第77話エルフ
船は行く、真っ暗な大海原を。
よそ行きのスカーフを巻いた頭から海風にあおられて流れ出るほつれ髪を手で押さえ、悲しそうにもう見えないイタリア半島を見つめるおばあ。
皺が何重にも刻まれた目元に仕事人の重々しい冷たさを讃え、しかし、その瞳の奥の奥に、若さにも似た狂気の色を滲ませ、操舵する手に体の芯から湧き出る力強さを感じるおじい。
甲板で猫のように丸まり眠る夏目。
さっきの夕ご飯が揚げ物ばっかりだったので、血糖値スパイクを食らい俺も眠い。だがここで俺まで寝たらとんでもないことがおこる気がする。
そもそもこの船はどこに行くのか?
なぜこの船に俺たちは乗っているのか?
おばあは俺の金をなんだと思っているのか?
全く分からない。
分からなすぎるからとりあえず姫に出てきてもらう。
あー姫を膝の上に乗せると心が落ち着く。
姫の盛髪を撫でまわしていると、おじいが船のエンジンを止めた。
ん? ここが目的地?
出航して二時間も立っていないが?
おばあもいきなり止まった船に不信感を感じたらしく、おじいに向かい何か話しかける。
おじいが着ている雨合羽のようなゴムでできた防水のコートの胸から拳銃を取り出しおばあの胸を撃った。
口径が小さい拳銃なのだろう一発、二発、三発四発五発、連続で引き金を引くおじい。
胸を押さえ、海に落ちるおばあ。
おじいは次に俺のほうを向き、銃口を俺に向ける。
「姫」
姫がサッと孔雀の羽根でできた真っ赤な扇子を開いて振ると、おじいの体中の水分が蒸発し、ミイラになって転がる。
「姫、おばあも助けて」
姫がパチッと扇子を閉じてタクトのように振ると、海が盛り上がり、おばあが海の中からせり出てくる。
海がペッとおばあを甲板に吐き出す。
「なんじゃ!!」
吐き出されたおばあに当たって夏目が跳ね起きる。
「おばあが撃たれた」
「誰にじゃ!?」
「おじいに」
「おじいは!?」
「殺した」
「おばあは!?」
「今から助ける、姫いける?」
姫は顎にセンスの先を当て、首を傾げ、斜め上を見るように少し考えて、俺の胸、つまりは伽藍堂手を突っ込み、何かを掴み手を引く。
姫に手を引かれ出てきたのはボロボロの真っ黒な金版鎧の小手、そこから身長三百センチの七色に輝く花冠俺の姫騎士アロハが全身を表す。
アロハの巨体が現れて船が揺れる揺れる。
ゴロゴロと夏目とぐったりしたおばあが転がる。
アロハが転がるおばあの胸ぐらをむんずと掴み、おばあの顔に顔を近づけ、骸骨の口を開くと、口の中から黄金に煌めく金色の粉をおばあの開いた口の中に吐き出す。
おばあの目と鼻と耳の穴から金色の粉が噴き出す。
それでもアロハは粉をおばあに吐き続けることを止めない。
おばあの体が黄金の粉の過剰摂取により風船のように膨らみだす。それでもアロハは粉をはき続けることを止めない。
パンパンに膨らんで真ん丸になったおばあの体にひびが入る。
ずるり。
真ん丸になったおばあの皮が、葡萄の皮を指で押して剥くように滑り落ちるように、剥けた。
中から黄金に粉に埋もれた金髪の若い女性が出てくる。
染み一つない真っ白な肌と、アロハに負けないくらい輝くブロンドの髪。細く長い四肢と無駄な脂一つない引き締まった体。
素っ裸。
おばあの服は真ん丸に膨らんだときにはじけ飛んでるから、ミイラになったおじいからゴム製のコートをカッパいで生まれ変わっちゃったおばあにかぶせる。
ん?
耳が笹のように細く、長い。
ちょい夏目、この耳見て。
「エルフじゃな」
エルフか……。
まあいいか。若返ったことに比べれば些細なことだ。
とりあえず呼吸で胸も上下してるし、撃たれた胸も傷口も見当たらないくらい治ってる。
このまま寝かせておこう。
アロハ、ありがとね。
俺がアロハに感謝のハグをすると、アロハは嬉しそうに抱きしめ返してくれる。
おばあは助かった。
一端物事は終結した感じだが、全く問題は解決していない。船頭を失ったこの船は行き先も分からず、エンジンをかけることもできず、ただ大海を漂うだけなのだ。俺も夏目も、この船がどこから出港しどこに向かっていたのか、全く知らないのだ。
どうしよう?
「とりあえず、寝るのじゃ」
え~。
「ワシはタカシの腕枕で寝たいのじゃ!」
まあ、しゃーなしか、どうせ起きてても何も変わんないし。
俺が甲板に横になると、夏目が俺に二の腕に頭をのせる。
海風は甲板に横になると気にならない。
姫、アロハ、ありがとね。
俺が手を振ると姫とアロハは伽藍堂に消える。
緩やかに揺れる船の上、俺は外気の寒さをごまかすように夏目を抱きしめる。
目を閉じると、夏目の温かさだけがこの世と俺を繋ぐものがないような感覚になり、大切に、大切に、その手から零れ落ちないように抱きしめて目を閉じた。
◇◇◇◇
目を覚ますと朝焼けが綺麗だった。
水平線が少し丸まり、その端から少しだけ覗いた太陽が、早く出せ早く出せと手足を伸ばすように放射する光の束が黒い海を赤く染めていく。
船が動いている。
操舵室を見ると、若返ったおばあが舵を握っていた。
「あら、おきたのね」
おきました。
おばあはむき出しの操舵室に吹き込む海風に舞うブロンドを手で押さえながら笑顔を見せる。
俺は夏目の頭をゆっくりと二の腕から甲板に移すと、ダウンのポケットに突っ込んであったバケットハットをおばあに渡す。
「ありがと」
おばあはにっこり笑うとバケットハットの中に舞うブロンドを押し詰めかぶる。
ミイラになったおじいからサマーセーターとジーンズをカッパいで着ているおばあは裸足だった。
そりゃそうか、おじいの長靴、はきたくないか。俺だってはきたくないわ。
俺がスリッポンを脱ごうとすると、
「大丈夫よ、足の裏、強くなってるみたい」
と、やんわり遠慮するおばあ。そりゃそうか、俺のスリッポンだってはきたくないか。
「いや、そんなことないわよ、あなたより私のほうが足の裏が強いって話しなだけ、気持ちはうれしいわ」
と、気遣いもできる若返ったおばあ。
それよりも、この船、どこに向かってます?
「シチリア」
あーね。なんで?
「カンピオーネがいるから」
だれ?
「イタリアが世界の誇る星三つ、地中海を統べる世界最悪の糞、私の夫を殺した宿敵よ」
あー、そんな感じか。
それじゃ、船の運転お願いします。
「はいはい、このババに任せておいて」
おばあに操舵を任せ、シロジロを出し、伏せさせ、その腹を背もたれに甲板に足を投げ出す。
まだ寝ている夏目が人肌を求め俺の傍らに転がってきてピトッとわきの下にはまり込む。
朝焼けを見ていると、おばあが、
「奥さん?」
と、きいてくる。
まあ、それでもいいけど。
「違うの?」
んー、なんというか、俺とこの世界の繋げる手触りって感じ。GPSみたいな? 夏目がいるから俺はこの世界で自分の位置が分かるみたいな? そんな感じ。
「ふふ、半身?」
それは違うかな? 夏目は俺がいなくてもしっかり一人の人間だし、俺がいなくても自分で立って、自分で進んでいける。
半分になんて欠けていないよ。
俺は夏目がいないと、なんというか、浮いてるんだ。
ふわふわと。
分かる?
「分かるわ、私も夫が死んだ三十年前からふわふわ浮いていたから」
地中海が誇る糞が死んだら、地面に脚がつきそ?
「いや、なんというか、今は脚が地面についてる感じがする。生まれ変わった感じ? 気がついてない? 私、きっとあなたの命令、絶対に逆らえないわよ? 頭じゃなくて、魂で感じるの、私を変えた女王の意思を」
そう? まあいいや、夏目に危害を加えないで。俺の家族に危害を加えないで。俺の大切な骸骨たちに危害を……加えられないだろうからこれはいいや。そんな感じ。あとは楽しく生きて、そんな感じ。
「神命必ず守ります」
好きにして。
まずは地中海の糞を殺そう。
おばあもそのほうが目覚めがいいでしょ?
「はい」
おばあが力強く答えたので、俺は朝焼けが伸ばす手足のような光の束を見ながら、ツン、お前コミュ力凄くね、どうやったら無言で俺と夏目がイタリアの星三つ殺しに来たっておばあに伝えたんだよ、あれか? ツンが焼いたマルゲリータピザか? あのピザの味に「私たちはイタリアまで星三つを殺しに来ました」って情報を詰めたのか? などぐるぐる考える。
答えが出ないので、わきの下にハマり眠る夏目の頭の感触を感じながら朝焼けを見ることしかできなかった。
◇◇◇◇
船はけっこう大きな観光地的港に入港する。
多くのヨットやクルーザーが桟橋に停泊して、湾内では舟遊びをするために結構な数の船が出ている。
海岸線ギリギリまでくすんだ白と茶色の建物が並び、観光地と実用的な港の機能が半々になっている感じだ。
おばあがゆるゆると漁船をヨットハーバーの中に進んでいき、空いている桟橋の一部に勝手に止める。
「さあ、行きましょう」
俺と夏目はジャンプして桟橋に降り立つ。
おばあは素足なのだが気にしないようだ。
なんというか、けっこうあったかいなシチリア。
イタリア半島にいたときより全然あったかく感じる。
俺と夏目はダウンを脱いで腰に巻く。
「警備員が来る前にずらかりましょう」
おばあの案内でヨットハーバーから出て港町を歩く。
古いが四、五階建ての建物が並ぶ小道を歩くと、通行人がおばあに目を止める。
はだしで歩く絶世の美女。イタリア的にこんな感じか?
「おばあ、靴を買うのじゃ」
夏目にそう言われ、おばあは小道に並ぶお土産物屋で革のサンダルを一つ買う。
もちろん財布は俺。
三十ユーロ、日本円にして四千円欠けるくらいか? ぼられてね?
瓜実氏から渡されている無限クレカが使えるかきいたら、おばあに、
「イタリアのお土産物屋でカードを使うのはバカのやることよ、絶対サギられるからね」
と、いやな話をきいた。
ココでも使えねーのかよ金デビクレカ、じゃ、いつ使えばいいんだよこれ。
夏目がどう見てもパチ物のフィラのバックパックを購入。
四十ユーロ、日本円にして五千円くらい? これはぼられてるだろ。
夏目はそのバックパックに俺と自分のダウンを詰める。
うん、凄い機能してるフィラのパチモン。
これは五千円の価値はある、か?
俺が悩んでいるとおばあと夏目はお腹が空いたと朝ご飯を食べるためバルを探すらしい。
良さそうな裏路地のバルを見つけて三人で入ると店員がおばあに目を奪われている最中、おばあは早口で三人前の朝食を注文。
サッと出てくる菓子パンと、ふわふわのホイップクリームが乗っているジュース?を受け取り、横なカウンターで立ち食いスタイルだ。
ふわふわが乗っているジュースにスプーンを入れると硬い。掬って口に運ぶと、うん、これシャーベットだ。ライムかな? 柑橘系のやつ。
おばあがシャーベットに菓子パンをつけて食べている。
俺と夏目も真似てみると、これがすんごくうまい。
このパンはほんのり甘いだけで、そこにさわやかなシャーベットとふわふわクリームがめっちゃ合ってる。
パンとシャーベットの組み合わせに面食らったが、これはイタリアが好きなる。
夏目もビシャビシャシャーベットをパンに付けガシュガシュ口に放り込んでいる。
三人とも食べ終わると、俺は口の中が甘いのでコーヒーをおばあに買ってきてもらう、なぜかおばあも店員もおかしな顔をしていたが、受け取ったコーヒーを飲むとゲロ甘かった。
店を出てるとおばあが、
「旧市街地を出て、車を探しましょう」
と、言うので古い建物の並ぶ街並みを三人足早に進む。
いくつか角を曲がると、おばあが、
「チッ」
と、舌打ちをする。
目の前の路地を塞ぐように、プロテクターを着た男たちが三人立っていた。
探索者だ。
いいじゃん。
やっとこ来た目的に近づいた感じがする。
それじゃ、イタリアさん、ガチンコでいこうか。
ツンと。
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