巷説・七夕の物語

羽弦トリス

メモ帳と万年筆

俺の名前は赤木創一。

仕事は図書館司書だ。市民図書館で朝の9時から6時まで勤務している。

土日は休みでは無い。月曜日が休みで後、週のどこかで1日休みがある。

28だがこの仕事を初めて10年になる。土日が出勤なので、高校からの友達とも休みが合わず、友達すらいないので、彼女なんて夢の又夢である。


返却された本を本棚に戻す作業をしていると、かすかに香水の匂いが漂っていた。

俺が振り向くと、若い女性が分厚い本を読んでいた。観察すると、可愛らしい顔をしているのだが、読んでいるのはダンテの「神曲」だった。

こんな可愛らしい女性が、何を思ってダンテなど読むのか……大学生か?

図書館には椅子と机があるが、立ち読みを30分続けて本棚に戻し帰って行く。


それから、仕事中、その女性が来るのを楽しみしていた。

いつかは声をかけようと。

俺は口下手だから、どう話し掛ければ良いのか思案した。

いつもの如く、本棚へ返却する作業をしていると、また、女性がその本を読んでいる。

「難しい本読んでますね」

女性は一瞬ためらい、手帳を出して紙に文字を書いた。

「私は口がきけません。この本は面白いです」

と。

そうか、彼女は口が聞けないのか。俺は手話は分からないので、

「座って読んだらどうですか?立ち読みは疲れるでしょう?」

と言うと、

「いつも、10ページ読んだら帰るのです」

と、また、手帳に書いた。

「じゃ、明日も待ってす。俺は赤木。赤木創一」

「私は、久保田ひかりです」

と、メモ帳で挨拶して別れた。


それから、筆談で話す事が日課になった。

たった、30分間だが、何よりも楽しい時間であった。

俺は思いきって、久保田さんをデートに誘った。

メモ帳に、「OK」と書かれた。

月曜日の休みの日に、一緒にお茶を飲んだ。

まだ、22歳だと書く。

日本の好きな作家は、司馬遼太郎らしい。


そんな、関係を半年間続けた。

7月に入ってからその女性との連絡が途切れた。

LINEの返信もない。

何かあったのか?

そんな、不安な日々を送っていた、日曜日の仕事終わりに、彼女が現れた。


「久しぶりだね。心配してたよ」

「ごめんなさい。心配掛けちゃった」

と、久保田は声を発した。

「喋れたの?」

「分からない。今日は話せる」

2人は公園のベンチで話した。彼女は午後の紅茶、俺は缶コーヒー。

タバコの煙を吐きながら、

「良かった。元気で」

「うん。でも、もう私、行かないと」

「どこへ?」

「あなたも知らない、遠いところ」

「留学?」

彼女は最後まで、教えてくれなかった。そして、去り際に彼女は俺に万年筆をプレゼントしてくれた。

俺が物書きと知っているからだ。

そうか、今日は七夕だし待ち焦がれた彼女と会うのもなんか風情があるなぁと感じた。


コンビニ弁当片手に帰宅して、缶ビール飲みながらテレビのスイッチを入れた。

ニュースを見ながら、弁当を食べていると、事故のニュースが入った。山道でガードレールを突き破り、軽自動車が崖から転落して、運転手が死亡したと。その、事故が判明したのは事故から1週間後に地元の人間が警察に通報したからだった。

死亡したのは、久保田ひかりさん22歳と出ていた。


俺は嫌な予感がした。彼女にLINE電話したが繋がらない。

確かに、今日、彼女と会った。そして、万年筆は持っている。


俺は悟った。

彼女が最後に言った言葉の意味を。

「あなたも知らない、遠いところ」

の、意味を。

奇しくも、今日は七夕。

年に一度の再会では無い。永遠の別れだ。


俺はもらった万年筆で小説を書き続けた。

新人賞を受賞した。

これは、俺だけの力では無い。

彼女の後押しがあったからだ。

七夕を迎える度に思い出す、俺の初恋記憶だった。


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巷説・七夕の物語 羽弦トリス @September-0919

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