第三章

第72話悪夢の始まり


 渋谷駅から歩きタワレコの横を抜ける。


 夏目は俺の前を跳ねるように歩く、たまにターンするように振り返り猫のように目を細め笑う。きっと新しく買ったミハラヤスヒロのスニーカーが嬉しいのだろう。買ってあげてよかった。


「今日は指に喜怒哀楽って彫るのじゃ!」


 右手の手の甲を俺に向けて嬉しそうに見せる夏目、もう洋服では隠し切れない場所に彫らないでとは思うが、夏目が嬉しそうなので止められない。


 そもそも右手の指は五本、喜怒哀楽は四文字熟語なので一本指が余るわけだがどうするのだろうか?


 夏目がチャンピオンのパーカーの裾をペロンとめくり白い腰の肌を見せる。


「ここにも何か彫りたいのじゃが、なかなかいいのが思いつかんのじゃ」


 道で肌を出すのは止めようね。


 夏目は黒のチャンピオンのパーカーとスエットのセットアップにオレンジ色のミハラヤスヒロのスニーカー。俺は紺のディッキーズのダブルニーとギャップのフーディー、いつのもスリッポン。二人でおそろいのキャタピラのキャップをかぶっている。なんというか、渋谷に溶け込もう溶け込もうと頑張ってはいるがいつまでたっても渋谷に溶けこめない俺たちなのだ。


 目的地はファイアー通りにある行きつけのタトゥーショップ。別に俺はこれ以上体に落書きを増やしたくはないのだが、夏目は肌を彩ることを止めるつもりはないらしい。


 もう二人ともスーパー銭湯は行けないわけだが、夏目は猫のように風呂が嫌いだし、きっと気にしていないだろう。


 俺は好きなんだけど、サウナとか。


 まあ貸し切りの温泉とかには入れるから、いいと言えばいいのだけど。


 夏目が跳ねるようにタトゥースタジオがあるビルの階段を上る。


 俺もそれについて階段を上がる。


 スタジオの中に入ると、ツンが出てきてアシスタントさんから紙とペンを受け取りサラサラとデザインを描き、さっと渡す。


 夏目の右手のおかあさん指から赤ちゃん指まで四本に「喜・怒・哀・楽」の四文字がトライバル風に彫られるらしい。


 彫師さんが、


「手のひらちっちゃ! 指ちっちゃ! うまく彫れるかな?」


 と心配していたら、ツンがタトゥーマシンを握り彫台に座った夏目の右手をすごい勢いで掘り始める。


 あ、ウメも出てきた。


 ウメもタトゥーマシンを持ってる。


 二人がかりで夏目の小さな指をゴリゴリ彫っていく。


 彫師さんも感心したように覗き込んで唸ったりしてるから怒られはしないだろうが、それでいいのか彫師さんとは思う。


 俺は彫るつもりがないのでスタジオのソファーに体を預け目を閉じ、ひと眠りしようかとしていたら、誰かに手を握られる。骨の冷たい手。この手のサイズはセンだなと目を開くとやっぱりセンだった。


 後ろに流れる少し尖った頭蓋骨、頭と掌が少し大きい、黒い貫頭衣を着た黒いテルテルボウズのようなフォルムがカワイイ、姫と二人キュート系骸骨二大巨頭の一角である。


 どうしたのセン?


 俺が首をかしげると、センが俺の手を引き立たせ、タトゥー台に誘う。


 いやいやいや、今日は落書き入れないから。


 そもそもセンは前に俺の右上腕内側にアダムスキー型ユーフォー彫ったじゃん。あれで満足してよ。


 俺の言葉なんてきかずセンはタトゥー台に俺をうつ伏せに寝かせ、腰をペロンと出す。


 いやいやいや、痛い痛い痛い! 暴れそうになるとセンと同じ形をした青白く光る骸骨たちが出てきて俺の手足を拘束し逃がしてくれない。


 ゴリゴリ彫られる俺の腰、俺の横では夏目もうつ伏せになり、ツンに腰になにか彫られている。


 四十分ほどの苦痛を終え、なに描いてあんだと鏡の前で腰を映すと、



『ゐあかして きみをばまたむ ぬばたまの』



 と彫ってあった。


 え? 上の句だけ?


 そう思っていた俺の横で夏目が鏡に向けて腰をペロンと見せてくれる。



『わがくろかみに しもがふるまで』



 下の句だ。確か万葉集? 


 一晩寝ずにあなたを私は待ちます、髪に夜の霜が降っても、的な意味。


 この一晩寝ずにあなたを待つとは、新しい男を寝所に入れない、つまり新しい彼氏を作らずにいつまでも待つという意味だ。


 ぬばたま色の髪の毛とは、射干玉の実のように黒く光沢がある若々しい自分の髪色を表し、黒髪に霜が降るまでとは、夜の霜が自分の黒髪に落ちても、寒くても寝ないで待ちますって意味と、白髪まみれになるまで待っていると言う意味のダブルミーニングになっている。


 一晩中のあなたを待っているという歌の中に、永遠にあなたを待っているというメッセージを潜ませるとても美しい歌だと思うけど腰に彫るもんかこれ?


 そもそも夏目、猫ッ毛で黒髪っていうより色素が薄い茶髪じゃん。


 俺も金髪ボウズだし。


 そもそもこれ、待つ女の詩でこの手の詩は基本フラれ女の詩が多いんじゃなかったっけ?


「ワシの気持ちじゃ!」


 いやいやいや! 全然いつまでも一緒にいるからね!!


 一緒にいようよ!! 


「この頃、別々の仕事も多かったじゃろ?」


 うーん、確かにアメリカ本土とか横浜ダンジョン地下八階層とか、単独行は多かった。


「いつも一緒にいたのじゃ」


 夏目は俺に抱き着き、鼻先を俺のみぞおちに埋める。


 悲しい思いさせちゃったか、ごめんね。


 俺も夏目といつも一緒がいいよ。


 俺も夏目の髪を掻き抱き、体を丸め猫ッ毛の脳天に鼻先を埋める。


 一緒にいようねお互いの髪に霜が降るまで。


 夏目を悲しい気持ちを持たせたことを反省しながら手を繋いで渋谷の街を歩く。


 彫った腰が少しヒリヒリするが、今まで入れた落書きの中で、一番大切な刺青になったと思う。フラれ女の詩だけど。それも上の句だけ。


「ウム、お肉の口じゃな」


 ムニムニ口元を動かしながら夏目の目線は焼き肉食べ放題の看板に釘付けだ。


 はいはい、今日はお肉の口ね。


 二人で焼き肉食べ放題に入り夏目はなぜか牛タンだけを二十人前食べた。








 ◇◇◇◇








 渋谷から東横で横浜まで帰ってくる途中、代官山に寄りたいと夏目が言うので電車を降り、古着屋でおそろいの赤いネルシャツを二人で買う。


 夏目の目当ては古着ではなくそれはついでで、キツネ耳の豊川さんに教えてもらったパフェの店に行きたかったようだ。


 だが迷う迷う、そう夏目は地図が読めないタイプの人間だ。


 そもそも豊川さんが書いて渡してくれた地図だって縦線二本に横線一本の途中にココ→と書いてあるだけの目的地に行かせる気が全くない地図なので俺が見ても全く分からない。


「ううう、パフェの口なのじゃ……」


 泣きそうな夏目、仕方ないからキツネ耳の豊川さんにウィルコムから電話する。


『はいは~い、ハワイぶりだねタカシくん』


『うす、今夏目と代官山いるんですけど、パフェ屋全然わかんないんで、ナビしてください』


『え~、あの地図で分かるはずなんだけどな~』


 あの地図で分かる人がいたら、最初から店の場所知ってる人だけだわ。


 駅に戻り、そこからパフェ屋さんまでの道をナビしてもらうのだが、


『そこ右だったかな~?』


 とか、


『ちょっと待ってね~、ああ、戻ってさっきのトコ右~』


 とか、豊川さんのナビ能力が悪すぎて全然たどり着けない。


 夏目もパフェが食べた過ぎてどんどんしょぼしょぼになってくる。


『あ~もう無理!! 今から行くわね!!』


 と、いきなり電話が切れる。


 夏目、豊川さん来るって。


 しょぼしょぼの夏目は返事もおぼつかないらしく、小さくこくんと頷く。


 まあ来るって言ったって四、五十分くらいかかるだろ、それまでマックでも行って時間潰そうや。


「プチパンケーキじゃ……」


 はいはい、俺と夏目は駅まで帰りマックに入りお茶をして豊川さんを待つことにする。





 この選択が、この秋、俺と夏目を襲う、理不尽でゴリゴリ精神力を削られるあの悪夢の始まりとは、俺も夏目も、知る由もなかった。




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