第2話ゆみ…お前は何者なんだ


 両親がリビングでいそいそと宴の準備を始めたので、一人自室に入る。


 母親がそっと出してくれた真っ白のティーシャツと新品のスエットパンツに身を包み、この臭い部屋に入るのは気が引けるが、なんとなく、今の状況になった答えがこの部屋にある気がしたからだ。


 ヘドロのようになったベッドの布団とゴミの山、そして壁に立てかけてある無骨な金属製の棒。

 金属の棒を手に取ると、かなり重い。

 二十キロはある一メートル三十センチほどの棒はなぜかしっくり手になじむ。

 きっとここにいた俺は、何かあり、この部屋に閉じ籠ったが、全てを諦めたわけじゃなかったんだろう。

 この鉄の棒を振り、この鍛え上げられた肉体を作り、いつかここから出たときのため、牙を研いでいたのだろう。


 この部屋にいた自分に、少しの同情と、小さな尊敬を感じた。


 そして勉強机の上、一冊のノートが置いてある。

 何気にそのノートを開くと、それはここで牙を研いでいた俺の日記だった。


『またあの女がテレビに出ていた 殺したい』


『あの女はなぜ噓をつく! 殺したい』


『殺したい』


 おーい! 日記というよりデスノートじゃねーか!

 百数十ページにかけて『あの女』に対する殺意をつづった文章に恐怖を感じる。

 これ、体を鍛えてたのも、『あの女』殺すためじゃねーのか!?

 自分の鍛え上げられた肉体を見て寒気を感じる。


 ほとんどの部分が『あの女』と固有名詞をつけられているが、最初のほうは何か名前を書き、それを黒く塗りつぶした跡があり、その跡は一文字には長く、三文字には短い黒塗りの跡で、なんとなく『ゆみ』なんじゃないかと確信してしまう。


 ゆみ、うっすらとしか顔を覚えていない女よ、お前、こんな殺意をぶつけられるなんて、何をしたんだ? なぜここまで嫌われられる?


 とりあえず、俺の引きこもりの原因は『ゆみ』で決定か?

 俺はこのノートの邪気に耐えられす閉じると、部屋から出る。


 金属の棒を手にしたまま。


 この金属の棒には、ここにいた俺の努力が詰まっているような気がして、この澱んだ部屋に置いておくのが、しのびなく思ったからだ。



◇◇◇◇



 注射器の中に俺のどす黒い血が吸い出されていく。


 スキルがある国民は年に一回の健康診断とスキルチェックが義務付けられている。無論三年間引きこもっていた俺は三回ブッチしているわけだが。

 両親は別に行く必要はないと強く言ってくれていたが、国民の義務なら、まあ行くか、的な感じで近所の病院に来たがこないほうが良かったと痛感する。


 とりあえず女性からの視線がとんでもなくキツイ。


 受付でも、今注射器を支えているナースも、俺の名前を書類からチェックすると凄まじい視線をぶつけてくる。


 血液と口の中から粘膜を採取し待合室で少し待つと番号が呼ばれ、診察室に入る。

 医者は眼鏡の男性で、女性から向けられる攻撃的な視線は感じない。


「体に問題はありません、いたって健康です」


 医者の言葉に安堵する。

 何せ三年間の引きこもり、体調を崩していてもおかしくないからだ。


「しかし、」


 医者の顔が曇る。


「スキルが変更しています。これは稀にあることですが、元のスキルが特殊なだけに、問題になるかもしれませんね」


 パソコンの画面を見えやすいように、少し椅子を動かし、体を引く医者。

 少し身を乗り出し画面を見る俺。


『万願成就→伽藍堂に変更』


 画面に映る文字に困惑する。


「先生、この伽藍堂というスキルは、どのような?」


「さあ、この変更後のスキルも、スキル史上初めてのスキルですね。一度ここで発動してみてもらえますか?」


 なんて軽い感じでいう医者に、スキルの発動ってどうやるんですかね? と、きき返すと、大きくため息を吐かれる。


「スキルは取得すると、自然に発動条件が分かるモノらしいですが、その感じでは、『伽藍堂』も未発動スキルかもしれませんね」


 医者はもう一度大きなため息をつき、キーボードをカチカチカルテに『新スキル未発動』と書き込んだ。


 たしかに、マジで。

 溜息しか出ねえな。



◇◇◇◇



 全く発動しなかった未知のスキル『万願成就』が、発動しない未知のスキル『伽藍堂』に変更されたって、何も変わらない。


 何せ発動しないのだから。


 溜息をつきながら病院からの家路につくと、自宅の前で数人の若い女性が母親と言い合いをしていた。


「タカシは被害者ですよ! 帰ってください!」


「なに言ってるのよ! ゆみがどれだけつらい思いをしたか知ってるの!」


 よくわからんが、若い女性たちは俺に文句があってきたらしい。


 それより、またゆみか。


 元の俺はゆみを殺したいほど憎み、両親は腫れもののように扱い、この女性たちはかわいそうだと言う。

 マジでゆみ、お前は何者なんだ?


 母親は帰ってくれと女性たちに言うが、女性たちは全く帰るそぶりを見せず、どんどんヒートアップしていく。

 熱くなりすぎだろ、そろそろヤバいかと母親を助けに割って入ろうかと思っていたら、一番先頭にいた女性が母親の胸をドンと突いた。


 四十代半ばの母親が、しりもちをつく。


 目の前が怒りで真っ赤になった。 


 母親を突き飛ばした女の胸ぐらをつかみ、鼻先がつくくらい顔を近づける。


「クソが! ぶち殺してやろうか!!」


「タカシちゃん! やめなさい!」


 俺の脚にしがみつき、暴力を止めようと必死な母親。


「放しなさいよ! 暴力反対!」

 俺に胸ぐらをつかまれた女が喚き散らす。

 ほかの女たちは、目の前の暴力に身が竦んだようで、青い顔してフリーズしてい

る。


「タカシちゃん! お母さんは大丈夫だから! やめて!」


 母親の懇願も、真っ赤に染まった俺の怒りを止められない。

 俺自身でも止められない。


「母さんに両手ついて謝れやクソが!」


 女の顔面に向かい最大音量で怒鳴りつける。

 女は獣のような裂帛の怒号に目を見開き固まる。


「あ、あう…」


 女が何か言おうとしたその瞬間、怒りで真っ赤になっていた視界が、本当に真っ赤に燃え上がった。


「タカシちゃん!!」

 

 母親の叫び声がきこえる。

 顔が熱い! 燃えてやがる!

 女から手を離し、顔を燃やす炎を消そうと、蛇のようにのたうち回る。


「確保!」


 野太い男の声がきこえ、ものすごい圧力を体に感じ、俺は意識を失った。



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