか、頭をお上げください! それに、恩だなんて」
メイド長に優しくしてもらい、グレイシャ家から部屋と服と風呂と食事を提供してもらったのは確かだ。
どれもこれも、フィフスが実家では与えてもらえなかった宝物である。
フィフスはその恩に報いたいし、この生活を失わないために、アイスやまだ見ぬ辺境伯様、そして奥様に気に入ってもらわなければならないのだ。
「うーんうーん……」
メイド長はしばらく悩んでいたが、やがて、
「はぁ……分かりました。旦那様がたに、どう説明したものか」
折れてくれた。
「ありがとうございます!」
「で、でででですから頭をお上げください!」
こうして、フィフスの新生活が始まった。
◆ ◇ ◆ ◇
それから数日、フィフスは穏やかな日々を過ごした。
メイドや料理人たちに混じって、料理をしたり掃除をしたり洗濯をしたり。
グレイシャ家の使用人たちは、みな最初こそ恐縮していたが、すぐにフィフスを受け入れた。
理由は主に2つ。
1つは、フィフスの腰が非常に低かったから。
貴族家令嬢とはとても思えない、偉そうなところが少しもない素朴な態度。
一介の使用人を、その道の先輩として立てて、教えを乞おうとしてくる姿勢。
そういったフィフスの諸々が、貴族相手に抑圧されることに慣れていた使用人たちの矜持をくすぐったのだ。
フィフスは別に、狙ってやったわけではなかった。
十数年に渡って虐げられ続けてきたフィフスの、ごく自然な発想から出てきた慎ましやかな態度が、たまたま、使用人たちを心地良くさせるものだったのだ。
もう1つの理由は、フィフスの家事全般に対する手際が抜群に良かったからだ。
即戦力、とはまさにこのこと。
二言目には『私は仕えるべき神を持たない出涸らし巫女ですから』と卑下するフィフスだったが、家事についてはベテランメイド顔負けの腕前を持っていた。
フィフスがグレイシャ家流のやり方、ルールを吸収してからは、むしろ新人メイドなどがフィフスに仕事のやり方を学びにくるようなありさまだった。
フィフスは人付き合いが苦手だと自認していたが、それはどうやら勘違いのようだった。
フィフスは実家では落ちこぼれのような扱いを受けていたのだから、勘違いしてしまうのも当然のことだった。
数日のうちに、フィフスは使用人たちに溶け込んでいった。
『話の続きは明日』と言われたのに、アイスとは未だ話ができていない。
それどころか、会うことすらできずにいた。
辺境伯とも、だ。
どうも火竜の群れが出たとかで、アイスと辺境伯が出撃してしまったためだ。
◆ ◇ ◆ ◇
さらに数日後の、昼下がり。
「手荷物ひとつ、なかっただと?」
アイス・オブ・グレイシャは仰天した。
激務の合間にメイド長を呼び出し、婚約者候補――フィフスの様子について聞いてみたところ、開口一番これだったのだ。
『フィフスお嬢様は、手荷物ひとつお持ちではございませんでした』
「はい。ご本人様にお聞きしたところ、無理な旅程の末、真夜中に、捨てられるようにして馬車から放り出されたそうです。
……もちろん、フィフスお嬢様はそのような言い方はなさっておられませんでしたが」
「それにしても、手荷物のひとつも持たないなんて、どういうことだ?」
「恐らく、持ってくるだけの私物が何もなかったからでしょう」
「は? 私物がないって、そんなことあるわけが――」
「坊っちゃん」
メイド長が、悲痛な顔をしている。
「フィフスお嬢様の馬車には、護衛のひとりも付いていなかったのだそうです。
しかも、その馬車も、わざわざ、シーズン家の家紋が付いていないものに乗せられたのだとか」
「――――……。『捨てられるようにして』、か」
「はい……。
どうにも自己評価の低いお方で、そのような粗末な扱いを受けるのを当然のことのように受け止めておいでで」
「ふむ。今は何をしているんだ?」
「そ、その」
いつもハキハキとしているはずのメイド長が、珍しく言い淀む。
「どうした」
「……家事を」
「は?」
「使用人たちに混じって、家事をなさっておいでです。
坊っちゃんが今朝召し上がったパンは、フィフスお嬢様が焼いたんですよ」
「はぁっ!?」
「それも、誰よりも早起きして。
何度言っても直してくださらないのです。
どうも、使用人に身支度を手伝わせるのを嫌がっておられる……いえ、申し訳なく思っていらっしゃるようでして」
「こ、公爵家令嬢が、誰よりも早く起きてパンを焼く、だと!?」
アイスにとって、それは常識のはるか外にある出来事だった。
アイスのイメージする貴族家令嬢とは、
『こんな汚くて危険な辺境に嫁いできてやったのよ。ありがたく思いなさい』
という態度を隠そうともしない、無礼で高慢で居丈高で傲慢ちきで……とにかく、そういう『嫌な』女というのが、アイスにとっての貴族家令嬢像だった。
少なくとも、フィフスが来るまでにやってきた12人の女たちは、全員そうだった。
アイスは、末子にして嫡子。
3人の兄たちはいずれも氷魔法に秀でた優秀な魔法騎士だったが、火竜との戦いで命を落とした。
家を潰さないためには、アイスは『最強の嫁』を娶らなければならない。
火竜の群れをも跳ね除けられるような、強い強い子供を作らなければならないのだ。
若干17歳にして、アイスの肩には『家の存亡』という重い重い責任がのしかかっている。
強い氷魔法使いが欲しい……長男・次男・三男を立て続けに失ったグレイシャ家にとって、それは悲鳴にも近しい悲願だった。
その証拠に、アイスも父・辺境伯もこの数日、ろくに家に戻ることもできなかった。
いつものように、火竜どもが大暴れしているからである。
連日戦い続けて、昨日ようやく、火竜の一団を討伐しきることができたのだ。
家に戻ったアイスは、寝る間も惜しんで被害状況の確認や補給の指示を行い、ようやく後処理の仕事も底が見えてきて、ほっと息をついたのがほんの十分前のこと。
そうしてようやく、アイスは新たな婚約者候補の存在を思い出したのだ。
(婚約者、か)
父・グレイシャ辺境伯は、王国中を駆けずり回って魔力の強い令嬢を探し出しては、婚約話を成立させてきた。
だが、魔力に優れた令嬢は当然ながら引く手あまたで、自分の市場価値がすこぶる高いことを熟知している。
それは、態度に出る。
その結果が、アイスの令嬢不信・女性不信に繋がったのだ。
初対面のフィフスに対して冷たい態度を取ったのは――もちろん、彼女の父が詐欺同然の行いをしたことに対する怒りもあったが――女性不信からくるアイス自身の問題の所為でもあったのだ。
「フィフスお嬢様の、料理と家事の腕前は本物です。明らかに、やり慣れておいでです。何年も何年も積み重ねてきた、熟練の匂いを感じます」
「公爵家令嬢なのに、か?」
「……はい。フィフスお嬢様は、恐らくご実家で虐げられておられたのでしょう。
この家を追い出されたら、再びつらい境遇に戻されてしまう。
だから、追い出されないように、必死にアピールしておいでなのです。
健気で可愛らしいじゃございませんか」
「ふむ」
「現に、お嬢様は使用人たちとすっかり打ち解けておいでです。
男性陣なんて、全員彼女のファンですよ。
かく言うわたくしもですが」
「……。ふぅん?」
ちろり、とアイスの胸の奥で嫉妬の炎が灯った。
(この俺を差し置いて……)
この嫉妬は誰に対するものなのか、アイス自身にもはっきりとは分からなかった。
ともかく、アイスはフィフスに対して興味を抱いた。
13人目にして、初めてのことである。
「様子を見に行く。今はどこに?」
「このお時間だと、本館のお掃除かと。
放っておいたら薪割りのような力仕事を率先してやりはじめますので、軽作業を割り当てさせていただいております。
ご相談もなく勝手をしてしまい、申し訳ございません」
「いや、いい。事情が事情だ。
それにしても……ふっ、ふふふっ、貴族家令嬢が薪割りだと?」
笑いを抑えきれなかった。
「何の冗談だ、それは。見てみたいものだな」
「あらあらあらあらまぁまぁまぁまぁ!」
メイド長がいたずらっ子のように微笑む。
「坊っちゃんが婚約者に興味を抱くなんて、珍しい。
ささ、坊っちゃん、早く行ってあげてくださいな」
「さっきから聞いていれば、坊っちゃん、坊っちゃんと……。
それはもう止めろ、と何度言ったら」
「ふふふ、すっかり可愛げがなくなってしまわれて。
昔はわたくしのおっぱいを一生懸命吸ってくださっていたというのに」
「い・つ・の・は・な・し・だ!?」
「あらあらまぁまぁ、怖い怖い」
アイスは、この元・乳母には頭が上がらないのだ。
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