終章

終章 『物語』を紡ぐ者たち

「そこで俺は言ってやったのさ! ここは俺に任せて先に行けってなァ! だが空也はこう言い返してきた! 『仲間を置いて行けないぜ!』って! 痺れる決め台詞に友情を感じざるを得なかったぜー!」

「言われてねぇし言ってねぇ。大声で恥ずかしいこと言ってんじゃねーぞ金髪騒音野郎ゴールデンスピーカー


 黒き大蛇だいじゃが街を埋め尽くし、黒川大橋が崩壊した事件から二日。月曜日の朝からやかましい廿浦つづうらリクが、ホームルーム後の教室で当時の状況を大盛マシマシ全部乗せで語っている。

 この金髪の馬鹿野郎がなんの躊躇いもデリカシーもなく、あの夜に見たことをひけらかし始めたので、大神はもはや隠すことをやめた。自分からルゥナたちのことを話すつもりは無いが、廿浦つづうらがくっちゃべるホラの部分だけ訂正しながら話を合わせる。


黒幽鬼ファントムから親子を担いで逃げ延びただけでもすごいだろ。余計な嘘つかないで胸を張れよ」

「だって俺は逃げるので精一杯だったのに、空也はあのデッカイのに一人で向かっていったんだぜ? 俺よりカッコいいなんてずるいじゃねーかよー!」


 そのデカい声に、大神の机の周りに集まっていたクラスメートたちが「マジかよ!」「すげー!」などと頭の軽そうな感想を並べる。ボサボサの髪を掻く大神の右手には、一応だがグローブが嵌められている。


「その右手すごいんだろ! また見せてくれよ、なぁ!」

「やかましい。見せモンじゃねーって言ってんだろ」


 目を輝かせて顔を覗き込んでくる金髪をシッシッと払う。すると、奥の席から立ち上がった男が廿浦つづうらの肩にポンと手を置いた。


「その辺にしておきなよリク。空也にだって事情があるはずさ。黒染者ブラッカーのことをよく思わない人も世間には多い。この件にはあまり干渉しない方が、いい友達でいられると思うよ?」


 水色のウルフカットに、グリーンのモッズコート。切長の目尻に演技臭い笑みを浮かべ、霧島哀斗きりしまあいとがあたかも真っ当なことを言ってきた。


(この後に及んで平然とクラスメートづらすんな気味悪い)


 胸中に思ったことは口には出さず、机に頬杖をついた大神は三白眼を転がして霧島を見上げる。

 その視線で伝わったのか、霧島がわずかに薄目で睨み返してきた。テメェこそ余計なこと言うなよ、という目だった。


「んー、それもそうかァ! じゃあこの話はおしまい! 続きはウェブで!」

「終わるのか続くのかどっちだよ」


 一限目のチャイムが鳴り、野次馬共が席へと戻っていく。朝から体力を使った大神は小さく嘆息を漏らすが、無事に帰ってきた日常に悪い気はしなかった。

 土曜日の激闘で肉体が悲鳴を上げていた大神は、翌日の日曜日は泥のように寝ていた。身体の中に宿っていたの力がルゥナに渡った影響か、大神は以前よりも体力の回復が遅くなったらしい。対してルゥナはすこぶる元気で、寝ている大神の代わりに食べ物を用意しようとして、しっかりとやらかしていた。電子レンジで缶詰を温めてはいけないという知識は、彼女の中の空想・創作の知識に無いのだろうか。


「す、すごい人気者だね大神くん……。男の子って超能力とか好きだよねぇ」


 人だかりがはけたことで、隣の席に座る少女と目が合った。大神の首と同じ位置にガーゼを当てた鳥目木菟とりめみみずくが、机の上で指を組んで何やらモジモジしながら話しかけてきた。


「こんなモン無い方が普通の人生歩めるのにな」

「そうだね……でも、ちょっと羨ましいって思っちゃうな。そういう力があれば私も、みんなの役に立てるのかなって思っちゃうもん」


 あの事件の後、ルゥナと共に自宅へ帰る途中で、大神は黒川市の総合病院へと電話した。理由はもちろん、ルゥナに喉笛を噛まれた鳥目の容体を確認するためだ。

 受付は営業時間外となっていたが、何とか彼女の無事を聞き出すことが出来た大神は、心底ほっとして胸を撫で下ろしていた。隣で電話の声を聞いていたルゥナが泣きそうな顔で安堵していたのを覚えている。

 大神は一限目で使う教科書と筆記用具を机の上に並べていく。

 

「羨ましいのはお互い様ってことだな。でも、お前が無事で本当によかった。力を持ってるくせに、守ってやれなくてすまなかった」

「ううん、大神くんにはいつも守ってもらってるよ。あの時から、何度もね」

「路地裏で黒幽鬼ファントムに襲われてた時か? 夜は特にアイツら活発化するから、今後は気をつけろよ?」

「そっちじゃなーい。まったくもう、本当に覚えてないんだなぁ……」


 鳥目は不機嫌そうに口を尖らせたが、すぐに微笑みを取り戻した。

 数秒の沈黙の後、指のもじもじが最高潮に達した鳥目が、頬を赤く染め、震える唇を開いた。


「あ……あのね、大神くん! 私、ずっと――」


 コホン。

 わざとらしい咳払いが、二人の前から聞こえた。

 古典教師の門蔵詩絵かどくらしえが、酩酊したようなぼんやりとした目でこっちを見ている。


「青春は休み時間にやれ。社会に出てから何の役にも立たない、楽しいタノシイ古典授業の始まりだ小童こわっぱ共」


 教師としてあるまじき迷言を吐き捨てた門蔵にそれでいいのかとツッコみたくなった大神だが、その一言で通知表を最低評価にされかねないと察して大人しく黙った。

 本当に、マジで何故なのか大神には理由がわからない大ブーイングが巻き起こっている教室で、鳥目の顔からボンッとかいう爆発音が聞こえた気がした。



 **

 

 

 同日、日の入り後。

 薄暗い部屋に、キーボードを凄まじい速度で打鍵する無機質な音が連続する。電気もつけず、モニターから発されるブルーライトだけがその人物の顔を照らし出していた。


「かくして造りモノの少女は仮初かりそめの生を終え、新たな人間として物語を紡ぐ……といったところかな? ありきたりで、出来すぎた話だとは思わないかね?」


 薄紫色の長髪に近未来的な装置を乗せた人物が、大型のオフィスチェアーに腰掛けて何やら熱心にパソコン作業を続けている。その背後で、モッズコートに身を包んだ背の高い少年はつまらなそうに話を聞き流した。


「興味ねぇな。しかしアンタともあろう者が迂闊だぜ。この隠れ家、セキュリティ甘すぎねぇか?」

 

 重厚な鉄扉の内側で、打ちっぱなしの壁に背を預けて立つ霧島哀斗きりしまあいとは、六畳ばかりの広さの地下室をぐるりと見回す。所狭しと並んだ書棚からあふれた書物が床に積み重なっており、壁にはどこの国の言語かもわからない文字で書かれたメモが無数に貼り付けてある。床と天井には謎のパイプが血管のように這わされており、ゴウンゴウンという何かの機械が動くような作動音が断続的に聞こえていた。


「特に目星い物は無い、ただの物置きのような部屋だからね? キミのように身体を霧に変えて侵入してくるような人間を想定してまで、わざわざセキュリティを設けてはいないよ?」


 美園生竜胆みそのうりんどうは振り返らずにキーボードを叩き続けている。何か機嫌が良くなることでもあったのか、霧島はその光速のタイピングがいつにも増して小気味良いと感じた。


「しかし、人造吸血鬼量産計画ヴァンパイア・プロジェクトの研究室にもっと深い地下室があったなんてな。黒川山をどこまで掘ったんだよこれ」

「企業秘密というコトにしておこうかね? お互い既にIODOイオドを追放された身だが、そこはコンプライアンスという物だよ?」

「不法侵入してパソコン弄ってるヤツの口から出る言葉とは思えねぇな。そんな気になることでもあったか?」

「とんだご都合主義的展開デウス・エクス・マキナもあったものだが、過程はともかく結果は興味深い。吸血鬼が……しかもクローンの人形が人間として産まれ変わるなど、滑稽にも程がある話だが、今後の研究に取り込んでも良いかもしれないと思ってね? 軽くレポートをしたためていたところだよ」

 

 月曜日のだるい学校生活を終え、放課後の黒川高校を後にした霧島は、脱走したルゥナ=サーティーンにより壊滅的被害を被った研究施設の地下深くに忍び込んでいた。

 どのスタッフも存在に気付いていなかったと思われる隠し部屋の中で、開発部隊デベロッパー》の二人が言葉を交わす。と言っても霧島からすれば人間と話している感覚は一切なく、まるで流暢な自動音声を返してくるロボットを相手にしているかのような気味の悪さだった。

 

「それで? ワタシに何の用だい? また昔のように、行き場をなくして路頭に迷ったから助けて欲しいというコトかい?」

「それについては本当に世話になった。おかげで仕事だの実験だのという口実で好きなように人を切り刻むことができた。オレの価値を見出してくれてありがとうよ」


 その呪われた精神を。黒に汚された身体を。人を殺すことしかできない能力の使い道を。第六室主任という立場をいいことに手中に収め、散々好き放題に使ってくれやがった女に正直な感謝を述べる。

 そして。


「オレは借りを返さなきゃ気が済まないタチでね。これでチャラにしてくれや」


 オフィスチェアーの背もたれごと、白衣に身を包む元上司の背中を突き刺した。

 槍のように尖った喉伐鋏のどきりばさみを押し込み、肉と内蔵が裂ける水っぽい音を奏でる。タイピング音が止まり、キーボードとモニターに真っ黒な体液が飛び散った。

 

「…………一応尋ねておこう。今のキミの仕事は何かな?」


 背後から心臓を突き刺したと言うのに何も変わらない調子で話しかけてくるバケモンに、霧島はご丁寧にも用意してあった回答を告げる。


IODOイオド日本支部第三室|特務部隊《スカベンジャー》の霧島哀斗きりしまあいとだ。情報漏洩防止の観点および多重の違反行動発覚により、テメェを粛清しに来た」


 彼の首からは、新たなネームタグの入ったストラップがぶら下がっていた。


「また随分とおあつらえ向きな部署に拾ってもらったね? 諜報や暗殺といった、IODOイオドの汚れ仕事担当じゃあないか。そういえば、かつてキミが第一志望していた部署だったね?」

「殺しが趣味なだけの危険人物は不要だって言われてたんだがな、それが今頃になって手のひら返してきやがった。オレに離反されるより、手元に置いておく方を選んだみたいだぜ」


 霧島は突き刺した喉伐鋏のどきりばさみを引き抜く。背中側からもどろどろの黒血が飛び出し、椅子の背もたれを汚していく。


「だがテメェにはオレと違って生ぬるい審判は降りなかった。世界の秩序を乱す可能性のある危険分子だとよ。特に名残惜しくもねぇから、この場でくたばりやがれ」

 

 霧島にはわかっていた。今目の前にいる存在は菌糸で作られた分身ではなく、美園生竜胆みそのうりんどうの本体である。

 黒血能力ブラックアーツの解放前に串刺しにしたのだ。いくら人智の及ばない領域の力を持つ彼女であれ、その肉体は確実に終わりを迎えたはずだ。

 しかし、念には念を入れておく。鋏を大きく開き、まだ息のある首を切断しようとする。


「あぁ、構わないとも。気が済むまで切り裂くといい。既にこの容れ物カラダは用済みだからね?」

「…………そんなこったろうと思ったぜ、つまらねぇ。この会話も遠隔でやってやがるな?」


 呆れて鋏を下ろす。美園生みそのうは自分の身体をいつでも捨てられるよう、替えの肉体を用意してあったらしい。霧島の目の前にあるこの肉体は、どこか遠方の地にいる美園生みそのうが遠隔操作している肉人形にすぎないのだ。

 ぎこちなく動く指で、エンターキーが押された。操作していたファイルがどこかに送信されたらしい。

 

「キミがワタシを裏切るコトを、ワタシが想定していなかったとでも?」

「裏切られる自覚があるヤツは言うことが違げぇな。裏切ったヤツじゃあなくて、裏切られるヤツが悪りぃ典型だぜアンタ」


 霧島は身体を黒い霧に変えて隙間から脱出する。この部屋に残っていたら何が起こるか想像できていたからだ。

 要するに、最初から破棄する予定の隠れ家に厳重なセキュリティなど不要ということだ。

 

「この通信が終了する頃には……ってヤツか。本当にやるヤツがいるとは思わなかったぜ」


 研究施設跡地から離れた黒川山の斜面で、霧島はその震動を確かに感じた。さっきまで自分がいた方角から灰色の煙が噴き上がっている。付近では土砂崩れも起きているだろう。なんともまあ傍迷惑な証拠隠滅である。

 霧島は仕事用のスマートフォンを取り出し、どこかへ連絡する。


「アテは外れたぜ。オレが会った美園生みそのう。さて、どうする?」


 その報告に対し、電話口の相手から簡潔な返答があった。霧島は面倒臭そうに息を吐き捨てた後、仕方ないと言うふうに笑う。


「ああ、了解だ。を続行する」

 

 クローンの素材となったオリジナルの吸血鬼。

 今も東京都心を埋め尽くす黒の中から美園生みそのうが見つけ出した、現実に迷い込んだ空想の存在。世間に未公表である本物の吸血鬼は、研究施設の爆発事故以降行方をくらましていた。

 居場所はともかく、持ち主は決まっている。新たな部隊に配属された霧島に与えられた任務は美園生竜胆みそのうりんどうの抹殺と、彼女が持ち出したと思われるモノの回収だった。


原典オリジンの吸血鬼捜し、か。ンなモン、聖職者か霊媒師にでもやらせろってんだ」


 星月が浮かび始めた黒川山から、黒い霧が立ち昇ってどこかへと飛んでいく。

 同じ組織の異なる部署で。彼もまた新しく、より血腥ちなまぐさ物語じんせいを始めるのだった。 

 


 **



 同刻。大神邸。

 台所からいい香りが漂ってくる。シチューの甘い香りだった。

 大神は放課後、珍しく近所のスーパーで食材と呼べるものを購入して帰った。どういう風の吹き回しか、夕食を作ると言い出した姫路の厚意に甘えた結果の出費である。甘えたというより、問答無用で押し切られた、といった方が正しいが。

 くたびれた座布団に座り、座卓に肘をつく大神の正面で、ルゥナがご機嫌そうに体を揺らしている。シチューの香りに反応して台所の方を見ているその姿は、餌を待つ犬のように思えた。ちなみに彼女の服装は、鳥目のお下がりから選んだ可愛らしいワンピース姿だ。


「もう、血は飲まなくて大丈夫なのか?」

「うん。喉が渇いても水で満たされるようになったよ」

「日差しを浴びても平気みたいだしな。少なくとも吸血鬼らしい弱点はなくなったワケだ」

「縁側での日向ぼっこが、あんなに気持ちいいとは思わなかったよ。シャワーを浴びても力は抜けないし」


 ルゥナが縁側の大窓を見る。外が暗いため、窓には宅内の景色が反射している。

 決して吸血鬼を映し出さない鏡面には、大神と共に夕食を待つルゥナの姿がしっかりとあった。

 

「――わたし、本当に吸血鬼じゃなくなったみたい。今でも不思議な感じだよ。わたしに心臓があるってことが」


 ルゥナは胸の真ん中に手を当てる。本来なら大きな孔が空いていたはずの部分に、指を押し込んでも入っていかない。

 事件後の夜、鳥目の見舞いから帰宅した大神は、素っ裸のルゥナに出迎えられた。何をしているんだとお説教したのはもちろんだが、その意図はとても重要なことだった。


「どこにも無かったもんな、孔。俺はに命を与えられても右手の孔が消えなかったから、お前にも残ってると思ったんだが」

「何度やっても《血を啜る断頭台ブラッドイーター》は出てこないし、ニーズヘッグの力も使えない。でも、ちょっと指先を切れば黒い血が出てくる。わたしは今、黒染者ブラッカーなのか吸血鬼なのか、よくわかんないよ」


 ルゥナからは黒染者ブラッカーの証である孔が消えていた。あの日以来、黒血能力ブラックアーツは一度も使えていない。

 もしかしたら、まだ狂気の黒血ルナティックブラックから産まれた吸血鬼としての血が残っていて、完全な人間になれたわけではないのかもしれない。ルゥナはそこに、一抹の不安を抱えているようだった。


「はい、お待たせ。ルゥナ、一緒に運んでくれる?」


 姫路が台所から顔を出した。放課後に一度帰宅してわざわざ着替えて来たらしく、いつものブラウスにフレアスカートという服の上からエプロンをつけていた。

 ルゥナが立ち上がり、シチューが盛られた皿を両手に掴んで運んでくる。姫路も両手にそれを持ち、座卓の上に並べていく。三人の食卓に対し、シチューが四皿。


「言われたとおりに四人分用意したけど、もう一人誰か来るのかしら?」

「あぁ、それなんだが……」


 大神が話し始める前に、廊下から襖を開けてその人物がやってきた。


「やぁ、黄昏ゆうやけ。一昨日ぶりだね」

枝草しぐさ? 貴女、なんで……」


 袖の余ったぶかぶかのニットに、オーバーオールを上から着たベージュ髪の少女が、まるで当たり前のように大神邸の中から現れて食卓へと座った。


「うんしょ、っと。シチューなんてどれくらいぶりだろ、楽しみだなぁ。ところでこの亭主関白は、黄昏ゆうやけに任せっぱなしで手伝わなかったのかい?」

「誰が亭主か。コイツに座って待っとけって言われたんだよ」


 舞原に指を差された大神は、姫路を指差して答える。ルゥナはお預けを食らったようにスプーンを握ってシチューの前でうずうずしている。


「いや、そんなことより!」

「はいはい、怒らないで黄昏ゆうやけ。ちゃんと説明するから。こっちが」

「丸投げすんなコラ」


 喋るのが面倒くさくなったらしい舞原に説明放棄され、大神は軽く溜息を吐いてから事情を話す。


「さっき学校から帰ったら舞原こいつが家にいた」

「……不法侵入じゃないのそれ」

「失敬な。ちゃんと入るよって言ったもん。家主がいなかっただけだよ」

「空き巣の常套句みたいな言い訳するんじゃないわよ」


 大神と舞原の顔を交互に見ながら、徐々に機嫌が悪くなっていく姫路。ちゃんと説明しないと家ごと燃やされそうなので、大神は端折はしょらずに話す。


IODOイオドの第六室で、吸血鬼のクローン実験に参加していたメンバーは実質の解雇になったらしくてな。行くアテも無いからって転がり込んできたんだよ」

「《特務部隊スカベンジャー》に消されなかっただけ温情あるけどね。幼い頃に黒幽鬼ファントムに家を襲われたボクには、帰る場所も家族も無くてさぁ」

「……って言いながら、これからヨロシクとか言って居座りやがった。舞原にも世話になったし、部屋は余ってるから俺はいいんだけどさ……」


 何か言いたそうに口の中で言葉を探している姫路に向かって、舞原が舌を出してピースしている。


「だって黄昏ゆうやけ。あの時、じゃあないか。そりゃあ、ボクもこれくらいするよ」

「何のコトよ……」

「覚えてなくていいよ。その方が都合いいし」


 一体何の話をしているのか大神にはわからないし、姫路も心当たりが見つからないらしく首を傾げているし、ルゥナはスプーンを齧っているし。


「さ、そろそろ食べようよ。せっかく黄昏ゆうやけが作ってくれたんだし」

「「オメーアンタのせいでこじれたんだろーでしょーが!」」

「いっただっきまーーーーす‼」


 ちゃんと待て出来て偉かったルゥナが、待望の夕飯にありつく。

 ――四人はあの戦いを振り返りながら食事をし、後片付けまで全部やってくれた姫路は日付が変わる前に帰っていった。去り際に舞原を一瞥した姫路が怪訝な表情で大神に近付き、耳打ちで釘を刺してきた。


「……木菟みみずくには私から説明しておくから。余計なこと言わないであげてよね」

「なんで鳥目が出てくるんだよ」

「あと、コホン。手を出したら燃やすわよ」

「出すワケなかろうバカやろう」


 姫路が去った後、舞原はかつて母が使っていた空き部屋へと戻っていった。鳥目のお下がりの中からサイズが合うトレーナーを選んだ彼女は、それを寝間着にすることにしたようだ。


「お下がりにちょうどいいのがあって良かったな」

「幼児体型だって言いたい? この歳にしてはなんだけどなぁ」

「両手で持ち上げんでいい。寝なさい」


 聞いたらまだ十四歳らしいマセガキの部屋の戸を閉め、大神も自室へと戻った。

 大神が寝間着に着替えて寝る準備をしていると、居間の方からちょっぴり襖を開いた。


「ルゥナ、どうした?」

「クーヤ、お願い。今日だけでいいから……一緒に寝てもいい?」


 紅い瞳が弱弱しげにこちらを見ていた。

 ルゥナと寝場所を分けている理由は、もちろん当たり前の理由も含まれているが、ルゥナの吸血衝動を考慮してのことだ。もし隣で寝たら、無防備な大神の首筋に歯を突き立てかねないと、当時空腹だったルゥナがそう言ったのがきっかけだった。

 だが、今のルゥナにその心配は不要だった。


「布団、こっちに持って来いよ」


 大神の言葉に、ルゥナの表情がぱぁっと明るくなる。襖を開け広げ、敷布団をよいしょよいしょと引っ張ったルゥナは、大神の布団の隣にピッタリと寄せてそのまま枕にダイブした。

 電気を消し、掛布団に体を入れる。ふと隣を見た大神は、暗闇の中で紅い瞳がこちらを見つめていることに気が付いた。目が合った瞬間、白い頭まで掛布団にすっぽりと逃げ込んでしまった。まるでヤドカリだった。


「ついに、明日だな」

「………………うん」


 布団の中から返事があった。

 明日の火曜日が、何か特別な祝日というわけでもない。

 ただ、それは予定されていた決別の日。

 ルゥナ=サーティーンに用意されていた、最期の日。


「この夜が明けたら、わたしは……」


 不安なのだろう。いくら新しい命を手に入れたからとはいえ、だからこそ希望を持ってしまう。

 絶望だけなら諦めがつく。希望があるから不安になる。生きられるはずの自分と、死ぬはずの自分が混在する。その言い知れぬ不安と恐怖に怯えたルゥナは、最後かもしれない夜を共に過ごしたかったのだ。


「大丈夫だ」


 わずかに震える布団に向けて言葉をかける。

 ゆっくりと顔を出した少女の頭に右手を添えて、細くしなやかな白い髪を撫でる。


「最初に言ったろ。お前はもっと、この世界で生きていいはずなんだ。もっと外のことを知って、人のことを知って、人として生きていいんだ。もしそれを許さない神がいるって言うなら――俺の右手で神砕かみくだいてやる」

「……うん。ありがとう、クーヤ」

 

 少女から一粒の涙が流れ、そして微笑みが零れた。

 


 **



 丑三つ時の探偵事務所に紫煙がくゆる。

 頭部や手首など至る所に包帯を巻いた久怒木くぬぎ京助きょうすけは、スタンドライトの灯りの中でノートパソコンの画面を見つめている。IODOイオド日本支部の認可組織として、今回起きた一連の事件についての報告文を作成していた。

 丸二日経っても深い傷は完治せず、少し曲げるだけで激痛で指が飛びそうになる。昔馴染みの医者に処方させた鎮痛剤で身体に鞭を打ち、やらなければならないことをやり遂げる。


「そろそろ寝ろって? そうしたいのは山々だが、俺の戦いはまだ終わってないからな。事後処理も探偵の仕事なんだぜ?」


 隣にいる誰かに強がりを見せつつ、吸い殻を灰皿に置く。新しい煙草を取り出して口は運び、オイルライターの火をつけようとすると、世話焼きの誰かがそれを口元まで浮かべてフリントを回してくれた。


「悪いな」


 煙草の先端が赤く色付き、新鮮な煙が事務所に満ちる。


『何をしているの?』


 そんな声が聞こえた気がした。


「北海道にいる偉い支部長にな、文句を添えてやろうと思ってよ。またルゥナや俺たちに刃を向けようってんなら容赦しねぇぞってな」


 乱暴ね、と返ってきた。

 

「あの野郎、一人の命より証拠隠滅を優先しやがった。世界の秩序なんざ、ハッキリ言ってどうでもいい。目の前の困ってるヤツを助ける。それが俺たちの仕事だ」


 そう言ってメールを一通ぶん投げる。宣戦布告にも近い脅迫文の込められた報告書には、大神がルゥナを拾ってきた日からの戦いの経歴がしたためてあった。

 大神邸にルゥナを連れ戻しに向かった《開発部隊デベロッパー》が美園生みそのうと舞原の二人だけだったのも。

 舞原の結界を打ち破り、ルゥナ抹殺を完遂しようと現れた《殲滅部隊ホーネット》の援軍が黒川大橋に到着しなかったのも。

 機密情報を知った探偵事務所員およびその友人たちの下へ《特務部隊スカベンジャー》が口封じに来なかったのも。

 その全てが、誰の活躍によるものなのか。誰が裏で手を打ち、時に実力で封じ込めていたのか。

 それを知るのはこの探偵と、そばにいる彼女だけでいいのだ。


『それにしても、今回は随分と無茶をしたね。なんでかな?』


 それに対する回答はわかりきっているくせに、えて彼女はその質問をした。


「――決まってるだろ」

 

 なら、聞きたがっている台詞を言ってやろう。


「俺は、探偵なんだぜ?」

 

 

 **


 

 朝日が昇る。

 白いキャスケットを被り、白いコートの袖に手を通した白い少女が、玄関の内側に立つ。エスコートするように、黒い少年が修理されたばかりの建て付け悪い戸を開ける。

 少女は目を閉じたまま、一歩踏み出る。


「……………………あったかい――」


 目を開けたそこにあるのは、太陽の光。

 眩い祝福に包まれ、少女は両腕を広げる。その光を抱擁するように。

 大きく深呼吸した少女が、柔らかな日差しの中で振り返る。

 黒から生まれた空想上の産物。吸血鬼のクローンだった少女・ルゥナ=サーティーンは、太陽に……世界に存在を認められたのだ。


「クーヤ、これからも一緒にいてね」


 白い少女の、小さな手が差し出される。

 黒い少年は、その手を優しく取り、孔の空いた手で包み込む。


「ああ、約束する。ずっと一緒だ、ルゥナ」


 黒い世界に、白い光が満ちる。

 沈んだ太陽が、また昇るように。

 彼らの物語せかいはこうして終末おわり、そしてまた創生はじまるのだった。


 ――END――

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Lunatic Black 黒槍 火雨 @kuroyari9681

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