第41話お寿司の口


 なんかやる気が出ない日もある。


 富士氷穴ダンジョンから帰ってきてすぐ、金デビからけっこう多くの報酬をいただいたため一、二週間ダンジョンに潜らずゆっくり過ごそうと夏目と話していた。


 自宅の畳の上、夏の甲子園が終わった後の高校球児の燃え尽き症候群のようになんもやる気が出ず、昼寝でもしようかと寝っ転がる俺の腹を枕に寝転がる夏目の猫ッ毛を人差し指に絡めクリクリカールしていると、俺のウィルコムが鳴る。


 液晶には瓜実氏の文字。


「夏目、瓜実氏から電話来てるけど無視するから、そっちにかかってきても無視してね」


 俺がそう言うと俺の腹の上で仰向けだった夏目の頭がグリンとうつ伏せになり、俺の顔を見つめるような上目遣いになる。


「お寿司かもしれないのじゃ」


 瓜実氏唯一無二の魅力お寿司タイムを絶対に逃したくないウルウルした捨て猫みたいな目で俺を見つめる夏目。


「面倒ごとかもよ?」


「でも今お寿司の口なのじゃ」


 夏目がお寿司の口なら仕方がないので電話に出る。


『おう、先日は富士のダンジョン、助力ありがとな』


『いえ、報酬ありがとうございます』


『いや、それは国からの仕事代を右から左だからな、気にすんな』


 俺と瓜実氏が目的の話を中々しないので、夏目はハムハム俺の腹を噛んでお寿司の催促を催促する。


『それでよ、ちょっと、』


『お寿司ですか?』


『お、おおう、寿司食いたいのか? 別にいつでも食わせてやるが、それより、』


『今から金デビの自社ビルいきます、では』


『お、おう、それじゃ話はそこでな』


 通話を切ると、夏目が仰向けに寝転がってる俺の頭の位置まで這い上がり、小さい体全体を使い俺の顔面を抱きしめ、もしゃもしゃ俺の坊主頭に頬ずりしながら、


「えらいのじゃタカシ~、お寿司はワシの手の中なのじゃ~」


 と、俺の頭に噛みつく。


 甘噛みだから痛くはないが、俺はお寿司じゃないし、夏目のよだれを頭部に感じるので顔面に夏目を張り付けたまま体を起こし、くるんと背中側に夏目を回しリュックみたいにおんぶする。


 ガジガジ俺の首筋に甘噛みする夏目を背負ったまま母親に出かけることを告げ、スリッポンをはき夏目の足にもお気に入りのエイプのスニーカーをはかせて家を出て、

自転車で海岸通りにある金デビの自社ビルに向かう。





 金デビ自社ビルにつくとビルの前で瓜実氏ご自慢のマッコウクジラのようなベンツエスクラスが待っていて、それに乗せられ関内の高級寿司屋に連れていかれる。


「今日は板さん呼んでお寿司じゃないのじゃ、金太にだまされたのじゃ」


「嬢ちゃん、板さんだって電話一本ですぐ行きまってならんぜ?」


「そこを金と権力と暴力でどうにかするのが金持ちじゃろ?」


「嬢ちゃんあのな、金も、権力も、暴力も使い時があんだよ。いつでもひけらかしてると、神通力が下がんだ。嬢ちゃんもよく覚えときな」


「さすが金太の言葉は染みるのじゃ~」


「そりゃそうよ、小卒からここまでのし上がった男だぜ俺は」


「勉強になるのじゃ~」


 小卒瓜実氏から小卒夏目に帝王学が相伝されているベンツの車内で、気になることがある。


 今日ベンツを運転しているのが瓜実氏の息子、銀太郎さんではない、俺をパブリックエネミーにし、夏目に玉取られたゆみの今彼なことだ。


 バックミラーからすごい勢いで俺を睨みつけているあの目は間違いない。


「瓜実さん? 彼は?」


「その話はまた後でな」


 瓜実氏がそう言うので黙ってお寿司屋さんまでフカフカなベンツのシートに身を沈める。



 


 お寿司屋さんは貸し切りだった。


 俺と夏目と瓜実氏はカウンターに並んで座り、夏目と瓜実氏はビールで乾杯を始める。


 ゆみの今彼は店の外で立たされているはずだ。


 夏目は欲望全開で大好きなウニとトロとイクラを貪り食う。


 板さんも楽しそうにお寿司を握って夏目と瓜実氏に提供している。


 俺の前のカウンターの中にはなぜかツン。


 手酢をはらい、さっとシャリを握りネタをのせ優しく握りこむ。


 サッと出されたカワハギの握りは上に肝がのせられぱらりとその上にツンが塩を振

る。


 食べるとおいしい。すごくおいしい。でもツンが握るのなら家でもいいような気がしてくる。


 サキュとドラ、焼き場で勝手に太刀魚の焼き物を作らないで。


 ウメ、そんなに太い太巻きは食べきれません。




 姫は……、膝の上にいてよし、カワイイから。




 俺が骸骨寿司を堪能していると瓜実氏が程よく酔い口が滑らかになってきたようで喋り出した。


「お前さんについて、松山の御前から矢の催促だぜ」


「松山の? あーチキン南蛮さん?」


「おまっ、まあいい、その南蛮御前がお前の情報を横浜ダンジョン中から掻き集めて

いやがる、お前さん、富士のダンジョンでやりすぎだ」


「いや、楽しい家族旅行中に希来里さんに呼び出されて、瓜実さんの愛娘の金デビ所

属希来里さんに呼び出されて、早く帰りたかったので致し方ありませんでした。


 なにせ俺らは金デビ所属、瓜実さんの愛娘、お前の物は俺の物、俺の物は俺の物、

この世の全ては俺の物、暴力と野生と傲慢と不遜だけでできている未だ独身のメスライオン希来里さんの命令に従っただけなので、そこでの問題は金デビ、つまりは瓜実さんの責任だと思うのでなんとかしてください」


「……この件は銀太郎に任せることにする」 


 めんどくさいことはすぐ銀太郎さんに投げる瓜実氏はため息をつく。


 グイッとコップの中に残ったビールを飲み干す。


「お前さん、星持ちだろ? それも希来里より上だ、それくらい星なしペーペーの俺だってわかるぜ」


「ノーコメントで」


「その、なにも怖がらない態度、星持ち独特だぜ? 隠したいならちった隠せよ」


 呆れたようにもう一度ため息をつく瓜実氏。


「タカシはそのままでいいのじゃ」


 もしゃもしゃ手巻き寿司を食べながら夏目がそう言ってくれる。


「みなが神と言うなら、神として扱うべきじゃ。神は人に合わせないもんじゃ、合わせるのは人じゃ」


 夏目が手巻き寿司を食べ終わると無言で夏目の手にサッと次の手巻き寿司を握らせる職人技光る板さん。もうわんこ手巻き寿司だ。


 俺も手巻き寿司が食べたいなと思ったら目の前にウメ特性極太太巻きが登場し、もしゃもしゃ頑張って食べる。


 おいしいし、せっかくウメが作ってくれたのだから残したくはない。


「お前さん、え? お前さん、え? え? 星、え? 二つじゃないの?」


 瓜実氏が目を真ん丸にして俺を指さしながら真っ青な顔をしていた。


「え?」


「いや、嬢ちゃん、今神って」


「きき間違いっすね」


「いやもうそれ通じねえだろ?」


「きき間違いっすね」


 夏目を見るとあちゃーやっちゃった。的な顔をしているので許す。


 そもそも夏目相手に怒ることなんてありえないのだけど。


 ツンがやっちゃう?的な伽藍堂の視線を俺に向け手が手刀の形になりクイックイと動かす。


 やめてねツン、ここで瓜実氏を失神させるとお会計払えなくなるから。


「なあ、俺、跪いたほうがいいか?」


「絶対にやめて下さい。そもそも俺は星とか、何のことか分からないんで」


「お、おう、お前さんがその路線で行くなら俺は最後まで付き合うぜ。一、二週間ダンジョンに近づくな、松山から御前の配下が偵察に来てる。分かったな」


「そうします」


 瓜実氏からお寿司のついでに重要情報までもらってしまった。


 これは何かの機会にお返しせねばと思ったが、希来里さんから受けているパワハラを考えれば安いものだったので考えを改めお返しはなしにする。


「そこでよ、お前さんにお願いがあるんだ」


 瓜実氏が星三つショックから立ち直って、きっと今日の本題に入った。


「うちと、手打ちにしてくんねえか?」


「手打ち? 別にもめてもいないと思いますが?」


「いや、もめたろ? それもすごく大きく。三年前」


 ああ、なるほど。


 だから今日の運転手はゆみの今彼だったのか。


 ガキのもめごとなら瓜実氏も無視しときゃいいが、星二つの南蛮さんが乗り出すほどの実力があると思われている俺と身内がもめているのは金デビとしてかなりまずい事態なのだろう。


 俺は別にいい。


 俺は二十年前のこの世界に別けも分からずいきなり飛ばされてきた異邦人だ。


 ゆみも今彼も夏場のキッチンで体にまとわりつくウザったいコバエぐらいにしか思っていない。




 だがこの体を持っていたこの世界の俺は違う。




 燃えてしまった実家の日記には明確な殺意と、憎しみが渦を巻いていた。


 俺はあの殺意と憎しみを見ている。


 俺は俺だ。この体を持って三年間引きこもっていたのも俺だ。


 その俺が許せないものは、許せない。


「俺も人の子だ、さすがにクソみたいな息子でも、天に唾吐いたまま生きていくのは見ててしのびねえ。どうか、ここで手打ちにしてやっちゃくんねえか?」


 カウンターの椅子から地面に両膝をつき、額を床に擦りつける瓜実氏。


「どうか、銀二を許してください」


 そう言った。


 俺はこの頭を踏みつけ、唾吐きかけ、この店を出てく。

 











 ことはできない。

 








 父親だと思った。


 頭を下げる瓜実氏を見て。


 俺は俺の父親と瓜実氏を重ねてしまった。


 俺がこの世界に来て、すぐのころ、警察にしょっ引かれた時に父親が母親と共に迎えに来てくれて、謝る俺に、


「タカシくんは悪くないよ」


 と、言ってくれた。だから俺は悪くないと思えたし、俺はこの世界で生きてこられた。


 俺はこの世界で救われた。


 この世界に来る前の思い出。


 火事で両親が死んだこと。


 そこに居合わせられなかった自分の不甲斐無さ。


 何もできなかった口惜しさも、そこで救われた。


 だから俺は父親の願いを無下にできない。


 たとえ父親に重なっただけの瓜実氏の言葉も。



 そもそも俺は瓜実氏も、希来里さんだって銀太郎さんだって好きだ。


 金デビの栗鼠崎さんも豊川さんだって敵対したくはない。


 仲たがいしたくないんだ。

 

 クソが!

 雁字搦めの俺の気持ちをどうしたらいいんだ!!


 許すとも、許さないとも言い出せない俺の横まで夏目がトトトと歩いてきて手を握る。


「大丈夫じゃ」


「大丈夫?」


「うむ、全部ワシに任せておくのじゃ」


 夏目はそう言って、俺を抱きしめてくれた。


「金太、玉無しをここに入れるのじゃ、ワシが話すのじゃ」


 そう言ってくれた。






 畳の座敷に俺と夏目、瓜実氏と玉無しが対峙する。


 玉無しは俺を睨みつけている。


「タカシはお前の女に、何もしていないのじゃ、お前は騙されておるだけじゃ」


 そう夏目が言った。


 今度は玉無しが夏目を睨みつける。


「俺はゆみを信じる、それだけだ」


 玉無しが唾吐くようにそう言う。


 じっと夏目は玉無しの目を見る。


 玉無しは夏目を睨みかえしている。


「信じるとは、そうではないのじゃ」


 夏目はそう言った。


「お前は信じるしかなくなっておるのじゃ、それは信じるではなく縋り付くと言うのじゃ」


 玉無しの顔に一気に怒りの表情が浮かぶ。


 それを物ともせず夏目は語りかける。


「お前は信じてないのじゃ、お前は女も自分も信じていない。信じているふりをしてるだけ、縋り付いているだけじゃ。


 どうじゃ?


 ワシらは女と別れろとも言っておらん。


 お前に責任を取れとも言ってはおらん。


 ただ、過ちを認め、頭を下げろと言っておるのじゃ。


 タカシの名誉を踏みにじったこと、それに対し謝罪しろと言っておるのじゃ。


 お前はいつまでその妄執に縋り付いておるのじゃ?


 認め、謝り、前に進めるチャンスじゃぞ?


 どうじゃ?」



 夏目は真っ直ぐ玉無しの目を見る。

 射貫くように、浄するように。

 虹彩はその名の通り真っ直ぐな信念で七色に光り輝く。


 玉無しはその視線に耐えきれず、目を逸らし、瓜実氏を見る。


 瓜実氏が頷く。


 子どものような、泣きそうな顔になる銀二。


「お、俺は、こんなことに、こんなことになるなんて思っていなくて」


「うむ」


「最初はゆみの言うことを全部信じたわけじゃなかったけど」


「うむ」


「俺ゆみが手放したくなくって、ゆみの言うこと全部きいて」


「うむ」


「そのうち、た、タカシさんが、大炎上して、そこまでするつもりなくて」


「うむ」


「でも、これでゆみが、またタカシさんの元に、帰ることはなくなったって」


「うむ」


「だから、この前見た時も、カッとなって」


「取り返されると思ったのじゃ?」


「……はい」


 ボロボロと涙をこぼし始める銀二にを見て、スッともしないが、別に怒りも湧いてこない。


 どうだい、俺? ここらへんでこいつはもういいかい?

 返事はないから、俺が決めることにする。


「おいクソ野郎」


 俺がそう言うと銀二が顔を上げる。


「もうお前はどうでもいい、もうゆみもどうでもいい、だから俺はお前ら一生無視するから、お前らも一生俺をいないものとして生きろ。


 それで手打ちだ。


 分かったかクソ野郎?」


 俺がそう言うと、銀二は畳に額をつけ、


「ぼうじわげあでぃばぜんでじだ」


 と、泣きながら誤った。


 俺はその謝罪を無視し立ち上がりお寿司屋さんを出ていく。


 この無視が手打ちの返答になるからだ。


 瓜実氏が銀二と共に頭を下げている。


 お会計おねがいしますね瓜実氏。


 外に出ると夏目が背中に飛びついてきた。


「夏目、ありがとな」


「いいのじゃ、それよりもワシは最後までお寿司が食べられなかったからマックに行きたいのじゃ!」


 いっぱい食べてたじゃんワンコ手巻き寿司。


 夏目をおんぶしたまま、関内駅を超えて伊勢佐木町のマックに向かい歩き出す。



 

 今の俺には夏目がいる。


 すっきりとしない解決も、今にも雨が降りそうな曇天の空も、何もかも、夏目といるためだったら全てどうでもいいことだ。




 俺は夏目の体温を背中に感じながら、伊勢佐木町のモールをくぐった。


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